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2005年10月

2005年10月26日 (水)

私の国語修業・人間修業

「礎石」6月号                  '99.4.22('05.10.26 補足)
続 特集「私の国語修業・人間修業」④             
大谷 和明(道央フリートーク)
 以下の駄文は、5年以上前に、研究集団「ことのは」のサークル内研究誌に投稿したものである。


1.修業の基本は、己の限界に挑むということなり

 仕事量のキャパシティーの限界を感じたというのは、これまでに1度あった。
 中学校教師時代で第3学年を持っていた時である。ざっとこんな仕事をこなしていた。

(1)分掌~生徒指導部 「指導部だより」を発行していた。          
  生活常任委員会のスポンサーだった。         
  全校集会の入退場の取りしきりや説教たれ・・         
  校内外の生活指導全般(出動ありだよ、もちろん)

(2)学年~上の理由で生徒指導を担当(茶髪対策長?!)進路(進路だよりやら集計やら線引以外のあれこれ・・・)いわゆる「○」印で、学年内の実務あれこれ・・学年だより、相談など   
  道徳の担当(当然資料の準備)   
  持ち時間は19時間くらいだった・・と思う。   
  1クラスが40人近くいたなあ~

(3)部活~さすがにスポーツ系ははずしてもらって電子工学研究部(パソコンいじり)

(4)教科~理科(だれも理科だなんて知らないという感じ。本当だよ~)   
  実験があると大変なんだよ~これでもまじめに実験はやっていた。

 この他に原稿書きもしていたし、サークル活動はしていたし、校内研究では毎年研究授業をしていたし・・・ついでの職員体育にも出てたなあ・・・

 この年の1月~2月には、夜の12時近くに帰宅なんてこともザラ・・・
 で、結局毎日をフラフラしながら、どうにか乗り切った。この時がさすがに自分の抱える仕事の量の上限というものを感じた次第である。
 ここまで極端にとはいわないが、修業というからには、精神的に自分を鍛えていくことだから、それ相応の負荷を己自身にかけなければならない。
 これすなわち、自分の限界への挑戦ということになる。現状よりもペースを落とし始めるともとのぺースに戻すのが容易じゃない。
 現状はどうかということこうなっている。

(5)酒井式の札幌支部長(「酒井塾」を主催しているのはご存知の通り)
関連して、支部会報を発行している。これは、全国の支部をリードしていると自負している。(これは、会員の皆さんに支えられてのことだけど・・・)

(6)この鍛国研 札幌支部の会員(大したことしてないねえ。「ことのは」のみんなにおんぶしているなあ・・すまん)
※ 鍛国研札幌ゼミは、現在、「空知ゼミ」へ移行していき、柳谷さん(岩見沢市立美園小学校教諭)を代表として、継続活動してきている。空知ゼミは、鍛国研の全国統括ゼミを野口芳宏主宰から拝命しているところである。(注;大谷)

(7)その小学部(柳谷さんからのお誘い)~それなりに楽しんでます。自分の学校を会場にできるという便利さがよくってねえ。

(8)札幌市教育研究協議会 厚別地区生活科(研究部長)~もう完全に趣味が高じてしまった世界。

(9)もろもろの通信会員(ネットワーク・法則化関係・教育科学研究会・札幌自然科学研究協議会などなどなど・・・)

(10)そして、道央フリートークの代表(イベント屋じゃないよ・・・)

※道央フリートーは、現TOSS/FreeTalk に発展してきている。(注;大谷)

(11) 学校では研究部長だし、学年主任だし、コンピュータのプロジェクトのチーフ
 細かいことをいっていたらきりがない!という感じ。それでも、魔の中3担任時代よりは楽だと思っている。(人間、飯食う暇とクソする暇くらいはだれにだってある!・・なんて強気なことをいっているからね)

 ということで、ことほど左様に自分をいじめるようにしているのが、修業の基本というものだと信じている。

2.国語の修業は・・といえば・・

 これは、宇佐美先生いうところの『エネルギー読み』を意識した実践ですな。
(明治図書より発刊している 教育科学「現代教育科学」に連載されていた「エネルギー論」のことである。注;大谷)

 向山先生の分析批評に憧れ、野口先生の鍛える国語にも惹かれ、子どもをたるませない国語授業を読書と実践の往還を通して進めている。
 とはいえ、なかなか意図的に・計画的に・意識的に実践をためることができていないので、大いに不満。やはり、自分の足跡をしっかり残してこそ、次へのステップ・アップを図っていくことができるものである。これもなんか仕事を減らして時間を捻出するようにすれば、かなり実現できそうな感じがするのだが・・・
 国語の実践修業を取り始めたのは松前時代で、当時の私を知る人は、ほとんど国語教師だと思っている。まあ、それだけ認められていたということなんだろうけどね。(ちょっと、お笑い・・・)
 専ら、物語の読解に力が入っていたから、このスタンスはこれから変えていかないとならないと思う。「気持ちを問う」なんてことはもちろんしていない。向山先生のいうところの「言葉を言葉で置き換えるだけの授業」もしていない。正しい国語の力と思考力を鍛えることを念頭に実践しているところである。
 とかなんとか言ってながら、もっとも大事な読書が鍛国研に集うみなさん(とくにことのはのみんな)とは、比較にならんほど最近すくなくなっている。その分なんらかの仕事に回っているってことだが、その割りには形に残らないことをしているから、どこかむなしい・・感じが・・

3.人間修業・・

 なんていったって自分自身が発展途上もいいところなので、あらゆることが修業途中であるといってもいい。
 結局は自分の人格をみがいていく行為が人間修業だと思っている。
 それで具体的にどんなことが修業になっているかというとこうだ。

(1)みんながいやがる研究部に率先して入っている。私は、学校の分掌の中でも教務と研究ほどクリエイティブな仕事はないと思っているのだが・・・ほかの同僚はだれがやってもこなしていけるルーティンワークを好むのだが、これだ  と頭の活性は図られないと思っている。

(2)それで、授業公開は進んで行う。部長となったら、私がやっていたんでは、他の人がなにもしないなんてとんでもないことが起きたりするので、この頃は、  いろんな人にふっている。

(3)研究部長になったらいつも発行している「校内研究通信」を発行している。とにかく、研究のための取り立ての時間がなかなかとれないので、通信で連絡調整・事前提案をすませておいて、本チャンの会議を効率よくこなしている。 

(4)依頼があったらできるだけ引き受ける。
  最近だと一番大きかったのが、道立教育研究所の道徳口座の授業。
  校内のコンピュータのことに関しても同じ。

(5)ようやく下りたけど、「野郎会」(男の先生たちののみ会の幹事)・・まあ、自分が飲むのが好きだからやっていたという感じ。でも、毎月の集金やのみ会の精算や退職者への記念品選びなどなど見えないところの仕事が結構大変なもの・・それで、和気藹々としたムードを演出できるなら、それで十分役目を果たしていると言える。

(6)いまのところ合同体育(児童134名)のチーフTで、集団の動きを作っている。ホイッスルとチューナブル・タンバリンとでこれだけの子どもたちを一斉に動かすのは、うまくいくと気分がいいが、くずれるとワヤ!?その緊張感の  中で授業づくりをしている。

(7)いろんな研究会・研修会への参加
  だから、どこでも「やあ!また会いましたね」という人がいる。本支部の石川咲恵子さんなんかはそのうちの一人。おたがいにどこでもよくいくなあ・・な  んて思っている(はず)。

 こんな調子で、ほとんど愚痴っぽくつづられてきたが、これが私の日常生活のあらましということになる。
 この他に、日常家庭生活編ともいうべきものがあり、その中でもっとも時間をくっているのが、コンピュータ通信による情報の収集がある。ISDN接続のTA(ターミナルアダプタ)が不調で、インターネットが低速のアナログ接続なので、全然威力を発揮できていないが、もうこのご時世にインターネットははずせない。
 やっている人は分かると思うが、1~2時間なんてのはあっという間。
 ※現在、フレッツADSLとなっている環境下では、隔世の感がある。(注;大谷)

 大学のころ、研究室の暗室に夜にこもって、写真の現像を終えて出て来たら、朝だった・・なんていうのと同じようなあんばい。これで、毎日往復64キロの道のりを通勤しているから、自分で偉いと思っている。朝は7:40には学校に到着するようにしている。

※この生活パターンは現在でもつづいていて、ほぼ6:40前後には、家を出て、国道12号線を南下。現在の勤務校には、7:30には到着している。(注;大谷)

4.「教師修業は果てしなく」

 向山先生の座右の銘である。向山先生のようには行かないが、少なくとも子どもたちにとって少しでも価値ある教師にならないとすまないな~と思うことから始めてきた教師修業である。途中でへたらないようにがんばっていきたいと思う。
 駄文におつき合いいただきありがとうございました。ちょっとは、大谷の生活の匂いというものを感じていただけたかと思う。

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2005年10月25日 (火)

イオル(伝統的生活空間)の授業

今日は、4年生の校内研(兼社会科委託研究授業)が行われた。イオルの再生を目指す理由をねらった授業だった。アイヌの歴史・文化を6時間構成で授業してきた最終の授業なのだが、子供たちは現状認識がうまくできなくて、「獣の肉を採る」「植物で服を作る」といった時代錯誤の発言が相次いでしまった。今更、アイヌの人たちが狩猟生活に戻ることを希望しているわけはないのに、授業は単元最終末ながら、支離滅裂な展開となってしまった。

単元を貫く課題意識を学習の展開とともに深めていく社会科の授業とはほど遠いものになってしまっていて、大変残念だった。私もこのことで自分なりの授業づくりをしてみようと思った次第である。

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2005年10月23日 (日)

五色百人一首大会参加

第1回富良野・美瑛地区 五色百人一首大会にスタッフとして参加してきました。予想を上回る参加者にスタッフ一同胸をなで下ろすことができました。たくさんの協賛事業所に後援・支援をいただき、盛会に終わることができました。

私はアトラクション(北海道版木札;下の句読みの下の句取り)を担当しました。

DSCN0916

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2005年10月19日 (水)

読売「教育ルネサンス」サイト視聴

DSCN0678
  本日(10月4日)に「教師力セミナー」のDVD視聴研修会を職場で行いました。

教育ルネッサンスURL
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/
教師力模擬授業URL
http://msdemo.mediasite.co.jp/yomiuri/result/project09/education/1/SupportingFiles/Viewer.html
質疑応答URL
http://msdemo.mediasite.co.jp/yomiuri/result/project09/education/3/SupportingFiles/Viewer.html 

 ※研究部でない私(教務主任)が、勝手に呼びかけたことにもかかわらず、以下の
方々に集まっていただき、視聴しました。
 どの方も寒い教室の中で、最後まで熱心にメモをとられながら視聴されていました。
 以下、「肯定的なことでなくても結構ですから、感想を書いていただけますか?」と
依頼して、書いていただいたものです。
 なお、本文は、スナップ写真とともに私の個人HPのTopicsに掲載しております。

http://homepage3.nifty.com/ft-otani/top-site/top/top.htm (10/20現在、別ものに更新)

=== 感想を紹介します。 ==========================

(30代女性 1年担任;最近「リラの会」に参加しはじめました)
 百人一首の遊びの中のルールを「学び」にも通じることというのが勉強になりました。
 教科書をって言っていたのですが、発展的な授業が多かったように思ったので、教科
書のはどう教えるのかの方が、今すぐ知りたいです。
 TOSSで勉強していきたいです。TOSSの話が他の方から出たり、本を読んでいるのを見る
と、誇らしく思います。
 向山先生ってすごいですね。でも、なんか神っぽく思うのは、宗教っぽくなるので、
よくないですね。(笑)
 スマートボード環境を整えてほしい。すごーく思う。
 私がもし何も知らなかったら、「はあー、すごいねえ。でも、違う世界だ。」と思った
と思うけど、ここに近づかなくちゃとドキドキしながら見ていました。

(20代女性 2年担任)
 インターネットや本などでお世話になっていましたが、向山先生のお話をきくのは今日が
初めてでした。
 軽度発達障害の話は、とくに、心が痛い話でした。厳しいことを要求していたんだと反省
しました。ちょっとできると、「じゃあ、次」と、あっという間にレベル(段階)をすっと
ばし、苦しめていたんだなあと・・・。

(40代男性 2年担任・指導部長)
 模擬授業をはじめ、数多くの実践例がとても勉強になりました。
 「導入の最初の15秒で教室中をつかまないといけない」という向山先生の言葉には、
ドキリとさせられました。
 我がクラスのN君に対する指導法にも適応するものがたくさんありそうな気がしました。
 このようなビデオ視聴も校内研修として、たいへん勉強になるので、ぜひ2回目もおね
がいします。

(40代女性 6年担任・研究部長)
 TOSSの話や向山さんの話は、何冊か本は読んだことはありましたが、講演を聴いたのは
初めてでした。
 ADHD対応は、よくわかりましたが、毎時間というのは、なかなか難しいですねー。
 今、Kくん(養護学級レベルのお子さん)をどないしよう~と悩む毎日です。
(どんな進路を紹介したらいいのかしら?おとなしく座っているだけで、何もできません。
できるのか、できないのかもわからなーい。)
 今日のに近いもの(「赤ネコ計算スキル」)を使ったことがありますが、教材も全くの
我流です。TOSSも私なりの応用をしちゃってるので、それじゃ、ダメなんでしょうネー。
 TOSSを形式的という批判をしている人もいますが、やってみて変わるならいろいろやって
みたいですねー。
 今度、校内研修で大谷先生からの講演をやって下さい!!大谷先生の授業も見せて下さい。
 うちの学校の子供の実態に合わせた授業(模擬授業とか)形態の紹介とか個別指導に
適した教材をいろいろ紹介してほしいです。
 乱筆、乱文にてすみません。
PS 次の時は、こんなのやるよ~って、声をかけて下さいねー。
  教育相談室の本を活用させていただいています。(大谷の個人蔵書を収納して、自由に
  使ってもらっているのです。)
  
(30代男性 6年担任)
 軽度発達障害の子供に限らず、授業の進め方一つで子供の成長が変わってくるということ
を改めて、考えさせられた。学習については、「しょうがない」と思ってしまうこともあった
ので、やはり対応を改めていかなければならないと思った。確かに我流では限界を感じる
ので、いろいろな技術を勉強していきたい。

(50代女性 養護教諭・特別支援教育コーディネーター)
 専門性の技術(スキル)が、いかに重要であるかが改めて実感!!
 我が子の教育に「これを知ってたら・・・」と悔やまれます。家庭学習でも使いたかった・・・。
 5~7%といわれるADHDの児童の何割かは、将来、学者といわれる人物になれるそうです。
指導者次第ですね。教師のスキル向上(技術・目配り・気配り)が、児童を生かす、見捨てない・・
大切なことです。
 校内研修に感謝します。
 
(20代男性 期限付き採用)
 具体的な方法がわかるTOSSのホームページはとても興味があります。自分以外の教員がその
例を集め研究していることを聞くと、とても心強く感じました。
 今日見た中で、すぐにやってみようということがありました。(少し多動の気がある子に
対して)授業で語れる(指導できる)教師になるために、具体的な方法を使った授業づくりに
努めます。

(60歳 男性 来春退職予定)
 教師は、大局的、懐深く、技能、技術、人間性を磨いていく必要が大事なことを改めて
わかった。
 頭の活性化に役立った。
 
==========================================
 以下、書いていただいた感想に対する私(大谷)の雑感です。
 
1)予想以上に好感を持って見ていただくことができてよかったです。
 ※Q&A最後は、乙武さんでしたが、読売新聞の記事部分では、予想外のコメントでがっかり
  していたので、視聴いただいたみなさんの感想に大変勇気づけられました。
2)私が松前町立大島小学校に在職していた頃は、「学校法則化」の状態で、大変有意義な
  研修環境でしたが、あのときのムードに近づけそうでうれしくなりました。
3)管理職にも、朝の打ち合わせの時に開催を告知して、好意的に受けてくれていました。
4)本日の3・4校時には、ちょうど1年生2クラス合同で、酒井式「ひまわりと小人たち」
  の授業をしました。ちょうど、前座のような格好でした。2年担任や養護教諭も参観に
  来ていました。
  感想にあるように、これから私のフォローが具体的に求められることになります。
  さらに気を引き締めて、精進していくつもりです。
5)せっかくの機会なので、研修の一貫として、DVDやビデオ視聴研修を続けていこうと
  思います。(私の講演というのは、リップサービスでしょう(^_^;)。
6)私は教材採択委員長なので、来春の教材採択では、これまで以上にドシドシTOSS教材を
  進めていける感触を得られました。もちろん、ユースウエアについてのメンテンナンス
  もとり、サポート体制を固めていくつもりです。
7)視聴しながら、登場する教具類の解説や現物(九九計算尺)も手にとってもらいました。
 そのまま2年生に貸し出して、「使い心地をお知らせください。」と頼みました。
 
 各地で、同様なことが行われていることと思います。昨日、全市小中学校宛に発送した
研修案内が配送されてきました。中に、「教師力セミナー」のストリーミング案内の文書を
同封しました。各学校での回覧ののち、研修案内掲示板に貼られることになっています。
 TOSSのスタンダード化を目指すとした TOSS/FreeTalk の活動に勢いがつけばうれしい
です。

 セミナーでご尽力されたメンバーのみなさん、そして、それを支えてこられた同志の
みなさまにお礼と感謝を申し上げます。
 ありがとうございました。
 
 

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子供のウソにどう対処していけばよいか?

※ これは以前「心を育てる学級経営」誌に掲載されたものである。

1 まずは話せるムードを提供すること

 ホンネにしろ、ウソにしろ、とにかく話さないことには、先に進まない。
 力づくで話を聞き出そうとすれば、子どもに限らず大人でも固くなに拒もうとするものである。
 指導の最終目標は、子どもから事実を聞き出し、適切に指導し、よりよい行動化へと導くことにある。
 そのために必要な環境として、
┌───────────────────┐
│話せるムードを印象づけること │
└───────────────────┘
が大切である。
 そのためには、次のことに留意するとよいだろう。
┌───────────────────┐
│ ① 子どもと対座しない。 │
└───────────────────┘
 真正面から向き合うことで、威圧感を感じると、それだけで口を拒もうとするものである。
 極度の緊張感を与えないことである。机の角を挟んで互いに直角に位置するように座るのがいい。(余談だが個人面談で保護者と話し合うときにも大変有効である。)
┌───────────────────┐
│②「まちがっていたら、ごめんね。 │
│~という話を○○さんから聞いた │
│んだけど、本当かなあ?」 │
│と、ワンクッションおいた言い方で │
│話しかけてみる。 │
└───────────────────┘
『おまえ、~しただろう!』という最初から決めつけた言い方は厳禁である。子どもが蠣になってしまう。
┌───────────────────┐
│ ③まったくの別件から話し始める。 │
└───────────────────┘
 最近、その子が頑張っている様子をほめてあげたり、活動の様子を評価してあげたり、帰宅後の生活の様子など、まったくの世間話のようなことでいい。差し障りのない話であるほど、話していける雰囲気を提供することができる。

2 ウソを見抜く話

 さて、いよいよ本題である。
┌───────────────────┐
│ ウソは子どもの自己防衛行動である。 │
└───────────────────┘
 この原理をあなたがしっかりと意識していることがまず大切である。
 「子どもは自分に都合の悪いことは言わないものだ」という特性を把握しておくことである。
 その上で、子どものウソを見抜く技術には、次のようなことを上げておく。
┌───────────────────┐
│ 自己弁護・自己擁護の話し方をした時 │
└───────────────────┘
 たとえば、次のような言い方である。
 「何もしていないのに・・・」「ただ・・・」「ちょっと・・・」「~のつもりで・・・」「少し・・・」「軽く・・・」
 等々と、責任逃れの言い方をしたり、程度を軽くみせようとする言い方をしたときには、注意したほうがよい。
 
┌───────────────────┐
│ やたらと詳しく話す時  │
└───────────────────┘
 こんな時にも、要注意である。
 曖昧なことには、突っ込みをいれる人は多いが、ことさらくわしい内容であれば、そのまま事実誤認をして信用してしまいそうになるものだ。
 しかし、そんな時にもウソをくずすとっかかりがあるものである。
┌───────────────────┐
│ 5W1Hを時系列で記録しておく │
└───────────────────┘
 〈だれが・いつ・どこで・なにを・なぜどうした〉ということを、時間を追って話していると、時間の経過とともに、内容に矛盾がでてくるものである。
 ウソとはもともと作り話であるから、順序、内容、因果関係、呼称の間違いなど、たいてい現出されてくる。
 したがって、話を聞く時には、メモを取りながら聞くことが必要である。
 『おや?さっきは、◇◇◇といっていたけど、◆◆◆となっているね。それは、変じゃないか?』と、詰問していくと、さらにつじつまを合わせようとするウソを重ねるか、本当のことを白状するか、どちらかである。矛盾点を追及していくことで、真相に迫ることができるものである。

┌───────────────────┐
│ 作文を書かせる。  │
└───────────────────┘
 個室でひっそりと事実関係に関する作文を書かせると、そのまま本当のことを素直に書く子どもが多い反面、ウソに慣れている子どもであると、そこでも平気で作り話を書くということがある。
 書かれてある事柄について、不足の部分を聞き取ったり、確認しながらカウンセリングを進めていくなかで、先の話の矛盾点がでてくることがある。

 以上のような指導場面から、ウソを認め本当のことを話してくれた子どもには、
┌───────────────────┐
│ ウソをつくことはいけないことだが、 │
│ 本当のことを話した勇気は感心だ。 │
└───────────────────┘
という賞賛を与えることが大切である。

3 ウソを見抜く動作

┌───────────────────┐
│ 視線をそらした時  │
└───────────────────┘
 「目は口ほどにものを言い」とはよく言ったもので、ウソをつく時には視線をはずしてしまう子ども(大人も同じか)が多いものである。
┌───────────────────┐
│ チック動作が現れた時  │
└───────────────────┘
 まばたきの回数が急増したり、唇がゆがんだり、顔や体に不自然な動作が現れたりした時というのも、後ろめたさが心理的に体に影響を与えていることが多い。
┌───────────────────┐
│ 顔色が変わる  │
└───────────────────┘
 うそ発見器の動作原理はここにある。
 核心部分に触れられるとだれでもドキッとするもので、顔色や表情が一瞬変わってしまうことは、身近にいくらでも例があることと思う。教師が話している時には、極力、相手の子どもの表情を見ながら話すことが必要となってくる。
 ここまでは、教師一人に子どもが一人という状況設定であるが、時には、当事者どうしで子どもが二人ということもあろう。 そんな時、教師は聞いている片方の子どもの反応をみているとウソを発見する効果がある。
 話が食い違っている場合、ウソの言動に子どもは敏感に反応してくる。そこを観察しておくのである。

4 手ごわい集団の「口裏合わせ」を破る

 高学年・中学校と年齢が増してくるとウソもすることも高度になってくる。
 もっとも手ごわいのが、グループ内で口裏を合わせておいて、誰に聞いても同じ内容の話しか出てこないという場合である。 最も大切なことは、
┌───────────────────┐
│ 一人ひとり個別に事情を聞いたり、記 │
│ 述させたりすること │
└───────────────────┘
である。しかも、
┌───────────────────┐
│ できるだけ早急に! │
└───────────────────┘
である。
 相手が複数なら、こちらも複数で聞き取りの教師も該当の担任・学年・指導部の教師などに当たってもらう。場合によっては教頭・校長ということも考えられる。
 こういうときは、間を置くとまず決めてがなくなってしまう。事実曖昧のまま指導が徹底できずに、第二の事件に発展してしまうことにつながりかねない。
 後は、すでに述べた手法でウソを見抜くようにする。

5 教師の力量の差

┌───────────────────┐
│  指導力のある教師は、子どものウソ │
│ にだまされてあげることができる。 │
│  しかし、指導力の弱い教師は、子ど │
│ ものウソにだまされてしまう。 │
└───────────────────┘
 結果どうなるか。
 教師としての、権威が失墜し、子どもたちからの信頼を失い、学級崩壊を引き起こしてしまう。
 ウソをつくということは、結局はウソをついた子ども自身に返ってくることで、正常な発達の妨げになってしまう。
 「嘘も方便」の例のようなコミュニケーション技術としてのウソは、人間関係を円滑にしていくものであるが、ほかの者に迷惑をかけていくウソには、断固として指導することが必要なのである。

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2005年10月 9日 (日)

「引用」の提案模擬授業

 第10回 累積科学国語研究会に模擬授業者として参加してきた。この研究会は、国語科教育研究の成果を意識的に累積していこうという主旨で行われているもので、背景を知らない人がみると「なにやら怪しげな研究会だな・・・・(^_^;)」といぶかしく思われるかもしれない。今回は、千葉大学名誉教授 宇佐美 寛氏と新潟市立中野山小学校校長 大森 修氏のお二人をメイン講師として開催された。
 宇佐美氏は、小中高と通して、引用の仕方を教える授業がなく、学習する機会もないままに批評する文章を書く者が多いということを憂いてこられた。そこで、私が「では、小学校で授業するとしたらこのような形でどうでしょう?」という提案をしたというものである。
 引用を指導する授業であるので、資料の中に盛り込む引用には、かなり留意したつもりであるにもかかわらず、これが結構、不適切なことが多く指摘された。情けないことである。お陰で、来年2月5日に開催される「第6回 国語授業講(これまたネームだけだと不審に思われる方がいるかもしれない(^_^;)」にグレードアップした内容で提案できそうである。
 今回は、(1)そっくりそのまま写す。(2)「 」引用符を付けて、明示する。(3)「・・・」のような注目箇所を示す場合には、(・・・は○○が付けた)のように、自分が原典からの引用の際に付けたものだと明らかに示す、という三点を引用のルールとして学習しようというものであった。
 おおむね評判がよかったので、助かった。
DSCN0716

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2005年10月 6日 (木)

プロの教師・教師のプロ

 金をもらっている以上、プロの教師であることには違いない。
 最近、大手小中生向け予備校が北海道に進出してきた。TV-CMで「全員、プロ教師」というコピーを謳っているのだが、間違いだろう。正しくは、「全員、プロ講師」である。教師というのは、免許資格をもち、学校で教鞭をとっている者をさすのである。予備校と学校は違うのである。とはいえ、良質な講師は多く、良質な教師は少ない。
 つまり、「教師のプロ(フェッショナル)」は少ないということである。
 教師のプロとは、教師でいることの基礎環境は同じであっても、並みいる教師群の中でも、突出した力量をもつ者を指す。そういう教師は、少ない。簡単に言えば、全国区の教師である。普通の教師だが、並の教師ではない・・というレベルだ。(これでも抽象的だな(^_^;)
 先日、ドラフト会議が行われた。来春からプロになる人が大勢でるわけだ。
 教師の世界にもようやくFA制度が導入されてきた。どうせなら、収入面や待遇面で、仕事の質・量に見合ったテイクバックがあるように、しっかりした制度にしてもらいたいものである。
 プロスポーツ選手のように、自分の能力を売り込んだり、実績をアピールし、それにふさわしい評価を具体的にしめしてもらってこそ、意味がある。教師の世界では、勤務結果に目標数値を持たせる程度のことしか始めていないが、笑止なことである。
 プロにふさわしい人物を、プロ中のプロが妥当な評価を与えられるようになってこそ、教師のプロが増えていくのだと私は考えている。この道のりは遠いだろう。
jugyou2

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2005年10月 1日 (土)

校内暴力増加その2

小学生の対教師暴力の増加について,文部科学省は「小学校では学
級担任が子どもの問題を一人で抱え込み,学校全体や関係機関と一
緒に取り組めない。結果的に問題が放置され,同じ児童が暴力を繰り返すケースもあるのではないか」とみている。
対教師暴力の発生件数は、延べ数だろう。件数の分だけ子供がいるとは到底考えられないことである。実際、学級内で問題を起こす子供というのは、固定されていることが多い。子供のラベル化がさらに拍車をかけるということもある。
担任がしかるべき指導力を発揮して、指導しないことには発生件数が減少することはないだろう。
減少どころか増加の一途をたどっているということは、つまりは担任の指導が通らないという結果を示す。はっきりいうと指導できない教師の増加が対教師暴力の発生件数の増加として現れているのであろう。
読売「教師力」セミナーの配信(以下にURL)を見て、教育技術がどれだけ大事なことなのかを再認識した。
教育ルネッサンスURL
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/

教師力模擬授業URL
http://msdemo.mediasite.co.jp/yomiuri/result/project09/education/1/SupportingFiles/Viewer.html

質疑応答URL
http://msdemo.mediasite.co.jp/yomiuri/result/project09/education/3/SupportingFiles/Viewer.html

これからの教育へのルネッサンスとして、なにが大切なのかを考えさせられる内容である。(期間限定につき、すぐにでもご覧いただきたい。10月12日あたりまでだそうだ。)

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