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2005年11月

2005年11月30日 (水)

代案を示す

以下は、以前に校内研究授業に対して、私が授業代案を示したものである。
これくらい厳しくやりあうようでないと、「もたれあい」「なれあい」の軟弱な研究ごっこになってしまうと考えている。
                    '96.10.8 Tさん研究授業と大谷代案
授業構想メモより
 
☆様々な能力の子どもがいるので、順をていねいにおっていくことにする。
 
★ここで言う「様々な能力」というのは、低次・高次の国語能力の違いを念頭にもっていることと考える。であれば、次の仮説を想定しているものと想像される。
 国語の能力が低次の子どもたちに対しては、話を筋(展開)を順を追ってみ進めることが必要である。
 
  はたしてそうか?
 「順をていねいに追っていくこと」とは、話の展開をなぞらえるということで、筋読みをすることであり、低次の子どもたちに内容の深い読みまで導く余裕がなくなるのではないか?と私は考える。
・・うちの中を見ると、土間にくりがかためて置いてあるのが、目につました。「おや。」
と、兵十は、びっくりして、ごんに目を落としました。
 
 この最終章の場面で、浅い読みでは次のように読み取るであろう。
① 土間にくりが置いてあるのを兵十が見つけたのだな・・
② それを見て、兵十は驚いた(びっくりした)のだな・・
 
 ここを深く読むと次のことを検討することになるだろう。
③ くりをかためて置いたということは、ただ投げこんだわけではないのだな。どうしてごんは、くりをかためて置いたのだろう・・考えられることは、放りこむと、その物音を兵十に気づかれてしまうからだろう。あるいは、ごんのやさしさの現れとしても考えられる。例えば、霊前に花を捧げる場合、花を投げるようなことはしないで、たむけたり花瓶にさしたりするものである。
④ 兵十がごんに駆け寄ってきたときに、まずうちの中を見たというのは、どんないたずらを今度はしでかしたのか?という不安からで、それがはずれたことだけでなく、さらにはくりがかためておいてあったという意外な情景を見たことによるものだろう。この時点では、兵十は自分がおかしてしまった過ちには、気づいていないのではないだろうか・・だから、ごんがうなづいたときに、火なわじゅうをとり落としたのであろう。
 
 読み取るという学習活動で、話の筋をなぞらえるだけなら、Tさんがいうとおり、『国語はつまんない。国語というと”えー”という反応が出る。たしかに国語はできる子にとってはあたり前のことしかやらないし、わからない子にとっては、ちんぷんかんぷんのままである。』という指導者としての力量に疑問を投ぜざるを得ないコメントが出てくるのであろう。
 『本当に様々な子どもがいるので、うまく生かしていくとおもしろい授業ができそうだ。』と推測するのなら、この場はぜひ、最終場面の筋のなぞりに終わらせずポイントを絞ってじっくりと考えてみる授業を展開してほしい。
 
 さらに、『できない子もできる授業』『(話し合いで)認め合える授業』をしたいということであれば、やはり、《どのような手だてでするのか?》を示す必要がある。それがなければ、スローガンや教師の願いだけで、空虚な研究授業になる。 その提案部分があってこそ、授業後の検討会が意義あるものになるし、研究成果として確実に残っていくものなのである。
 
 
 
 
【大谷の学習指導試案】
目標
 ごんの償いの行動を、兵十は理解することができたかを検討することができる。
 児童の活動     教師の活動  留意点
関連語句の指摘





「火なわじゅうをとって」
「足音をしのばせて近よって」




「かける+よる」の複合語の指摘検討





くりがあること・かためておいてあること



「ごん、おまえだったのか・」「・・うなずきました。」「ごんに目を落としました」かの比較検討




青いけむり・細く出て・出ていました・・などの検討


 
  つまらない・ひきあわないとの関連検討

分かるように置けばよいではないか・

こんどこそとっちめてやるこのまえの仕返しをしてやるぞ。



しめしめ、今度はどんないたずらをしでかしたのだ


土間にくりがかためておいてあるのを発見したので。



ごんがうなずいたとき




ここはここの捕らえ方を尊重することができる。まさに読者の批評を聞ける部分
 




 
発問1 ごんの行いを兵十に知らせる一番よい方法は、なんですか?
 
 
発問2 「ようし。」にこめられている兵十の気持ちを検討しなさい。
 
 
発問3 兵十は歩かずに、「かけよってきた」わけを検討しなさい。

 
 
発問4 兵十は何に「びっくり」したのですか?

 
 
発問5 兵十のごんに対する気持ちが一変したのは、いつですか?
 
 
発問6 「青いけむりが、まだ、つつ口から細く出ていました。」は何を象徴していますか?
 
 


 
 

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2005年11月22日 (火)

『海外旅行で鍛える』(再読)

※これまた国語科教育研究会の同人誌へ投稿した原稿である。
                              '97/12/7
『海外旅行で鍛える』(明治図書 教育新書)再読    大谷 和明(道央フリートーク)

1 「ソビエトの『未来』と日本の『現在』」より
┌──────────────────────────────────────┐
│日本人の国際感覚の貧しさがよく言われるが、所詮それは「井の中の蛙」だからだ。│
│広く見て自分を知らねばならぬ。小迫団長が「日本を出なければ日本の屋根は見えな│
│い。外に出て日本の屋根を見てこよう」とあいさつされたが、ことばの重さを感じて│
│いる。p.51                                                             │
└──────────────────────────────────────┘
 『日本の常識、世界の非常識』とは、竹村健一の言葉である。日本のアホさ加減がいろいろな面で露呈されているが、これはとりもなおさず日本の教育の賜物である。欲の皮がつっぱった官僚や政治家、これを利用しようとする財界人、まともに批判行動を取れない哀れな国民・・・みな、これまでの日本の教育環境の中で育てられてきた人々である。さらに、市民性が著しく欠如している未成年者、20才の子どもに象徴される精神的に未熟な大人・・私にとってはどれもこれも腹立たしい連中ばかりなのだが、彼らは今現在、教育されている最中の者たちである。
 本著を読むということは、こんな危機的世情に立って、私たち教職員のあり方を見直す機会ともなる。

2 「日本の英語教育への疑問」より
┌──────────────────────────────────────┐
│(前略)言語教育の根本は、その言語力を日常の中に活用できるという実用性にある。│
│外国語教育はもっと会話に力を入れなければならない。-あるいは国語教育も、もっ│
│と音声言語の教育に力を入れなければならないのではないかと考えさせられた。   │
│p.58                                                                   │
└──────────────────────────────────────┘
 現状の中学英語のテキストを見ると、私たちが学んだ時代の文語調から口語調~会話主体へと変わっていることに気づく。主宰の先見の明ありといったところだ。
 「教え方教室」やセミナー、その他論文などの向山氏の言説の中でも、小学校英語の導入について力説されていることであるが、国際化には、英会話の力が必要であることは明白だろう。
 転じて、言語教育としての国語教育についての主宰の視点は、「教室音読」の実践・提案ですでに明らかにされてきている。
 『言語とは、意志伝達の道具である』と、私は自分流に定義している。
 道具である以上使い方によりその効果の如何が左右されるのは当たり前のことである。道具の使いこなしとは、技術のことである。
 日本語の教育をすすめる国語教育で、技術的見地の導入を図っているのが、言語技術教育であるのは、みなさん周知の通りである。
 その急先鋒が野口主宰なのである。
 あらためて「言語教育としての国語」を意識させられたところである。

3 「どこも清潔できれい」より          
┌──────────────────────────────────────┐
│  教育の「限界」を感じる前に教育の「可能性」を信じて、子どもを耕さなくてはい│
│けないと考えさせられた。(中略)子どもと根比べをするつもりで辛抱強く教育しな│
│ければ、教育は実らない。                                                   │
│  教育とは安易なものではないはずなのだ。本来、教育される者よりも、教育する者│
│に苦労が多いはずなのだ。p.71                                           │
└──────────────────────────────────────┘
 現状を嘆き、憂うだけではなんらの進歩も向上も期待できない。
 アクティブ、ポジティブを売りにしている法則化であるが、来年の道央フリートークは更に一歩進んで、
┌──────────────────────────────────────┐
│                      サークルのプロアクティブ化                           │
└──────────────────────────────────────┘
を図っていこうと思う。
 巷間、不況を反映してか教員志望者が増えているが、なかなかなれないのが現状である。そんな中で、教員として勤めていることができるのだから、「さすがだなあ・・・」「憧れるなあ・・・」と思われるような仕事ぶりを示していくことが、私たちには必要なのではないだろうか。しかしながら、「なんであんな人が教師をしているんだろ・・・」なんて陰口をたたかれている者もいるのだということも意識しておく必要がある。
 法則化教師は、教職現場のオルガナイザーである意識も忘れたくないものだ。

4 「こまごまと教えられている」より         
┌──────────────────────────────────────┐
│  幼稚園児の絵画の精密さに驚いた。細かな筆づかい、丹念な彩色、性格な描写、一│
│体どこからこういう力がつくのかと不思議に思った。                           │
│  その謎がわかった。何でもないことだ。絵のかき方を教わっているのだ。もみじの│
│葉のかい方、鳥のかき方、靴のかき方、大きく3~5段階に分けてその形のとり方が│
│プログラムされ、ちょうどレッスンのようにして絵を完成していっている。(中略)│
│  私はつねづね、私の図工教育には「活動があって指導がない」と反省していた。し│
│かし、何を指導するのかわからない私には、手の出しようがなかったのだ。p.72│
└──────────────────────────────────────┘
 この部分を読んで、「これは酒井式を指向していたようだな・・」と感じた。
 この後約四半世紀を経て、主宰は酒井氏と出会ったのである。感慨もひとしおのことかと思う。

5 「実力主義の社会と再履修制度」より        
┌──────────────────────────────────────┐
│(前略)スイスでは本人の力に合った人生の選択こそが最もよいことなのだと考えら│
│れており、コース相互間の優越や蔑視は全くないとのことだった。               │
│・・つまり、日本ではやはり学歴がひとつの無形資産になるのに対して、スイスでは│
│本人のその仕事に対する実力だけが資産であるということだ。p.94           │
└──────────────────────────────────────┘
 いまや日本も学歴偏重時代から、実力主義の時代へと変わってきている。こんな混迷の時代を生き残るためには、やはり自分の力量を高めておかないといけない。 教員だって「親方日の丸」的考えでは勤まらなくなってきている。閉鎖的環境の象徴だった学校は、どんどん「開かれた学校」となっているし、学校・教師への信頼度はかなり怪しいムードに変わりつつある。国鉄・電電公社・専売公社・林野庁・郵政省・・と、いつ公立の学校形態が変わるか分からない時代となった。

6 「1年生でも文字がびっしり」より         
┌──────────────────────────────────────┐
│(前略)英語の武藤先生に啓発されたことだが、国語教育は結局、作文指導の徹底と、│
│多読による語彙の拡充をしてやればよいのではないか。(中略)野口国語の体系づけ│
│てみるようなプランをそろそろもたなくてはなるまいと考えたりもした。p.98 │
└──────────────────────────────────────┘
 ちなみに旅行当時の野口主宰の年齢は、私と同じ39才である。なんという違いか?!とあらためてその偉大さに畏敬の念を抱かざるを得ない。初め、本書を見た時はその文体といい、内容といい現在の主宰の書かれるものと同じなので、つい最近にお書きになったものとばかり思いこんでいたのだが、当時の年齢を知るにいたって驚きを禁じ得なかった。こういう人こそ「四十にして惑わず」事を為せるのであろう。ううむ・・

7 「あとがき」より             
┌──────────────────────────────────────┐
│        読むことは、人を豊かにし、                                         │
│        話すことは、人を機敏にし、                                         │
│        書くことは、人を確かにする。                                       │
│ということを言った人があるそうですが、実践をくぐらせることは人を誠実にすると│
│いうことを加えるなら、「豊かで、機敏で、誠実で、確かな」人たちばかりが法則化│
│運動に参加していることになります。p.252                               │
└──────────────────────────────────────┘
 私もその一人であることを自戒しつつ、これからも主宰・法則化に学んでいこうと決意を新たにした次第である。

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文学教材だからできる指導をする

※これは昔、国語教育研究会の同人誌に投稿した原稿である。

《実践提案9》                  大谷 和明(道央フリートーク) 
文学教材だからできる指導をする     

Ⅰ.味読につなげる音読指導

 私の教師振り出しの地は、日高管内えりも町である。
 日高管内は大西忠治氏の教員振り出しの地でもあるためか、全生研実践も華やかな土地である。その管内での国語の実践スタイルは、もっぱら三読法である。(とは言え、今現在もそれが続いているのかは定かではない)
 三読法とは、読み取りの段階を三段階に分け、最終段階の読みを「味読」として学習の仕上げとする指導過程を踏む。
 一応、味読(「みどく」ですよ。ちなみに私の愛機キャノンα40の辞書にもちゃんと載っていますから広く知られている言葉なのでしょうが)を石山脩平の『教育的解釈学』から引用する。
┌──────────────────────────────────────┐
│「味読(鑑賞)段階の任務」として「第一に挙ぐべきは朗読である。」「味読段階の│
│於ける『朗読』は、文の構造をば、最も精確に如実に而も端的に『読み』の中に躍動│
│させるものであって、これはまさに解釈の仕上げであり、総決算である。         │
└──────────────────────────────────────┘
 物語教材で指導の成果があがり、子供に深い理解をさせることができれば、おのずと朗読にも味わいが出てくる・・これすなわち「味読」・・はずである。朗読は「聴き手を意識した(聴かせるための)音読」であるから、読み手の理解・解釈の深まりとともに、より味わいのある朗読~すなわち味読が実現可能となろう。
 ただ、そのためにはやはり読みの技術が必要である。それは、アクセント・イントネーション・緩急(スピード)・強弱・強調・高低・抑揚・発音・発声・ポーズ(間)などの読み方のテクニックである。これは、説明文よりは文学教材を使うのがふさわしく、効果的であろうと思うのである。
 法則化運動に参加するようになって、私は分析批評にも多くのことを学ぶことが多くなったのだが、段階を踏んで読みが深まっていくという三読法にも引かれるものがある。向山氏に言わせると時間をかければ感動が深まるというのはおかしいという。確かにそうも思うが、時間をかければ理解が深まる点では、感動が深まるということもあながち間違いであるとは言い切れないと思っている。
 さて、味読は、私の意識では朗読の域に達しなければならないものと認識しているのだが、言語技術としての音読~朗読指導というのが、今いちはっきりしていない。野口主宰による『教室音読のすすめ』は、その点、技術指導を意識した実践提案として大変問題提起性の高い提案である。

Ⅱ.「花いっぱいになあれ」(松谷 みよ子)の実践

 場面3である。
┌──────────────────────────────────────┐
│  まっかな  ふうせんは、しずかに、ふわふわ  ふわふわ おりました。山の中の、│
│小さな  のはらに  おりました。おりた ところに、小さな  きつねの子が、ひるね│
│を  して  いました。子ぎつねの コンでした。  子ぎつねの  コンは、とっても  │
│いい  ゆめを  見て  いました。なんだかよく  おぼえていないけれど、おいしい  │
│ものを  たくさん  たべた  あとのような、うれしい  きもちで  目を  あけました。│
│  そうしたら、目の  まえに、ぽっかり、まっかな  花がさいて  いたのです。   │
│  まるくって、ふくらんで、ふわふわ  ゆれる  花でした。白い、ほそい、糸のよう│
│な  くきが  ついて  いて、なんだか  かみづつみのような  ねっこがついて  いま│
│した。                                                                     │
└──────────────────────────────────────┘
 分かち書きしていながら、なおかつ読点が多い。「山の中の」の後にはなくてもよさそうだが、「山の中の小さなのはらにおりました。」と、一気にたたみかけると、「小さなのはら」の強調が弱くなってしまう。後々に野原一面にひまわりの花が咲き誇っている情景と結びつける上でも、ここはやはり間を入れるのがふさわしいところであろう。それを意識させるためにも、この読点の意味は大きい。同様な箇所「そうしたら」「目のまえに」「ぽっかり」「まるくって」「ふくらんで」「白い」「ほそい」についても、ゆっくりと読ませるように指導することで、情景のイメージ化が図られやすくなる。
 倍角文字の部分は、読み違いをしやすい部分である。とかく、子どもは思いこみ読み(先取り読み)をしがちである。「ふわふわ」を「ふううわふううわ」「ふうわふわ」「ふわあふわあ」と読んだり、「おりました」を「おちました」、「とっても」を「とても」、「ぽっかり」を「ぽかり」、「まるくって」を「まるくて」と読んでしまいがちである。それはしかたないとしても、間違ったら、間違いを指摘して正しく指導する必要がある。それを、『これくらいなら、まあいいか』というあいまいな教師の指導姿勢があったり、誤読に気づかなかったりしていると、テクストそのものをおろそかにしてしまうような状況になる恐れがある。
 それでいて文章に即してなどとは、恥ずかしくて言えたものではないだろう。
 どう読めば中味が伝わるか?どう読むのが効果的か?ということを意識しつつ、音読指導をし、読解指導をすることが大切だということには異論はなかろう。

Ⅲ.文学教育の現状

 「新しい学力観」の登場とその影響化による文学教育の現状は、はなはだお寒い状況ではないだろうか。向山氏のいうところの「思い付き勝手、バラバラ発言」に象徴されるような授業がやはり多いようである。
 もちろん登場人物の気持ちを問うことが多いが、テクスト分析に基づく読み取りの授業は多くないのが現状のようである。したがって、国語の学力形成を意識して文学教材を取り扱う教師もあまり多くないようなのである。
 過日、私の学校で教育実践発表会があり、私は「大造じいさんとがん」を授業したのであるが、参観者の中からも「教えるべき内容があり、この時間のだれに着目した指導であるかが分かる授業だった。」という感想をもらった。中には、札教研の国語の授業へのアンチテーゼとしての授業か?などという意見まであり、どうも札幌市内での国語の公開授業では、子供達の連続発言が続いて教師の出番が少ないという授業が多いのであろう。残念ながら、私は生活科部会の所属だから、国語の公開授業を見る機会がないが、聞くところによると春・秋の定例の研究集会で修業をする人が少なくなり、かつ参加者が減ってきて、部会運営が厳しい状態なのだそうだ。なんだか、お寒い話ではある。国語教室の現況を反映しているような感じがして、残念に思う。

Ⅳ.言葉と言葉を結ぶまでの初期指導~経験の蓄積を図る~

 低学年、低年齢児には言葉(語句)だけのテキストを使って授業することは、至難の技である。本文の理解を補助するために挿絵は欠かせない補助資料となる。
 今年の道南(七飯町)で行われた「有田先生と勉強する会」で、野口先生がされた授業は、ちょうど昨年私がした授業に大変似ていた。
 題材は「土のふえ」である。
 「言葉 ~ 言葉」の前段階(特に語彙や経験の不足が目立つ発達段階)では、「言葉 ~ 挿絵 ~ 言葉」というように、視覚資料を使って読みをすすめることの効果は大変大きい。

 教材文の中の挿絵と文章(語句) 検討とをつなげる実践 
〔場面三〕土のふえ・・  

指示 1      59ページの挿絵を見て気がついたことを書きなさい。

1.にげている人がいる。
→ これに異論が出た。逃げているとしたら、北のへいたいが南の国へ逃げるということがおかしい。これは、しのびこんで、あいての国をほろぼそうとしている(多田)川村も同様の意見を述べていた。

2.あるいているへいたいがいる。
→ 歩兵の話をする。

3.カラスがいくさを見ている。
→ 守永は、これをへいたいが木に隠れて足を出しているのだと主張。      
 しかし、それはふに落ちないことなので、取り下げられた。
ここで、私の解釈を披露。『これは、ウグイスやセキセイインコでなくて、カラスだということが大事なんです。なぜでしょう?』守永が「ウグイスやインコなら平和な戦争だという感じがするのでおかしくなるから、カラスの方がいい。」象徴的なことをよく指摘できたと思う。私の解説は、『カラスという鳥は、死に関係したぶきみでふきつな鳥で、人が死にそうだったり、どこかでだいじな人が死んだりしたことを告げたりすると言われています。それに、死体の肉だって食べることがあるからね。』子どもたちは、「ええ~ 気持ちわる~い!」といっていた。

4.血を出しているへいたいがいる。
→ これもよく見ている。

5.どんどんころしている。
→ 兵隊がバタバタと倒れいる情景を見てとったことと思う。倒れている兵隊を「寝ている」といった子どもがいたが、これははげしいいくさの中で、のんきに寝ているということがおかしいということではずされた。そりゃそうだ。

6.てっぽうのかたちがちがう。
→ これは実によく絵をみていると感じた。銃身の先や持ち手の部分のちがいを良くみているのである。

発問 2 この挿絵は、場面2のどの段落を表したものでしょう?     

 段落⑦ということは、容易に指摘された。
 そこで、

発問 3段落⑦のどの言葉から、そのことがよくわかりますか?     

 ア・・・はげしいいくさ    8人
 イ・・・きずつき       7人
 ウ・・・しんでいきました。 14人
 エ・・・くりかえされました。 2人(多田の意見では、くりかえされたから、                   たくさんのへいたいがしんだんだからこれが一番大事だということだった。)「しんでいきました。」の中の特に、『しんで』という部分に学級が注目できたので、一番顕著な言葉(挿絵には、死んでいたり、倒れているへいたいが描かれている)だということで、納得したのである。

場面三
 まずは、状況把握からの発問。
┌──────────────────────────────────────┐
│                発問1  へいたいたちは、どこにいますか?                   │
└──────────────────────────────────────┘
 ざんごう→冬のざんごう→ながいざんごう→ふかいざんごう(ふかいゆきの中をふかいざんごうととらえたようである)
「ざんごう」はとらえられているが、肝心の『山』が出てこない。これは、北の国と南の国との境で対峙しているわけだから、山が出てきてほしいのだが、子どもたちの目はそこまでいかない。結局私がつけたして、まとめる。
┌──────────────────────────────────────┐
│                      冬の山のながいざんごうの中                           │
└──────────────────────────────────────┘
 この後、塹壕の説明を行う。
 北の国側と南の国側の塹壕の中のようすを確認させる。61ページは北の国のものであることを確認。
┌──────────────────────────────────────┐
│  板書            ひつじかい                    うしかい                   │
│  発問2  北の国の人はどちらですか?                                       │
└──────────────────────────────────────┘
 場面三の最初⑩は次の文である。
┌──────────────────────────────────────┐
│    ある日、たいくつした北の国の一人のへいたいが、ざんごうの ねんどをかため│
│て、土のふえを作りました。それは、へいたいになってまもない、わかいひつじかい│
│でした。                                                                   │
└──────────────────────────────────────┘
 ところが、この部分を読んでも、木村・藤田・伊藤の3人がひつじかいが北の国であることをとらえられなかった。この程度の文章の捕らえもれというのは、結構あるものとかんがえられる。普通なら、確認しないでササッと過ぎてしまいそうな部分である。
┌──────────────────────────────────────┐
│  発問  3    二人の同じところは、どこですか?全員起立して、場面三を読んで、│
│見つけたら、ノートに箇条書きしなさい。                                     │
└──────────────────────────────────────┘
 似たようなものを統合すると次のようになる。
〈H〉二人はまだへいたいになってまもない。
〈T〉二人ともふえをつくった。
〈U〉二人とも土のふえをふいている。
〈Y〉どちらのふえの音もいい。
〈M〉ふえをつくったへいたいがどっちもわかいへいたい。
補足として。
〈O〉どちらも男。
書き出しを「二人とも」とすると書きやすいようである。
★    ★    ★    ★    ★
 ざっとこのように、生活経験の少ない子供たちに、戦争(いくさ)のことを認識させていくことは、言葉のうわっつらを撫でるだけでは、到底無理なことである。 だから視覚教材としての挿し絵を活用したり、写真や本、時にはビデオなどの補助資料を活用しながら、内容理解の一助としているのである。
 言葉調べを学習計画の中に組み込むことは、日常的によく行なわれることだが、言葉を言葉で表わすだけで理解されたと思ってはいけないのである。
 子供達がものごとを知らないという実態を把握しつつ、必要な情報を提供していかなければ、理解を深める学習をすることは難しいだろう。
 子供達の理解程度がバラバラの状態から、同一教材を読み深めていけば、それぞれの思いが語られて、「思い付き勝ってバラバラ発言」がまかりとおってしまいかねない。そのような状態で文学教材の読解指導をとることは、困難なことである。 読解を進めるための道具としてのアイテム、例えば「視点」「対比」「アイロニー」「話者」などを持たせる分析批評や文芸研の授業は、技術を駆使して教材を分析する『ゼロベース』の思想がある。状況理解度を揃えるという発想も、『ゼロベース思考』につながる。
┌──────────────────────────────────────┐
│                       積極的に挿絵を活用していく                          │
└──────────────────────────────────────┘
 これも提案の一つである。

Ⅴ.文学とは「人間存在とは何か」という問題を追及する(言語)芸術である

 これは主宰の文学定義である。そして、芸術であるため「内容美」「形式美」の2つを兼ね備えていると言われる。
 芸術であるため、文学を見る(この場合は読む)目をいかに鍛錬していくかということが、教師修業として必要となってくるだろう。
 この点を実践の上で意識することで、さらに言語技術を意識した文学教材の指導の検討が進むものと考える。
 大変、示唆に富んでいる提起だと私は感じている。

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(昔話)鍛国研定例会報告

※これは「鍛国研札幌支部」の第1回定例会の参加記である。(なつかしいなあ)

                                 '97.5.15
鍛える国語教室 札幌支部 第1回 定例会(立ち上げ集会)報告
                                                                      フリートーク大谷

 5月12日(月曜日)リフレ札幌において鍛国研の立ち上げ会があった。
 主宰の野口先生が翌13日に道研の国語講座の講師(模擬授業「おはじきの木」)にいらっしゃるということで、前日泊にぶつけて行われた。
 
 冒頭、野口先生からいただいたごあいさつでは、「会員の一人として臨んでいきたい」というお話をいただいた。札幌支部としては、顧問という肩書きとなる。

 「野口流 ○×式の真義」と題しての講座の報告をする。

 行水の捨てどころなし 蟲のこゑ
┌──────────────────────────────────────┐
│発問  季節はいつでしょう?                                                 │
└──────────────────────────────────────┘
『どこらへん(季節)が多くなると思いますか。』

 夏・・・10人
 秋・・・14人

 挙手を数える時の約束として、「数えたと思ったら(手を)下ろしなさい。」と指示するそうである。
┌──────────────────────────────────────┐
│          立場を仮定して、問題意識をもたせてから解決を図る。               │
└──────────────────────────────────────┘
『秋が正しいと思う人は、○ ・・』これが○×式である。
 ここで、野口氏の授業の特色を自己分析されて、発表された。
 野口授業の特色
(1)小刻みなノート作業
(2)○×方式
(3)巡視による指名
(4)変容の奨励
(5)教師による鍛え

 ここで千葉大付属小学校時代にアナライザーが初めて導入された話をされた。挙手をすれば一発で分かるものを一気一千万円もする(昭和41年当時)機械を購入するとは、なんとばかげたことか・・と思われたそうである。

  1.(○×を)決める意義
    課題に対して正対できる。自分の判定が気になる。課題やなりゆきに対する密度が高まる。

  2.書く意義
     ① 形を残す
      1)明示行為
      2)責任が伴う  自己決定(自己決断)を迫る。
      3)他者に惑わされなくなる。(不惑)
      4)迎合しなくなる。
      5)自己凝視が生まれる。
          例えば、夏が正しい理由を捜さなければならなくなる。

  3.教師の側から
    ① 個々の立場・レベルが読み取れる。
    ② 全員参加が保障される。「まだ書けてない人?」と聞く。確認してから次へいく。「ドブさらい方式」と呼んでる
    ③ テンポ・リズムをつくることができる。
    ④ 進度をそろえることができる。
    ⑤ 分布をとらえる。(ひとつの実態)
    ⑥ 向上的変容が鮮明になる。

  4.条件
    ① 「仮」でよい。「後で変えていいよ。」と変容を奨励する。
    ② 必ず決める。
    ③ 自己凝視(なぜそれを選んだか?をギリギリまで考えさせる)
    ④ 論理に従う

  5.発展・深化の筋道
    ① 自問・自己追求
    ② 論拠、根拠を捜すこと。
    ③ 論理を構築する。

  6.批判
① 無理に○×を決めさせるのは、個性・実態を無視する・・という批判があるが → 個性を尊重するからこそ、全員に書かせているのだ。    
② ○×だけノートに書くことへの批判があるが・・
          勉強の筋道がわからないという批判である。
          国語の読解、鑑賞の指導では、話し合いが重視される。
したがって、整然と書かれているのとは離れるものである。    
③ 苦痛を伴うのではないか?という批判もある・・・
そうさせるから初めて思考が伴うようになるのではないか?
 以上、私は《硬派の教育論》と呼んでいる。
┌──────────────────────────────────────┐
│                進歩と向上とは、現状の否定と破壊にある。                   │
└──────────────────────────────────────┘
 ここで「行水の・・」について、『変わってみたい人?』と聞くと、西田さんが挙手。
 ちなみにこの発問に対する正解は出されなかった。

★    ★    ★    ★    ★    ★ 
 この後、森 寛氏(札幌市立栄町中学校)の模擬授業があって、ずうずうしくも私(大谷)が授業後に飛び込みで数分間「速読」の代案模擬授業をしてみた。
 ちょっと過激だったが、これが1回目の例会ということなら、これからの例会のあり方を決定づける意義もあるので、厳しく参加してみた。
 夕食後に、私のミニ講座「発音指導の効果」というような話の中身だったのだが鼻濁音の方に主に話が展開していった。
 効率主義ということで、鼻濁音はやがてなくなり、それはしかたないことである・・ということには、野口先生も同じ考えだということで、誠に私としては残念に思った。そんなものなのか・・
 「長い髪の乙女」を濁音でいうようになれば、ちょっと聞き苦しくなるような気がする。
 以上、方向を終わる。(文責 大谷 和明;道央フリートーク)

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(

※これは「鍛国研札幌支部」の第1回定例会の参加記である。(なつかしいなあ)

                                 '97.5.15
鍛える国語教室 札幌支部 第1回 定例会(立ち上げ集会)報告
                                                                      フリートーク大谷

 5月12日(月曜日)リフレ札幌において鍛国研の立ち上げ会があった。
 主催の野口先生が翌13日に道研の国語講座の講師(模擬授業「おはじきの木」)にいらっしゃるということで、前日泊にぶつけて行われた。
 
 冒頭、野口先生からいただいたごあいさつでは、「会員の一人として臨んでいきたい」というお話をいただいた。札幌支部としては、顧問という肩書きとなる。

 「野口流 ○×式の真義」と題しての講座の報告をする。

 行水の捨てどころなし 蟲のこゑ
┌──────────────────────────────────────┐
│発問  季節はいつでしょう?                                                 │
└──────────────────────────────────────┘
『どこらへん(季節)が多くなると思いますか。』

 夏・・・10人
 秋・・・14人

 挙手を数える時の約束として、「数えたと思ったら(手を)下ろしなさい。」と指示するそうである。
┌──────────────────────────────────────┐
│          立場を仮定して、問題意識をもたせてから解決を図る。               │
└──────────────────────────────────────┘
『秋が正しいと思う人は、○ ・・』これが○×式である。
 ここで、野口氏の授業の特色を自己分析されて、発表された。
 野口授業の特色
(1)小刻みなノート作業
(2)○×方式
(3)巡視による指名
(4)変容の奨励
(5)教師による鍛え

 ここで千葉大付属小学校時代にアナライザーが初めて導入された話をされた。挙手をすれば一発で分かるものを一気一千万円もする(昭和41年当時)機械を購入するとは、なんとばかげたことか・・と思われたそうである。

  1.(○×を)決める意義
    課題に対して正対できる。自分の判定が気になる。課題やなりゆきに対する密度が高まる。

  2.書く意義
     ① 形を残す
      1)明示行為
      2)責任が伴う  自己決定(自己決断)を迫る。
      3)他者に惑わされなくなる。(不惑)
      4)迎合しなくなる。
      5)自己凝視が生まれる。
          例えば、夏が正しい理由を捜さなければならなくなる。

  3.教師の側から
    ① 個々の立場・レベルが読み取れる。
    ② 全員参加が保障される。「まだ書けてない人?」と聞く。確認してから次へいく。「ドブさらい方式」と呼んでる
    ③ テンポ・リズムをつくることができる。
    ④ 進度をそろえることができる。
    ⑤ 分布をとらえる。(ひとつの実態)
    ⑥ 向上的変容が鮮明になる。

  4.条件
    ① 「仮」でよい。「後で変えていいよ。」と変容を奨励する。
    ② 必ず決める。
    ③ 自己凝視(なぜそれを選んだか?をギリギリまで考えさせる)
    ④ 論理に従う

  5.発展・深化の筋道
    ① 自問・自己追求
    ② 論拠、根拠を捜すこと。
    ③ 論理を構築する。

  6.批判
① 無理に○×を決めさせるのは、個性・実態を無視する・・という批判があるが → 個性を尊重するからこそ、全員に書かせているのだ。    
② ○×だけノートに書くことへの批判があるが・・
          勉強の筋道がわからないという批判である。
          国語の読解、鑑賞の指導では、話し合いが重視される。
したがって、整然と書かれているのとは離れるものである。    
③ 苦痛を伴うのではないか?という批判もある・・・
そうさせるから初めて思考が伴うようになるのではないか?
 以上、私は《硬派の教育論》と呼んでいる。
┌──────────────────────────────────────┐
│                進歩と向上とは、現状の否定と破壊にある。                   │
└──────────────────────────────────────┘
 ここで「行水の・・」について、『変わってみたい人?』と聞くと、西田さんが挙手。
 ちなみにこの発問に対する正解は出されなかった。

★    ★    ★    ★    ★    ★ 
 この後、森 寛氏(札幌市立栄町中学校)の模擬授業があって、ずうずうしくも私(大谷)が授業後に飛び込みで数分間「速読」の代案模擬授業をしてみた。
 ちょっと過激だったが、これが1回目の例会ということなら、これからの例会のあり方を決定づける意義もあるので、厳しく参加してみた。
 夕食後に、私のミニ講座「発音指導の効果」というような話の中身だったのだが鼻濁音の方に主に話が展開していった。
 効率主義ということで、鼻濁音はやがてなくなり、それはしかたないことである・・ということには、野口先生も同じ考えだということで、誠に私としては残念に思った。そんなものなのか・・
 「長い髪の乙女」を濁音でいうようになれば、ちょっと聞き苦しくなるような気がする。
 以上、方向を終わる。(文責 大谷 和明;道央フリートーク)

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日記実践化の試み

※これは、どこかの同人誌に送った原稿である。

        ~日記実践化の試み~「作文で鍛える」  
                                            札幌市立ひばりが丘小学校 大谷 和明

1.実践紹介にあたって

 今回の特集テーマにある『「鍛える」作文』は、主宰 野口先生の名著『作文で鍛える』(上・下)から設定されたものであり、「見たこと作文」のような理論があるわけではない。あくまでも、作文で国語の力を鍛えることを眼目に置かれて、著されたものである。「見たこと作文」に対置する上で、「鍛える作文」となっているということを了解の上で、以下、私の実践紹介をする。

2.作文力を伸ばす極意~私なりのくくり方

 『作文で鍛える(上)』に出会ってから9年が経過した。法則化運動に参加し、野口先生を知るようになってから、随分いろいろと実践上で勉強させてもらっている。もちろん、『作文で鍛える』もそのひとつ。
 上巻目次は、どれも心引かれる項目ばかりであるのだが、取り分け私の目を引いたのが、〈Ⅱ 作文力を伸ばす!これが極意だ〉である。
 ここまで断定、断言する項目の書かれ方はおよそ目にしたことがなかった。(今でもそんなにないだろう)実践をくぐらせてから理論化するという野口主宰の言葉の通りであるから、骨が太く、実践に使いやすいことばかりである。
 極意は6つある。そのうち、私が関心をもったのは、次のものである。
┌──────────────────────────────────────┐
│      1  いつでも書かせる-多作化                                         │
│      2  どこでも書かせる-生活化                                         │
│      4  おもしろがらせる-血肉化                                         │
└──────────────────────────────────────┘
 これらを私が実践化しやすいように解釈を加えて、次のような言葉に置き換えてみた。すなわち・・・
┌──────────────────────────────────────┐
│                           日常化・習慣化                                  │
└──────────────────────────────────────┘
である。
 『作文で鍛える』は、作文コンプレックスを取り除くことをねらって執筆されているが、低学年段階では、
┌──────────────────────────────────────┐
│              作文コンプレックスを形成させない指導が必要                   │
└──────────────────────────────────────┘
と考えて、作文学習の「日常化・習慣化」を私自身ねらってみた。
 中高学年へと移行していくにしたがって、作文コンプレックスが高まっていくことが多いが、コンプレックスを抱かせてしまった子どもには、治療的な学習指導が必要となってくる。
 本稿では、そのことは除いて、日記を通して低学年段階で書くことを面倒臭がらないようにしていく指導について述べることにする。

3.いつでも~多作化~の日記

┌──────────────────────────────────────┐
│  作文を書くということはひとつの行動である。一般に行動の習熟には数をこなすこ│
│とが最も効果的である。(中略-大谷)                                       │
│  「いつでも書かせる」-多作化-というのが、作文力を伸ばす極意の第一である。│
│(『作文で鍛える  上』  P.55~56)                                          │
└──────────────────────────────────────┘
 私が多作化をねらっておこなったことは、
┌──────────────────────────────────────┐
│                           日記を書かせる                                  │
└──────────────────────────────────────┘
ということである。
 日記である以上、当然、日常化・習慣化が必要とされる。
 多作化で作文の力を鍛える最たるものが日記であると私は考えている。
4.絵や実物を取り入れる

 低学年はとにかく先生と話すのが好きである。だから、「せんせい、あのね」の作文指導がある。

 9月24日 =============================
 ☆このあいだ、ぼくとおかあさんといもうととセイコーマートにいってきたかえりあきちによってあそびました。
 草を引っぱって、おおきなかぶごっこをしました。
 ぼくがおじいさんになって、いもうとがおばあさんになって、おかあさんがまごになって、とてもおもしろかったです。
 ちかくのサブちゃんを犬のやくにしました。
 そのあとタンポポのたねをとばしました。
 草をぬいてぼくだんにしたり、きれいなはなをみつけて、おかあさんにプレゼントしました。
 きれいなはなをみつけてるとちゅう、あたたかいはっぱをみつけました。
 もうふのようでした。ふわふわしていました。
 なんていうなまえかしりたいです。 ※実物添付  (KY)===================================
 Yくんは、とにかく自然のものが大好きな子どもであった。道端にあるもので珍しいと感じたものは必ず家に持ち帰ったり、登校途中なら学校にもってきたりする。生活科の「おみせをたんけんしよう」の時には、自動車工場からタイヤのアルミホイールをもらってきたことすらあった。
 化石にも大変興味があって、休日には父親といっしょに三笠の博物館まで出かけて化石のクリーニング体験までしてくる・・そんな積極的な子どもである。
 しかしながら、絵で表現することが大の苦手という子どもである。
 そういう子どもの日記には、実物持参・実物添付を奨励すると書き進めるのに、大変効果がある。
 余談ながら、Kくんが実にいろいろとおもしろいものをもってきて、友達にプレゼントをしていたことから、当時、朝の会では「お楽しみ」のコーナーまでできた。これは大変評判がよかった。
 低学年の日記といえば、「絵日記」である。絵を描くことで、どうしてもメッセージを伝えたくなるようである。絵だけでは伝えられないもどかしさを文章で伝えようという気持ちが伝わってくるものである。
 図工の絵画指導ではないので、気楽に描けるし、国語の作文指導を受けるわけでもないので、気楽に書けるというものである。

5.どこでも~生活化~の日記

┌──────────────────────────────────────┐
│  古諺は「去る者は日々に疎し」と教えている。もっともなことである。         │
│  作文力もそれと同じである。生活の中に取り入れられていつも用いられ、生かされ│
│ているならば、その力は高まりこそすれ衰えていくことはない。せっかく学んだ力と│
│技術は、努めてそれらを使う場を多くすべきである。P.56                       │
└──────────────────────────────────────┘
 家庭学習のついでに作文指導もしてしまう方法がある。
 10月2日 「ことばあつめ」HA =============かん字(紙幅の都合で改行を省略した。大谷) 車が五だいとおった。大きないしを六つはこぶ。虫が二ひきとんでいる。四月が入学しました。えんぴつが六本ある。七月になるとあついよ。がようしを八まいかう。やきゅうは九人でする。十円ででんわをかける。日よう日に町へいく。三日月が見えます。水をかけて火をけした。木ようはお休みです。お金をはらいました。土いじりをしてあそぶ。みんな一年生です。先生にあいさつをした。わたしは女の子です。男の子がうまれました。目がさめる。耳がかゆい。口をゆすぐ。音がくをきく。足をあらう。上をむく。下におろす。左へいく。右へまわる。小犬がいる。お正月はたのしいね。二つずつ石をひろった。空に月が見えてきた。夕日がにしにしずむ。あすはよいお天気だよ。子犬に名をつけた。森の女王になりました。林の中はしずかです。小学校はちかくにある。村の人が立っています。花火はとてもきれいだ。川の水がながれている。山おくの田んぼへいく。じどう車が火じだ。と中で車から下りる。文をかきました。字をたくさんならった。=====================================
 私が昔からよくやる漢字練習法は、このように短文作りをしながら覚えさせるというものである。作文練習の基本は短文作りである。
 主述がそろっている基本文にいろいろな装飾語句をつけていって、やがて味わいのある表現力豊かな作文を書けるようになると考えている。
 それに何と言っても、該当語句の使用例を飲み込める便利さがある。

6.本の丸写しOK~本のしょうかいカード~

 日記がうまく書けないという子どもたちには、本の丸写しをさせてみた。      FKさんの自分の好きな本の挿絵と文「かいぞく・がいこつ かいぶつじま」章の一部を写す。                       
 本となって出版されるのだから、文章は平易で子どもたちに受け入れられやすいという点がある。                       
 守・破・離の「守」にあたるわけだ。                        しかも、本の紹介を兼ねているので、学級内で本を紹介することもできるという一石二鳥のしろものである。                        
                       
7.「欠席届」日記?!
                       
 『作文で鍛える 上』中で欠席届を自分で書かせるという紹介がある。
12月22日=======                       
 きょうは、まだねつがあります。もしも、あしたなおったら、小学校にいけます。
 わたしは早くねつをなおして学校にいきたいです。もしかして、ふゆやすみまで、や すんでいるかもしれません。                      
 もしも、あした、いけたとしても、たいいくかんとかろうかにでちゃだめです。だってろうかは、さむいんだもん。                      
 もしもあしたいけなかったらみんなによろしくと、いっておいてください。Mより

=============
 この「欠席届日記」は、同じマンションのクラスメートのGくんに頼んでもっていってもらったものである。終業式が目前という時期でもあり、本人はかなり心配していたのだと思う。かわいらしくていいのだが、熱が出ているのに日記をつづっていて、なおかつ提出を望んでいるところが「日常化・習慣化」がかなり進んでいる状態と考える。

8.おもしろがらせる~血肉化~の日記

┌──────────────────────────────────────┐
│  これまでの作文指導は、あまりにも「教育的」であり過ぎたのではなかろうか。「作│
│文」というよりは「教育作文」だったのではないか。本当に子どもたちが書いてみた│
│いと思う題材で書かされたことは、ほとんどないのではあるまいか。             │
│  書いてみたくもないもの、書きたいと思わないもの、そういう題材が一方的に与え│
│られて作文を書かされてきたのではなかったか。                               │
│  仮にもしそうであるならば、子どもが作文を好まないのはあまりにも当然のことで│
│ある。  P.61                                                               │
└──────────────────────────────────────┘
 日記の良いところは、題材から構成から文体に至るまで、全くの自由に任されているという点にある。日記の日常化習慣化を図るには、その子の好きなものごとについて、つづってお知らせしてもらうようにすればよい。

 10月22日 =============================
 きのう、おんがくかいにいってきました。ピアノ、チェロ、バイオリンのすてきなきょくでした。
 「しょうらい あんなふうになってみたいなあ。」
とおもいました。                      A  
 2月7日 ===============================
はじめてのコンサート  KY
 2月5日、玉置浩二のコンサートにいきました。
 会場は月寒グリーンドームで広い場所なのに、おきゃくはちょう~~まんいんでした。
 コギャル(女子高)がキャーキャー言って、玉置浩二をまっていました。
 この日は、わたしの家ぞくもみんなファンなのでたのしみにしていました。
 玉置のおじさん(玉ちゃん)がステージに立った時、どこかのおじさんが、
 「たまちゃん~。」
 「たまさ-ん▼」
 「お~い。」
 「こっちむいて-」
とさけんでいました。
 じつは、わたしも、むねがドキドキ。
 そんなファンのようすを見て、玉ちゃんものりのりでステージの上ではしり回りました。
(ここにかとうさんの玉置浩二のイラストを挿入)
 さいごは、みんなたちあがってだいがっしょうしました。
 玉ちゃんものって、アンコールにこたえてくれました。
 とてもすてきなコンサートでした。また、見にいきたいです。
 また、見にいこうと三人でやくそくしました。=====================================
 Kさんは、お父さん譲りで絵が大変上手な子どもである。得意な絵を日記に挿入させることで大変楽しい日記になっている。
(※大変残念なことにかとうさんのおとうさんは、病気のためにこの春に他界されてしまいました。ご冥福をお祈りいたします。合掌・・)

9.どこでも~生活化~の日記 その2 観察日記

 理科好きな子どもには、観察日記を書かせると効果的である。

 9月26日 ==============================
 うちにかめがいます。なんでもたべます。はえ(蝿)もか(蚊)もたべます。
 それにおさしみもたべます。なまえはかめおといいます。   R
 9月29日 ==============================
 きょう、Gくんががんえん(岩塩)をもってきました。
 ちょっとみるとこおりざとう(氷砂糖)のようでした。
 さとうはあまいけど、しおならきっとしょっぱいのでしょう。 R
 10月22日==============================
 きょう、インディアン水車へうちのかぞくといきました。
 はくぶつかんにいったら、サケやカラフトマスがいた。水そうがすごく大きかったです。
 ほそいのやふとってるのがいました。
 そして、えいがみたいのがあって、5年もたっているのに、うまれたところのにおいをおぼえているなんて、天才かとおもった。
 本とうはな(鼻)がいいとおもった。    R
=====================================
 観察眼の鋭い子どもは、比喩が上手である。いろいろな物事をよく見て覚えているから、ものの例えがうまくできるのである。
 その表現を学級に紹介していくだけでも表現力がずいぶんとついてくるものである。日記の手軽さは、紹介するときの手軽さにもつながって、日記指導の日常化さえ手伝ってもらえるものである。

10.日記から拾い上げて作文化したもの

 日記にはさまざまなことがつづられてくる。
 「精読主義から粗読主義へ」と奨励されているが、詳しく知りたいと思うことがたまにある。そんな中から書かれた作文が次のものである。

=====================================
 きょう、ばあちゃんのしゅじゅつがせいこうしました。あさの九じからはじまって、ゆうがたの四じにおわりました。
 おとうさんが、
「おいのりしててね。」
といっていました。
 おとうさんは、びょういんにいったりきたりしてました。ばあちゃんは、しんぞうにあながあいているびょうきです。ますいがきれるのは、あしたです。
 しゅじゅつがせいこうしたら、まどが大きくて、ベッドがふかふかしているおへやにうつります。               
 しゅじゅつは、いたいだろうなあ。しんぞうにあながあいているびょうきって、どう
やってなおせるのかなあ。
 すごいせんせいですね。いしゃってつかれるよね。きもちわるくないのかなあ。 おとうさんは、しゅじゅつがおわったら、でんわするといっていました。
 でんわがかかってきました。おかあさんが「よかったね。」
といいました。
 おとうさんはもし、目をさまさなかったらしんぱいだからといって、びょういんにとまります。
 ぼくもとまりたいなあ。まごだから、とまりたいなあ。
 ばあちゃんは、すごいね。しにたくないからって、ゆうきがあるね。
 ぼくはゆうきがないの。どうしても、こわいんだもん。
 ゆうきがある人って、つよいね。ぼくは、だけど、こわいの。こわくて、こわいの。
 ばあちゃんは、こわくないの。すごいばあちゃんです。
 さいしょのとき、いのっていたんだよ、がっこうで。
「ばあちゃん、だいじょうぶかなあ。」ってしんぱいしていました。 R=====================================
 大好きなおばあちゃんが大病で手術ということだから、並の心配ではなかったろうと思う。思いが強いほど作文にも迫力が出て来る。
 作文の題材にしてしまうのは、若干気が引けたが思いきって書かせてみた。
 結局この作文は「札幌の子ども」という作文集に掲載されることになった。
 いつもの日記の拡張版程度のボリュームであったが、ほとんど推敲の手がかからずにすんでしまった。
 これもまた継続は力なりの日常化・習慣化のたまものと考えている。

11.やたらほめまくる~暗示化~赤ペン&学級通信への掲載奨励

 子どもたちの作文や日記は掲載不可の指示がない他は、できるだけ学級通信に掲載して紹介することにしてきた。赤ペンもいれることもある。
 向山洋一「教え方教室」でよくされる講座に赤ペンの入れ方がある。
 端的に言って、とにかくほめてほめてほめちぎるということにつきるが、これは野口主宰の言われるところの暗示化ということである。

ON =============================
 きょうは、かがくかんひろばにおくれるかと思って、7時50分ぐらいに出ました。 かがくかんひろばについたら、ほかの人とかがいっぱいきていました。
 いよいよ、どうぶつえんについて、さいしょに、オサル(おさる)を見ました。
 ちっちゃくて、子どもザルもいました。
 おさるはすばしっこいと思ったのに、のんびりしていました。
 つぎにゴリラを見てたら、ゴリラがゴロゴロとしてねていました。
 ゴリラのポーズを見せてほしかったのに、がっかりしました。(きっと、胸をたたくドラミングのことでしょう)
 つぎにゾウを見ました。
 ゾウは、なにかを見ているようで、耳をパタパタうごかしていて、もう1とうのゾウはボーッと立っていました。
 そして、キリンは草を元気よく食べていました。
 オオカミは、おとなしくてかおがキツネみたいでかわいかったです。
 前の時は、ウロウロウロウロうごいていたのに、へんだなあ(「へんだなあ。」)と思いました。
 おべんとうを食べおわってから、イグアナとか5センチメートルしかなさそうなカメを見ました。
 と中で、のどがかわいたのでむぎちゃをのもうとしたらなかったので、こおりを食べてしまいました。
 家で、「すごく楽しかったなあ。」と言いました。

【赤ペン】これもまた、すごくじょうずな作文です。たんけんちゅうに見つけたどうぶつたちを、じつによくかんさつできています。 
 アンダーラインのところは、みんなのお手本になるじょうずな書き方ができているところです。
 のどがかわいた時にのんだこおりは、きっととってもつめたくて、おいしかったんでしょうね。みんなでたんけんしたどうぶつえん、また、みんなでいっしょにいきたいですね。こんどの作文にたいへん楽しみです。=====================================
 ほめられれば親も子どももうれしいに決まっている。うれしいからまた書いてみようという気持ちになる。意欲が高まり作文の多作が始まればさらに表現力も高まってくるという相乗効果が期待できるのである。

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2005年11月20日 (日)

論理的思考を鍛える授業のコツ

論理的思考を鍛える授業のコツ~理科~

                    大谷 和明

1 実験と観察指導のコツをつかもう

 論理的思考を鍛えるのに適してる教科として理科を筆頭に掲げる人は多いと思います。
 さらに、理科授業のうまみは実験と観察にあります。
 だから、実験と観察を指導する際のコツをつかめば、論理的思考を鍛えることができるものと私は考えています。

2 二つの思考のルート

┌─────────────────────┐
│   ┌──┐ →演繹的思考→    ┌──┐   │
│   │原理│                            │ 事例│          │
│   └──┘ ←帰納的思考←    └──┘   │
└─────────────────────┘
 「予想を立ててから実験をして確かめる」と
いう流れは『演繹』的な思考です。
 「観察して得たいくつかの結果をとりまとめた中から、決まりを見つけ出す」という流れが『帰納的』な思考です。
 このことを意識しておいて、実験・観察に導くだけでも授業の流れを子どもの思考の流れの中でみることができるようになります。
 これはコツというよりは大事な原則です。
 後は、指導する教材・単元がどちらの思考方法を取らせるのかを考えて教材研究していけばおおよその指導プランが立つことと思います。
3 必ず結果の予想を立てさせる

 予想を立てさせることは大切なことです。
 なぜなら、予想を立てることによって、自分の考えを明確にさせることができるし、考えがまとまっていれば、その考えをさらに明晰なものへと高めることができるからです。
 また、友達の意見にも関心を持って聞くことができるようになるからです。
 つまり、
┌───────────────────┐
│ 問題・課題に対して問題意識をもって臨む│
│ 態度が形成される                      │
└───────────────────┘
からです。
 予想することで、思考の「よりどころ」を持たせることができるというわけです。
 自分の考えをもつことで、ほかの意見を比較して聴くことができるようになります。
 比較するということは「観察の原則」でもあり、次のような効果をもたらします。
┌───────────────────┐
│ 二つのもののギャップを埋めようとする働│
│ きが思考力に影響を及ぼす。思考の往還作│
│ 用を活発にする。つまり、思考力を鍛える│
│ ことになる。『観察・実験・飼育の技術』│
└──────授業技術文庫19 明治図書 ┘
 さらに鍛えることを意識するならば、
┌───────────────────┐
│ 予想の根拠をノートにかかせる         │
└───────────────────┘
ことが効果的です。ここでいうところの「かかせる」ということは、二つあります。それは、
                          『書かせる』と『描かせる』
の二つです。
 どちらも思考表現でありますが、子どもの能力や思考スタイルとして、言葉の操作に優れている子どもの場合は、言語表現を駆使して思考内容の具体化を図ることができるわけです。
 しかし、中には言葉でうまく表現できない子どもたちもいるわけです。それは、大抵の場合学齢が低い子ども達に見られます。
 したがって、一律に言語表現を求めるとそれがために、授業嫌いにしてしまいかねないわけです。
 予想の理由づけに慣れてくると、絵と言葉を上手に組み合わせて、相互に補いあうようになってくるので、そうなるとしめたものです。
 とりわけ、理科の場合、目に見えない状態や言葉で表現することが難しい事例が多くありますから、日頃からこの点を鍛えておくことには意義があります。
 時として、「分からない・・」「予想がもてない・・」という子どもがいますが、その際は
┌───────────────────┐
│ でたらめでもいいから予想を持たせる    │
└───────────────────┘
のです。ただし、そのような子どもには、理由の根拠を執拗に求めてはいけません。『でたらめでもいいから』というところに、安心を得ているのです。
 根拠をもてた子どもたちの考えを聞いていたり、同じような授業を繰り返す中で、だんだんとできるようになってきます。その時にほめてあげればよいのです。
 最初から予想と根拠をセットでもてている子どもたちをほめるのは言うまでもありません。
4 聞き上手を育てる

 ともすると、発表する子どもが中心となって授業が進みがちになります。そうなると、圧倒的多数を占める子どもたちにも飽きがきますし関心が弱い子どもにとっては自分のことしか頭にないものですから、友達の発表を聞き取ろうとしない子どもも出てきます。
 そうなるとやがて、授業の緊張感や集中力が弱くなってきて、雑然となってしまいます。
 予想とその内容を聞き合うという中から、科学的な論理や原理を導くという思考作業が進められるのです。
 関心を高めていくには、
┌───────────────────┐
│ ノートに意見判断を記録させる         │
└───────────────────┘
のが効果的です。
 自分の予想に枠組みをして書かせ、その下に(大谷 ○)(森田 ×)というように、自分の予想と同じ意見に「○」異なるものに「×」をつけて聴くようにさせます。
 予想といっても、多くの場合、選択肢が2~3つがほとんどでしょうから、意見の判断は、○か×かで足ります。
 予想が同じでも、自分と違う考えが出てきたら、記号の他にもその内容を書き添えるようにさせていくといいでしょう。(もちろん、日頃から書くスピードを速めるような指導をしておくことが必要ではありますが・・)
 これがさらに慣れてくると、○派~×派のように分かち書きして見やすくまとめる子どもも出てきます。あらかじめ、教師の方で板書に手本を示すことで定着を図ることもできます。

5 アイテムワード

 予想を支える言葉を与えていくと論理を鍛えていくことができます。例えば、「もしも~なら・・はずだ」「・・なったので当然~なるだろう」「例えば~のように」「AとBは同じでCとDも同じ関係だから~」「前に~の勉強をしたときに・・のようなことがありました」
 論理を支える具体的な事例は論理の構築の柱です。言葉は道具ですから、使いこなすことで使い方も上達していくものです。

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学級PTA苦労話ABC

※これは以前、雑誌に投稿したものである。

 今だから書ける「学級PTA
           苦労話ABC」

                      懇談の下拵え、おまけそして苦労話 

    

                                                                      大谷 和明
1 「懇談のきっかけ」を仕掛ける

 学級PTA懇談会がある場合、私は心掛けていることがある。それは、
┌───────────────────┐
│ 話しあいのためのきっかけを準備する   │
└───────────────────┘
ことである。
 親たるもの子育てについて、日々不安や悩みを抱いているものである。
 一人一人のニーズにきっちりと応えていくことは無理であるが、子ども達の成長発達過程で想定されることに関して、事前にプリントを準備しておくのである。
 それぞれに抱えている問題を自ら切り出して話すとなるとなかなか勇気のいることである。
 一般的事項をきっかけに話し合いをしていくと、意外と自分の子どもの症例について具体的に話してくださるものである。
 具体的な話しに及ぶと先輩保護者それぞれの経験談が加味されてきて、対症方法が発表され、私はもちろん悩みを話してくださった方にも大変参考になった。
 
2  おまけの用意

 懇談の中で私はミニレクチャーを持つことがある。
 例えば、中学校三年の受験期到来の頃に身近の栄養学について話したことがある。 高校受験の直前で子ども本人も保護者とも最も留意していることは『健康維持』である。
 食事を通して健康管理に気遣うというところが受けたのかと思う。
 丸元親子による一連の栄養学文庫は格好の素材提供となった。
┌───────────────────┐
│ 出席して得をした                    │
└───────────────────┘
という気持ちをもってもらえることを願って『おまけ』を用意するのである。

3 困った相談事項

 保護者との信頼関係が高まってくると、いろいろとざっくばらんに話してもらえるようになるが、時には困った相談ということも持ち上がることがある。
 私が最も困った相談内容は、
┌───────────────────┐
│ 同僚教師に対する不信感               │
└───────────────────┘
についてであった。
 「他学年の兄弟姉妹が、不当な扱いを受けているがどういうことか?」「○○先生の学級は、子どもが勉強するような雰囲気ではない!」などのような話である。
 これらの話は決まって、学級懇談が終ってから個別にされるものである。
 もちろん話を聞かせてもらうが、その際の最も大切な観点は何かというと、
┌───────────────────┐
│ 子ども当人がどのように言っているのか?│
│どう思っているのか?                  │
└───────────────────┘
ということである。
 えてして誤解によることが多いものだがとにかく親身に相談に応じることである。 同僚教師に十分に話すことで、一応気持ちは落ち着いてくるようである。落ち着けば、これからの対応についても冷静に考えることができるようになる。
 子ども達を預かる者として、連帯責任の意識を持つこと、これが私の教訓である。

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私の環境教育の授業づくり

※これは以前雑誌に投稿した原稿である。資料が実際には添付されていたのだが、ブログでは掲載していない。一部読み苦しいところを了承のうえ、ご覧ください。

 特集 

                      環境教育の最前線 
                                       

(4)私の環境教育の授業づくり
  ② 理科の視点から
                                                      大谷 和明
1 「野生生物絶滅のメカニズム」図

 元・札幌円山市円山動物園園長の金田壽雄氏の講演を伺う機会があった。
 氏は、長年動物園管理者として、野生生物の絶滅の危機を訴えるための資料として提供されたものであるのだが、地球環境問題を総合的に把握していく学習資料としても効果的に使用できるものと私は考えた。

2 説明落ちの部分を補足する

 矢印の内容で未記入部分があるので、補足する。

化学物質の使用→地球の温暖化
    メタン(天然ガス中・石油の熱分解でも発
    生。有機物質を含む汚泥からも発生。)
    亜酸化窒素(窒素酸化物:自動車や工場からの排出ガス)

化石燃料の使用→海洋汚染
    タンカー事故は最たるもの。排気ガス・排出物質が海洋動植物(プランクトンや海藻類、魚介類など)を汚染させている。

海洋汚染→野生生物の減少
     日本近海の魚介類のダイオキシン汚染は世界一と言われている。日本の国土全体でダイオキシン汚染が進んでいるという照査でもある。生物濃縮が進み日本人一人当たり一日で百六十三ピコグラムのダイオキシンを摂取しているといわれる。
     いわゆる環境ホルモンとして生物減少に拍車をかけているのである。

熱帯雨林の減少→野生生物の減少
     野生生物の生活環境そのものを奪っているということで説明はいらないだろう。

開発途上国の公害→野生生物の減少
     途上国への工場の進出は、急激に現地の自然破壊を引き起こしている。野生生物はおろか地域住民への直接被害も深刻なものがある。

化学物質の使用→有害廃棄物の越境移動
     石油生成物質が海に流れていくことはもちろん、有毒ガス・有害物質の飛沫飛来など世界的な広がりがある。

開発途上国→人工急増
     避妊知識が乏しくバースコントロールが取れないのである。

先進国→化石燃料の使用・化学物質の使用
     産業革命以来の重化学工業の発達が如実に物語っている。
                       
3 考えられる授業プラン例

┌矢印不備部分を一斉授業で補うプラン──┐
│  今述べたような内容をニュースや新聞、│
│ 一般教養知識を引き出しながら埋めていき│
│ 図全体を完成させる。                  │
└───────────────────┘
┌─単元導入・概論把握のプランとして──┐
│ ①マスの中を抜いておき、何が入るかを  │
│  考えさせる。                        │
│ ②矢印の項目を抜いておいて、何が入るか│
│  を考えさせる。                      │
│ ③何か所かのマスと矢印をセットで抜いて│
│ おいて、何が入るかを考えさせる。     │
└───────────────────┘
┌─調べ学習のきっかけとして──────┐
│ ①相互の枠の関係について、現況を調べ  │
│  させてみる。                        │
│ ②一つの枠内の事柄について年々の数値の│
│  移り変わりを調べさせてみる。        │
│ ③一つの枠内の事柄について、具体的に  │
│ どのような物質がどのように働いている  │
│  のかを調べさせてみる。              │
└───────────────────┘

4 環境ホルモン問題を組み込みしてみる

 重大な問題なのに、このことが図版からは欠落している。どの枠とどの枠との間に入る事柄なのかを考えさせてみて、環境ホルモンの影響について、調べたり補足説明を受けたりする授業が考えられる。すでに補足説明した通り、日本にとってダイオキシンの問題は自滅状態に近づく勢いで汚染が進んでいるという危機感を持つべきである。環境問題は、グローバル・エコロジーとして学習し、意識定着を図り実践することが必要であるが自分自身の安全を考えられずして他のものたちへの配慮がもてようはずがないと私は思う。「化学物質の使用」→「野生生物の減少」に入る。金田氏は講演の最後に『「野生生物の減少」を人類の減少に置き換えてみてはどうでしょう。』という提言をされたのだが、環境問題は生物共存のシステムを根底から覆す問題をはらんでいることを再認識させられたのであった。

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日本語が危ない

※これはだいぶ昔に、雑誌投稿したものである。

「授業づくり東西南北」
日本語が危ない
                                                        札幌市立ひばりが丘小学校
                                                              大谷 和明

 新聞(北海道新聞97年4月28日夕刊)を見ていたら、びっくりするような記事を見かけました。タイトルは、『美しい響き 再発見 使えますか 鼻濁音』小見出しには、「時代とともに消えゆく運命?」とありました。
 2年前、私が小学校1年生を担任したときに鼻濁音の指導実践をしたことがあります。当時の学級通信を一部転載します。

   ~くっつきの「が」の発音~  
 昨日は、久しぶりに読み方の勉強をしてみましたが、これがやってみてびっくり。 なんと「・・が」の「が」を発音できない人がいるのです。それも半分以上です。『うしがいます。こいぬがきました。』
「が」の発音が『がんばりましょう』の「が」になっているわけです。鼻濁音の発音ができた人は10人でした。

 そして、今回の記事でです。早速、現在担任している5年生で調べてみました。
『ぼくが、がっこうの ガラスを わりました。』この提示文では全員が濁音で呼んでいました。鼻濁音が0だったわけです。 試みに次の文ではどう変わるか?を調べてみました。
『ぼくが、すきなうたは、「つがるかいきょうふゆげしき」です。』この文では、7人が鼻濁音に変化していました。それでも「ふゆげしき」の「げ」を濁音で読む子どもが結構いました。隣のクラスを借りて、この文を次のように変えて提示してみました。
『「つがるかいきょう ふゆげしき」は、ぼくがすきなうたです。』
 予想どおり「が」を鼻濁音で読む子どもが18人にもなりました。
 新聞の記事によると、「兵庫県を境として東側では鼻濁音を使う人が比較的多く分布する」とあったので、北海道が該当します。東北地方の訛りでは、鼻濁音を使っている言葉が多いので、比較的多いのではないかと思われます。それにしても、「鼻濁音が昔から存在しない地域もあり・・」と記事にあったので驚いています。学校現場で鼻濁音の発音指導をすることがほとんどない現実を考えると、こうやって日本語がどんどんすたれていくのかと、つい憂慮してしまいます。
 そういえば、「三十分」を”さんじっぷん”と言える人が少なくなっていますし、「ら抜き言葉(食べれる・走れるなど)」が横行している昨今、正しい日本語を使うべき報道アナウンサーまでもが、きちんと使用できない背景、そして、ワープロ自体も、”さんじっぷん”と入力変換すると”産じっぷん”となってしまう現実の中で、どんどん日本語が淘汰されていくのかと、複雑な思い出います。
 そうそう、邦楽曲だって横文字・カタカナ表記でない曲名を捜すことすら難しい世の中ではありませんか。簡単に日本語を捨ててしまい、他国語を多様することがトレンディなのでしょうか。(と書いている自分も横文字を使っているというこの矛盾) 鼻濁音の危惧をとってみても、式亭三馬のころまでさかのぼるのだそうです。
 旧かなづかい表記の減少や漢字の簡略化「超ベリグ」に見られるコギャル語の横行などなど、日本語は危機的状態から危篤状態にまでいたっているのではないか?と恐れている私です。昔は熱心にされていた発音・発語の授業復活をさせるべきときではないでしょうか?

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中学教師にもの申す

中学教師にもの申す(小学校教師からのメッセージ)
   おまえホントに中学教師?!                                     札幌市立ひばりが丘小学校
  大谷 和明(TOSS/FreeTalk)
           ※ これは「TOSS中学トークライン」の依頼を受けて書いたものである。

1.対象となる教師

 私は中学校教師の時代もある。したがって、「中学教師にもの申す」となるとそのまま自分へも当てはまることがあるので、若干気持ちが引けるところがある。
 私が出合った中学教師は、ほとんどが教養豊かで人間的な魅力に富む人たちばかりであった。とりわけ、法則化に集う仲間たちは、誠実そのものである人たちばかりであった。
 本小稿で対象とするのは、そんな人たちに及びもつかない人たちへの苦言である。(そもそも本誌読者にそんな人がいないだろうから、書いても無駄という感じがするが、ご容赦あれ)

2.ここは中学だよ!?

 どこの学級にも係はあるのだが、私が我が目をうたがった係がある。
 「ストロー係」という、それ。
 小学校じゃ、せいぜい1年生にしか置かない係である。給食当番が割り当てで業務すればいいのである。中学生に「ストロー係」はないだろう!!馬鹿にするのもいいかげんにしろ、といいたい。そして、そんな係をはずかしくもなく設置させている生徒たちにも「しっかりしろ!」といいたい。

3.学級目標は具体的にしろよ

 下手なポスターのコピーのような学級目標を掲示している学級がある。
 下手でなくても、スローガン掲示というレベルのものがある。空虚なスローガン的学級目標を掲示物として常設できるか?はずかしくないか?と再度吟味してから掲示するべし。(そんな神経がないから、するんだよなあ^_^;)

4.無駄な労働をするんじゃない?!

 定期テストの数週間前から、試験対策用にスケジュール表を作成させ、律儀に毎日毎日、空き時間にチェックしている人(というか、学年)がいる。 小学校では、そんなことやってらんないよ。ほとんどの生徒たちは、間に合わせ的に書き込みしているし、限りなく虚偽に近い報告を限りなく真剣に精査して、ダメな赤ペン指導よろしく励ましの言葉を書き添える時間は、教材準備に回す方がよっぽどお互いの為になる建設的な状況だと思うなあ^_^;。それくらいのしっかりしたメンタリティくらいもたないから生徒の言動の振り回されるんだよ・・・^_^;

5.硬派で行こう!!

  それだけ。^_^;)失礼しました。

【研修会のご案内】
 酒井臣吾授業ライブ 酒井式版画研修会 のご案内
 私のPersonal site には、他にも各種研修会のご案内をしております。ご覧ください。

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2005年11月16日 (水)

目から鱗!の”戦争と平和”をめぐる文献紹介

※これは以前に「社会科教育」誌(明治図書)に投稿された小稿です。

9 目から鱗!の”戦争と平和”をめぐる文献紹介
                        歴史書探しのためのフィルター 
                                              大谷 和明
┌──────────────────────────────────────┐
│  歴史の本が続出するときは必ず危機の時代だ。                              │
└──────────────────────────────────────┘
 あまり「目から鱗の本」にお目に掛かった記憶がない私は、『戦後50年 日本人の発言』(上下 文藝春秋)に当たってみることにした。その中に、亀井勝一郎による「現代歴史家への疑問」(「文藝春秋」昭和三十一年三月号初出)の論文が掲載されていた。
 その中の一節である。歴史家の資格として特に三点目が重要と私は思う。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 歴史家とは共感の苦悩に生きる人                                            │
└──────────────────────────────────────┘
 とかく、歴史上の事実が時系列に沿って書き連ねられている文献が多い。しかも、文言が難解であれば、目から鱗どころの代物ではなくなる。
 表現に腐心し、事実の背後にある歴史的選択の深淵を考察してこそ、読み手を興奮せしめることができるということだろう。司馬遼太郎・井上靖らの著作が頭をよぎった。
 亀井氏から頂いたフィルターを使って早速文献検索を行なって見付けた一冊がこれ。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 『歴史を読む智恵』 増原 良彦著( 大和出版 )                            │
└──────────────────────────────────────┘
 勝てる見込がほとんどなかった大東亜戦争へとなぜ日本は突き進んでいったのか?闇討的開戦として、とかく、外交上のへまが取り上げられる真珠湾攻撃だが、非戦闘員の大量無差別虐殺である原水爆の投下と比較すれば?
 何をするか分からない大国アメリカへの極度の恐れと追い詰められて窮鼠猫を咬む行為に及んだ日本。その歴史は、幕末のペリー来航~開国の強要~日米和親条約の締結に端を発しているとの指摘。
 しかも、幕末の「佐幕攘夷」対「統幕開国」をめぐる国内外での外交の行方。国を二分しての戦いが思わぬほうに転んで、国としてのまとまりを失って、アメリカ側へ付く藩でも続出していたら、日本はその時からアメリカの植民地となっていたかもしれない。
 そうすると、坂本竜馬をめぐる歴史上の人物たちの動きの背景などなどを目まぐるしく私の頭の中を駆け巡ったもので、目が覚めるような感じすらした一冊である。
 副題~日本人の「クセ」が見えてくる~という点でも大変面白い啓発書という意識で読ませてもらった。
                                                    (札幌市立ひばりが丘小学校)
                                                                               
                                                                               

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2005年11月12日 (土)

ADHD児の動きをつくる/体育教具子どものドラマ

  ※ この文章は、『教育トークライン』(東京教育技術研究所)に以前掲載されたものである。

イエロークラブ 体育教具子どものドラマ
   ADHD児の動きをつくる
                 大谷 和明
       札幌市立ひばりが丘小学校

1 もてあまし気味のO君

 入学以来、教室にじっとしていられない・友達に暴力をふるう・突然人にかみつく・テストで分からないとすぐに答案用紙をグシャグシャにしてしまう・・など、先生達にももてあまされ気味だったO君というADHDの子がいた。
 体育の時間、思った通りに体を動かすことができずにイライラしがちであった。リズミカルに動く必要がある「縄跳び」は当然嫌いだった。

2 担任となってのなわとび指導

 そのO君を私が担任することになった。四年生の時のことである。
 知的な面では、それほどの遅れを感じることがなかったので、運動機能を鍛えることで、いろいろな動きを可能とするように方針を立てた。
 縄跳び運動では、私には必勝の教具がある。
┌───────────────────────────────────────┐
│スーパー跳び縄+リズム太鼓                                                    │
└───────────────────────────────────────┘
である。スーパー跳び縄は法則化中央事務局が開発以来、愛用させてもらっている。毎年春には、学校中で注文を取り付けて送ってもらっている。つまり、学校中でかなりの子どもたちが愛用してきている。
 これまでのO君の担任と私との違いは「リズム太鼓」の有る無しということが一番大きい点だったと思う。ジャンプはできる。縄の跳び越しはできる。しかし、その場でジャンプして回旋縄を跳ぶことがうまくできない。リズミカルに跳び続けることは彼にとっては未知の世界の話しだ。縄跳び指導にも細分化された指導が必要である。まずは、片手回し。太鼓のリズムに合わせて縄を回す。(低次の子どもには、逆回しができないこともあるのだ)次に、縄回しをしながら歩く。縄が床にきた時点で片足が上がっているのがタイミングをとるコツだ。この間、縄の回旋と太鼓のリズムをあわせ続けている。
 いよいよ回旋跳躍だ。もちろん一回旋二跳躍、それもゆっくりだ。幼稚園・保育所レベルだ。幼稚園ですでに特殊学級にいたO君には、リズム遊びが不足していたことと思う。四年生でもそこから導入するべきなのだ。「トントン」と跳躍リズムを口で取りながら試技をしてみせる。跳躍のタイミングが太鼓に変わる。
 いよいよO君の挑戦。
 何度かの失敗の後、成功することができた。短縄では、最初のたった一回の成功が黄金の一瞬である。「できる」「できない」の差は天と地ほどの開きがある。たった一回の成功をほめる。
 その後、一回旋一跳躍から技跳びへと挑戦が続くことになる。

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元気な声が出る呼びかけ指導

〈小 全〉  元気な声が出る呼びかけ指導
                                            札幌市立ひばりが丘小学校 大谷 和明
  ※これは以前に「法則化論文」として発表したものである。

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 新入生歓迎会(通称「1年生を迎える会」)は、年間の児童活動ではおそらく最初に行われる行事であろう。
 そして、入学したばかりとはいえ、1年生も何らかの形で発表する場が設けられているものである。
 我が校の場合は、〔よびかけと歌「しあわせならてをたたこう」〕であった。
 学級代表の子どもたちの呼びかけに1年生全体が声を合わせて呼びかけていくスタイルをとった。
 代表の子どもがどれだけ元気な声で呼びかけるかが成否の鍵である。

 呼びかけ全文は次のようになっている。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 1  おねえさん、おにいさん、きょうはどうもありがとう。                      │
│ 全  ありがとう。                                                            │
│ 2  とってもうれしかったよ。そして・・・                                    │
│ 全  たのしかったよ。                                                        │
│ 3  1ねんせいは、がっこうがだいすき!                                      │
│ 全  だいすき!げんきいっぱい!                                              │
│ 4  わたしたちはげんきなこえで、うたをうたいます。                          │
│ 全  きいてね。                                                              │
└──────────────────────────────────────┘
   私のクラスの子どもは4番である。
 しかも、女の子である。
 場所は、体育館である。しかも、当日は当然全校児童がひしめいているのである。
 元気のない、張りのない声だと最後を締めくくることができない。

 本番前時を迎えたがまだまだ元気な声とは言い難い状態であった。
 そこで最後の指導をした。
 しゃがんでTさん(代表のこども;体育館のステージ前にいる)に話しかけた。
┌──────────────────────────────────────┐
│ Tさん。セリフを覚えましたか?(ウンとうなずいた)じゃあ、言ってみましょう。│
└──────────────────────────────────────┘
 このときの声の大きさを「1」とする。   
┌──────────────────────────────────────┐
│ よく、覚えましたね。忘れちゃっても、同じようなことを言えばいいですからね。大│
│丈夫ですよ。                                                                 │
│ では、もう一回言ってみましょう。                                            │
└──────────────────────────────────────┘
 ここで私はさっと後退して、Tさんから5mほど離れた。
 このときの声の大きさ「3」。   
┌──────────────────────────────────────┐
│ うまい!(指で丸サインを送る)                                              │
│ うまいから、もう1回!                                                      │
└──────────────────────────────────────┘
 さらにさっと後退して体育館の中央部まで移動して、合図を送る。
 この時の声、「7」。
┌──────────────────────────────────────┐
│ すごい!よく聞こえるよ。(手で丸を作る)                                    │
└──────────────────────────────────────┘
といいながら、更に下がって体育館の端まで移動する。
 だまって、合図を送る。
 声の大きさ「10」。これだけ出せると十分という声量であった。   
┌──────────────────────────────────────┐
│             (頭上で丸を作ってみせる)                                      │
└──────────────────────────────────────┘
 Tさんのところに戻ると紅潮した顔でニコニコしていた。

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ひらがな指導に目隠し書きを

〈小1 こくご〉  
ひらがな指導に目隠し書きを
                                            札幌市立ひばりが丘小学校 大谷 和明
   ※ これは「法則化論文」として以前に発表したものである。

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 ひらがな学習の時間、TOSS(向山)式漢字習得指導法の『指書き』と『なぞり書き』の間に、新しい過程を挿入してみた。
┌──────────────────────────────────────┐
│        目をつぶって書いてみる                                               │
└──────────────────────────────────────┘
という方法である。
 名づけて、            
┌──────────────────────────────────────┐
│                目隠し書き                                                   │
└──────────────────────────────────────┘

2  授業の様子

 『今日は、「す」の練習をしましょう。』
 いつも通りに練習用プリントを配布して授業を始める。
 いつも通りに空書き(で、筆順を間違っている子どもの確認をする)    
 指書き(で、自分で筆順を再確認させる)と進んできたところで、おもむろに言う。 『はい、ストップ!今日は、新しい練習をしてみます。目隠し書きです。』
 「ええ~!なんですかあ~?!」「なに、それ?」と多少ざわつく。
 『いつもなら、この後になぞり書き練習をしてから清書しますが、今日はその前に目をつぶって書いてみましょう。上手に書けるでしょうか?』 「ええ~、見ないで書くの~?」「どこに書くの~?」
 『プリントをひっくり返しましょう。裏には、何も印刷されてませんね。 そこを使って書いてみましょう。ただ~し!目隠しですからね。目をつぶって書くので、慎重に書かないと変な字になってしまいますよお。 一字書いたら、どんな字が書けたか見ていいですよ。では、始め!』                               始める前は、キャーキャーいっていた子どもたちも、いざ書き始めで目をつぶると全体がシ~ンとなって書き始めた。
 一応、書いている字の方を見る子どもや正面の黒板に顔を向けながら書いている子、中には目をつぶりながらさらに左手で目隠しをしている念入りな子どもまでさまざま見受けられた。
 確認で目を開けた子どもたちからは、
「あ~、こんなんなっちゃったあ~」「へんな字~」「先生、これ見て!」と互いに見せあって楽しんでいる歓声が上がってきた。
 中には、「じょうずに書けた!見てみて」という子どもも結構いて、それが目をつぶって書いているとは思えないほどうまいものもあった。
 『おお~、これはすごい!みんなみてごらん!』と早速全体に提示。
 「先生、もう一回書く!」「まだ、やっていいですか?」との声に、
 『どうぞ、やってください。』と励ましてあげた。
 目隠し書き全部で、1~2分程度の時間を書けてから、『なぞり書き』練習に移行した。
 子どもの中には、清書より『目隠し書き』の方がうまく書けた子がいて、子ども自身びっくりしている様子だった。

3   目隠し書きの効果
 
 『空書き』『指書き』は書いた結果が残らないが、失敗書きを気にすることなく練習できる。
 反面、『目隠し書き』は、失敗書きすることがあるが、書いた結果がはっきりと残るという利点がある。失敗書きといっても、目をつぶって書いているので、愛敬ですませて失敗で失望するということがない。
 どちらも
┌──────────────────────────────────────┐
│           文字をイメージして練習する                                        │
└──────────────────────────────────────┘
という点では、表裏関係にある練習方法と考えられる。
 ひらがな指導に、TOSS(向山)式漢字習得指導法に加えて「目隠し書き」を導入したことで、子供たちに次のような学習効果が見られた。
┌──────────────────────────────────────┐
│ ・  形に、より注意をはらうようになった                                      │
│ ・  特に線と線の交点のポジションにこだわるようになった                      │
│ ・  自発的に再挑戦を繰り返す子どもが増えた                                  │
│ ・  ひらがな学習に積極的になる子どもが増えた                                │
└──────────────────────────────────────┘
 なお、目隠し書きは二画以上で交差する線のある文字(す・お・か・き・け、など)の時が効果的であると考えられる。

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口の形を正しく(口形指導) 

これは以前に雑誌投稿した原稿である。
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2年生1学期「お口の体そうしてみよう」
   口の形を正しく(口形指導) 
                            札幌市立ひばりが丘小学校         大谷 和明

1 「話すこと・聞くこと」指導が始まる

 国語科では、新学習指導要領による授業を進めることができることになっている。低学年段階では話すことの初歩段階として、口形指導をしっかりしておくことが大切である。同じく、正しい発音をしっかり聞き分ける力も要求されてくるのである。
 ともすると無味乾燥な指導となりそうな口形指導であるが、楽しみながら授業を展開するようにすると子供たちものってくる。

2 ドレミファかえうたをうたう

 模造紙に大書きした阪田 寛夫の「ドレミファかえうた」を掲示する。
『今日は、この詩を使って口形練習してみるよ。』すでに読み始めている子供がいる。
『まず、ゆっくり先生の後に続いて読んでみましょう。』
 タイトルからメロディーはつけずに模範読み(口形が分かるように)しながら連れ読みを進める。『ドレミファかえうた』「ドレミファかえうた」『はじめは ふつうに うたってみよう』「はじめは ふつうに うたってみよう」(中略)『たいへん上手に読めましたね。では、ドレミのところはそのまま歌ってみます。』
『はじめは ふつうに うたってみよう』「はじめは ふつうに うたってみよう」『♪ドレミファソラシド ドシラソファミレド』「♪ドレミファ・・・・」
 階名視唱の部分は、音の伸び縮みを取り入れたりしながら、変化をつけてみると楽しさが増す。
3 バリエーションを変えて

『上手にできましたね。では、最初は男の子が、歌のところは女の子が歌ってみることにします。』「(男)はじめは ふつうに うたってみよう」「(女)♪ドレミファソラシド ドシラソファミレド♪」(笑い声が起きる)
 男女・班ごと・指名などフルーツバスケット方式でいろいろな人どうしで読みと歌のかけ合いをしてみると楽しい学習活動として行うことができる。他にも詩を創作してみることもできる。

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教科・教科外学習から総合的学習へのアクセスポイント

以下は、過去に発表した論文である。

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「教育技術研究」第8集
特集総合的学習と二十一世紀型の授業像を探る
3 教科・教科外学習から総合的学習へのアクセスポイント
(4)理科   理科は「アリの巣型」アクセスを

1 総合へのアクセスは理科が最多?!

 総合的学習のプラン作りをしてみたり、紹介される実践提案の数々をみていて思うことは、
┌──────────────────────────────────────┐
│ 理科には総合へのアクセスポイントが無数と思えるほどある                                 │
└──────────────────────────────────────┘
ということである。
 ただし、条件がある。それは、
┌──────────────────────────────────────┐
│     プランニングのアイデア次第                                              │
└──────────────────────────────────────┘
ということである。
 アイデアの数もさることながら、アイデアの質に左右されることが多いと感じている。
 最近私が立案したプランに、「希少種保護の環境学習」(授業づくりネットワーク誌’99年9月号の依頼)がある。
 現在、地球上では未曾有のスピードで種の絶滅が進行しているのだが、これは過去5回の大きな絶滅を凌駕するものである。
 しかもその原因は人類がもたらしたことであることがはっきりしている。
 世界はカオスの時代を迎え、あらゆる方面・分野でボーダーレスがしかれるところとなった。教育界もまた「総合的な学習の時間」を創設するにいたったのは、時流というべきであろう。
 これがつまり「横断的・総合的な学習」ということになる。
 理科は指導内容の関連が算数同様に、系統化されて来たことで、学年間での指導のつながりを他の教科よりも意識的にもつことができた。
 しかし、これはアプローチに過ぎなかったと言える。いわば、
┌──────────────────────────────────────┐
│   系統とは枝わかれを持つ単線軌道                                            │
└──────────────────────────────────────┘
だった。
 アクセスという概念は双方向性を持つ。
┌──────────────────────────────────────┐
│ アクセスポイントとは出入り口である                                          │
└──────────────────────────────────────┘
 これまでの「単線型軌道的」系統発展とは明らかに異なる。それは、
┌──────────────────────────────────────┐
│   「アリの巣型複線」的系統発展                                              │
└──────────────────────────────────────┘
と言える。
 これまでの理科の教科内だけの系統発展を平面的に捕らえるなら、これからの理科と総合的学習とのつながりは、立体的に捕らえていかなければならないだろう。
 インターネットのホームページ上がそれぞれ複雑にリンクしているのに似てくるものと私は考えている。

2 「児童の興味・関心」の引き出しが鍵

 これまでの教育課程編成が固定的なものだったのは、教科テリトリー・領域テリトリーのように枠組みがはっきりしていたからである。
 「アリの巣複線型」を意識した教育課程編成や総合的学習の単元づくりは、
┌──────────────────────────────────────┐
│ 他学年を通した一括編成も考えられる                                          │
└──────────────────────────────────────┘
のである。
 今回の学習指導要領では、二学年通しによる教育課程編成を可能としているが、おかしなことに理科ははずされている。あくまで学年内処理というイメージである。
 読者諸氏には今一度、A~C領域と各学年内の学習内容を一覧にし、内容関連を洗い出しする作業をしていただきたい。
 学年を横、学年間を縦と見ると、それぞれに内容的に関連づけられることが多いことが分かると思う。
 4年の光電池をみる。3年の光・日なたと日かげ・乾電池と豆電球とが教科内関連である。総合へのアクセスポイントと見ると、エネルギー・環境問題教育との関連が見えてくる。
 代替エネルギーとくくると、風力・波力水力・原子力・地熱等々へと広がることが考えられる。
 風力発電を見ると、おのずと天気の影響(つまり理科)へと戻ってくるだろう。ただし「天気の変化」は5年の内容である。
 天気の変化は気象衛星を使うことで、かなり正確にトレースすることができるようになったし、予報精度も伸びた。
 大気のダイナミズムを空気の対流として見ると再び4年の内容へとつながっていくだろう。
 地熱発電にしても、当然ながら火山に関する学習が伴ってくる。これは土地のつくりとでき方(6年)につながり、余熱利用を引いてくると植物の季節の変化(4年)や温室栽培(発芽から結実~5年)、環境との関係(6年)・・・と、字句に起こすことがまどろっこしいほど、さまざまなアクセスポイントをもつことが分かる。
 ただ、どんなアクセスの可能性が示されていても
┌──────────────────────────────────────┐
│ 子どもが興味・関心を抱かなかったら断線状態と同じである                      │
└──────────────────────────────────────┘
ということだろう。
 今回の学習指導要領では理科の二学年通し指導は見送られたが、学校の独自性や創造的な人間の育成を本当に考えるのなら、理科に関してもダイナミックな教育課程編成が可能となるようにするべきである。

3 プランナーの知的好奇心

 冒頭に述べたことに戻るが、総合的学習へアクセスしていくには、
┌──────────────────────────────────────┐
│       プランナーのアイデア                                                  │
└──────────────────────────────────────┘
が必要条件である。そして、子どもたちの知的好奇心を高めていく指導もまた必要条件である。それは理科だけではないこともまた自明のことである。

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飛躍を生む指導~その2

私の読書雑記のさらに続き
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【飛躍を生む指導-前まわりができる】P.35
 鈴木式の指導原理で前回りを指導した例。

(1)前まわりは三歳の子供にもできる大変やさしい簡単なことである。
(2)しかし正しく前回りができるというのは決してやさしくはない。・・あるスピードをもって、ころころ自由に回転させるまでには相当な練習がいる。
(3)正しい姿勢が崩れないように矯正する。(この部分大谷が要約記述)
(4)回転後の姿勢がすぐ次の動作に移れるようになる。
(5)連続回転に進む。
(6)基本ができているから早く要領をつかむ。
(7)一回転で立ち上がったり、二回転で立ち上がったり、三回転で立ち上がったりする。
(8)何回か連続して正しく立ち上がれるようになる。
(9)連続回転にリズムとスピードがでてくる。
(10)マットをとり直接床の上で最初の前回りから練習をやり直す。
(11)どこでも痛くない回り方を自分で発見させる。
(12)マットにかえる。マット上でのまわり方がさらに上手になる。
(13)床の上で連続回転をする。マットで連続回転をする。
(14)マットでも床でも同じ用になるまで練習姿を矯正する。
(15)マットなしでも立派に連続回転ができるようになる。
(16)とび箱の頭をとり、その上で台上前まわりをする。
と、以下、順次台上前転づくりへと発展していくことになる。

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飛躍を生む指導

私の読書雑記の続き・・・
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【飛躍を生む指導】P.34
 教材の与え方とその指導方法について鈴木先生は次のように言われる。
「・・初歩は初歩なりにできればよいなどと考えることがすでに最初の失敗である。子供たちが簡単に真似ができる最初の一歩から力の育成を目指して、真似だけで終わらせず、反復練習とその矯正を行い、その中から力をつくりださなければならない。
 箇条書きにすると次のようになる。

① 極めて少量のことから始める。
② それを自由自在になるまで訓練する。
③ 自由になったものを立派に矯正する。
④ 力が育ってくるのを注意する。
⑤ 少量新しく加える。(ただし同じ程度のもの)
⑥ でき上がる速度が違ってくる(才能が始まる)
⑦ 前のものと新しいものと二つを訓練する。
⑧ 前のものをますますよくする。新しいものを立派に矯正する。訓練をやめない⑨ 前のものがますます立派になる。(才能が育つ)新しいものが立派に自由になる。⑩ 第三のものを与える。(程度は同じ)
⑪ 能力が増しているからできあがる速度が一層短縮される。(短縮がなければ力は増していない、訓練不足の証拠)
⑫ 第一、第二、第三を訓練する。
⑬ 第二のものが第一と同じくらい立派になる。
⑭ 第三をよく矯正する。
⑮ 第一、第二がますます立派になる。(才能が育つ)
⑯ 第四を与える。(ここで少し程度をあげる) 能力を育てる訓練のあるところには必ず能力の飛躍が始まる。飛躍の始まらない教育は失敗である。この能力の飛躍を認識して、これに適した教材の飛躍を行う。 これを知らない指導者は伸びる力を伸ばすことができない。子供の能力の伸び方は、指導者の能力の高さに比例する。」

 以上が鈴木鎮一の落後者をつくらない指導理念の要点である。

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反復練習の意味

以下は、私の「読書雑記」に記されていたものである。
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【反復練習の意味】P.31
 反復練習を、程度の低い学習方法のように考えると、これは大変な間違いです。「繰り返しによって上達する」というのは、「条件反射」という、大脳の生理的な神経系の基本的な法則でもあるわけで、新しい行動を繰り返してやることによって、まったく新しい神経の結びつきが、大脳の中に生まれてくるのだと言われています。何事も反復練習なしでは身についた能力とはなりえません。
 小学校1年生でひらがなを習い始める時、これこれの字を練習するように家庭学習をだすことがあります。この時子供たちによく理解させてださないと、たくさん書いてくることがよいことだと誤解されて、乱暴な字を何ページも書いてくる子がいます。義務間での繰り返しは、文字を書くことへの嫌悪感と下手な文字を繰り返し書くことによって、下手な文字の習慣をつけてしまうことになります。
 鈴木先生はこういわれます。
「能力は・・・訓練のあるままに育つものである。よい能力を育てようとするなら、正しくてよい訓練を行わねばならない。よく子供を叱って育てる親がある。そこには、〈叱られる能力〉が生まれて、叱られることに大して、なんらの感覚も感じなくなっていく。すると親はさらに強く叱らなければならなくなる。・・・〈叱られる能力〉はさらに強く成長し、手に負えなくなってしまう。
 訓練のないままにすててあるものは退化する。能力を発揮する道具(脳)は生き物である。その発育に必要な栄養は訓練である。生き物である以上栄養を与えないでいつまでもすてておくと、衰弱していくことは当然である。」

まとめ  
① 正しい訓練をしなければ、正しい行動の仕方は身につかない。
② 訓練をしないで放っておくと、その機能は退化する。

 訓練とか練習とかをもっとも排除すべきものとして立ち上がった創造美術教育(創美)の北川民次氏は言う。
「習う聖心こそ創造的精神です。どうして訓練がいけないのですか。見方によって、教育とは元来訓練であるともいえます。」

 田中茂樹(『落伍させない教育法』の著者)は言う。
「抑圧を開放(となっているが-解放-の間違いではないか?大谷)し精神を自由にしてやれば、子供たちは立派な絵が描けるようになるというのです。しかし、抑圧の開放ということは容易なものではありません。ひとつの抑圧が開放されると、それがまた新しい抑圧となってしめつけてくるからです。しかし、一般的には先に記述したように、子供たちが喜んで絵を描くようになる最初のところで満足して抑圧の開放ができたと思いこんでしまったようです。・・・次つぎと新しい課題抵抗を与えて、それに進んで立ち向かい克服しようとする精神を育てることこそ創造性の育成です。ここに訓練がなくてはならないのです。・・・・・反復練習とは、同じものを機械的に何回も繰り返すということではなく、いろいろな場で、論理としては、ひとつのものを、具体的にはいろいろな形で、何回も行動させるということです。」

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2005年11月 6日 (日)

北見・大森アカデミー参加記

北見の赤十字看護大学の立派な演習室を会場として第4回大森アカデミーに参加してきた。講師の大森修氏は、法則化発足当初から精力的に活躍されている新潟の教員である。現在、公立小学校長である。

先月は、札幌での累積科学国語研究会の第10回記念研究会にやはりメイン講師として来札されていた。いつもいつも学ぶことが多い方である。

今回の学びを紹介すると・・・(  )内は大谷が補足したもの

・(子供の)事実が見えないから(教師の)対応ができない

・性行不良に対峙できない(教師が多い)

今回もまた参加記念に大森先生のご著作『校長の「責任」とは何か』(明治図書)を購入し、表紙裏に一筆書いていただいた。

(大谷さんに共感しています。 大森 修)と記されていた。

ここのところ『心を育てる学級経営』に学級づくりで書かせていただいている拙論に、共感していただいている様子なのである。ありがたいことだ。

同じく教育現場での厳しい状況に対峙していくことに連帯感をもってくださるということである。

今回も数多くのことを学ぶことができた。厳しい旅程で伺っただけのことがあったと感じている。

DSCN1058

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2005年11月 4日 (金)

言語教育技術学会に向けて

鍛国研空知ゼミの同志、柳谷さん(岩見沢市立美園小学校)が来年3月の言語教育技術学会で提案模擬授業をすることになった。学会会長の市毛勝雄氏(前早稲田大学教授)が、検定外教科書(もちろん国語科)を編纂され、その教材を使って模擬授業をすることになっている。

読む・書く(説明)教材で「委員会活動から」という題材名である。簡単に言うと、図書委員会の活動を紹介する説明文を書かせる教材である。

私の提案授業は「書くこと」を目指して行ったものであるが、柳谷さんは「読み」中心で教材文をリライトさせるというものである。今日は、その模擬授業対決ということであったが、「書く」VS「読む」では、土俵が異なるのでいまいち焦点を絞りきれない対決であった。

そもそも柳谷さんの模擬授業を鍛える趣旨で行ってきていることなのだが、はたして3月の学会ではどうなることやら・・・(^_^;)。DSCN1054 DSCN1048

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2005年11月 3日 (木)

引用の授業

過日、国語の研修会に参加し「引用の模擬授業」提案をしてきた。講師には、大森 修氏と宇佐美 寛氏であった。宇佐美先生がいらっしゃるなら「引用の授業」をしようとかねてから考えていた。なぜなら、宇佐美氏は、著書の中で、小中高と引用の授業をされてきていないという趣旨のことを書かれていたからである。

提案の意味合いはともかくとして、やることに意義があると考えていたのだが、授業後に受けた指摘ではまだまだ不備があるということがよくわかった。私の授業は、感想文という媒体に本文から引用しながら文章を綴らせるというものであった。

宇佐美氏から玉葉を拝受した。関係部分を紹介する。

(以下、宇佐美氏の文章)引用がまさに必要(注;強調点が打たれてある)であるようなコミュニケーション関係を設定すべきでしょう。例えば、他の人に正確に報告する・相手に証拠をつきつけて(引用は証拠です。)批判する・・・等のコミュニケーションです。必要感が有るからこそ学習するのです。(紹介終わり)

引用の必要感を持たせた上で授業を行う・・これが新たな課題となった。感謝。DSCN0724

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2005年11月 2日 (水)

 これは、1999年に研究集団「ことのは」のサークル集録に依頼されて投稿した原稿である。 本来の枠囲み部分を(==  ==)で示してある。 ********************************

「礎石」4月号 第1特集 検証「論破」の授業          '99.2.28                         検証 「論破」の授業① 

「論破」は討論の先にある 

大谷 和明(道央フリートーク)

※道央フリートークは、現在は「TOSS/FreeTalk」として発展して活動している。

1 私の授業実態

 今回は理科の授業場面を用いて論稿を進めることにする。 6年の最後は、国語~社会~理科~家庭が相互に連関しあって、地球環境問題について多岐にわたり学習する単元構成となっている。 理科では「自然と人間」である。 昨今の環境問題の世界的なクローズアップからして、意義ある学習内容であると私も考えている。 その教科においてもたどり着くことは、

=============================== 地球環境を構成している一員としての人間の位置付けと取り組みの重要性==================================

ということにつきるようである。 そこで、私はバランスド・アクアリウム(下図参照;注 図版のために省略してある)を用いて、その中は地球の環境下そのものであるというところに気づかせようと次の発問をした。

================================ 発問1 この魚は生き続けられますか?================================

この発問に対する反応が論破につながるには、まったくもってお粗末な状態であった。 6年の終末期にしてこれじゃあ・・なあ・・とガックリだった。こうだ。

《肯定=生き続けられる=派》

・魚くらいならえさには困らないだろう。

・プランクトンは勝手に増えていくから、エサはなくならない。

・魚は空気を吸って生き続けられる。

・水草が酸素を出してくれるから生きられる。(これは、さらに発展が期待できる考えなのだが、続く意見が出てこない・・・)

・魚が出した二酸化炭素を水草が吸収して、替わりに酸素を出してくれるので、死ぬことはない。

 対する反対派は・・・・

《否定=生き続けられない=派》

・この空気にある酸素がなくなれば、死んでしまう。

・エサのプランクトンを食べ尽くすと餓死してしまう。

・病気になってしまえば、死んでしまう。(この仮定法意見「もし~ならば・・」 というもの。小学生ではすぐに意見を戦わせる場面で生じてくる。)

・魚が巻き貝にぶつかって死んでしまう。家では金魚が2匹、それで死んでいる。(これでは、説得力がありゃしない。爆笑で終わり・・・)

・水草を食べてしまえば、食べるものがなくなるから死ぬ。

2.討論に導くために不足していることはなにか?

 それは、

================================= 知識である。=================================

 この授業に来るまでに、5年生からの学習事項が十分に定着しているのならば、反対派への反論ができるはずである。 この学習で期待する内容は、

=============================== 個体維持に必要な要素はなにか?===============================

ということである。

 具体的にいうと、

============================== ① 呼吸に必要な酸素をどのように獲得することができるか? ② 肉体維持のための食物をどのように獲得することができるか?===============================

の2点である。

 まず、この問題点に着目できていない子供が結構いたということ。これが大きな問題点である。 新学習指導要領下では、向山式(といってたぶんいいだろう)理科『飽きるだけ体験させる学習展開』が注目されてくるのではないかと、私は考えている。 飽きるだけ体験させることで、論を組み立てるだけの経験知識(実際に操作してみた中から得られた知識というのは、文献や受け売りの知識とは異なって、個人内では、十分に咀嚼(そしゃく)されていて、なかなか強固なものである)が蓄積されるからである。 今回の学習内容に関する予備知識としては、次のことが生かされるべきである。

==================================

a 植物の光合成

b 有機栽培にみる土壌改良(生物を積極的に使い、化学肥料に頼らない本来の農業 生産法)

c 動物・植物の呼吸作用==================================

 しかし、発問に対する考えは、どれもこれも、一義的で表層的なものばかりであった。これでは、討論以前の話である。

 呼吸と炭酸同化作用を関連づけて述べられた意見が出た時には、「さ~すが・・」「な~るほど・・」という声が出ていたのだが、食物連鎖に関する部分に問題の目が行かなかったのが事実である。 これでは、個体維持の条件がそろわない。

3.豊かな経験の蓄積を求めて

 討論に導くために必要な知識でも、とりわけ

================================= 経験に勝る知識なし・・の知識。論述者にとって説得力のある知識=================================

が燃えるような討論場面には必要であると考える。

 ここでいう経験を更に分けると、次の2つになる。

================================

・実体験を伴うこと。 「大造じいさんとがん」で、がんがハヤブサに戦いを挑むとは、どれだけ果敢な挑 戦であるかが実際場面を想定することができる人は、強力は論破の力をもつことにな るだろう。

・準体験(間接体験)によって、実体験を補うこと。 がんとハヤブサの体の構造や動きについて、図鑑・標本・視聴覚教材などか ら予備知識を得ていると、戦いの場面での残雪の部の悪さが分かるだろう。=================================

 国語の読解学習では、できるだけ具体的に状況把握ができるよう発問に工夫をこらすのは、だれもが考える拠り所としての経験を導くための準備であると言える。 「やまなし」で、『小川の深さは何cmか?』や、「ごんぎつね」で『ごんが置いていったくりやまつたけは、何個くらいか?』などの野口主宰の発問の背景もここにあると私は考えている。 しかるに、私のとった発問は、子供たちの経験(学習経験ももちろん含む)を十分に導くものではなかったわけだ。

DSCN0916  もっと別なアプローチがあれば、同じバランスド・アクアリウムの想定でも討論を起こすことができたかもしれない。 そして、「生き続けられる」派の論破の論述も、はるかに高いものが期待できたかもしれない。 とにかく、私にとって、討論の授業を組み立て、さらに「論破」の意見を応報させるような授業は、ま~だまだ先にあるな・・・というのが現在の実感である。

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「総合的な学習の評価」をどうするか

DSCN0828 特集1 「総合的な学習の評価」をどうするか     大谷 和明(TOSS/FreeTalk)  ※ これは法則化北海道 宮永正行氏(現秩父別小)が発行していた『北の大地』という学校づくり研究会冊子へ2002年(平成14年)に投稿したものである。***************************************

【タイトル】塚を立てられるかどうか、だ

1.旅になぞらえる

 とにかく、学習活動がスタートする。道程が長いか短いかは別として、出発する。 問題はその時に気づかれているか、気づいていないかである。何が?か。

============== 到着地と旅程が明確であるか==========

ということだ。 到着地とは「目標」であることは、誰もがわかる。 旅程とは何か?それは、到着地までの行程で立ち寄られる宿場や塚である。 つまり、自分が現時点で全行程のどこに位置しているかを把握できる指標である。 なんでもありの総合では、スタートはあってもゴールがさだかではないし、まして、行程のチェックということもできない。「活動あって指導なし」と同じ状態で、子どもに残せることが期待できない。 「総合的な学習の時間」の評価をどうするか?の答はここにある。

2.ショートプログラムは技能鍛錬の時間とすべし

 本校の「総合(総合的な学習の時間をそのままこう呼んでいる)」では、年間20時間程度は、朝の帯時間(15分×2日)を「Lタイム(ラーニングタイムの略)」として、国際理解教育の一環としての英語学習をすることにしている。ちなみに残りの3日間は基礎・基本の学力定着強化の時間となっている。低学年は国語と算数を指導することになっている。) 英語学習は基本4活動として、遊ぶ・歌う・交流する・応答するの4つをする。 総合的な学習の時間でなんで英語を勉強させる必要があるのか?という保護者がいる(教師ではないのですぞ?!)ので、学校教育説明会でその必要性を説明している。 本校では地域的に英語を学ぶ必然性のある土地柄ではない。(もっとも、多くの学校が同じようにそうなのだろうが・・) そこで13年度から招聘して交流しているALTとの交流学習を英語学習のメインに位置づけて、そこへ向けての英会話学習をショートピッチで進めていくということである。 毎週2回の英会話学習のうち「えいごリアン」のようなテレビ(ビデオ)学習、英語の歌や朝の健康チェック、そしてミニゲームなどをやっていればすぐに終わってしまう。不足は他の教科授業の中でも英語を取り入れて進めていき、とにかく英語に慣れ親しむ環境の元に子どもたちを招き入れることである。 ALTさんがやってきて交流するのだが、1日に1学年との交流をすることにして、1時間は学級との交流(ちなみに本校は1学年3学級)をし、3学級で3時間、1時間は学年集会としてみんなで交流活動を進める。これだけでも丸1日日程を満度に使い切ってしまう。事後として本年度はビデオレターをグループごとに作って送ってみてもらった。 学級・学年集会での交流はとにかく英語オンリーでいく。そのためには、国語で進めるところの言語活動例にあるような学習活動を英語で行うのである。

3.単元設計や評価計画は登山計画を立てるようなもんだ

  基本4活動の中の「交流する・応答する」ことのウエイトが多くなる。 今回来てもらったALTさんはインド系カナダ人の男の方で、奥さんが札幌出身ということもあってとっても親しみ深かった。(余談ながら・・) さて、子どもたちは活動グループに分かれていて、次のような活動をしてきた。

======================

① 歌のグループ(歌の練習や呼びかけをメインとする)

② 質問グループ(ALTさんにみんなを代表して英語で質問する)

③ ゲームグループ(フルーツバスケットを英語でやってみた)

④ 全体進行係(総合司会である)

====================== 

これらの活動を支える英語の力を自ら身に付けていくことが、今年度4年生たちの課題であった。 具体的な最終目標や具体場面の青写真をみんながもつことができたので、「本番でどんなことができていればいいのか?」ということを一人一人がイメージすることができた。そこにむけて、日々の練習や準備活動を進めていけばよかったわけだ。 総合では英語に限らず、目標・目的はなんで、そこに至るまでにどんなことができている必要があるのか、どの時点で自己評価チェックをいれるか、ということを評価に盛り込んでいけばよい。 漫然と教師の指示で動き、結果が身に残らないということであると「活動あって指導無し。よって何も成果なし」という結末になってしまう。 どんな単元設定でも、このような細かいステップを示し、チェックできるような指導計画と評価計画を持つことが活動に弾みをつけ、子どもたちへの「生きる力」を保障していくことになるものと考えている。

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2005年11月 1日 (火)

解体6年担任一週間後の児童感想

五年生からの持ち上がりで、4学級から3学級に解体編成となった学級を持ったときに、一週間後に私への感想を書いてもらったことがあります。

冷やかしに読んでいただければ、私のムードがわかるかと思います。

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DSCN0940 児童氏名は伏せてあります。

六年生を一週間送って・・ ☆
 このタイトルで短作文を書いてもらった。おもしろいものもある。まずはどうぞ
《KM》うちのクラスの担任の先生の名前は、大谷先生です。大谷先生はとても親切な先生で、勉強をとても熱心に教えてくれます。特に算数をよくわかるように教えてくれます。
 先生は物を粗末にする人がきらいです。特に食べ物を投げると本気で怒ります。こわいけど良い先生です。先生の言うことを聞く、けんかをしない。勉強をがんばる。修学旅行で失敗しないようにがんばります。
《SK》ぼくは、大谷先生はどんな先生なのかなあと思っていました。勉強をやってみたら、とてもわかりやすかった。大谷先生は怒るとこわいけど、普段の時はとてもやさしくておもしろいです。
 ぼくの卒業までの決意は、友達となかよくすることと、友達をたくさんつくることです。あと、勉強も算数がにがてだから、算数もがんばりたいと思います。
《MY》ぼくが6年生になって、教室は6年2組になって、担任の先生が大谷先生だった。とてもやさしくて、とてもいい先生だ。それに教科書の問題がわかんないこともすらすらできる。
 そして、友達もできた。とてもうれしかった。
《SM》6年2組になって、先生は大谷先生です。大谷先生は怒るとこわく、やさしいとこもあります。1年間よろしくおねがいします。
 6年になると卒業です。最後の学年なので、1年生の御世話はがんばってやります。6年生は修学旅行があります。6年には、最後の行事もあります。卒業式もがんばります。
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    ここまでお読み頂いて、どんなことを設問として作文されたものか、想像がついた
ことかと思います。
    ①  大谷への感想
    ②  卒業までの決意
  というものです。(大谷)
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《OR》ぼくは、最初あった時、こわい先生だなあと思って、ちょっと緊張したけど、初めて授業をした時、教え方もうまいしやさしい先生だったので、ちょっと安心しました。これからも先生と勉強をがんばろうと思います。
 ぼくは、最高学年になって2つのことをがんばろうと思う。まず、一つは、勉強のわからなかったことを家で必ず復習をするといことと、もう1つは、友達などにやさしくしようと思います。これからはやったことのないことを進んでチャレンジしようと思います。
《IT》大谷先生に最初会った時は、こわそうな先生だったけど、やさしい先生でよかったと思います。勉強もうまく教えてくれてとてもいい先生だと思いました。これからもどうぞよろしく御願いします。
 ぼくは卒業までしっかり勉強をして、そして、1年後には立派な卒業生になるようにがんばろうと思います。卒業まで運動会や学習発表会などいろいろありますががんばりたいと思います。勉強もむずかしくなってきますが、がんばりたいと思います。ぼくは、1年後立派な卒業生になるためにがんばりたいと思います。
《TY》ぼくは春休みやさしい先生がいいなあ~と思っていた。そして、学校にいった時、体育館で先生の発表の時、6年2組は大谷先生だった。こわそうだなあーと思った。4年生の時、1回授業をしに来たことがあるから、そのときこわいなあーと思ったから、大谷先生ときいた時、だからこわいな~と思った。(これは、星野先生の学級に授業をしにいった時のことでしょう。「ごんぎつね」の授業でちょっとおじゃましました。=大谷=)けど、最初の授業の時、全然こわくなかった。授業がおわったら、すぐ水のみや中休みをとってくれるからいい先生だなーと思った。
 ぼくは、5年生のころ、算数がむずかしかったので、6年生では、算数をがんばろうと思っている。そして、6年生で一番がんばろうと思っているのは水泳です。
《TK》おもしろいとこもあるけど、こわいとこもある。前の先生よりノートの使い方がむずかしくなった。感想を書く時、時間が何分とか決まってて、その時間が早すぎて感想が書けなかったりするけど・・
 私は卒業までに勉強を集中してがんばる。1年生の世話や委員会もがんばりたい。(もうすでに、2組の飼育委員の人たちには、かなり働いてもらっています。ありがたいことです。そのせいで、Kくんが委員長に立候補して、見事に当選しました。=大谷)
《TK》私ももう6年生です。もう、小学校生活も最後です。今、がんばろうと思っていること。5年生の時、がんばりきれなかったこと、合わせてがんばっていきたいと思っています。
 私は6年2組になりました。担任の先生は大谷先生です。いつもはやさしくて、おもしろい先生ですが、怒る時は怒る、というけじめのある先生です。
 私はとてもいい先生だと思います。
 次に、卒業へ向けての決意ですけど、最初に書いたこと。そして、やることはちゃんとやる!ということを、がんばろうと思っています。
《HY》私は6年生になって、初めて男の先生にうけもってもらうことになりました。先生はちょっとこわいけど、勉強がてきぱき進ませる先生なんだか、やる気がでてきます。これが先生のいいところ。
 そして、6年生になっての決意、何事もあせらず、みんなと仲良くするのが、私の決意。
《KS》6年生になって、もう4日たつけど、まだ6年生になったような気がしません。昨日、初めて大谷先生がおこったところをみて、びっくりしました。
 6年生では卒業までけんかをしないようにしたいと思います。
 これから1年間、よろしく御願いします。
《IT》4月6日は新しいクラスの発表だった。私は6年2組になった。前の中のよかった友達ともなれたし、あとは担任の先生だけ気になった。着任式で、担任の先生が大谷先生だった。1組も3組も5年生の時の先生で、みんなはうれしそうだったけど、私は、持ち上がりだった前の先生でもいいのにな・・」と思ってました。
 次の日、初めて1年生の御世話をすることになった。紙芝居をしてあげようと思って放送室に行ったら、かみしばいがなくて、自分立ちで考えて、遊んであげました。2時間目、6年2組の初めての授業は、算数でした。今までの先生と教え方が全然違っても、分かりやすかったです。お母さんは、これから先生達のよさがわかってくると言ってました。(こういうさりげないバックアップは感謝申し上げます。とかく、「1年間辛抱しましょうね・・」とか、「ま、交通事故だと思ってあきらめましょう・・・」とか「あの先生は、どうしようもないねえ・・」なんて調子で学級崩壊を招いた例(というかこの場合は、招かれたというべきでしょう)を随分見聞していますからねえ。やっぱり、学校と家庭の連携というのは、昔からの形にもどるべきだと私なんぞは、思いますね。やたらと人権とか平等とかが言葉じりだけ先行している様子があって、それも誤解されたままで流布していることで、子どもも教師もゆがめられていることってのは、たくさんあります。=大谷=)
 もう6年生、学年で1番上なので、この1年間を大切にしたいと思います。
《KK》最初に大谷先生と知ったのは、掲示板に大谷と書いてあって、
「ハ~」
とため息を立てました。でも、樋口先生がきて、
「あれ。」
と思いました。
 でも担当は大谷先生で、
「な~んだ。」
と思ったけど大谷先生は、楽しい先生ときき、
「イエ~イ」
と思ったけど、お母さんがわすれものに厳しいときいて、
「エ~」
と思ってしまったけど、いい先生でした。
 卒業するまで注意したいことは、先生の話をきいたり、国語の漢字もきれいに書きたいと思います。
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  と、まあ、こんな調子で続いています。

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