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2005年8月

2005年8月25日 (木)

学校荒廃度深度表

 前掲書に、「学校荒廃度深度表」というものがある。
 喫煙・服装・公共物破壊・授業・集団・対教師・触法行為・一般・保護者・学校の対応
と、10の項目について、それぞれ5段階を設けている。
 進度表ではなくて、”深度”としているあたりが、深刻さをイメージするに足る表現である。
 各項目を最深度レベルでみると次のようになっている。

 喫煙・・授業中や一般来校者の前でも喫煙
 服装・・高額盗難発生、スプレー使用、車への悪戯
 公共物破壊・・破壊の習慣化、挑発的な破壊、ゲーム感覚の破壊
 授業・・他教室への出入り、音楽やバイク等での授業妨害
 集団・・校内を無法地帯のようにふるまる
 対教師・・対教師暴力
 触法行為・・凶悪事犯発生、学校間抗争、暴走族への加入
 一般・・一部に問題への認識
 保護者・・校内整備作業、一声運動、講演会、親子レク等の実施
 学校の対応・・外部諸機関、共通実践を通して全校指導体制の確立、抜本対策試行
 
 現実場面を想像するだけで、胃がきりきりと痛む気がする。これが現実なのだ、と
痛感する思いだ。

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正義感・責任感を喪失するとき

荒れている学校で共通している現象(『「荒れる」中学校をいつ変えたか』
(糸井 清;明治図書)より

1)校舎の内外が汚い。掃除が出来ておらず、ゴミが散らかり落書きが多い。
2)(教師も含めて)服装に締まりがない。名前札もなく靴の踵は踏み潰されている。
3)そして教師は決まって「忙しい、時間がない」と高圧的で、逃げの弁護ばかりしている。
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(1)は、そうだと思う。
(2)(3)は、そういう教師が目立つ・・・とした方がよいだろう。
私の経験では、2~3割は!存在しているとみている。
何事の組織においても、力関係というものはある。
2割が推進役、2割が抵抗勢力、残り6割が浮動票(^_^;)という感じだ。
従って、職場組織では、よいものVSワルもの 間で、浮動票層のなびき方で
動いているというのが、私のイメージである。
そして、推進役が職場全体の6~8割の仕事をこなし、抵抗勢力はどうでも
いい仕事をしていることが多かった。
私が中学校教師時代にあった分掌で、「校外清掃係」というあきれた係があった。
校舎周りでたばこの吸い殻だの清涼飲料水の入れ物だのを見つけては、報告
するというものである。それでいて、年齢もそこそこのため、号俸が高い。
あくせくと生徒指導に夜も追われ、授業の準備も大変、進路指導の資料も作らねば
という生活と対極して、朝のひとときをバケツと火ばさみでウロウロし、特殊学級で
適当に子守りする程度の仕事の方が給料がはるかに上だとは、教職世界だけの
話だろう。そんなところに暮らしていると、まじめがバカを見る構図を見せつけ
られるだけで、正義感や責任感を喪失してしまいそうになるのである。

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『「荒れる」中学校をいつ変えたか』より

『「荒れる」中学校をいつ変えたか』(糸井 清;明治図書)より
私が関心をもった部分を抜粋紹介する。

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P.93
学校が、寄せ集め人間による一過性の仕事で出来るわけはないし、
機能体としての教師集団づくりを進める上に、机の配置は決して
疎かな問題ではない。

P.106
仕事が人を育てるという適所適材の新たなる指導原理

P.132
人生への自信

P.132
高牟礼中生徒指導に対する基本姿勢
1)正直者がバカをみない
2)他人に迷惑や不愉快感を与えない
3)目指す生徒像に相応しい生活規律を自主的に決め実行する

P.134
創業は難し、守成は更に難し

P.136
実践に「明日から」はない

P.138
「荒れる学校」の特効薬は授業の確保しかない

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とんだ水入り

 このブログで駒大苫小牧の2年連続甲子園夏大会優勝の偉業を称えたところに、例の野球部長の暴力事件問題である。いやはや、がっかり・・。しかし、私の感想は一般的に流れている部長や駒大への批判・批難とは別にある。そもそも、6月の出来事が今更のように出てくることが妙である。殴った回数にかなりの隔たりがある云々というもの、それほど重要事項とは思えない。第一、被害者側(父親と当事者の息子の間ですら、違いがあるではないか)が指摘するように、バットでなぐったり、平手でも30~40回も殴られていながら、障害を受けたという診断書が存在するのだろうか。(私が見聞した報道ではなかった)こういう例は、軽傷であっても診断書となれば、最低全治二週間というものが相場である。そして、診断書が出た時点、つまり、地区予選の段階ですでに、ことが発覚し、明徳義塾と同様、出場辞退か程度としては、出場停止処分となっているはずである。
 部長は殴り、生徒は殴られたということを言っているので、事実はあったのだろうが、そのことが発生した時点での双方の認識がどういうものであったのか、今後の調査委員会ではそのことについても、調べられることになるだろう。
 駒大苫小牧は、優勝旗をチーム全員で返還するという使命感が当然あったろうし、その重圧から野球部の責任者も選手達も同様の心理状態で、相当に張りつめていたことは察することができる。いわば、常時とは隔絶した異常時であったわけで、そこで、チームの士気に関わる不届きな行為があったとすると、部長たる者の意識は寛容さの余裕はあまり期待できなかったことかと思う。(殴ることを肯定しているわけではない)
 異常な背景、異常な心理状態がもたらす言動は、時としてオーバーアクションをもたらすことがあるのは、私も経験上わかる。
 事件発生時点で、相互に強く高い信頼関係を維持できていたら、避けられた出来事だったのではないかと思うと、誠に残念なことである。偉業の熱気が一気に異業の冷気に成り果ててしまい、とんだ水入りとなったわけだ。
 報道関係はもちろん、イベントに関わる人・企業も大変なダメージを被ったことは想像に難くない。
 秋の大会~春の選抜がどうなるのかが気になるところだ。

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2005年8月21日 (日)

学校は組織体であるが・・・

『組織の盛衰』堺屋 太一(PHP研究所刊)
組織の五要素

1)組織する構成員
2)共通の目的と意志の存在
3)一定の規範(倫理と美意識)
4)命令と役割
5)共通の情報環境

学校組織を考える上で、この五要素は役に立つものである。
1)分掌の構造と職員(その能力も含めて)の配置をみる。
2)学校経営方針が学級単位でどう実現されているかが問題である。
3)だらしない(金・時間・接遇など)職種として教員をあげる世論は多い。
4)機能的な組織であれば、無駄にもめることはないのである。
5)知らない・聞いてないという職員が多いともはや組織体とはいえない。

9月で前期が終了するので、学校・学年・学級の経営中間反省を行う時期である。
北海道でも二期四分節による運営が広まってきたとはいえ、どれだけ中間評価を
している現場があることだろう。
形だけでダラダラと後半戦をやり過ごすことがないようにしたいものだと思う。







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集団形成と統率力

 駒大苫小牧の57年ぶりの甲子園夏連覇という大偉業が実現し、北海道は、歓喜に沸き返っている。昨年夏の優勝=深紅の大優勝旗が初めて東北北海道の雪国ブロックに渡った、しかも、一気に津軽海峡を越えたということだけでも、北海道のメンタリティに革命をもたらした出来事だったのに、革命が革新へとつながる出来事だと痛感している。
 夢を夢で終わらせないことができるのだという革新的希望を道民に与えたのである。香田監督の指導方針というのが紹介されている。

> 香田監督の「香田(監督)メソッド五ヵ条」という記事が
> 地元の新聞に掲載されていましたので紹介します。
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> 1 合言葉を作る (今年は「チャレンジャー」と「楽しもう」)
> 2 二つの顔をもつ(鬼と兄貴)
> 3 礼を尽くす
> 4 泰然とする
> 5 臨機応変に対応する

1.無欲で一戦一戦に全力を尽くすことができた。
2.18人の限られたベンチ入りメンバーの後ろにはその数倍もの応援選手たちが心を一つにして声援を送っていた。いわば、19人目のベンチメンバーを育ててきた。駒苫野球部の底辺の強さがそこにある。
3.相手の選手であろうとも気遣う心配りがフェアプレーへとつながった。
4.監督がメガホンをもって怒鳴りまくることがなく、常に選手に信頼をよせているのがよく分かる監督ぶりであった。
5.結局は監督の余裕というものが選手への精神的支えとして大きかったのだと思う。正に、師弟の信頼関係が為し得た偉業であろう。

 一部活が、全国一を勝ち取るまでの監督としての統率力をさらに分析していくことで、教育上での集団形成のコツとして普遍性をつかむことができるのではないかと、私は考えている。

 優勝おめでとう!そして、ありがとう!!

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2005年8月20日 (土)

崩壊しない学級はここが違う

明治図書よりこの秋に出版予定の『崩壊しない学級はここが違う』がいよいよ印刷所へ向かうことになりました。サークル共著としては、5冊目になりますが、江部編集長からお褒めのお葉書を頂戴しました。ご紹介します。

拝復 「崩壊しない学級はここが違う」のご労作が届きました。ありがとうございます。すぐれた提案です。さっそく着手いたします。皆様によろしくお伝えください。

この本は、道南フリートーク時代のサークル共著『子供を変える手立ての定石』の続編に位置づけられるものです。教壇に立つ者として、なにが好手・妙手・最善手で悪手とはどういう手なのかを解説し、すぐに役立つ本とすることができました。多くの方々に読んでほしいと思います。

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