2016年8月14日 (日)

ムーブメントを創る

全国的に教育実践研究家・菊池省三さんのブームが起きており、書店でも著作が平積みされている状況である。3年前の夏に私の勤務校を会場として菊池道場の雰囲気を少しでも感じてもらい、次世代の北海道教育を開拓していく若手教師向けに「菊池道場別院」を開催してみた。
小ぶりな研修会ではあったが、翌年GWに開催するセミナーに向けての一歩を踏み出せたかなという思いでいた。
このたび、9月18日(日)札幌産業振興センターにて文部科学省推奨ドキュメント映画『挑む』の上映会&研修会を開催することとなった。
本来なら、この1年以上の期間での研鑽実績として参加者を募るところであるのだが、まだまだ力不足は否めず、本州ほどの勢いを創り出せていないのが実情である。
教育関係者に限らず、広く道民にも菊池実践のすばらしさと教育効果を実感していただきたいと願っている。
以下、私のfacebookからの発信を引用紹介したい。

【申込先こくちーず】 http://kokucheese.com/event/index/381914/

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【20160814facebookより】9月18日(日)の上映会も大事だが、原点はここにある。対象者を教員にしぼるのではなく、教育関心者とするべきものなのだということを再認識しなければならない。誰もが教育関心者でなければならないのだという世論形成が必要なのだ。

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2016年5月 4日 (水)

知識に基づく「先読み」現象について

子どもたちに音読させると時々「書いて有るとおりに読まない」という現象に遭遇することがある。誤読による先読み現象である。

先読み現象とは、書かれている文や文章の流れ(文脈)から『おそらくそのように書いてあるだろう。』という思い込みによってテキストを拾って読むべきことを、自らの中に予想されるテキストを発声してしまうことである。

内容を間違って読み取ってしまう「誤読」とは異なり、音読での「誤読」には知識の自己再生が邪魔をしてしまうようである。人間の賢さが読みを助けることがあり、会話や対話での音声言語を介した情報交流場面ではよくあることである。

例えば、野口芳宏氏が「教室音読のすすめ」と題した講演(野口芳宏著作集 第一集別巻に所収されている岐阜講演会でのもの)で、氏は来場者に向けて若干声量をおさえつつ口形も不確かな状態で次のように話してみたところ、来場者はものの見事に賢さで間違った音声言語を正しい内容としてのテキストへ変換してしまったのである。

野口氏は犬の絵を提示しながら、次のように言っている。「これあ、えぬのいです。」来場者は「これ<は><犬>の<絵>です。」と聞き取っているのである。

野口氏は続けて次のように言う。「日本語を学んでいる外国人は、言ったとおりに正確に聞き取るのだが、日本語を母語とする日本人には言わんとするところを勝手に補正して聞き取ってしまう。」(正確ではないが、ほぼこのようなことをおっしゃっている)

学習科学におけるテキスト補正について、三宅なほみ氏はサイトで「THE CAT」(図を参照)を用いて同様のことを述べている。

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少しばかりの英語の知識をもつ私たちには、上の図をみれば「たちどころにTHE CAT」と読めてしまう。

正確には図2の表記不備の文字は読めないとするべきものだが、図1の表記では前後の流れから図2の文字を「H」と「A」に置き換えて読むのである。

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H」と「A」は異なる文字で誤読することが難しいのだが、私たちの頭の中では適正な補正をして文脈構成をしてしまうようである。それは経験や知識に基づくものであり、人間の賢さの影響による。

卑近な話ながら、私は「ひつまぶし」を知らなかった時に、初めて見たこの言葉(写真といっしょに書かれていたらこうはならなかっただろうが)を「ひまつぶし」と黙読したのである。「ひ」「つ」「ま」「ぶ」「し」の5文字をひとかたまりに見た時に、持っている知識の中から瞬時に知識としてもっている「暇潰し」という語に当てはめてしまったということである。もちろん誤読である。「ひつまぶし」の正体を知ってからは(つまり「ひつまぶし」という食べ物の知識を得てからは)二度と誤読することはなくなった。(^_^;)

子どもたちの音読で誤読が起きるのは文末が多い。また、文中で読みがよどんだりつっかっかったりするのは、その子にとって知識としてない言葉であることが多い。

知識は学習の上で必要なことではあるのだが、知識による「しばり」という影響も伴うことがあるのだということを考えさせられる事例だろう。(終わり)

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2014年10月22日 (水)

中村誠 大阪桐蔭野球部主将が中学生で内閣総理大臣賞をとった作文

中村誠 大阪桐蔭野球部主将が中学生で内閣総理大臣賞をとった作文
YouTube&pdfで。
https://www.youtube.com/watch?v=6OdU0ND8YSQ

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2014年9月28日 (日)

ブログ復旧

カスタマーサービスからの助言をいただきながら対処しまして、とりあえず復旧しました。

どうもブログパーツのどれかが不正リンクに利用されていた感じです。
一つ一つを検証するのが面倒なので、全てを削除しました。
おかげでスッキリスリムなボディになっています。
これからまた装飾していこうかと考えていますが、何よりもブログの内容が一番です。
次に更新頻度ですね。( ̄ー ̄)ニヤリ

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2014年9月23日 (火)

更新テスト

サイト乗っ取り?!に伴い、環境設定の変更を試みているところです。

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2013年1月27日 (日)

教育文化という土壌

プロジェクト型学習について簡単な所見を綴ってきた。

従来型授業よりも優れていることをアピールする写真がこれ。
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こういう「売り込み」や「自己PR」を日々の学習を通して実践していけば、日本人の積極性や主体性が高まっていくことだろう。さらには、外交の交渉力が高まることも期待できそうだな。
ちなみに、国語科の「学習用語辞典」の編集作業をすることなっているのだが、クロスカリキュラムとして実践の蓄積が伴えば、さらに内容が充実したものに仕上げることが可能となるだろう。算数科での豊かな言語活動にも貢献することになるから、やりがいのある課題と言えそうだ。(^_^;)

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たまには、理解不能(^_^;)

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身体を動かしながら一次方程式に対する理解を表現・・・う〜む。理解不能。
そもそも高校生レベルで一次方程式なんかい?!という疑問があるのだが、クラスイベント(お楽しみ会)としてやるんだったら、学習の応用・活用とも言えるだろうけど、クロスカリキュラムでやるんじゃ、日本ではなんと言われるかわからないな〜。(^_^;)
おそらくこういう単元プランは、淘汰されていき、よいものだけが流通していくだろうから、目くじらたてるほどのこともないのかもしれない。
でもまあ、進学校じゃあ、まずやらないだろうな。(^_^;)

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シチズンシップを育む

大人の中には、学校も日々のお買い物をする店も同じ意識でとらえている人がいて、宮台さん流にいえば、クレィジークレーマーという方で、なんでもかんでも文句付けないと気が済まない人っているものだね。

教育の目的は、人格の完成にあるが、その一つに正しい市民性を育むことも当然入ってくる。それは、学校だけでの問題ではなく、家庭教育でも大事な場として成果を生まなくてはならない。何しろ、その延長上に、国民の納税義務というものがやってくるわけだからね。
写真は、「物理学プロジェクト」となっているけど、立派な社会リサーチとしてのプロジェクト型学習である。
こういうところからも市民性の育成が期待できると感じている。
よく車いす体験学習が行われるが、単にバリアフリーについて考えるというだけでなく、やったことが社会整備の一助になっていけば、学習価値が一層高まるというものだ。さらに、社会への参画者としての自覚も期待できるわけで、提言を終末にもってくる学習プログラムを増やしていきたいものだと考えている。
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あなたも名探偵コナン

子どもにとって、遊びも授業も楽しければどちらでも飛びつくものだ。

授業にとってのおもしろさというのは、「知的好奇心を刺激する」もので、遊びの本質と共通するところがある。
だから、知的な授業展開を日々行っている学級では、好きな教科は?と問うと、「国語」「算数」というところも実際にある。
しかし、大方は「体育」あたりが相場であって、それは、子どもにとって身体を動かす体育という教科は遊びに準ずる関心要素が豊富だからというだけに過ぎない。(もちろん、知的な体育というものもあって、それが上で「体育好き」というなら、授業者は自慢すればよろしい。(^_^;)
写真は、プロジェクト型学習「科学捜査プロジェクト」である。コメントをみるだけでワクワクしてきそうである。
無色透明な複数の液体をそれぞれ同定する「水溶液」の授業をもっと、理科機器を使いこなして難しい課題解決を図るようなものだと思えばいいだろう。
こういう実験授業なら大受けになることだろう。
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子どもを大人として扱う

プロジェクト型学習では、子どもへ知識・技能を伝達する従来型一斉授業とは違って、子ども達自身で課題解決に向けてプロジェクトチームとして立ち向かっていくことになる。教師は支援に回ることになり、子ども自身が事業主体者として学習事業?に関わっていくことになる。

写真は「大使プロジェクト」というものだが、子ども自身が大使になってどのようなアクションを起こしていくか?という視点(課題)を与えている。
子どもといえども、ホンモノ扱いにしていく学習観がなければ実現できない学習形態、それがプロジェクト型学習ということだ。
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