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2005年12月

2005年12月21日 (水)

「個性重視」の教育言説を疑う

これは以前に雑誌に投稿した論文の一部である。
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 特集
  「個性重視」の教育言説を疑う
基礎教養の習得と「個性重視」は矛盾しないか

1 総論では矛盾なし・・だが・・

┌────────────────────────┐                          
│  基礎教養の習得と「個性重視] は矛盾しない     │                         
└────────────────────────┘                          
 これが私の結論である。
 ただし、それは総論としてである。どの領域・教科を基礎教養とするかという各論では、矛盾を感ずることがある。
 昔から言われる「読み」「書き」「ソロバン(計算)」部分を基礎教養とみなすならば、生活上での必修の教養事項として必要であろうし、基本的な能力としてなら、個性を配慮する必要がないだろう。したがって、矛盾することはない。昔の寺子屋方式がそうだった。
 しかし、それら以外の教育内容・活動については疑問を呈したり、矛盾を感じることがある。
 図工や音楽は技能面を鍛えるということを除けば、一人ひとりの感性の影響下にあることだから、それを基礎教養としてよいことなのかどうか。
 一応私が基礎教養とする範疇は、基本的には読み書きソロバン部分ということである。
 ましてや、「心の教育」で再び道徳教育の強化がさけばれているが、その道徳教育、とりわけ「道徳の時間」指導を基礎教養とすることの是非は、ずいぶん昔から論議されてきていることであり、未だに解決がつかないことである。
 そんな中で、日経連セミナーの席上で梶山官房長官が「戦後日本の教育は産業界の下請け機関だったのではないかという気がする。」(八月七日付け毎日新聞)と述べ、戦後教育が経済的価値を優先してきたことを批判している。
 没個性・画一教育として推進されてきた戦後教育を見直し、行政側からも積極的に、個性重視の教育を推進しようとする大きく胎動を始めたの感がする。

2 現場では個性を念頭に置いてきた

 子ども達一人ひとりの違い、それを個性の違いととらえ、それに基づきながら学習指導方法について種々実践研究を進めて来ているのが、現場の研究であるはずだ。
 これまでに発表されてきた実数は正確にはカウントできないほど、たくさんの研究成果が発表されてきているのである。
 「個性を重視することが基礎教養の習得の妨げになるか」と訊かれると正直、私たち現場人が取り組んで来たこと取り組んでいることに疑問を投げかけられる格好で、いささか居心地が悪い気がする。
 教育とはそもそもが、自己意識の変革を伴う行為である。
 自己否定・自己の既存意識の破壊、そしてそれに伴う再生・改善・向上・創造への繰り返しが「成長」であり、この中で個性が強固に形成されていくものだと私はとらえている。
 そのことがよく言われる「個性の伸長」ということだと解釈している。
 本稿に与えられたテーマを考えるに当たっては「個性重視」「個性尊重」の違いについて、まず触れる必要がある。

3 「個性重視」「個性尊重」の違い

 この二つは、私の意識の中では、次のように分けてとらえられている。
┌──────────────────────────┐                      
│ 「個性重視」→積極的に個性を生かそうとする指導姿勢│                      
│ 「個性尊重」→個性をつぶさないようにする指導姿勢  │                      
│ (指導の配慮姿勢)                                │                      
└──────────────────────────┘                      
 しばしば、両者を同義でとらえられる向きがあるが、私の中でこの二つは「ノット・イコール」の関係である。 本項テーマを次のように命題変更してみる。
┌──────────────────────────┐                      
│ 基礎教養の習得には「個性重視」をするべきではない  │                      
└──────────────────────────┘                      
 この命題なら非難・批判にさらされることは必至である。
 なぜなら、個人としての人格や学習権を否定するようなニュアンスがあるからだ。
 私たち現場教師は、個性を尊重するからこそ、教材研究では子ども達の違いを考慮しながら、指導方法も工夫しているし、評価についても検討している。
 また、個性を重視するからこそ、どの子も学習の主体者として満足いくように授業運営についても検討しているのだ。
 学習の主体者をやがては、生活の主体者へと導くために必要な基礎教養を習得させるべく、私たち教師は努力を払っているのである。
 「個性重視」が基礎教養取得に矛盾をもたらすのであれば、一体私たちの行為にはどのような価値があるというのだろうか。

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教師の教育課程編成能力

 これは以前に雑誌へ投稿した原稿である。結果的に教科書の2年間分先渡し措置というのが後に実現したので、やや先見があった内容なのかもしれない。
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特集 問われる教師の教育課程編成能力
                             複式教育的教育眼の効果

1 複式教育に当たれ

 二学年を見通した教育課程編成と聞いて、私が真っ先に思い浮かんだことは、
┌───────────────────────┐                            
│  複式教育にあるじゃないか                    │                           
└───────────────────────┘                            
ということだった。
 私は、新卒五年間を複式校で過ごしたので、そのことをすぐに思いついたのだと思う。
 また、現在、複式校に勤務されている方々には、別段色めき立つようなできごとではないだろう。
 特に、完全複式校(複式三学級。つまり1-2・3-4・5-6年のセット)では、すでにAB年度式の教育課程をもって実施していることだろうから、これまでの編成の実績を使っていけばよいのである。
 逆に、都市部の方々にとっては、何をどうすればよいのか、処々の悩みがあることと思う。
 だから、「複式校の教育課程編成を参照せよ」といいたい。
      
2 行政にお願いが・・・

 複式に準じて教育課程編成をするとなると当然必要となってくることがある。それは、
┌───────────────────────┐                            
│  2年間分の教科書の一括配布                  │                           
└───────────────────────┘                            
ということである。
 これがないと「複式式教育課程編成」がうまくいかない。なぜなら、1年生に2年生教材をもってきたり、2年生に1年生の教材をもってくる組み替え編成ができないからである。
 教科書を使わない方針であればよいのだが、教育現場には、なかなかその余裕がない。というか、教科書を積極的に使ってほしい文部省サイドとしてはそれくらいの配慮が当然必要になってくるだろう。(この原稿執筆段階では、そのような情報が私には得られていないのだが、すでにそういう施策が取られていたとしたら、不明をここでおわびしておく。)

3 生活科と社会科との連関に配慮せよ

 社会科では三・四年セットが提示されている。
 これまでもそうだったように、社会科・生活科とも子どもの社会認識を育てていくために、体験学習を重点的に行ってきている。
 どこの学校でも「見学学習(現地学習)」を実施していることと思う。
 これまでは、学習内容にあるから見学施設に行かせていた~というような教師サイドよりの実施意識だったと思う。
 これからは、
┌───────────────────────┐                            
│  アグレッシブな学習の必要性                  │                           
└───────────────────────┘                            
が求められてくる。つまり、教師がお膳立した見学コースに子どもを乗せていくというのではなく、子どもの学習の中から発展として見学要求が出てくることが考えられる。
 従来だったら、年間計画にないからということで、事前に用意されていた見学学習しか実施しなかった実情が、これからは掘り起こしたニーズに応える見学学習を用意する必要性が高まることと思う。
 これを称して「アグレッシブな学習」と私はいっている。4 アグレッシブを支えるマネージメ  ント 生活科で行動的に学習することを身につけた子どもたちに、社会科でも同じような学習の場を提供しようとするなら、それなりに時間の捻出が必要になってくる。どうするか?
┌───────────────────────┐                            
│時間と内容を圧縮するのである。                │                           
└───────────────────────┘                            
 「廃棄物処理」に関してなら、ゴミか下水処理かのどちらかを選択するという、選択幅が広がることによる圧縮ではなく、
┌───────────────────────┐                            
│   行事化による時間の圧縮                     │                           
└───────────────────────┘                            
である。
 これまでも、運動会や学習発表会、遠足などの学校行事では、その中に教科時数を組み込みして教育課程編成をしていたところが多いと思うが、それは時間の帳じり合わせであることが多かった(はずである)。そこに、
┌───────────────────────┐                            
│        実質を伴わせる                        │                           
└───────────────────────┘                            
ことで、時間と内容の両面を圧縮できるのである。
 これまでの「遠足は遠足」「教科学習は教科学習」という時間の取り方をせずに、『遠足の中で有効に学習活動を進める』ようにする。
 社会科内容(3)に関しては、次のようなローテーションが考えられる。
 〈1年目〉   〈2年目〉
  遠足A  ⇔  遠足B  
 上水道     ゴミ処理場  
 電 気     下水処理場   ガ ス
 これを更に、学習学年を単一学年だけでなく、隣接学年同士で同時に行おうとすると、
┌───────────────────────┐                            
│    運営スタッフが倍増する                    │                           
└───────────────────────┘                            
というメリットも生まれる。そうなれば、当然、
┌───────────────────────┐                            
│子どもの選択希望にも叶えられる                │                           
└───────────────────────┘                            
ということである。

5 「五分間スキル」の構想
 国語科では、能力目標(話すこと・聞くことができる~書くことができる~読むことができる〉を明確に示されている。
 およそどのような能力も日々の鍛錬なくして身につけることはできない。 そうなれば、この教材・この単元で集中的に指導して目標達成を図るということが難しくなってくる。だから、
┌───────────────────────┐                            
│  継続学習のスキル化が必要                    │                           
└───────────────────────┘                            
となるだろうと私は考えている。
 一2年合わせて五百五十時間あまり各五分として、二千七百分ほどの時間が提供されている。2年間で六十時間ほどである。新しい時代では、この細かい時間をどう有効に使えば、学習効果をさらに高めることができるかという手腕が求められてくることだろう。
 中学年社会科では、「地域社会」を学習フィールドにすることが明記されているのだから、これからは、これまで以上に地域そのものを学習の場とするよう教育課程を編成する必要があろう。

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1単位時間の「常例」規定は必要か?

これはだいぶ以前に学習指導要領の改訂期を迎えるに当たって、雑誌へ投稿した論文である。
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 平成八年度教育課程改定の動きを追う

6 現場からの提言・学習指導要領のここが不要だ
                                       

3)一単位時間の常例規定は不要だ

                                                              札幌市立信濃中学校
                                                            大谷 和明
1 常例時間以外は「異例」なのか

 ぜひとも言わせてもらいたいことは
┌───────────────┐   
│一単位時間の「常例」規定の撤廃│   
└───────────────┘   
である。
 かつて、教育課程研修集会に参加した時にも参加者(現場教員)と行政側とで常例時間に関わる論争があった。
 そもそも「常例」と規定されると、それ以外の時間設定は「異例」ということになる。
 知識・理解を重点とする旧来の学力観のもとでは、学力と時間(量)と結びつける傾向があった。時間をかければ学力も上がってくるだろうというわけである。
 しかし、かける時間にどこまでも比例していくものではないことは誰しもが分かっていることである。ましてや小学校では小学校一年生(六才)から小学校六年生(十二才)までの幅がある。
 小学校一年生を担任した時、とても四十五分を一つの教科にセットすることが難しいと感じた。子どもはもたないし、飽きるのである。
 「国語の時間に物語の絵を描くとか物語に出てくるお花を観察するために校庭に出かけるとか、合科的な活動をするといいですよ。」という助言をいただいたことがあった。
 授業の乗りが悪くなってきたら、体を動かしてみたり、歌を歌ってみたりする。どこの現場でもそのような学習活動をしているのではないだろうか。
 そうした中で、「常例」にこだわりをもつことはもはやナンセンスであると思うのだが、どんなもんだろう。
 昨今、「新学力観」が言われるようになり、ようやく知育偏重の教育からの脱皮が始まっている。これは、
┌───────────────┐ 
│  「量」から「質」への転換    │ 
└───────────────┘ 
が求められているのだと思う。
 現行の指導要領では、常例以外の設定条件を二つ掲げている。
┌───────────────┐ 
│ ・ 年間授業時数の確保        │ 
│ ・ 適切な計画の立案          │ 
└───────────────┘ 
 さらに前提条件がある。
┌───────────────┐ 
│  教育効果を高める指導方法を工│ 
│ 夫する                        │ 
└───────────────┘ 
 これだけの条件をクリアできるなら一単位時間はこだわりませんよというわけだ。学ばねばならない学習内容が決まっているので、常例時間で行かないと消化できないだろう・・とでも言わんばかりである。ここに、ゆとりを標榜していながら、実際にはゆとりがない原因がある。
 だから、ゆとりを生み出すためには単位時間プラス学習内容の削減のセットが必要となってくる。

2 わずか五分で大きな違いが・・

 「常例」と規定されると教育課程編成も「常例」に従うようになる。ここに、常例規定を撤廃し、四十五分(かつてはこれが常例だったのだが・・)で一単位時間を取ると、次の時間が捻出できる。

 一週三十単位時間があるとして、毎時間五分の時間が浮くので、一週間で
                        5×30=150 分(二時間三十分)
つまり、一週間で三単位時間分の時間が浮くことになる。
 六時間授業の日では下校までの放課後活動に三十分のゆとりが生まれる。 一日三十分・一週三単位時間の余裕は大きい。
 「やらねばならない」ことに追われしかも、放課後にゆとりがないというのが、学校現場の現状である。
 教師も生徒にもゆとりがない状況の打破の糸口のひとつがここにある。

3 「常例」撤廃を支えることは

 学校五日制の完全実施に向けて四週五休から四週六休へと移行しようとしている。
 行事の精選の名前のもとに随分と有意義で子どもたちが望んでいた行事が消えていった。これは、
┌───────────────┐ 
│ 授業日数が減っても、学習内容が│ 
│ 減らずに年間授業時数を確保せね│ 
│ ばならない矛盾の結果生じた現象│ 
└───────────────┘ 
である。しかも、学習状況は過密にならざるをえない。そんな状況では、
「常例」の撤廃はさらに難しくなるだろう。
 したがって、従来にもまして学習内容の見直しや削減が必要となってくるだろう。
 教育行政には現場の声をもっと反映して欲しいと感じる。

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子供のストレス

これは以前に雑誌へ投稿した原稿である。

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1 人的環境ストレッサーの存在

 学校内でストレスを生じるのは、ほとんどが、
┌───────────────────────┐                            
│            対人関係                          │                           
└───────────────────────┘                            
においてである。
 物的環境よりも人的環境にストレッサーを持つことは、子どもも教師も同じだ。
 近年、子どもの自殺者も教師の自殺者も増加している背景には、学校内での人的環境がストレッサーとして働いている照査ではないだろうか。

 2 児童間における意外なストレス

 私の学級の子どもたちを対象に、ちょうどよい機会だったので、ストレスに関する調査を行ってみた。いずれもごく簡単な質問紙法である。
 私が強くストレスを感じるであろうと予想していたことは、以下のことである。

〈対人場面では〉
A 嫌いな人(ちょっときつい表現だが)と共同学習を余儀なくされた時 
〈学習場面では〉
B 嫌い(苦手も含めて)な学習の時
〈時間拘束では〉
C 勉強時間が伸びた時

 Aは、「強くそう思う」と感じた子どもが75%、「まあ思う」を含めると81%という数値だった。これは、しかたのないことである。大人でも同じである。
 しばしば私たち教師は、使命感から『友達同士仲良くしなくちゃ、だめじゃないか・・』という指導をしがちである。わからないわけではないが、人間界には難しい注文であると言わざるを得ない。私たち大人には「嫌いな人」はいないのか?といえばそれはまずないであろう。子どもとて、うまの合わない”友達”だっているのが、当たり前である。片方でも両方でも、とにかくうまく避けて、事なきを得る生活を送るから表面上は問題なく過ごせるのである。 余談だが、私は『嫌いな人がいて当然。しかし、嫌いだからといって、その人の足を引っ張るようなことをしてはいかん。』という指導をとる。
 行動をこそ指導していくのであり、聖人を育てる心の教育をしようなどとは到底思わない。
 さて、この設問に関連して「人にいやなことを言われたとき」という問いには、「強く」「まあ思う」合わせて85%のストレス値を示したのだが、興味深いには、「人にいやなことをしてしまったとき」という立場逆転の設問でも、64%のストレス値を記録したことである。
 エンドルフィン・アドレナリンなどの脳内ホルモンの話題が盛んだったころ、いじめをする方にもマイナス作用のホルモンが分泌されるのだ・・・ということだったが今回のアンケートをみて、実際に子どもたちが受けるストレスにも、その傾向に合致した結果がでたことは、思ってもみないことだった。
┌───────────────────────┐                            
│ストレスも「天知る。地知る。」様に心身内部に影│                           
│響を及ぼすものなのだ。                        │                           
└───────────────────────┘                            

3 作業学習に感じるストレス

 五年生になり、家庭科が始まった。
 「どの教科にストレスを感じるか?」という設問で18%の子どもが家庭科を上げていた。裁縫実習をわずかに始めたばかりなのであるが、ちょっと驚きである。
 「玉結び」「波縫い」「玉止め」程度のことしかしていないのだが、その程度のことでも強い障害感を抱いているようだ。
 『不器用』といってしまえばおしまいなのだが、家庭内で針を持つ事はまずないし母親が針仕事をしているのを見た事がないという子どもも多い。 続いて12%の子どもは「図工」を上げている。
 こちらは「酒井式」で改善を図る手だてがあるが、家庭科での「裁縫」「調理」のストレスをどう払拭していけばよいのかが私の大きな課題である。

4 現代っ子気質の象徴?

 以上述べてきたことは、『内部ストレッサー』の「心労的刺激」と呼ばれることである。これに「身労的刺激」も加えて設問したなかで、興味を引いたのは、次のことであった。
「朝食を取らずに学校にいるとき」あまり・全然思わない・・・73%「寝不足で学校にいっているとき」強く・まあ思う・・・・・・79% 実際、朝食抜きで登校する子どもは多く高学年に移行するほど顕著となる。そして食生活が不規則になっているのと同様に、夜更かし・睡眠不足を感じる子どもも増加してくるものである。
 「朝に起きる事ができないから朝食を食べる時間がない」というよりもむしろ、「朝食を食べる時間を惜しんで睡眠をとっている」という実態の方が、観察していて多いように感じる。
 どうも、現代人の悪しき生活習慣がそのままスライドして子ども時代から始まっているようだ。
「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」 こんなあたり前の事が、今は昔の格言となってしまうのだろうか。

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ピンチ 私はこうして切り抜けた

これは以前に雑誌へ投稿したものである。
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ピンチ 私はこうして切り抜けた
札幌市立ひばりが丘小学校 大谷 和明 

 いろいろな場面でピンチは訪れるものだが、本稿では授業場面に絞って、私のピンチ脱出法を述べることにする。

1 教師は持ちネタを持つべし

 屋外体育の予定が雨天で、できないことがある。雨天用に屋内での裏番組は考えていない。
 そんな状況は、よくあるのではないだろうか。
 そんな時、私は決まってなわとびをすることにしている。
 なわとびは、私の持ちネタである。子ども逹と比較すれば、まだまだ私の方が上手に飛べる技が多い。
┌──────────────────────┐                               
│「持ちネタ」だから子ども逹よりも上手をいかな│                              
│ければ、指導の効果が弱いのである。          │                              
└──────────────────────┘                               
 子どもたちは現金なもので、「口先体育」では、まじめに動かないものである。教師が手本を示すことができる場合、子どもたちは技に憧れ、挑戦心をくすぐられ、同時に教師に対して権威を感じるようになる。
 とりあえず、これをすれば全体が整然と動くことができる。しかも、学習感を持たせられるという持ちネタを持つことを勧める。
2 縄跳びの効用 縄跳びの場合、活動スペースが少なくても、十分な運動量が確保できる。グランド活動は合同体育でたくさんの子ども達が出ていることが多いが、省スペースという点では屋体での縄跳びはそれに十分対応できるものである。
 ちなみに、縄跳びをする場合、きちんと整列させ、交代で跳ばせる人がいるが、その必要はない。 私の学校の体育館は、全校児童約八百名弱が集合すると満杯になるくらいの狭いところだが、縄跳びをする場合には整列させない。 私の学校では、一学年百二三十人はいる。それでも大丈夫だ。
 それは、
┌──────────────────────┐                               
│勝手に自分の跳ぶ場所を確保してから跳ぶ      │                              
└──────────────────────┘                               
ことにしているからである。
 一見乱暴な感じがするが、これで混乱したことは未だにない。整列すると省スペースどころか、無駄な空間ができてしまうからである。無駄な分演技待ちを余儀なくされる子どもが出てしまうのである。3 プログラム化された動き

 突然の縄跳びでも、混乱なく動かせることができるには、訳がある。それは、
┌──────────────────────┐                               
│共通理解された合図がある                    │                              
└──────────────────────┘                               
ということによる。
 例えば、笛を短くピッと吹いたら教師の方を向いて、その場に安座(体育座り)をし、リズム太鼓(チューナブルタンバリン)のテンポに合わせて跳び、ピーッと長く笛を吹いたら、教師の回りに集合する・・などの決まりがある。 ちなみに、私は体育館の中央サークルに常駐し、そこで演示したり指導言を述べたりする。
 子ども達の練習中には、体育館中を歩いて個別指導をする。(リズム太鼓を打っているので、口は自由に動かせるわけだ)
 この決まった合図というのは、低学年ほど集団学習の場面では、必要かつ重要なことである。
 子ども達が動きに迷いを持ってしまうと混乱が生じるばかりで、教師は大声を出したりどなったりする状態に陥る。授業パニックである。
「これをすれば、こうする」「あの合図がでたから、あれをやればいいんだ」という決まりごとが子ども達に理解されていることは、とても重要なことである。
 これは、持ちネタと同じで体育に限らず、色々な教科での指導場面で生かせることである。
 結局、私の場合、ピンチを切り抜けるための布石を、日頃から打っておく・・というのが、切り抜け法ということになる。

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体内時計の進み方

これは昔、6年生を担任していた時に、卒業アルバム用に寄稿した短作文です。

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  体内時計の進み方
六年三組担任 大谷 和明 

私は今年で教師生活二十年を迎えた。
 大学卒業時の年齢が二十二才だから、ほぼ二倍の時間を経たことになる。
 これまでの時間の経過をじっくりと考えてみて、驚くべきことを発見した。それは、
┌─────────────────────┐                                 
│    時間の経過が年々はやくなっていく     │                                 
└─────────────────────┘                                 
ということである。
 小学校時代を思い出す。起床から登校までに時間が結構あり、学校で過ごす時間はさらに登校に要する時間の数倍あった。したがって、学校での生活時間は随分と長かった(と感じていた)。
 さらに帰宅してからの遊び時間は、その学校生活時間に匹敵するくらいのながさがあった(ように感じられた)。
 これが中学~高校~大学と進学するにつれて、徐々にではあるが短くなってきていた。それだけ充実した生活を送っていたと言えないこともないが、どうも物理的に少なくなってきているような気がしてしかたない。
 極端にいえば、「浦島太郎」の時間経過に近づいていっているのだ。
 老婆心ながら、みんなにも卒業にあたって、忠告しておくことにしよう。

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冬休みの様変わり

これは今回発行した私の「学校だより」原稿です。(駄文(^_^;)

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冬休みの様変わり
                          総務 大谷 和明

 私が子供の頃は、正月の三が日は多くの店舗が年始休業で、街中はわりと静かであったと記憶しています。従って、家で正月番組を家族と観ているか、それに飽きると近所の子供同士が集まって、かまくらづくりやそり遊びなどをして、有り余る時間を消費していたものです。それとて、やはり三が日は、堂々と友達の家に押しかけるようなことがないように、親たちから指導されていました。したがって、自然発生的に集まるべき場所に集まってきていたという感じです。
 車社会が普及し、それに合わせるように郊外型の大型店舗が続々出店するようになってきたあたりから、この様相に変化が訪れたように思います。私感を述べます。

 その1 子供にも深夜族が増えてきた

コンビニエンスストアに象徴される深夜営業と同様、大晦日の夜半から元旦にかけて営業するお店が増えてきています。カウントダウンセールのように大勢が繰り出して、正月気分を味わうようになってきました。自宅でほのぼのとした家族の団らんが減ってきているように感じます。同じく、深夜の初詣には親に連れられた幼児がたくさん目に付くようになってきました。

 その2 子供の所持金が多くなってきた

 バブル期の前後から子供の消費額がどど~んと増えてきたように感じます。私らの頃には1000円を超える場合は、結構勇気がいることでしたが、このごろでは平気に万札が飛び交っていると感じるのは私だけでしょうか。この不況下にあってもこの時季、子供関連商品のコーナーは大にぎわいです。しかも、物に変わらない消費も増えてきています。簡単に申せば、ゲームセンターやゲームコーナーでのコインゲームです。金を出さねば遊べない子供は、社会が創り出しているといってもいいでしょう。

 その3 元日からの買い物が増えてきた

 正月休業なんて言ってられない・・とばかり、ここで儲けずしてどこで儲ける?!とでも言いたげな様相です。そのうち、銀行や証券会社のような金融会社も元日営業する日もやってくるのかもしれません。

 その4 軽薄なバラエティ番組が増えてきた

 正月らしく越天楽のBGMやお琴の雅やかな調べとともに、インテリジェンスの高い正月番組はいまやどこに切り換えてもなかなか映らない時代です。(スカパーやケーブルTVで専門チャンネルを選ぶしかないご時世かもしれません)お笑いブームが輪をかけて、くだらない受けをねらった程度の低い番組が多くなってきました。(別に正月に限ったことではないけども)そして、その最大の視聴者層がいまやティーンを中心とした若年層であり、子供層であるというわけです。欧米ではTVを子供任せに視聴させることはないということですが、日本はどこふく風・・といったところです。そのくせ、世間の出来事をちっとも知らない・分からないという若者が増えているのは、結局、身にならない低俗番組しか観ていないという証拠でもありましょう。ドリフターズやコント55号がなつかしくなる今日この頃・・・。

 その5 早寝早起きの子供が減ってきた

 ゴールデンアワーがどんどん繰り下がってきて、トレンディドラマは21:00や22:00の時間帯にまでずれ込んできたため、それをリアルタイムで観るとなると必然的に遅寝になってしまう。それがために早起きができないという悪循環のくり返しとなります。ましてや年末年始はオールナイト放送の毎日。
 子供だけではなく、家族みんなで遅寝遅起という生活リズムでは、なかなか正常に回復していくことは難しいことかもしれません。

 も南小の子供たちのすばらしさが新しい年もますます伸ばせていけたらいいなという願いの対極として、ちょっぴり考えてみるネタを配置してみたということです。
 今年もいろいろな面で、保護者の方々には学校を支えていただきました。新年もよりよい年とするよう気持ちを新たにして迎えたいと思います。

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2005年12月15日 (木)

総合的学習と二十一世紀型の授業像を探る

※これは以前に研究冊子に投稿した論文である。
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「教育技術研究」第8集 特集 総合的学習と二十一世紀型の授業像を探る

1 総合へのアクセスは理科が最多?!

 総合的学習のプラン作りをしてみたり、紹介される実践提案の数々をみていて思うことは、
┌─────────────────┐                                        
│理科には総合へのアクセスポイントが│                                        
│無数と思えるほどある             │                                        
└─────────────────┘                                        
ということである。
 ただし、条件がある。それは、
┌─────────────────┐                                        
│    プランニングのアイデア次第   │                                        
└─────────────────┘                                        
ということである。
 アイデアの数もさることながら、アイデアの質に左右されることが多いと感じている。
 現在、地球上では未曾有のスピードで種の絶滅が進行しているのだが、これは過去五回の大きな絶滅を凌駕するものである。
 しかもその原因は人類がもたらしたことであることがはっきりしている。
 世界はカオスの時代を迎え、あらゆる方面・分野でボーダーレスがしかれるところとなった。教育界もまた「総合的な学習の時間」を創設するにいたったのは、時流というべきであろう。
 これがつまり「横断的・総合的な学習」ということになる。
 理科は指導内容の関連が算数同様に、系統化されて来たことで、学年間での指導のつながりを他の教科よりも意識的にもつことができた。
 しかし、これはアプローチに過ぎなかったと言える。いわば、
┌─────────────────┐                                        
│  系統とは枝わかれを持つ単線軌道 │                                        
└─────────────────┘                                        
だった。
 アクセスという概念は双方向性を持つ。
┌─────────────────┐                                        
│アクセスポイントとは出入り口である│                                        
└─────────────────┘                                        
 これまでの「単線型軌道的」系統発展とは明らかに異なる。それは、
┌─────────────────┐                                        
│  「アリの巣型複線」的系統発展   │                                        
└─────────────────┘                                        
と言える。
 これまでの理科の教科内だけの系統発展を平面的に捕らえるなら、これからの理科と総合的学習とのつながりは、立体的に捕らえていかなければならないだろう。
 インターネットのホームページ上がそれぞれ複雑にリンクしているのに似てくるものと私は考えている。

2 「児童の興味・関心」の引き出しが鍵

 これまでの教育課程編成が固定的なものだったのは、教科テリトリー・領域テリトリーのように枠組みがはっきりしていたからである。
 「アリの巣複線型」を意識した教育課程編成や総合的学習の単元づくりは、
┌─────────────────┐                                        
│他学年を通した一括編成も考えられる│                                        
└─────────────────┘                                        
のである。
 今回の学習指導要領では、二学年通しによる教育課程編成を可能としているが、おかしなことに理科ははずされている。あくまで学年内処理というイメージである。
 読者諸氏には今一度、A~C領域と各学年内の学習内容を一覧にし、内容関連を洗い出しする作業をしていただきたい。
 学年を横、学年間を縦と見ると、それぞれに内容的に関連づけられることが多いことが分かると思う。
 4年の光電池をみる。三年の光・日なたと日かげ・乾電池と豆電球とが教科内関連である。総合へのアクセスポイントと見ると、エネルギー・環境問題教育との関連が見えてくる。
 代替エネルギーとくくると、風力・波力水力・原子力・地熱等々へと広がることが考えられる。
 風力発電を見ると、おのずと天気の影響(つまり理科)へと戻ってくるだろう。ただし「天気の変化」は五年の内容である。
 天気の変化は気象衛星を使うことで、かなり正確にトレースすることができるようになったし、予報精度も伸びた。
 大気のダイナミズムを空気の対流として見ると再び4年の内容へとつながっていくだろう。
 地熱発電にしても、当然ながら火山に関する学習が伴ってくる。これは土地のつくりとでき方(6年)につながり、余熱利用を引いてくると植物の季節の変化(4年)や温室栽培(発芽から結実~5年)、環境との関係(5年)・・・と、字句に起こすことがまどろっこしいほど、さまざまなアクセスポイントをもつことが分かる。
 ただ、どんなアクセスの可能性が示されていても
┌─────────────────┐                                        
│子どもが興味・関心を抱かなかったら│                                        
│断線状態と同じである             │                                        
└─────────────────┘                                        
ということだろう。
 今回の学習指導要領では理科の2学年通し指導は見送られたが、学校の独自性や創造的な人間の育成を本当に考えるのなら、理科に関してもダイナミックな教育課程編成が可能となるようにするべきである。

3 プランナーの知的好奇心

 冒頭に述べたことに戻るが、総合的学習へアクセスしていくには、
┌─────────────────┐                                        
│      プランナーのアイデア       │                                        
└─────────────────┘                                        
が必要条件である。そして、子どもたちの知的好奇心を高めていく指導もまた必要条件である。それは理科だけではないこともまた自明のことである。

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2005年12月 7日 (水)

中学生ともなると・・・

※これは以前に雑誌へ投稿したものである。

1 中学生ともなると・・・

 小学校と中学校両方の教師経験から感じていることは、
┌──────────────────────┐                               
│中学生ともなるとかなり大人びた(良く言えば客        │                              
│観的な)ものの見方ができるようになるものだ          │                              
└──────────────────────┘                               
ということである。
 小学校の低学年では、教師対児童個人という一対一の関係の糸がたくさんある状態である。したがって、教師評価には「自分にとってどうであるか?」という視点が中心となっている。
 これが高学年になるにしたがって、教師対児童集団(この場合、よくあるのは仲良しグループの小集団である)の関係が多くなってくる。
 つながりの糸は、数が少なくなるとはいえ、教師にとっては集団内での子どもの意識や子ども同志の関係など見えにくくなってくる。
 そして、中学生となると教師対学級生徒集団の関係が強くなってくる。
 集団づくりを通して、学級経営を展開することが多くなってくるので、このような関係が当然多くなってくる。
 生徒の方も一人ひとりが学級集団の意識を代表できるような状態となってくる。
 だから、一人の意見の後ろには学級全体(あるいは、圧倒的多数)の意見があるものだと教師側はとらえる必要があろう。
 加えて、一人ひとりのものの見方考え方にもかなり客観性がでてくることであるから、一口に教師評価といっても、かなり辛辣で厳しくみることができるのだと、私たちは意識していなければならない。

2 教師からのお願いとして提案する

 生徒たちは通信簿という形で明文化されたものを生徒たちは作りはしないが、日常会話・交友関係の中で、互いの担任を評価しあっているものである。それをあえて、文面に表し、教えてもらうわけだから、
┌─────────────────────────┐                        
│先生にも、ぜひ「担任の通信簿」をつけてみてください          │                        
└─────────────────────────┘                        
と学級全体に依頼する形で提案することを私は薦める。

 3 どのような組織で行うか 二つある。
┌─────────────────────────┐                        
│ア  班長会などの既存の学級組織集団をそのままつかう     │                        
│イ  臨時に「学級担任通信簿」作成プロジェクトチーム          │                        
│  をつくる                                                                 │                        
│ウ  プロジェクトチームにオブザーバー(学級代議員)          │                        
│  が加わる                                                               │                        
└─────────────────────────┘                        
アの利点は、各班の意見集約を取りやすく作業が平常時のように手早く行えるという点である。
 欠点は形式的で無難に終わってしまうことが心配されるということだろう。
 したがって、この組織を活用する場合は評価の観点項目を決定する時にいかに多くの意見を引き出せるかが成否の鍵になる。
 イの利点は、なんといってもノリをうまくつかって、楽しいものができあがるという点である。(原版ではここに写真が挿入されている)
「やってみたい」という意欲が優先された集団だからノリはいい。
 しかし、でき上がりに厳粛さを求めることはむずかしくなる。
 ウは、アとイの折衷案である。ノリの集団に学級代議員として学級全体の代弁者として加わることで「通信簿」の適正が高まっていくことが期待できる。
 いずれの場合でも、集団の質と一人ひとりの判断力の程度といった学級の状態により学級会議で決議されることが望ましいだろう。

4 編集方針を決定する

 どの組織で通信簿を作成する場合でも、
┌─────────────────────────┐                        
│  編集方針がもっとも大切である                                     │                        
└─────────────────────────┘                        
ことを担任も生徒たちも共通認識を持たなくてはならない。
 その際、やはり生徒たちが手にしている通信簿の役割や意義などを再確認することが効果的であろう。
 つまり「通信簿」とは、
┌─────────────────────────┐                        
│①  生活や学習の状態を評価し、                                    │                        
│②  今後の励みとなる                                                   │                        
└─────────────────────────┘                        
指導資料であるということである。
 通信簿を発行する法的根拠はないが、どこの現場でも、このような意義を認めながら、評価・発行していると考えられる。
 二つのうち②の方が特に大事である。
┌─────────────────────────┐                        
│「励みになるように」という意識が欠落してしまうと、             │                        
│欠点をあげつらったり、単なる批判で終わってしまいか        │                        
│ねない                                                                       │                        
└─────────────────────────┘                        
 担任~生徒の間が気まずくなるようであれば、いっそのこと担任の通信簿は作成しないほうが、まだましである。
 また、「相手を温かく見る」という思想は評価の基底となることだから、欠くことができないと私は考えている。
 通信簿作成会が編集方針を打ち出せるならベターであるが、学級活動の中で担任と生徒の話し合いの上で、編集方針が決定されてもよいであろう。

5 記入の際の配慮事項

 学級担任の通信簿には、大きく三つの評価領域が出てくる。
┌─────────────────────────┐                        
│  ①  教科担任としての指導技量                                    │                        
│  ②  学級担任としての経営技量                                    │                        
│  ③  教師としての行動評価・その他                               │                        
└─────────────────────────┘                        
 ①については、一般的な教育技術が出てくる。
 例えば、板書の字の善し悪し・スピード全体のまとまり、話し方のわかりやすさや話す速さ、机間指導での援助の仕方、実験観察での指導・援助の程度などなど・・である。
 これらの項目について、異論をはさむところはまずないだろう。
 また、③についても生徒たちの理想とするところの教師像に照らしみて、どのように自分をみてくれているか興味がわくところだが、大抵のことには意義を申し立てることは起きないだろう。
 問題は、②である。
 「自分はそれほど悪くもないだろう」と思っている教師でも、実に多くの批判評価がでてくることを覚悟しておいた方がよいと思っている。
 好意的評価をしてくれるものについてはうれしい気持ちで読み終われるが、批判評価については、教師と言えども人間であるから、おもしろいはずがない。例えそれが当たらずとも遠からずであれば、愉快な気分で終わるとは考えにくい。
 そのことで、教師と生徒の間に溝を作ってしまっては、せっかくの通信簿が水の泡になってしまう。
 そのため、批判についてはワンポイントアドバイスを書き添えるようなひな形を事前に提示しておけばよいだろう。
┌─────────────────────────┐                        
│○○については、◇◇◇という状況です。△△を☆☆☆      │                        
│のようにしていくときっとよくなっていくことでしょ                   │                        
│う。がんばってください。                                                │                        
└─────────────────────────┘                        
 教師が記入する家庭への通信欄と同じような配慮を生徒たちにも、前もってお願いしておけばよいのである。
 こういうことは、遠慮することはないだろう。
 そして、
┌─────────────────────────┐                        
│    記入用紙は、無記名とする                                        │                        
└─────────────────────────┘                        
ことが肝腎である。
 無記名であるからこそ、忌憚のない意見が欠けるのである。
 生徒たちの本音を訊こうと考えたらやはり「無記名」にしなければならない。

6 教師自身が真摯な気持ちで

 最初に述べたような発達段階を迎えている中学生に対して担任の通信簿を行うなら次の基本的な心構えが必要である。
┌─────────────────────────┐                        
│①  かなり厳しい批判も甘んじて受け入れる心の準備を      │                        
│  しておくこと。                                                           │                        
│②  比較的よい評価でも割り引いた上で受け入れるこ       │                        
│  と。                                                                       │                        
└─────────────────────────┘                        
である。
┌─────────────────────────┐                        
│担任の通信簿は、教師修業の一環として受け取るという     │                        
│姿勢が大事である。                                                     │                        
└─────────────────────────┘                        
『学び続ける教師にこそ、人を教える資格がある』 私自身、この名言を肝に銘じて、通信簿をいただこうと思う。
(原版ではここに写真が挿入されている)

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定期テストに備えて やまカンテスト

※ これは以前、雑誌に投稿した実践原稿である。
  
 定期テストに備えて やまカンテスト  
         札幌市立信濃中学校 大谷 和明

【イントロ】
  定期テストに向けて学級の生徒たちに取り組みの発破をいろいろかけても、のれんに腕押し、ぬかに釘という調子で、さっぱり乗ってこないものである。
 そこで、復習ばっちり・準備は楽勝・テストこいこいという(ほどのこともないか)妙案がひらめいた。名づけて「やまカンテスト」
対象は、小学生から大学生までおよそ試験のある集団に所属している人ならだれでも。

【授業の概要】
  『いよいよ期末テストまであと☆日となりました。テストの準備はバッチリでしょうか。』
「え~?!もうそれだけしかないのお ~!」「テスト、いやだなあ・・・・」
『まあ、たいていの人は直前の三日前くらいから一生懸命やるようですね。もっとすごい人は、前の日にやります。これを称して〈一夜漬け〉といいます。』笑いが起きる。「おれ、いっつもそれだあ。」
『テストの準備というと、用意周到に計画を立てて効率良くテストを攻略する人がいます。その一方、とっておきの秘策でテストを攻略する人もいます。』        
┌─────────────────┐                                        
│その秘策とは、どんなことでしょう?│                                        
└─────────────────┘                                        
「カンニング!(爆笑)」「お前だべや、それ」「おれやんないよ、たまにしか・・(笑い)」「先生にどんな問題を出すのか聞いてくる。」「教えてくれるわけないべや」「ヤマをかける!」
『ピンポ~ン』「ええ~?!」「当たらなかったら?」
『もちろん、おだぶつ。当たるも八卦、当たらぬも八卦・・なんてね。』
「なんだあ~そんなことか。」
『でもね。やまカンを立てるというのは、なんでもいいからでたらめにヤマをはるんじゃないんだね。やっぱり出そうだな・・という雰囲気が分かるからヤマをかけるんです。ということは、出題傾向や頻度がある程度わからなくちゃできません。つまりある程度実力がなくっちゃやまカンは立てられないということです。そこで、8組でもやまカンに挑戦してみようと思います。自分の好きな教科で、これは出そうだなという問題をあさって、テストを作ってみてください。問題のレベルや量は一切作成者に任せます。幸いにして、当たってみんなに貢献したら、豪華景品を先生からあげましょう。はずれでも、問題を作ることで勉強の復習ができるわけですからいいじゃないですか?』
「おれ、やってみるかな。」「先生、僕は理科で作ってみます。」
という調子で取り組んでみた。結構問題は集まり、生徒数分を印刷して問題集として配布した。
中にはばっちり的中というものもあった。学級づくりに一役買う実践ではないだろうか。

【インフォメーション】
  93年、教科研大会の折、授業づくり部会で発表したものだが、参加者の中にも類似の経験をした人が結構いた。それぞれ効果があったということである。やまカンでなくとも問題作成は効果的な学習方法であると考えられる。(元原稿では、ここにサンプルが挿入されてある)
 問題は、記述式をできるだけ少なくしたほうがよい。採点が面倒であるし、解答時間が結構かかるので、学習効果が下がってしまう恐れがある。
 この他に企画したテスト対策の例を挙げておく。おもしろそうなのがあったら、実践してみてほしい。

その1 『対戦型・禅問答』
 「そもさん!」『せっぱ!』
「鎌倉幕府を開いた人は?」『源 頼朝』
「(A+B)2 を展開すると?」『A2 +2AB+B2 !』
班対抗で短時間でできる。テスト前の短学活での実践にどうか。

その2 スリーヒント・クイズ
 「色・・元素・・反応」『炎色反応!』こんな調子で連想クイズのように答えていく。1チーム2人で組んで一人がヒントを出して、もう一人が答えるという具合に進行する。一分間で何問解答できるかを競うとおもしろいだろう。
(元原稿では、ここにサンプルが挿入されてある)

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口の形を正しく(口形指導)

※これは以前、ある雑誌に投稿した原稿である。

2年生1学期
「お口の体そうしてみよう」   口の形を正しく(口形指導) 
札幌市立ひばりが丘小学校         大谷 和明

1 「話すこと・聞くこと」指導  が始まる

 国語科では、新学習指導要領による授業を進めることができることになっている。低学年段階では話すことの初歩段階として、口形指導をしっかりしておくことが大切である。同じく、正しい発音をしっかり聞き分ける力も要求されてくるのである。
 ともすると無味乾燥な指導となりそうな口形指導であるが、楽しみながら授業を展開するようにすると子供たちものってくる。

2 ドレミファかえうたをうたう
 模造紙に大書きした阪田 寛夫の「ドレミファかえうた」を掲示する。
『今日は、この詩を使って口形練習してみるよ。』すでに読み始めている子供がいる。
『まず、ゆっくり先生の後に続いて読んでみましょう。』
 タイトルからメロディーはつけずに模範読み(口形が分かるように)しながら連れ読みを進める。『ドレミファかえうた』「ドレミファかえうた」『はじめは ふつうに うたってみよう』「はじめは ふつうに うたってみよう」(中略)『たいへん上手に読めましたね。では、ドレミのところはそのまま歌ってみます。』
『はじめは ふつうに うたってみよう』「はじめは ふつうに うたってみよう」『♪ドレミファソラシド ドシラソファミレド』「♪ドレミファ・・・・」
 階名視唱の部分は、音の伸び縮みを取り入れたりしながら、変化をつけてみると楽しさが増す。
3 バリエーションを変えて

『上手にできましたね。では、最初は男の子が、歌のところは女の子が歌ってみることにします。』「(男)はじめは ふつうに うたってみよう」「(女)♪ドレミファソラシド ドシラソファミレド♪」(笑い声が起きる)
 男女・班ごと・指名などフルーツバスケット方式でいろいろな人どうしで読みと歌のかけ合いをしてみると楽しい学習活動として行うことができる。他にも詩を創作してみることもできる。

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下の句カルタ 速習法(2)

前のサイトアップの続き・・・

 小 特活     北海道版 下の句カルタ 速習法(2)
自重札を取り入れる
                    札幌市立ひばりが丘小学校   大谷 和明 

1 自重札を取り入れる

 下の句かるたを習得する上での難点の一つが
┌──────────────────────────────┐              
│自重札・半自重札のよりわけ技術の難しさ                      │             
└──────────────────────────────┘              
にある。
 読める・取れる札が増えてきたところで、
┌──────────────────────────────┐              
│ 速習の原則2                                               │             
│ 一人10丁の中に一丁ずつ自重札・半自重札を取り入れて試合する│             
└──────────────────────────────┘              
のが、次のステップである。
 例えば、『今一度のあふこともがな』と『今一度の御幸またなむ』を一丁ずつもつのである。
 全日本の下の句かるた協会の読み方ガイドによると、こうなる。

今一度のあふこともがな・・・い-ま-ひと-た-び~の~伸びが多い。
今一度の御幸またなむ・・・・いま~ひとたびの~つめて読み進める。

 同じように、次のようになっている。

けふを限りの・・・・きょ~お~かぎ~り~の~(伸ばす)
けふ九重に・・・・・きょう、ここのえに~(縮める)

 これらは、ガイドにしたがってあらかじめ試合前に読み違いを教えておいてから、試合を始めるようにする。
 お手つきが増えるがそれが逆に、ゲーム性を高めるもととなって、真剣に札取りをするようになる。

2 五色百人一首にならう

 (1)でも述べたように、東京教育技術研究所発行の五色百人一首のように
┌──────────────────────────┐                      
│     自重札・半自重札を混ぜ合わせながら、          │                      
│    20丁一組として1対1で源平戦をする           │                      
└──────────────────────────┘                      
  ことにより、
┌──────────────────────────┐                      
│    ゲームに緊張感を持たせ                         │                      
│    無理なく札を覚えさせ                           │                      
│    白熱戦が期待できる                             │                      
└──────────────────────────┘                      
  原理を生かして下の句かるたを指導するのが効率がよいのである。

なお、「北海道版下の句かるた」を五色百人一首様に組み直ししたものはTOSS/FreeTalk で開発されている。

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下の句カルタ 速習法(1)

これは、法則化合宿提出用に作成した論文であるが、審査は受けていない。

 小 特活                       
   北海道版 下の句カルタ 速習法(1)
              取り札の裏に読みをつける。
札幌市立ひばりが丘小学校  大谷 和明

0 下の句かるたの難点

 北海道版百人一首(下の句読み・下の句取り)を習得させるには、崩し字と旧かなづかいに対して(ここに札を掲載する)いかに抵抗感を速く取り除くかにポイントがある。
 以下、習得の道を細分化して説明する。

      「ゆくえも知らぬ恋の道かな・・」

1 取り札の裏に「読みカード」を貼りつけるが適当だろう。
┌────────────────────┐                                  
│ 取り札の裏に、その札の読みを書いたカード│                                 
│ を貼りつけておく。                     │                                 
└────────────────────┘                                  
 単純なことである。 カードには、上の句と下の句の両方を記入しておく。ただし、下の句は枠囲みをする。 

 ここに札裏を掲載する(あるいは、字のポイントを大きくして上の句のとの違いを際立たせておく。)

 最初は、裏の方を見て取ることにする。

2 裏表の混在でゲームをする

 下の句かるたの中には、だれもが読める字で始まるものが何枚かある。
 漢字の一番人気は『乙女の姿』である。
 『衣かたしき・衣ほすてふ』『雲井にまがふ・雲がくれにし・雲のいづこに』『我身よにふる・我身一つの・我立そまに』『末の松山』『三笠の山』『松もむかしの』『山の奥にも』『花より・花ぞ』などがある。
 ひらがななら『うしと』『おきまどはせる』『あしのまろやに』『むべ山風』『あまりて・あまの』『いでそよ』『みそぎぞ』『もれいずる月』『いくよ』『ぬれ』『よしの』などである。
 これらは表面を出し、崩し字で読めない札を裏面の読みカードを出して、源平戦で一人5枚~10枚と程度で試合する。
 五色百人一首(東京教育技術研究所発売)でも一人10枚で1対1で対戦するが、この効果は、
┌──────────────────────────┐                      
│いきなり山場から試合が始まるので、最初から盛り上がる│                      
└──────────────────────────┘                      
ところにある。
 3人1組で対戦する百丁勝負での終盤が、いきなりゲームの最初にくるから盛り上がらざるを得ない状況設定となっている。
┌──────────────────────────┐                      
│ 速習の原則1                                      │                      
│   取れる札で少ない持ち札から試合を始める          │                      
└──────────────────────────┘                      

 3 備考

 源平戦は、相手札をとったら自分の持ち札を相手に送り、早く持ち札がなくなった方が勝ちという方式である。
 試合を通して、お手つきや同着(流し札;その札を残しておき、後で再度読み上げて取るということ)のルールを教えていくようにする。

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鍛国研空知ゼミ例会報告

いよいよ師走。今年ものこり2回となった。

今回は、楷書~草書~行書の書体についての授業を行った。

授業展開は、あ・い・う・え・おの草書~行書を読み、漢字に挑戦してみるというもの。

イントロとして、草書読み・行書読みを練習してみた。ここに後の展開での複線がある。

(あい、いえ、うえ、あおい・・・)

何しろ、相手は小学1年生から6年生、その保護者や時として中学生が参加している特殊な例会である。国語の授業修業という舞台である。

さて、漢字は、顔~頭~愛の三文字。

顔・・体の一部です。この説明で初参加の1年生が顔を読み当てた。

頭・・これはどうかな?「つくり」は「頁」と同じです。これまた、子供たちからは頭が出てきた。

問題は、愛。(^_^;)さすがにこれは出てこない。ヒント「みんなもきっとあるよ。」「漢字がわからなくても、読みを書くだけでいいです。さっき、読んだ中(あい)で、出てきたんだけどなあ。」などと言っているうちに、6年生から「愛」が出された。

漢字文化圏では、文字がそのまま芸術になっています。書道は大事な文化です。という主旨の発言をして終えた。

一応、D表用の授業として行い、5分で終えたのである。DSCN1409 DSCN1411

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