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2006年10月30日 (月)

私の本棚061030

『いま問い直す 斎藤喜博の授業論』(井上光洋 著 北川金秀 編;一莖書房 2,800円)

本書は、教育工学者 井上光洋氏が他界された後、氏の研究論文中から北川氏が再編集して創りあげたもので、成立過程としてはめずらしい一冊である。

あの「出口論争」の発端となった斎藤喜博の横口授業(※1)「山の子ども」を、川島浩氏の写真を整理し直して再現してある。井上氏によると『未来誕生』に集録されてある20枚の写真順序がおかしいというのだ。撮影者の川島氏を直接訪れて確認作業をし、教師・子供たちの応答との照合を図っている。《教授行動の選択系列のアセスメントによる授業分析方法》第一人者のしっかりした仕事を見て取れる。次のように言う。「教師と子どもの表情と解説文等から、授業がどのように展開されたのかが、ある程度推測することができる。」

撮影された授業写真と出版された授業記録との照合作業を通して、授業分析するという私みたいなスボラな人間には到底できないことをやっているのがすごいことである。

また、撮影者の川島浩氏の発言が集録されていて、そこも面白い。

===以下、引用紹介===これはますすますおかしいと、自分の解釈と、全然ちがうと・・・・ということで、あの、今、僕は、シャッターを切ったのは、あっ寸前だと思ったんですね。ぐっと目玉に力がこまってきたのでね。写したら、次の瞬間、立ち上がって、まあ、ちがうがね、・・・ことなんですけど、そう言いだした。そして、くってかかるんですよ。また、斎藤先生は、そういうことが大変うまくてね、相手の言うことを、わっと否定したりね。わざと、否定したり、逆のことを言ったりしながら、まあ、まわりから攻めていったりしながら、だから、ますますね、全然そういうことじゃないって、くいついてくるんですね。普通だったらね、子どもがこんなこと、しかも、校長先生に向かってね、校長先生の言っている意見、しかも、授業中にね、反対意見をがんがん言うなんてあり得ないですよね。===引用終了===

川島氏が単なるスナップ撮影をしていたのではないことが分かる文章である。何度も取材撮影してきている中から決定的な瞬間を記録しようという気迫を感じることができる。だからこそ、授業分析に使って行くに耐えられる証拠写真なのだと分かる。

「出口論争」の論争論文そのものから学ぶことはもちろん多いのだが、なんといってもことの発端となった授業であるわけだから、原典調査主義を教育研究の基本方針としている私たちは、この「元授業」も読んでおくべきだろう。

授業後、教室を出て職員室へ向かう担任の赤坂里子教諭と斎藤校長の後ろ姿を撮った一枚が、なんともいえず感動を誘う。

改めて有園格による「出口論争」が残した研究課題を転記しておく。

①「ゆさぶり」は質の高い授業を創り出す有効なひとつの方法であるが、その適用範囲を明らかにする。

②「ゆさぶり」は子どもの概念形成に有効であるかを、子どもの学習や発問などの分析を基に明らかにしていく。

③実践記録・授業記録の分析・批評の有効性と限界についての考察。

④授業研究における記録とは何か、についての研究。

※1 メインの授業者(大抵、学級担任)の授業参観中に、途中から口を挟む授業介入法のこと。そのまま授業の主導をとる場合は、介入授業となるが、口を出したり板書整理したりしながらもメイン授業者への主導権を保障しているものである。井上氏によると横口授業は次のように分類されるという。

Ⅰ 教師への簡単な助言的な横口。

Ⅱ 教師に代わって、横から授業を取ってしまい直接子どもを指導する。

Ⅲ 授業の混乱した状態を整理するため、板書して横口する。

Ⅳ 子どもの中に割って入り、ひとりの子どもとして発言・助言する。

Ⅴ ひとりの子どもとしてふるまい、子どもとして教師に発言していく。

Ⅵ 授業の途中から重要なポイントについて教師と子どもに発言し、すぐに教室から出て行ってしまう。

Ⅶ Ⅰ~Ⅵに該当しないが、斎藤校長と教師の間で、よい意味での緊張関係がある場合。(この項目は、大谷が整理したもの)

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