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2006年10月12日 (木)

私の本棚061011

『バカをつくる学校』の続きである。次のくだりがある。

(引用開始)ロックフェラーは、科学者ハーマン・マラーの遺伝子研究に深い関心をもっていた。マラーはX線を用いてショウジョウバエに突然変異を引き起こし、遺伝の法則をくつがえすことに成功した。これは科学が生命を支配する時代の始まりのように見えた。マラーは計画繁殖が神よりも速く人類に楽園をもたらすと述べ、その考えは有力企業がかりか、当時の優れた科学者たちからも熱狂的な支持を得た。(中略)マラーは国家が人間の性淘汰を意図的に管理する必要性を訴えた。つまり、学校は繁殖させる価値のある者とそうでない者を区別しなければならないというわけだ。(引用終わり)

劣等遺伝子継承者の私は繁殖価値がありませんね。(^_^;)これは、どこかで読んだな・・と思ったら、ありましたね。

『教育の論点』文藝春秋編 文藝春秋1,381円+税 2001年8月1日発行だ。記者が江崎玲於奈 教育改革国民会議議長を訪問したときのくだりである。こうある。

(引用開始)「人間の遺伝子情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプト(許容)せざるを得ないと思う。自分でどうにもならないものは、そこに神の存在を考えるしかない。その上で、人間のできることをやっていく必要があるんです。 ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。(中略)遺伝的な資質と、忌まれた後の環境と教育とでは、人間にとってどちらが重要か。優生学者はネイチャー(天性)だと言い、社会学者はノーチャー(育成)を重視したがる。共産主義者も後者で、だから戦後の学校は平等というコンセプトを追い求めてきたわけだけど、僕は遺伝だと思っています。」(引用終了)

ナチスのユダヤ狩りですね。先般、受精卵検査で遺伝病の検査をすることに対して、倫理的・道義的な問題だとして論争が起きたけど、こういう思想の根っこはなかなかなくならないものなのだね。向山先生が「子供の限りない可能性を信じて教育実践を行うのだ。」ということを否定していることです。遺伝的に劣っているから教育しても期待できないよと言われているわけだからね。そもそも日本の学び合う集団機能を活かした教育活動は日本人の文化的遺伝子として効果あることだと私は考えています。欧米諸国の多くが少人数学級編制を進めている中で、日本は財政的なこともあってのことだろうけど、なかなか40人学級の定数を削減してこれなかった。しかし、それでも日本の教育水準の高さは諸外国に注目されていたところなのであるね。能力別クラス編制にしたって、あのフィンランドでもたしかやらないでいるわけだし。こういうところで教育の効率化を図るのは、本来の価値ある機能を正常に生かしきれていないのだと私は考えているね。指導力の低い(というか、はっきりいえば、統率力が不足している)教師がゾロゾロと出現するから、小分けして対応せざるをえないというのが正直なところなのだと思う。加えて、教室の障がい児に対する指導知識の不足が輪をかけているのだと考えられる。

くだくだ言ってきたけど、大勢の中でもまれながら育てていくのが、日本人に合った教育方法なのではないかというわけだ。しかも遺伝的な先天的能力の他にも後天的な環境要因に働きかける教育の力というものを信じて実践していきたいという願いを持っているということである。そう思わなければ、教育実践者としての存在価値を見いだせないではないか!ということを述べておこう。

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