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2006年10月

2006年10月30日 (月)

私の本棚061030

『いま問い直す 斎藤喜博の授業論』(井上光洋 著 北川金秀 編;一莖書房 2,800円)

本書は、教育工学者 井上光洋氏が他界された後、氏の研究論文中から北川氏が再編集して創りあげたもので、成立過程としてはめずらしい一冊である。

あの「出口論争」の発端となった斎藤喜博の横口授業(※1)「山の子ども」を、川島浩氏の写真を整理し直して再現してある。井上氏によると『未来誕生』に集録されてある20枚の写真順序がおかしいというのだ。撮影者の川島氏を直接訪れて確認作業をし、教師・子供たちの応答との照合を図っている。《教授行動の選択系列のアセスメントによる授業分析方法》第一人者のしっかりした仕事を見て取れる。次のように言う。「教師と子どもの表情と解説文等から、授業がどのように展開されたのかが、ある程度推測することができる。」

撮影された授業写真と出版された授業記録との照合作業を通して、授業分析するという私みたいなスボラな人間には到底できないことをやっているのがすごいことである。

また、撮影者の川島浩氏の発言が集録されていて、そこも面白い。

===以下、引用紹介===これはますすますおかしいと、自分の解釈と、全然ちがうと・・・・ということで、あの、今、僕は、シャッターを切ったのは、あっ寸前だと思ったんですね。ぐっと目玉に力がこまってきたのでね。写したら、次の瞬間、立ち上がって、まあ、ちがうがね、・・・ことなんですけど、そう言いだした。そして、くってかかるんですよ。また、斎藤先生は、そういうことが大変うまくてね、相手の言うことを、わっと否定したりね。わざと、否定したり、逆のことを言ったりしながら、まあ、まわりから攻めていったりしながら、だから、ますますね、全然そういうことじゃないって、くいついてくるんですね。普通だったらね、子どもがこんなこと、しかも、校長先生に向かってね、校長先生の言っている意見、しかも、授業中にね、反対意見をがんがん言うなんてあり得ないですよね。===引用終了===

川島氏が単なるスナップ撮影をしていたのではないことが分かる文章である。何度も取材撮影してきている中から決定的な瞬間を記録しようという気迫を感じることができる。だからこそ、授業分析に使って行くに耐えられる証拠写真なのだと分かる。

「出口論争」の論争論文そのものから学ぶことはもちろん多いのだが、なんといってもことの発端となった授業であるわけだから、原典調査主義を教育研究の基本方針としている私たちは、この「元授業」も読んでおくべきだろう。

授業後、教室を出て職員室へ向かう担任の赤坂里子教諭と斎藤校長の後ろ姿を撮った一枚が、なんともいえず感動を誘う。

改めて有園格による「出口論争」が残した研究課題を転記しておく。

①「ゆさぶり」は質の高い授業を創り出す有効なひとつの方法であるが、その適用範囲を明らかにする。

②「ゆさぶり」は子どもの概念形成に有効であるかを、子どもの学習や発問などの分析を基に明らかにしていく。

③実践記録・授業記録の分析・批評の有効性と限界についての考察。

④授業研究における記録とは何か、についての研究。

※1 メインの授業者(大抵、学級担任)の授業参観中に、途中から口を挟む授業介入法のこと。そのまま授業の主導をとる場合は、介入授業となるが、口を出したり板書整理したりしながらもメイン授業者への主導権を保障しているものである。井上氏によると横口授業は次のように分類されるという。

Ⅰ 教師への簡単な助言的な横口。

Ⅱ 教師に代わって、横から授業を取ってしまい直接子どもを指導する。

Ⅲ 授業の混乱した状態を整理するため、板書して横口する。

Ⅳ 子どもの中に割って入り、ひとりの子どもとして発言・助言する。

Ⅴ ひとりの子どもとしてふるまい、子どもとして教師に発言していく。

Ⅵ 授業の途中から重要なポイントについて教師と子どもに発言し、すぐに教室から出て行ってしまう。

Ⅶ Ⅰ~Ⅵに該当しないが、斎藤校長と教師の間で、よい意味での緊張関係がある場合。(この項目は、大谷が整理したもの)

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2006年10月29日 (日)

秋の南富良野路

岩見沢~夕張~日高~占冠~南富良野~富良野~三笠 と回ってきた。

南富良野の金山湖近くにあるログ・ホテル ラーチに立ち寄る。この時季ではすでに紅葉の見頃を終わってしまっており、降り散る落ち葉の中を走ってきた。山々は、どこも茶色~黄土色にすすけてしまっており、ベターなロケーションはどこにもなかった。(^_^;)

ラーチは何度か行ったことがあるのだが、フロント2Fにあるラウンジは、10人程度の集まりなら、ちょうど良い雰囲気のよい空間である。11月中は、一泊二食 通常料金の半額(=5,250円だったかな)で利用できる。すでに土曜日は満員。来年でも利用しようかと考えている。

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私の本棚061029

教育バウチャー制度は、学校間淘汰現象を生む?!(副題を付けてみました)

『寺子屋の「なるほど!!」』(江戸教育事情研究会 ヤマハミュージックメディア刊 1,400円+税)
その1(しつこく続きそう)

教育制度改革論議が繰り広げられている。バウチャー制度導入もその一つ。(知らない人は、自分で調べてみるべし)
簡単にみて、人気の学校にお客さん(子供たちですね)が集まるシステムになるわけだが、これを支えていくためには校長の人事権が伴わないとダメである。よい学校=よい先生がたくさんいる学校というわけだが、現状では、人事は教育委員会が掌握していて、教職員集団は、そこそこ均等均質化されてきている。(とは言え、伝統的指導困難校(^_^;)というのがあることも事実)

もともとそこにいる人たちを相手に、学校経営をするわけだから、オーナー社長のようにはいかない。法律を持ち出して人を動かそうとしても情動を動かすことは難しい。つまるところ、邪魔であっても置かざるを得ないというのが学校というところである。具申権を行使してスポイルしようとするが、厄介者はどこにいっても厄介者なものだから、思い通りにいかない憤りを感じている校長は、さぞや多いことだろうと思う。(実際にいろいろ伺うことがあるけど)

職員集団にとっては厄介者でも地域・保護者にはそうでもないという人がいる。しかし、それは稀なことになってきている。校内のお荷物は、地域でも評価が低くなるわけだ。そうなりゃ、当然、バウチャーが導入されるたら客がよそに逃げてしまうことになる。校長だから、経営手腕を発揮すればよろしい!という論理になるわけだが、得てしてそのような方々には素直なところが期待されない。ましてや子供じゃないしね。

結果、校長に人事権(優秀な教師を採ってくることもさることながら、そうでない人を排除する権利)がないと、成り立たなくなってしまうのではないかということである。人事考課制度の導入は、その足がかりということだろう。

寺子屋というと、どこか慈善事業やボランティアという雰囲気があるが、実のところそうではない。
「束脩(そくしゅう)」という入学金(物のこともある)があったという。金品のない家庭は、労働提供(実労謝儀)して束脩にかえたというところもあったようだ。もちろん、その後の維持費用納入もあった。

だから、校区が割り振られていたわけではないから、収入が落ち込むとやめてしまう寺子屋もあったわけである。
人気のない学校は、バウチャー制度が導入されるとなくなってしまうのかもしれない。そうなれば、地域コミュニティとしての学校というものが存在しなくなってしまう。

学校というものは本来、地域の要望によって設置され、地域の援助も得ながら経営されてきた歴史的背景を考えるとき、このバウチャー制度の導入というものが果たして良いことなのか悪しきことなのか、いろいろ考えさせられる。

最後に以下を引用して終わる。============
明治に入り、小学校教育の成立・普及・充実に伴って(寺子屋は)、次第に初等教育機関としての機能を失い、明治10年代になってほとんど消滅してしまった。
しかし、その定着の中で寺子屋によって培われた”地域の学びの場”と、”自由な加減”が失われていったのである。現在の学校教育が抱える閉塞感を打ち破る鍵とは、この2つの失われたものではないかと思っている。
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以上、3編連続のミニシリーズは終了。(^_^;)読んでいただいてありがとうございました。<(_ _)>


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2006年10月28日 (土)

私の本棚061028

『寺子屋の「なるほど!!」』(江戸教育事情研究会 ヤマハミュージックメディア刊 1,400円+税)
その1(もうちょっと続きそう)

この本、YAMAHAで出しているところがまずもって面白い。ピアノを国民生活に普及させようとヤマハ音楽教室を展開した会社の心意気を思い出させることである。それはさておき・・

寺子屋の主は師匠として君臨していたわけだが、相当に教養の高い人からそこそこの人まで幅広かったようだ。
私もまた通塾経験者の一人である。○○進学会・学力増進会といった大手のものとはことなり、様相がまさしく寺子屋のようなところだった。師匠(^_^;)は、藤本先生という。

自宅2階が寺子屋で(^_^;)、多くても10人が入れば一杯という広さの中に、座卓が並んでいた。当然、座して勉強するわけだから、自然に腹筋・背筋が鍛えられる。正面黒板の前で、藤本先生はすり身を擂(す)っていることがあった。なんとなく夕食内容が想像できるところが面白い。黒板消しは、奥さん(愛子さん)お手製のものだった。

凡ミスをしようものなら容赦なく平手で頭をはたかれる。(これがまたいい音を出していたものだ(^_^;)学校の進度に合わせるというスタンスが基本的に無く(^_^;)、進めるところまでどんどん進んでいった。ここぞ!という重要なポイントでは、一斉に教授することがあった。例えば、二次方程式の解の公式展開。数学畑出身の先生なので、基本的に数学塾なのであった。一夏(夏休み中ずっとということですね)を、毎回、解の公式展開を行ってから、自分のメニューを進めるという流れであった。

ここでは、問題集を各自が持ち込んで、分からないところを先生にきくというスタイルである。一般的な塾では、学校と同じく一斉教授=大量生産方式を採っているところが多いが、個別指導、それも各自勝手なメニュー(それでいて、学習展開の基本はちゃんとあった)で進めるところが《寺子屋》然!としているのである。極端な話、定時定刻に集まっていながら、問題集をやっつけて、先生とのやりとりがないまま帰宅するということもあった。(^_^;)なんとものんびりしたムードなのだが、塾生の中での競争意識というのは自然と沸いてきていた。

以上、ほとんどモノローグで終わってしまうが、そんな回想をさせてくれる本なのである。
(さらに続く)

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2006年10月27日 (金)

私の本棚 061027

『命を染めし 一竹辻が花』(久保田一竹 (株)シーズ刊 1,300円)

TOSSの方々なら、「ああ、あれだな。」と察しがつくだろう。
全編、久保田一竹氏の一代記という内容なのだが、とにかく苦労人の方だから、随所に深みのある文章が出てくる。
最初の個展が60歳の時で、この時が辻が花ブームの発端となるわけだから、そこに到るまでの道程たるやスゴイものである。簡単に信念だというには、あまりにもその生き様に鬼気迫るものを感じることができる。(ちなみに美輪明宏さんによると一竹氏は「龍神」なのだとか。まあ、神には違いないわなあ。(^_^;)

これをTOSSのイベントに持ち込むことができたというあたりが、これまたスゴイことなのだけど。

さて、本書で一番眼を惹かれたところは、一竹氏の功労話のところではない。
辻が花展で、モデルを提供する橋場洋一氏と坂本茂氏たちモデルエージェンシーでのモデル育成の方針がすばらしい。
(引用開始)
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橋場さんの育成するモデルは、決してそうではなく(註;華やかとか浮ついたということ)たんに技術的に優れているにとどまらず、日常レベルの礼儀に始まるいわば人間教育を徹底的に叩き込まれた、まごころのあるモデルなのである。
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(引用終了)

話が変わる。先日、理研の関口君のメールに「命」という漢字の解釈が乗っていた。
それは、「人は一度は叩かれる」という内容だというものである。

大事なことを叩き込まれたモデルだからこそ、命輝く作品の着こなしと圧倒的な存在感を与えるものなのだろう。

いやあ、礼儀に関しては頭が下がるばかりである。

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私の本棚061027

『寺子屋の「なるほど!!」』(江戸教育事情研究会 ヤマハミュージックメディア刊 1,400円+税)
その1(ちょっと続きそう)

このところ面白い本にヒットしていてうれしい。事業体としての今後の学校の姿を考える好材料となった。
著名が物語るように、江戸時代の寺子屋(実際には「手習所」というのが主流だったようだ)の様子がつぶさに描かれていて、時代劇に出てくるものとはちょいと趣が異なることに、いろいろ新鮮な印象を持つことができた。

以前の「私の本棚」で寄席の話を書いた中で、寺子屋の二階に寄席がある場合があったことを書いた。日常生活にそれほど密着していた時代があったのだな・・・ということなのだが、なんと、その寺子屋の件数は現在のコンビニ軒数よりも多かったというのである。そうなれば、現在の学習塾の数を凌駕するほど、庶民生活に親しまれる存在であったことが伺われる。

学制以来、ようやく教育の必要性が広く世間に普及したかの感があったが、すでに教育の裾野は広がっていたのである。いうなれば、そのような背景があったからこそ、明治維新後の日本の国家成長の礎となっていたのが、寺子屋文化なのかもしれない。読み書きそろばんの基礎教養は、現在でもなお世界の中ではトップでいる日本だが、歴史的にも優れていたことが伺われる。
(続く)

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ありがとう!ファイターズ!!

ついにやってくれました!日本一。
3年前に大リーグ帰りの新庄とともに北海道にやってきて初年、いきなりプレーオフで沸かせてくれた。
細木数子には「1年で退団(やめ)るわよ!」といわれながら、「日ハムを日本一にしてみせます。」と公言していた新庄はエライ(^_^;)。最終打席は空振り三振だったが、つねに真っ向勝負でがんばってきた球界の「キザ男」の眼には涙が光っていた。(あれじゃ、打てなくてもしかたなかったかも・・・)

優勝会見では、背番号「1」は森本稀哲にあげたいと言っていたが、ウイニングボールをキャッチした森本と新庄がグラウンドで抱き合っていたのも印象に残る場面だった。

来季は新庄がいないが、駒大苫小牧が成し遂げた2年連続日本一にあやかって、2年続けて優勝してもらいたいと思う。暗い北海道、このところ球児たちの元気で盛り上げてもらっているような感じだ。一道民としても奮闘努力していきたいと、闘っている姿をみて思ったものである。

ありがとう!ファイターズ!!

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2006年10月26日 (木)

私の本棚 061026

『いまなぜ 教育基本法か』(竹内 常一著 桜井書店 2,300円+税)

憲法改正問題とセットで進んでいるのが”教育基本法の改正問題”である。
今後、いろいろと議論され、報道されることだろうから推移をみていくとして、今回は、この中にアメリカ、ワシントン州オリンピア市の「市民の権利」が紹介されていて、なかなかよかったので転載することにした。

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P.169
(1)教室の中で、私はしあわせで、暖かく扱ってもらう権利をもっています。このことは誰も私を笑ったり、私の気持ちを傷つけてはいけないことを意味しています。

(2)教室の中で、私は私自身であり続ける権利をもっています。このことは、私が黒人、あるいは白人、太っているやせている、背が高い低い、男の子女の子だという理由で不当に扱われないことを意味しています。

(3)教室の中で、私は安全に暮らす権利をもっています。このことは、誰も私をぶったり、押したり、傷つけたりしてはいけないことを意味します。

(4)教室の中で、私は人の話を聞き、そして、聞いてもらう権利をもっています。このことは、誰も金切り声を上げたり、騒音を出したり、わめいたりしないことを意味しています。

(5)教室の中で、私は、自分について学ぶ権利をもっています。このことは、私が誰にも妨げられることなく、そして、罰せられることなく、自分の気持ちや意見を自由に話せることを意味しています。

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私自身は、(1)が特に重要であると感じている。
「私はしあわせで、暖かく扱ってもらう」こういうことは、学級経営の基本方針として担任には意識しておくことが必要だろう。こういうことの平等意識は積極的に採り入れていくのがよいだろう。

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2006年10月25日 (水)

私の本棚 061025

『ならず者国家~世界に拡散する北朝鮮の脅威』ジャスパー・ベッカー著 小谷まさ代訳
草思社 2,500円+税

世界のゴロツキ国家=北朝鮮に対して、日本政府は全くいつまで経っても有効な外交施策を講じることができないでいるため、拉致問題にせよ、核兵器開発にせよ、領海侵犯にせよ、好き放題を決め込まれている。
しばしば「瀬戸際外交」と言われるのだが、本当に瀬戸際といえるのかどうか、疑問である。いつまでたっても金一族とそれを支える中枢部の安寧の様子からは、とても追い詰められている雰囲気を感じとることはできない。

ゴネ得をこれ以上助長させてよいはずがないのである。

著者が書いているように、国民全体に影響がおよぶだけの経済制裁ではなく、金一族にダイレクトに働く制裁措置を執る必要がある。これは、北朝鮮だけではなく、支援国家をも含めたものでなければ、うまく機能しないことであろう。
国連改革も必要である。次期国連事務総長 潘基文(パン・キムン)外交通商部長官の手腕に期待したいところだ。

著者はイギリスのベテラン・ジャーナリストである。これまでの幅広い取材活動に裏打ちされた論調と的確な指摘に頷くところが多い。勉強になる一冊だ。

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2006年10月24日 (火)

私の本棚 061024

酒蔵~東北・北海道編 藤井徳子著 歴史春秋社 1,500円+税

このところサークル例会がなく、当然のように例会後の二次会(=呑み会)もまた遠のいている分、ついついこういう本で憂さ晴らしをしている。

東北6県と北海道の銘酒、酒蔵を紹介した本である。掲載写真がモノクロームばかりであるが、その方が妙に関心を高める効果があるようだ。(^_^;)

福島の「笹の川」特別純米酒は、フライドチキン・やきとり・手羽先によくあう・・と記されているのだが、日本酒は刺身でしょう!派の私としては興味ある品だ。

北海道は「福司」と「北海男山」の2つしかない。無念。
ここは「国稀」と「金滴」やごぞんじ「千歳鶴」は載せてほしかったなあ。
私自身は「国稀 鬼ごろし」がだれにでもお薦めしたい辛口の秀逸酒だ。
ちなみにここ数日は、熊本旅行に行ってきた娘がくれた「美少年」である。

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2006年10月23日 (月)

Woody Lifeで食事

昨日の昼食は「~風そよぐ、花咲く丘の我が家。~WoodyLife」でお薦めの黒カレー(肉ブロック)を食べる。上富良野深山(みやま)峠のトリックアート美術館 すぐそばである。

マダムお薦めの薬膳カレー 1,200円 でまずまずの味。

このマダム、よくしゃべり、押しの強いキャラクターである。(分かる人は分かりますね(^_^;)。現在は、2代目オーナーである。そんなに席があるわけじゃないので、6~8月の観光時期ともなれば入れないかもしれない。この時期だから結構のんびりと過ごすことができた。

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2006年10月22日 (日)

「土の館」訪問

上富良野にある「土の館」に行ってきた。~世界のプラウと土の博物館~というふれこみがある。「プラウ」とは、田畑の土を鋤き込むときに使う道具である。(牛や馬に牽かせている→写真参照)

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ここには国内はもちろん、世界の土壌モノリス(土層標本)もあって、地学教材研究に使えそうなところである。おまけに36席もある研修会場もあって、サークルで使えそうなところだ。

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トラクタ博物館も併設されているが、まあこちらは興味のある人が見ればいいだろう。

Dscn2756 入場無料。

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2006年10月15日 (日)

私の本棚061015

『天才がどんどん生まれてくる組織』(斎藤 孝 新潮選書 1,100円+税)

遅ればせながら読んだ。天才を輩出する組織を章立てで解説していて、どの章(「講」として構成されてある)も面白いのだが、とりわけ第1講はTOSSの技量検定システムそのものについて語っているかの錯覚を与えられた。
忍者の「練達」について触れているのだが、この講のまとめに端的に表出されている。

1.ハイレベルな基本技が全員によって共有されている組織は、驚くべき強さを持つ。
3.優れた「型」は、才能の有無を問わず、システマティックに熟達者を養成できる。

納得。
ところで、「2」は一つの警鐘として捉えておきたい。

2.逆に「癖」の模倣に留まれば、中心人物がいなくなれば組織も消滅する。

向山型が広まっていて、技量検定はもちろんいろいろなところで公開されている模擬授業の多くが授業スタイルや授業展開と到達点(授業の終わり方)が見えていることが多い。授業そのものが生き物なのだから、授業者として授業目標達成を図るのは当然だが、相手(子供や模擬授業被験者)との対応という重要な要素を軽んじると授業力量の形成不全が起きる。端的に言えば独りよがりに陥ってしまうということだ。

第2講に登場するヨハン・クライフとトータル・フットボールについては、学校という組織をいかに効果的に維持していけばよいかが暗示されていて、非常に勉強になった。

FTお薦めの一冊である。メンバーは読むように。

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2006年10月14日 (土)

私の本棚061014

『図説 落語の歴史』(山本 進 河出書房新社 1,800円+税)

御伽衆(おとぎしゅう;戦国武将が合戦の合間の無聊~ぶりょう~を慰めたり、世間の見聞を広めたり、あるいは趣味教養を高めるなどのために抱えていた噺家集団)を起源とし、9代目林家正蔵(こぶちゃんのことね)までの落語界の流れを略史で綴ったものなのだが、コート紙を使って豊富に写真を掲載して贅沢な作りとなっている。

本来、昭和の爆笑王こと林家三平が正蔵を継ぐべきところを、なぜか迂回してきた名跡の裏話が興味深かった。(裏話というほどでもないんだけどね)

8代目正蔵は、林家ではないので9代目は必ず海老名家(三平のところであります)へ返上します・・という誓書を書いていて、な~かなか筋の通った気持ちのいいものだと感じた。粋とはこういうものなのだね。ちなみに、三平の父親が7代目 正蔵であります。

寄席は江戸時代では、いたるところにあったそうだが、中でも面白いのは寺子屋の二階にまであったというもの。それだけ生活に密着していたのでありますね。

噺家といえば、古今亭志ん生を挙げたいところだけど、一度生を観たかったものです。高橋竹山も「そのうち行きましょう」と思っているうちに鬼籍に入ってしまった。こういう芸人の芸とは、思い立った時には多少無理してでも観ておかないとダメだなあ。

私は、TVっ子世代の始まりの年齢だが、幼少のころといえば、「ジェスチャー」(^_^;)。柳家金語楼の蛸入道が鮮烈だなあ。ちゃんとした落語を聞いた記憶がない。ああ、残念。

こういう本を見ると、放送時代にすでにいなかった噺家達の高座を拝聴したいという熱望におそわれるねえ。活字じゃわからない世界がそこにある。

それにつけても吉本興業が実に古い歴史をもっていることを改めて知った。しかも興業当初は、女将さんが切り盛りしていたというのだから、上方の女性の強さを垣間見る思いだなあ。

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2006年10月13日 (金)

私の本棚061013

『マンガは今 どうなっておるのか?』(夏目房之介 メディアセレクト 1,300円+税)

いつもの軽いノリとギャクでマンガ業界を皮肉っているのかと思いきや、これがなんと夏目さんにしてはマジな分析と批評で綴られた一冊なのである。いつもなら、あのお得意の自画像キャラが出てきて、ふざけた吹き出し言葉で笑いを誘うところなのだが、全然違った。

気合いをいれているからか、構成作業も慎重だったようだ。最終章 『PLUTO』と『アトム』浦沢直樹試論は、手塚治虫へのオマージュかとおもいきや、これまた極めて冷徹な(「科学的冷徹読み」ですな(^_^;)←これわかる人はコアな大谷フレンド)分析を行っているのである。

先だって、かぐや姫と吉田拓郎が伝説の「つま恋コンサート」を再現した。その画像をみたら、集まっている観衆の顔は全く、あの時のみなさんがそのまま同じ年数だけスライドしているのでありますね。(もちろん、kinkiといっしょの若者世代もいたんだろうけど、ステージ前なんかは完全にオジン・オバンが占拠していたのでR~まあ、私と同じなんだけど(^_^;)夏目氏の『マンガは今~』の中に、”年齢と時代の三角測量 模式図”というのが登場してくるのだが、これがまさしく「つま恋」聴衆をみて私が感じたこととぴったしカンカンなのだね。

これはすなわち、TV番組やマンガといったその時代時代を象徴するコンテンツにリンクした人々がそのままシンクロして、時代を移ろうということを表しているわけだ。なつかしのメロディ世代なんかも象徴的な一例だろう。

夏目氏の新たな一面を見たという感じ。なかなかお薦めである。おもろしかった。

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虹が丘公園に行く

私の勤務校は道路を挟んで北広島市と隣接している。まあ、通称国境警備隊(^_^;)。その隣接地区は、虹が丘と呼ばれる新興住宅地で、すぐそばに私立札幌日大中・高校がある。

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住宅街の一角に「虹が丘公園」がある。いかにも造成されたという人口の公園然としている。片側にはパークゴルフ場も隣接されている。

園内のトイレは、防犯用のサイレンと警告灯が設置されていて、犯罪対策が取られている。この頃は、こういう設備が増えているのでしょうね。

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このあたりにはめずらしい「ねむの木」があった。Dscn2661 当然ながら花はない。初夏の開花時期にまた訪れたいと思う。

水遊びスペースは巨大なモニュメントがあったのだが、残念ながら説明はなし。

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2006年10月12日 (木)

目指せ!!日ハム、日本一!!

行き詰まる投手戦の末、土壇場でパ・リーグ優勝を勝ち取った日本ハムには、感謝だ。(最終回、2塁フォースアウトくずれが勝利を呼び込んだ形で、サヨナラとはいえ、どこかものすごい!という実感が不足してしている気分だなあ・・)とはいえ・・

スタンドの自作横断幕にも「駒苫・日ハム!感動をありがとう」というのがあったが、まさしくそんな一年だった。次は日本シリーズ!オレ流に勝って「怯まん!底力」を見せつけてほしい。なんだか、それだけでこの一年を結果良ければすべてよしの状態で終えることができるような気がしてきた。

ソフト・バンクはこれで3年続けて、プレーオフ敗退となり、斎藤和巳がガックリくるのも頷けるところだ。次の優勝の機会は保障されているわけではないからだ。松中は悔し涙も出てこなかったようだ。王監督に合わす顔がないな・・と思っていたのだろう。

来年は、楽天・田中が立ち向かってくるんだろうが、これまた楽しみな一年となりそうだ。

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私の本棚061012(48歳誕生日)

『教育の論点』(文藝春秋編 1,381円+税)前回のついでに終盤論文を見る。

1)IT教育の大いなる誤算

2)わが子三人「中学受験」体験記

3)中学校「出席停止」私の決断

どれもこれも身につまされ、賛同する内容のものである。(3)は藤原幸博という現職校長の文章であるが、荒れた学級・学年を持った時や中学校教師時代(生徒指導部一筋(^_^;)のことがフラッシュバックしてきて、胸が苦しくなってしまった。(^_^;)平教諭は病気休暇で代替え措置がとられるが、管理職はそうはいかない。だいたい管理職は最後の砦なのだから、後退するわけにはいかないのである。真性の不良相手の教育はなかなかしんどうものである。経験したことがない人にはわからないものがある。そういう学校にいると職員の顔つきまでがみるみるうちに変わってきてしまう。そうならないように、日々、落ち度無く慎重に教育推進していかないとならないのである。

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私の本棚061011

『バカをつくる学校』の続きである。次のくだりがある。

(引用開始)ロックフェラーは、科学者ハーマン・マラーの遺伝子研究に深い関心をもっていた。マラーはX線を用いてショウジョウバエに突然変異を引き起こし、遺伝の法則をくつがえすことに成功した。これは科学が生命を支配する時代の始まりのように見えた。マラーは計画繁殖が神よりも速く人類に楽園をもたらすと述べ、その考えは有力企業がかりか、当時の優れた科学者たちからも熱狂的な支持を得た。(中略)マラーは国家が人間の性淘汰を意図的に管理する必要性を訴えた。つまり、学校は繁殖させる価値のある者とそうでない者を区別しなければならないというわけだ。(引用終わり)

劣等遺伝子継承者の私は繁殖価値がありませんね。(^_^;)これは、どこかで読んだな・・と思ったら、ありましたね。

『教育の論点』文藝春秋編 文藝春秋1,381円+税 2001年8月1日発行だ。記者が江崎玲於奈 教育改革国民会議議長を訪問したときのくだりである。こうある。

(引用開始)「人間の遺伝子情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプト(許容)せざるを得ないと思う。自分でどうにもならないものは、そこに神の存在を考えるしかない。その上で、人間のできることをやっていく必要があるんです。 ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。(中略)遺伝的な資質と、忌まれた後の環境と教育とでは、人間にとってどちらが重要か。優生学者はネイチャー(天性)だと言い、社会学者はノーチャー(育成)を重視したがる。共産主義者も後者で、だから戦後の学校は平等というコンセプトを追い求めてきたわけだけど、僕は遺伝だと思っています。」(引用終了)

ナチスのユダヤ狩りですね。先般、受精卵検査で遺伝病の検査をすることに対して、倫理的・道義的な問題だとして論争が起きたけど、こういう思想の根っこはなかなかなくならないものなのだね。向山先生が「子供の限りない可能性を信じて教育実践を行うのだ。」ということを否定していることです。遺伝的に劣っているから教育しても期待できないよと言われているわけだからね。そもそも日本の学び合う集団機能を活かした教育活動は日本人の文化的遺伝子として効果あることだと私は考えています。欧米諸国の多くが少人数学級編制を進めている中で、日本は財政的なこともあってのことだろうけど、なかなか40人学級の定数を削減してこれなかった。しかし、それでも日本の教育水準の高さは諸外国に注目されていたところなのであるね。能力別クラス編制にしたって、あのフィンランドでもたしかやらないでいるわけだし。こういうところで教育の効率化を図るのは、本来の価値ある機能を正常に生かしきれていないのだと私は考えているね。指導力の低い(というか、はっきりいえば、統率力が不足している)教師がゾロゾロと出現するから、小分けして対応せざるをえないというのが正直なところなのだと思う。加えて、教室の障がい児に対する指導知識の不足が輪をかけているのだと考えられる。

くだくだ言ってきたけど、大勢の中でもまれながら育てていくのが、日本人に合った教育方法なのではないかというわけだ。しかも遺伝的な先天的能力の他にも後天的な環境要因に働きかける教育の力というものを信じて実践していきたいという願いを持っているということである。そう思わなければ、教育実践者としての存在価値を見いだせないではないか!ということを述べておこう。

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2006年10月10日 (火)

私の本棚061010

『バカをつくる学校』(ジョン・テイラー・ガット 成甲書房 1,400円+税)

タイトルの割にひさしぶりに痛烈な教育批判本である。しばしばFT内にある大前組メンバーには、大前研一氏が「子どもを学校にやらない(学ばせないという意味)方がよい」という提言をみたり聞いたりしてきている。著者もまた痛烈にそのことを言っている。次のように断じている。「義務教育が健全な人間形成に有害であることは明らかだ。」(一応、舞台はアメリカ・ニューヨークのことである。ちなみに著者はニューヨーク市とニューヨーク州と2年連続して最優秀教師として認められている人である。このあたりがいかにもアメリカらしいところだ。日本じゃ考えられないね。文科省の実践表彰を受けた人が日本の教育制度を非難するなんて考えられないし、指導要領に沿った指導をして受賞するわけだから、そもそもそこに矛盾が生じてしまうからねえ)

目次がこの著作の全貌を如実に物語っている。各章にトピックセンテンスを掲載している。

・私はあえて自分のやっている正しい教育よりも、間違った教育について話すことにした。間違った教育とは奇妙で、複雑で、恐ろしいものである。

・学校教育は12年の禁固刑のようなもので、教えられるのは悪い習慣だけだ。

・学校がチャイムを鳴らすと、詩を書いていた生徒はノートを閉じ、別の教室へ移動して、今度は進化論を覚えなければならないのである。

・第4の目的とは、子どもたちを企業や政府のために奉仕させるというものだ。購買意欲を刺激し、学校は消費拡大のための精神的訓練の場となる。

いやはや、強烈である。日教組組合員からみても鮮烈なフレーズが次々に綴られていると思うだろう。

さて、大事なことはたった一つである。私たち日本の義務教育をアメリカのようにしてしまってはならないということである。組合階級闘争的な立場でみれば、政府自由民主党の愚民化政策と指摘されている義務教育を正常化していく推進力として私たちが果たすべき仕事は明確である。学力形成と人格形成、この2点である。

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2006年10月 9日 (月)

私の本棚061009

『あの人はいつ勉強しているのか?』(アーク・コミュニケーションズ編 PHP研究所 800円+税)

妹尾河童の「覗くシリーズ」も好きである。つまり、いろいろな人の裏面や隠れている部分や私的な時間・空間はたまた仕事の現場といったものに興味がある。

いろいろなジャンルの方々の勉強法を紹介している本だ。とりわけ興味があったのは私たちTOSSに学ぶ人にはすでにご承知の池谷裕二さん。東大大学院薬学系研究科講師である。脳科学に話題ではよく登場される方である。

この本の中で一番目を引いたのが、次のところ。

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夢を持つことの効用は「観念運動現象」で説明できる-----------------------

思い描くだけで、身体が勝手にその方向に近づいていくわけですから。瞳が輝き出したり、言葉づかいが変化したり、普段なら見落とすようなチャンスに無意識のうちに気づいたりということが起こる。ですから、私たちにできることは2つしかありません。体を動かして脳を活性化することと、特別なことでなくていいから、目標をもつこと。ただ、頭の中で念じるよりも、忘れないように書き出しておくといいでしょう。夢を書いて貼り出したりするのも、観念運動現象をおこすために理にかなっているんです。

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子どもへの指導でも、いつもいつも暗示するように言っているといつのまにかそのようになってきているということってありますね。理研勤務の関口君が昔、「教育は錯覚させることでもある。」なんてことを言っていたけど、通底するものがある気がします。絶えずほめ続けていることの効用が、ここでも裏付けれているわけですね。

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2006年10月 8日 (日)

私の本棚061008

『今日も友だちがやってきた』(野田知佑 小学館 1,500円+税)

椎名誠ファンとしてはさすらいのカヌーイストとして周知の方である。カヌーものだから、当然、川を舞台とした様々な交流が描かれているのだが、「川ガキ」こと(=川で遊びたわむれる子供たち)の様子やら彼らとの交流がのんびりとした流れで綴られている。ホッとする一冊であろう。

そんな中でも環境問題には厳しい目をもつ野田氏の、緊張感ある文章もある。「人の少ない田舎に住む人間が偏狭になり、他人を受け入れなくなるのと同じ・・・」人間の了見が狭くなって、人間性がちんまりとしてしまうということを指摘しているわけだ。

とにかく毎日毎日、IT時代で機械化によって仕事が楽になるわけではなく、逆に仕事量が増えてきているこの時代、このようにのんびりして、人間性を取り戻さないとダメ人間になりそうだと警告してくれている気がしてならない。  

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目を引くタイトルの付け方

ひさしぶりに鍛える国語教室研究会(略称「鍛国研」)空知ゼミ例会に行ってきた。

今回の私の授業は、TOSS D表検定用の授業(案)として開発したものである。流れは以下の通り。

1)(黒板下方に)服(具体物)・・と、板書する。その上に「~な」「~い」で終わる言葉を入れさせる。「かわいい」「大きな」のような形容詞を入れてみる。※授業づくりの詰めがあまかったので、「~~のような」という表現がたくさんでてきた。ここは、例示して「スバリと短い言葉をいれなさい。」と指示するのがよいだろう。

2)服を「雨」(のような半具体物)に置き換える。すると、順接しないものが浮き彫りにされる。「大きな雨」「かわいい雨」のようにである。修飾に妥当性を欠く「半接続」「非接続」となるものが出てくる。そこで、雨につながる形容詞を考えさせる。「激しい雨」「静かな雨」のようなものが出てくる。

3)雨を「夢」のような抽象物(事象)に置き換える。すると、先に列挙されているものとの意外な組み合わせが生じて、意外性が表れてくる。「静かな夢」「白い夢」「やさしい夢」などのようなものである。その中で「このタイトルの本なら読んでみたい!という組み合わせを選んでみる。」意外性のある組み合わせがハッとする意外性を持っているもので、売れる本のタイトルはそのような意外性や読者の想像力をかき立てるようなものが多いのである。作文のタイトルを付ける時に応用してみてください。

という流れである。実際に授業場面で使ってみたらよいだろう。

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2006年10月 5日 (木)

根本先生講座Ⅱ(その11)

  最後に授業作りの話をしたいと思います。授業をどういう観点で作っ
ていくかという内容。内容論だけでは、いい授業はできません。授業を
作っていくための指導技術、私は4つ押えています。授業技術の4つの
視点                                                            
┌─────────────────┐                        
│1  基礎技術。(片々)                  │                      
│2  出来るようにさせる技術。           │                        
│3  組立の技術。                         │                        
│4  対応の技術。                         │                        
└─────────────────┘                        
  一つ目は、基礎技術。これは、片々の技術。今日やったように道具の
出しいれ、試範の仕方、集め方、話し方、そういう諸々の片々の技術で
す。これがなかったら授業が成立しません。                        
  二つ目は、出来るようにさせる技術。閉脚とびでしたら、うさぎ跳び
の指導ですね。あるいは、横ができて縦ができない子を補助しましたけ
ど、ああいうふうにできない子をできるようにさせる技術。大体、学校
の校内研究でやっているのは、ここ(2の「できるようにさせる技術」
)ですね。読解指導。作文指導。全部このレベルの指導法を研究してい
る。                                                            
  それから、組立の技術。今日は全部でたらめにやっていったんではな
いんです。準備運動から。あの準備運動というのは閉脚とびができるよ
うにさせるための基礎技能作りを易しいものから難しいものへとやって
いったんです。かえる倒立→足打ちとび→手押し車、それからジャンケ
ンゲームいれましたよね、なぜいれたかというと、ゲームをいれるとい
うことによって子供達の緊張が解けるんですね。ですから、和やかな雰
囲気ができる。そういう意図であれは組んでいったんです。そして、閉
脚とびをする前にうさぎ跳び、それから跳び箱に行く。そういう組立に
なっていたわけです。                                           
  4つ目は、対応の技術。これは、即座にできない子がいたときにどこ
ができないか診断して治療していくんですね。ですから、マットでうさ
ぎとびさせて、君向うに行っていいよ、とすぐ診断して行かせましたね
。できない子が16人いたんですから。こっち来てごらんといったら1
6人来たんですね。16人もできませんから、すぐ飛ばせて、できると
思ったらそっち行きなさいと診断したんです。飛べない子がいたときに
は、無理して跳ばなくていいよ、そういう、対応の技術です。       
  こういう4つの指導技術が組み合わさって、初めて、授業はできるん
だという考え方です。これは体育だけではなく、国語、算数、社会、理
科、全部に同じです。授業を成立させる基礎技術、発表のさせ方、教室
だったら発表のさせ方ですね。書いたら、鉛筆を置きなさい。煙が出る
くらい速く書きなさい。みんなそうです。                         
  できるようにさせる技術、分かる技術ですね。                   
  それから、組み立て。                                          
  このなかで、一番出来ないのはこれですね。これができたら、名人で
す。これ(1)は、初級です、アマです。これは教えればすぐできます
。鍛え、訓練すれば。用具の出し入れは鍛えればすぐできるわけです。
このへん(2)になるとセミです。このへん(3)に並ぶと初段。   
これ(4)は、名人です。たくさん見て、どこが悪いか見抜いてぱっと
手当できるんですから。ですから、出来たらこのへんまで先生方にも付
けて頂きたいなというのが願いなんですけど。  そういうわけで、こう
いう4つの指導技術を法則化体育はこれから作って行きたい。それから
、先程申しましたように教材ごとにテクニカルポイント、発問指示、場
作りを考えて行く。教材ごとにできたらすごいですね。日本の体育が変
わります。大体、器械運動については出来ました。閉脚とびもできまし
た。側転もできました。開脚前転は作っていまして、とりあえず、1月
のスキー合宿にできる。機械運動についてはできましたので、来年から
は、陸上運動のほうをこれと同じように作って行きたいと思っています
。陸上が終ったら球技です。水泳、表現と全領域をこういう考え方でま
とめて行きたいなと思っています。                               
  私は「楽しい体育の授業」という本の編集長をしていますが、先生方
から実践を頂いてそれをまとめて出しています。雑誌に書いてみたいと
いう方は、私のところに来て下さい。こういう企画を出してほしいとい
う希望がありましたら、申し出下さい。そういう企画だしますから。な
かなか書く機会というのが少なくて、私は投稿しました。投稿して初め
て載ったときのうれしさというのを今でも覚えていますけども、先生方
も体育のを書いて下さい。(このあと雑誌のPRと「法則化体育通信」
のPRを経て、講座を終了した)   

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   以上、11回に渡る連載でした。根本先生、改めて勉強になることが
たくさんありました。公開を快くご了承くださり、ありがとうございました。 
                      

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2006年10月 4日 (水)

ああ無念~雪辱成らず~の早実戦

期待がはずれて、駒大苫小牧の雪辱はならなかった。

それにしても絵に描いたような再戦の実現に期待していただけに、ガックリ。でもまあ、よくがんばったシーズンだ。残念なのは、この決勝戦で、9安打も放っている駒大が結局、零封となっているところだ。改めて、斉藤くんの実力評価が高まったことであろう。

田中君は「楽天」で、斉藤君は大学で。それぞれ実力をあげて、プロでの再戦を待ちたいと思う。

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2006年10月 3日 (火)

根本先生講座Ⅱ(その10)

  CとDはゴムとびコーナーですね。                              
  ここにゴムを置いておきまして、人がいなければ、椅子か椅子にしば
りつけて持っているわけです。椅子なんかいいと思います。手をこっち
についてやってみてください。                                    
                                                               
      コンテ6  ゴムの手前側に手をついて、ゴムを越える。 (紛失中)      
                                                               
  この高さを段々上げていくんですね。上げるとどうなるかというと、
足が上がってくる、腰が伸びてくる。子供の能力に合わせて高さ変えて
いくんですね。最初は膝のところ、その次、Dのゴム跳びコーナー。で
きたらここ(ゴム)に鈴をつけてやると良い。何て指示を出すかという
と『鈴を鳴らそう』というんです。『ゴムに足をかけよう』でなくて、
『鈴を鳴らそう』。そうすると、AさせたいならBさせようということ
が起きてくる。教師のねらいは腰が伸びたら大きな側転ですけども、子
どものねらいは鈴を鳴らすという具体的な方向になりますからすごく動
きが変わってくる。それで、子どもは喜びます。その子に合わせて調整
してあげるといいですね。                                       
  そういうふうにしていくと、腰の伸びた大きな側転が出来るようにな
りますので今度は連続して出来るようにしますね。側転2回3回。   
  そして、Fは何もないところでまっすぐ前を見る。それが、側転がで
きる場作りです。                                                
  マット運動というのは、連続技です。最後は、場作りCで連続技をし
ます。側転をいれた連続技づくりをしよう。連続技というとでたらめに
何でもいいからやってごらんというでしょう。何でもいいからやってご
らんというのが一番難しいですね。。必ず中に核となる技を決めてやる
。側転をいれた連続技作り。あるいは、開脚前転をいれた連続技づくり
をしよう。そして、その開脚前転の前と後ろにどんな技を持ってきたら
調子よく回れるか。それを、発見させていくんです。               
  ですから、側転をいれた連続技の時に側転の前、前回りからいったら
いいのか、飛び込み前転からいったらいいのか、終った後に次どんな技
を持ってきたらいいのか、スムーズに連続技づくりができるのか。その
へんのところを学習していくと面白いと思います。                  
  初め、中、終りというポイントを押えて、発問して、場づくりをして
いく。それは、教師が頭で分かっても身体で理解していないとすぐ指導
できませんね。      

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2006年10月 2日 (月)

根本先生講座Ⅱ(その9)

  これ(回転加速~着手~立ち上がりの各技術)がテクニカルポイント
です。技術ですね。これは(足の向き・着手の形の一連の発問)発問指
示です。                                                       
  もう一つ場作りというのがあります。                           
  今日も場作りをしましたけれど、場作りというのは40人いれば40
通りの場を作ってやらなければいけないわけです。力に応じた、その子
の持っている能力に応じた場を作っておいてやる。しかし、それは不可
能ですから、いくつかの場を作ってやることになります。            
  側転の場合の場作りはどうなるかといいますと、資料の(12)。 
  今日やった閉脚とびの授業、私は1時間やりましたけれども普通なら
4~5時間の内容なんですね。随分慌てていましたけど、今日いっぺん
にやりましたけど、急ぎましたけど。この閉脚とびというのは、側転も
ですが、これ1時間、これ1時間、これ1時間、大体3時間くらいでや
りますね。最初の10分から15分に場作りAで原理を発見させます。
  その後、場作りBにいきます。                                 
  側転といっても子供によって大きな側転ができる子、全然できない子
もいますから、全部を吸収できる場を用意しておきます。できる子もで
きない子も自分の力を力一杯出せる場です。これだけ用意するのが大変
だと思うかもしれませんけど、やはり場作りというのは学習訓練ですね
。学習技能作りなんです。                                       
  技を作る基礎技能もありますけれども、学習の場を作る学習技能の訓
練もしていかないと授業が成立していかないんですね。片々の技術がな
いといけないんですね。だから、その場づくり私のところでは、5年生
ですが、5分間でできる。そこまで高めていきます。               
  Aっていうのは、川跳びコーナーですからマットを飛び越える側転、
これは腰が上がらなくていいです。                               
  その次は、台飛びコーナー。台飛びコーナーっていうのはどういうの
かといいますと跳び箱の頭を利用してここで側転をします。床だと高さ
があります、高いところから低いところに手を付くというのは、ものす
ごく恐怖心がある。途中で台を置けば恐怖心が半減する。            
  ここに跳び箱の台を置いてここで飛びなさいというんですけども、そ
のときは足、手、手、足、この順番で回るんだと教えてあげます。側転
の順番ですね。側転の順番決まっているんです。立ち足があって、その
立ち足と同じ手を先ず付きます。その次に反対の手をついて最後に残っ
た足を付いて終ります。できない子は、手をぐっといっぺんに付いちゃ
うんですね。ですから、足、手、手、足とはっきり教えてあげる。   
                                                               
                コンテ5(台跳びコーナーの図示)・・すみません。紛失中      

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2006年10月 1日 (日)

私の本棚061001

『書きたがる脳~言語と創造性の科学』(アリス・W・フラハティ著 吉田 利子訳・茂木健一郎 解説 ランダムハウス講談社  1,900円+税)

 南中小学校での研究会に向けて読んだものの一つなのだが、こいつがなかなか面白い。そもそもタイトルがそそる。(^_^;)何しろ、南中で頼まれたのが「繊細に書かせる指導の技術」だったものだから、単なる形式指導による作文指導論ではお話にならないのである。”書きたがる”なんてのは、かなり主体性を発揮しているタイトルではないか。
 さて、その一節に「漢字文化」に関わるところがあって、これまた興味をそそられたので、紹介する。本文P.232~P.233である。

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それでは神経学的に言えば、わたしたちはみな完璧に音とスペルが一致するエスペラント語を学んだほうがいいのか?あるいは、・・読字障害のアメリカの子どもたちには音素を表すスペリングよりも絵文字のほうが簡単なことからすると・・みんな中国の漢字を学ぶべきなのか?実際には中国語のような表意文字は、ややこしい音素をもとにした正字法の問題はなくても、ほかの要素があるから学習がもっと難しい。中国の子どもは基本的な読み書きの能力を身につけるのに、音素文字であるアルファベットを学習するよりも数年長くかかる。
 脳の活動における音素文字と表意文字の違いを直接比較できるのが、この両方の書字システムをもつ日本語である。一つは中国から入った漢字で、これは表意文字だから文字のとおりには発音できない。もう一つの「かな」は音素文字で音節ごとに理解される。この二つのシステムは聴覚処理に対する依存度が異なるので、脳のある部位の損傷が一方に影響して一方には影響しない場合が考えられる。実際にそういう症例がある。文字の視覚的イメージを音に転換する際に重要な役割を果たす角回が損なわれると、かな(音節)を読むことが難しくなるが、漢字のほうは問題なく読める。漢字の読みは視覚認知に関わる下側頭回の活動に負っているらしい。二つの正字法をもつ言葉のおかげで、日本人は読字障害という神経学的障害についてはある程度、文化的に保護されていると言えるかもしれない。発作その他の障害で一方がだめになっても、もう一つのシステムを使うことができるからである。
 結論として、書き言葉は話し言葉ほど先天的なものではない。書き言葉と話し言葉にかかわる脳の部位をはっきり分けることはできないようだが、角回はとくに書き言葉の視覚的な面と聴覚的な面の統合を助けていると思われる。あるいは書き言葉は手話のような特異な視覚的言語と考えるべきなのかもしれない。

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>完璧に音とスペルが一致するエスペラント語
とあるが、昔目にしたエスペランド語の本では、ローマ字読みすればいいものだから、こいつは英語を勉強するより楽かも・・・なんて思ったことを思い出した。とはいえ、ザメンホフの夢ははかなく消えて、結局は英語が世界の標準言語になってしまっている。
 漢字+かな文字という二つの識字経路をもつことが日本人にとって神経学的障害に対してラッキーだというのは、なかなかうなずけるところがある。
 脳科学に立脚した言語学という位置づけの書としては、なかなか面白い著書である。

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根本先生講座Ⅱ(その8)

  しかし、これだけでは未だできませんから、次の発問です。      

発問
┌───────────────────────────┐
│Bのように立ち上がるには、目はどこを見たらいいですか  │
└───────────────────────────┘
  着手、正面、進行方向。これも分かりますよね。後ろ向きで立つんで
すから着手です。できない子ほど視点というのは正面向いています。な
ぜかというと、怖いからです。怖いから逆さになれないからあごが上が
ってしまうでしょう。視点が上がれば腰が上がりません。視点を下ろせ
は簡単に上がってくるんですね。下を見れば、もっともっと足を上げれ
ば視点が上がってくるわけです。ただ、それには倒立ができなければい
けないわけです。手と手の間を見て倒立すればきれいな側転ができる。
  そのときにどうするかというと、着手を見なさいといっても着手には
跡がつい付いてませんから、これを置いておくんですね。これを置いて
おいて、手と手ではさむようにして、回って、最後まで赤玉を見ていな
さい。そうするときれいな側転ができます。これを置いたときと置かな
いときとどう感じが違うか。なしでやってみましょう。             
(松本先生実演。)                                             
  今度はこれを置きますから、手と手の間ではさむようにして、最後ま
で、立ち上がるまで見ていて下さい。視点を固定していてください。 
(松本先生実演。)                                             
  「立つときに安定します。」見たでしょう。さっきはふらついたでし
ょう。ところが今はぴたっと止まったでしょう。視点を固定することに
よって動きが安定する。視点というのは大事なんですよ。            
  目はどこを見るかによって、筋肉は視点によって動きが自然にできて
くるんです。                                                   
  スキーも全く同じですね。スキーも滑っていくとき視点を固定して滑
っていくそうです。水泳でも同じです。上手な子のクロール、下手な子
のクロールの呼吸の仕方を見て下さい。下手な子は真上を見ています。
                                                               
                                                               
                          (コンテ4)  紛失中                        
                                                               
                                                               
  ひっくりかえるんです。視点、肩を見てやりなさいというといいです
よ。というわけで、立ち上がり技術は後ろ向き側転の技術です。後ろ向
き側転だけで終ったんでは連続技に入るときに困りますから、終ったら
すぐ、ジャンプするところがありますね。すぐつなぎ技を教えてあげな
ければなりません。(資料提示13の図;おなじく紛失中)          

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