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2005年12月21日 (水)

「個性重視」の教育言説を疑う

これは以前に雑誌に投稿した論文の一部である。
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 特集
  「個性重視」の教育言説を疑う
基礎教養の習得と「個性重視」は矛盾しないか

1 総論では矛盾なし・・だが・・

┌────────────────────────┐                          
│  基礎教養の習得と「個性重視] は矛盾しない     │                         
└────────────────────────┘                          
 これが私の結論である。
 ただし、それは総論としてである。どの領域・教科を基礎教養とするかという各論では、矛盾を感ずることがある。
 昔から言われる「読み」「書き」「ソロバン(計算)」部分を基礎教養とみなすならば、生活上での必修の教養事項として必要であろうし、基本的な能力としてなら、個性を配慮する必要がないだろう。したがって、矛盾することはない。昔の寺子屋方式がそうだった。
 しかし、それら以外の教育内容・活動については疑問を呈したり、矛盾を感じることがある。
 図工や音楽は技能面を鍛えるということを除けば、一人ひとりの感性の影響下にあることだから、それを基礎教養としてよいことなのかどうか。
 一応私が基礎教養とする範疇は、基本的には読み書きソロバン部分ということである。
 ましてや、「心の教育」で再び道徳教育の強化がさけばれているが、その道徳教育、とりわけ「道徳の時間」指導を基礎教養とすることの是非は、ずいぶん昔から論議されてきていることであり、未だに解決がつかないことである。
 そんな中で、日経連セミナーの席上で梶山官房長官が「戦後日本の教育は産業界の下請け機関だったのではないかという気がする。」(八月七日付け毎日新聞)と述べ、戦後教育が経済的価値を優先してきたことを批判している。
 没個性・画一教育として推進されてきた戦後教育を見直し、行政側からも積極的に、個性重視の教育を推進しようとする大きく胎動を始めたの感がする。

2 現場では個性を念頭に置いてきた

 子ども達一人ひとりの違い、それを個性の違いととらえ、それに基づきながら学習指導方法について種々実践研究を進めて来ているのが、現場の研究であるはずだ。
 これまでに発表されてきた実数は正確にはカウントできないほど、たくさんの研究成果が発表されてきているのである。
 「個性を重視することが基礎教養の習得の妨げになるか」と訊かれると正直、私たち現場人が取り組んで来たこと取り組んでいることに疑問を投げかけられる格好で、いささか居心地が悪い気がする。
 教育とはそもそもが、自己意識の変革を伴う行為である。
 自己否定・自己の既存意識の破壊、そしてそれに伴う再生・改善・向上・創造への繰り返しが「成長」であり、この中で個性が強固に形成されていくものだと私はとらえている。
 そのことがよく言われる「個性の伸長」ということだと解釈している。
 本稿に与えられたテーマを考えるに当たっては「個性重視」「個性尊重」の違いについて、まず触れる必要がある。

3 「個性重視」「個性尊重」の違い

 この二つは、私の意識の中では、次のように分けてとらえられている。
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│ 「個性重視」→積極的に個性を生かそうとする指導姿勢│                      
│ 「個性尊重」→個性をつぶさないようにする指導姿勢  │                      
│ (指導の配慮姿勢)                                │                      
└──────────────────────────┘                      
 しばしば、両者を同義でとらえられる向きがあるが、私の中でこの二つは「ノット・イコール」の関係である。 本項テーマを次のように命題変更してみる。
┌──────────────────────────┐                      
│ 基礎教養の習得には「個性重視」をするべきではない  │                      
└──────────────────────────┘                      
 この命題なら非難・批判にさらされることは必至である。
 なぜなら、個人としての人格や学習権を否定するようなニュアンスがあるからだ。
 私たち現場教師は、個性を尊重するからこそ、教材研究では子ども達の違いを考慮しながら、指導方法も工夫しているし、評価についても検討している。
 また、個性を重視するからこそ、どの子も学習の主体者として満足いくように授業運営についても検討しているのだ。
 学習の主体者をやがては、生活の主体者へと導くために必要な基礎教養を習得させるべく、私たち教師は努力を払っているのである。
 「個性重視」が基礎教養取得に矛盾をもたらすのであれば、一体私たちの行為にはどのような価値があるというのだろうか。

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