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2005年11月22日 (火)

『海外旅行で鍛える』(再読)

※これまた国語科教育研究会の同人誌へ投稿した原稿である。
                              '97/12/7
『海外旅行で鍛える』(明治図書 教育新書)再読    大谷 和明(道央フリートーク)

1 「ソビエトの『未来』と日本の『現在』」より
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│日本人の国際感覚の貧しさがよく言われるが、所詮それは「井の中の蛙」だからだ。│
│広く見て自分を知らねばならぬ。小迫団長が「日本を出なければ日本の屋根は見えな│
│い。外に出て日本の屋根を見てこよう」とあいさつされたが、ことばの重さを感じて│
│いる。p.51                                                             │
└──────────────────────────────────────┘
 『日本の常識、世界の非常識』とは、竹村健一の言葉である。日本のアホさ加減がいろいろな面で露呈されているが、これはとりもなおさず日本の教育の賜物である。欲の皮がつっぱった官僚や政治家、これを利用しようとする財界人、まともに批判行動を取れない哀れな国民・・・みな、これまでの日本の教育環境の中で育てられてきた人々である。さらに、市民性が著しく欠如している未成年者、20才の子どもに象徴される精神的に未熟な大人・・私にとってはどれもこれも腹立たしい連中ばかりなのだが、彼らは今現在、教育されている最中の者たちである。
 本著を読むということは、こんな危機的世情に立って、私たち教職員のあり方を見直す機会ともなる。

2 「日本の英語教育への疑問」より
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│(前略)言語教育の根本は、その言語力を日常の中に活用できるという実用性にある。│
│外国語教育はもっと会話に力を入れなければならない。-あるいは国語教育も、もっ│
│と音声言語の教育に力を入れなければならないのではないかと考えさせられた。   │
│p.58                                                                   │
└──────────────────────────────────────┘
 現状の中学英語のテキストを見ると、私たちが学んだ時代の文語調から口語調~会話主体へと変わっていることに気づく。主宰の先見の明ありといったところだ。
 「教え方教室」やセミナー、その他論文などの向山氏の言説の中でも、小学校英語の導入について力説されていることであるが、国際化には、英会話の力が必要であることは明白だろう。
 転じて、言語教育としての国語教育についての主宰の視点は、「教室音読」の実践・提案ですでに明らかにされてきている。
 『言語とは、意志伝達の道具である』と、私は自分流に定義している。
 道具である以上使い方によりその効果の如何が左右されるのは当たり前のことである。道具の使いこなしとは、技術のことである。
 日本語の教育をすすめる国語教育で、技術的見地の導入を図っているのが、言語技術教育であるのは、みなさん周知の通りである。
 その急先鋒が野口主宰なのである。
 あらためて「言語教育としての国語」を意識させられたところである。

3 「どこも清潔できれい」より          
┌──────────────────────────────────────┐
│  教育の「限界」を感じる前に教育の「可能性」を信じて、子どもを耕さなくてはい│
│けないと考えさせられた。(中略)子どもと根比べをするつもりで辛抱強く教育しな│
│ければ、教育は実らない。                                                   │
│  教育とは安易なものではないはずなのだ。本来、教育される者よりも、教育する者│
│に苦労が多いはずなのだ。p.71                                           │
└──────────────────────────────────────┘
 現状を嘆き、憂うだけではなんらの進歩も向上も期待できない。
 アクティブ、ポジティブを売りにしている法則化であるが、来年の道央フリートークは更に一歩進んで、
┌──────────────────────────────────────┐
│                      サークルのプロアクティブ化                           │
└──────────────────────────────────────┘
を図っていこうと思う。
 巷間、不況を反映してか教員志望者が増えているが、なかなかなれないのが現状である。そんな中で、教員として勤めていることができるのだから、「さすがだなあ・・・」「憧れるなあ・・・」と思われるような仕事ぶりを示していくことが、私たちには必要なのではないだろうか。しかしながら、「なんであんな人が教師をしているんだろ・・・」なんて陰口をたたかれている者もいるのだということも意識しておく必要がある。
 法則化教師は、教職現場のオルガナイザーである意識も忘れたくないものだ。

4 「こまごまと教えられている」より         
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│  幼稚園児の絵画の精密さに驚いた。細かな筆づかい、丹念な彩色、性格な描写、一│
│体どこからこういう力がつくのかと不思議に思った。                           │
│  その謎がわかった。何でもないことだ。絵のかき方を教わっているのだ。もみじの│
│葉のかい方、鳥のかき方、靴のかき方、大きく3~5段階に分けてその形のとり方が│
│プログラムされ、ちょうどレッスンのようにして絵を完成していっている。(中略)│
│  私はつねづね、私の図工教育には「活動があって指導がない」と反省していた。し│
│かし、何を指導するのかわからない私には、手の出しようがなかったのだ。p.72│
└──────────────────────────────────────┘
 この部分を読んで、「これは酒井式を指向していたようだな・・」と感じた。
 この後約四半世紀を経て、主宰は酒井氏と出会ったのである。感慨もひとしおのことかと思う。

5 「実力主義の社会と再履修制度」より        
┌──────────────────────────────────────┐
│(前略)スイスでは本人の力に合った人生の選択こそが最もよいことなのだと考えら│
│れており、コース相互間の優越や蔑視は全くないとのことだった。               │
│・・つまり、日本ではやはり学歴がひとつの無形資産になるのに対して、スイスでは│
│本人のその仕事に対する実力だけが資産であるということだ。p.94           │
└──────────────────────────────────────┘
 いまや日本も学歴偏重時代から、実力主義の時代へと変わってきている。こんな混迷の時代を生き残るためには、やはり自分の力量を高めておかないといけない。 教員だって「親方日の丸」的考えでは勤まらなくなってきている。閉鎖的環境の象徴だった学校は、どんどん「開かれた学校」となっているし、学校・教師への信頼度はかなり怪しいムードに変わりつつある。国鉄・電電公社・専売公社・林野庁・郵政省・・と、いつ公立の学校形態が変わるか分からない時代となった。

6 「1年生でも文字がびっしり」より         
┌──────────────────────────────────────┐
│(前略)英語の武藤先生に啓発されたことだが、国語教育は結局、作文指導の徹底と、│
│多読による語彙の拡充をしてやればよいのではないか。(中略)野口国語の体系づけ│
│てみるようなプランをそろそろもたなくてはなるまいと考えたりもした。p.98 │
└──────────────────────────────────────┘
 ちなみに旅行当時の野口主宰の年齢は、私と同じ39才である。なんという違いか?!とあらためてその偉大さに畏敬の念を抱かざるを得ない。初め、本書を見た時はその文体といい、内容といい現在の主宰の書かれるものと同じなので、つい最近にお書きになったものとばかり思いこんでいたのだが、当時の年齢を知るにいたって驚きを禁じ得なかった。こういう人こそ「四十にして惑わず」事を為せるのであろう。ううむ・・

7 「あとがき」より             
┌──────────────────────────────────────┐
│        読むことは、人を豊かにし、                                         │
│        話すことは、人を機敏にし、                                         │
│        書くことは、人を確かにする。                                       │
│ということを言った人があるそうですが、実践をくぐらせることは人を誠実にすると│
│いうことを加えるなら、「豊かで、機敏で、誠実で、確かな」人たちばかりが法則化│
│運動に参加していることになります。p.252                               │
└──────────────────────────────────────┘
 私もその一人であることを自戒しつつ、これからも主宰・法則化に学んでいこうと決意を新たにした次第である。

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