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2006年8月

2006年8月26日 (土)

酒井式批判者に。"かけない"原因

作文指導の本(『”書く力”で子どもを伸ばす』樋口 裕一著 Gakken出版)をみていて、はたと気がついたことがある。次のくだりである。

>小学校の高学年になるころには、完璧な”作文アレルギー”になっています。しかも学校では、しっかりとした文章指導が行われていないのが現実なのです。

これは作文指導の場面についてなのだが、これ以上に図工で絵の指導となると「好きに描きなさい。」というさも良心的に見える助言が横行しているが、描くのが苦手になっていたり、描けない状態の子どもに対しては、突き放されたも同然のことである。樋口氏が・・ぜいぜい「好きなように書いてごらん」というのが関の山・・と指摘するのと同じレベルである。

酒井式は「描画指導法」なのであって、子どもの個性をつぶそうという指導法ではない。描けない子どもに描き方を教える方法を提案しているわけだ。作文指導で書き方を教えることと同レベルである。酒井式批判者は、一体教室での描画指導をどのようにしているのが見てみたいものである。没個性批判のため、「好きに描きなさい。」と言っているわけではないだろう。子どもへの指導法について、「どうすれば描けるようになるのか」「どうすれば描くことが好きになるのか」という土俵上で論議を交わしたいものである。Matti1 Matti2 Matti3

9月9日~10日、旭川市民文化会館にて第18回酒井塾(酒井式描画指導法実技研修会)がある。

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2006年8月21日 (月)

ありがとう!!駒苫ナイン!

ようやく夏の甲子園が終わった。残念ながら駒大苫小牧の73年ぶりの夏大会三連覇はなされなかったが、さすがに王者の試合に相応しい決勝戦をみせてくれたと思う。

悲願の初優勝では、北海道のチームは決して弱くはないということを証明してくれた。昨年の連覇では、強さを証明してくれた。そして、今年の三連覇をねらっての大会では、強さの確信を私たち道産子にもたらしてくれた。延長15回引き分けでの再試合。その再試合でも最終回では1点差に追いつき、簡単には負けない、勝たせないという強さを見せつけてくれた。これは単に「やればできる」というだけで終わらない、道産子メンタリティーを証明してくれたものである。なによりも、前評判通りの三連覇を言葉だけで終わらせず、きっちりと決勝戦まで進出していく本物の強さを明らかにしてくれた。

かつて、北海道は角界へ横綱を輩出しつづけ、相撲王国の名称を与えられていたことがある。今また、高校球界では強い北海道のイメージを全国に形成してくれた。その偉業は計り知れないものがある。

ありがとう、駒苫ナインたちと香田監督。心から感謝のエールを送りたい。

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2006年8月20日 (日)

死闘!!甲子園(駒苫vs早実;決勝)

全く予想だにしなかった延長引き分けによる再試合。

僅差の勝負になるだろうとは予想していたのだが、こんなに白熱した試合はめったにお目にかかれるものではない。これだけでも駒苫の実力のほどがはっきりさせられたと思う。これだけの試合をしてくれただけでも、私個人としては、道産子の粘り強さの自信となったし、郷土の誇りである。

どちらが勝ってもおかしくない決勝戦。両校に熱闘のエールを送りたい。

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2006年8月16日 (水)

ピンチ 私はこうして切り抜けた

これはだいぶ前に雑誌投稿した原稿である。
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ピンチ 私はこうして切り抜けた

札幌市立ひばりが丘小学校大谷 和明  ─────────────── 

いろいろな場面でピンチは訪れるものだが、本稿では授業場面に絞って、私のピンチ脱出法を述べることにする。

1 教師は持ちネタを持つべし

 屋外体育の予定が雨天で、できないことがある。雨天用に屋内での裏番組は考えていない。
 そんな状況は、よくあるのではないだろうか。
 そんな時、私は決まってなわとびをすることにしている。
 なわとびは、私の持ちネタである。子ども逹と比較すれば、まだまだ私の方が上手に飛べる技が多い。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 「持ちネタ」だから子ども逹よりも上手をいかなければ、 指導の効果が弱いのである。│
└──────────────────────────────────────┘
 子どもたちは現金なもので、「口先体育」では、まじめに動かないものである。教師が手本を示すことができる場合、子どもたちは技に憧れ、挑戦心をくすぐられ、同時に教師に対して権威を感じるようになる。
 とりあえず、これをすれば全体が整然と動くことができる。しかも、学習感を持たせられるという持ちネタを持つことを勧める。

2 縄跳びの効用
 縄跳びの場合、活動スペースが少なくても、十分な運動量が確保できる。グランド活動は合同体育でたくさんの子ども達が出ていることが多いが、省スペースという点では屋体での縄跳びはそれに十分対応できるものである。
 ちなみに、縄跳びをする場合、きちんと整列させ、交代で跳ばせる人がいるが、その必要はない。 私の学校の体育館は、全校児童約八百名弱が集合すると満杯になるくらいの狭いところだが、縄跳びをする場合には整列させない。 私の学校では、一学年百二三十人はいる。それでも大丈夫だ。
 それは、
┌──────────────────────────────────────┐
│ 勝手に自分の跳ぶ場所を確保してから跳ぶ                                      │
└──────────────────────────────────────┘
ことにしているからである。
 一見乱暴な感じがするが、これで混乱したことは未だにない。整列すると省スペースどころか、無駄な空間ができてしまうからである。無駄な分演技待ちを余儀なくされる子どもが出てしまうのである。

3 プログラム化された動き

 突然の縄跳びでも、混乱なく動かせることができるには、訳がある。それは、
┌──────────────────────────────────────┐
│ 共通理解された合図がある                                                    │
└──────────────────────────────────────┘
ということによる。
 例えば、笛を短くピッと吹いたら教師の方を向いて、その場に安座(体育座り)をし、リズム太鼓(チューナブルタンバリン)のテンポに合わせて跳び、ピーッと長く笛を吹いたら、教師の回りに集合する・・などの決まりがある。 ちなみに、私は体育館の中央サークルに常駐し、そこで演示したり指導言を述べたりする。
 子ども達の練習中には、体育館中を歩いて個別指導をする。(リズム太鼓を打っているので、口は自由に動かせるわけだ)
 この決まった合図というのは、低学年ほど集団学習の場面では、必要かつ重要なことである。
 子ども達が動きに迷いを持ってしまうと混乱が生じるばかりで、教師は大声を出したりどなったりする状態に陥る。授業パニックである。
「これをすれば、こうする」「あの合図がでたから、あれをやればいいんだ」という決まりごとが子ども達に理解されていることは、とても重要なことである。
 これは、持ちネタと同じで体育に限らず、色々な教科での指導場面で生かせることである。
 結局、私の場合、ピンチを切り抜けるための布石を、日頃から打っておく・・というのが、切り抜け法ということになる。

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がんばれ!!駒苫!

驚異的な粘りをみせて、駒苫が準々決勝に進出することができた。

正直いって、これはダメかもしれないと思ったが、意に反して「王者」の力をみせてくれたわけだ。この大会ではマスコミから、しばしば「王者」という呼称を与えられ、道民として誇り高いものを感じる。かつての道産子球児からは想像することができない。これもまた駒苫の活躍のお陰である。

あいにくと春の選抜はまたまた?!の不祥事で出場辞退ということになったわけだが、もしも出場していたら現メンバーで闘っているわけだから、夏・春と連覇していたかもしれない。返す返す不祥事発生が残念である。

「王者」と呼ばれるに相応しい好ゲームを見せて欲しいものだ。

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