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2007年10月18日 (木)

私の考える「基礎・基本」

これまた以前、『現代教育科学』に掲載されたものである。(内容からみて、5年以上昔だなあ。(^_^;)
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1 現場人としての哲学をもつこと

 小稿の機会を与えていただき、あらためて昭和51年来触れられてきた「基礎・基本」について、手持ちの文献を当たってみた。
 しかしながら、依然として曖昧模糊としている「基礎・基本」を簡明に定義し、説明しているものはなかった。
 そこで得た結論は、
┌──────────────────────────────────────┐
│  現場人として自分流に「基礎・基本」を規定し、実践を通して定義していくことが必要    │
│                                                                                              │
└──────────────────────────────────────┘
というありきたりのことであった。
 さまざまな識者の意見を見たのであるが、そもそもが時々の中教審・教課審、あるいは臨教審、そして学習指導要領で統一された定義があるわけでもなく、他律的にその中味を示してもらおうという姿勢自体が、現場人としての主体性を放棄しているともいえることである。そんなことを再認識したのである。結局は自分でちゃんと考えるということが最も重要な学究姿勢であると感じたところである。

2 12年ぶりの邂逅

 この夏、12年ぶりに教え子たちと顔を合わせる機会があった。
 23才を迎える青年たちである。
 「パチンコ店で働いています。」と元気に答えるO。
「福祉関係の資格を取りたいと思っています。」と旺盛な向上心を持つK。
「老人ホームの仕事をがんばっています。」と明るく語るI。
 どの子も充実した青春を謳歌している様子であった。
 12年前の面影が残るその表情の端々にどの子も「生きる力」を覗かせているのを感じることができた。
 私の隣に座ったやんちゃ坊主だったOの口から出た質問は意外にも、
「先生、今でもギターを弾いていますか?」
というものだった。
 思えば、3・4年生の2年間を担任する前から、子ども達は前担任とギターで楽しく歌っていたものである。
 いいことは受け継ごうと思っていた私は、授業の中や朝帰りの会、お楽しみ会などいろいろなところでギターを共に学級づくりをしていたように思うのである。
 小学校の4年間をギターといっしょに過ごしてきた子ども達にとって、それは何にもましてなつかしいことなのであったのだろう。
 当時は複式学級を担任していたので渡りずらしのための学習ワークやプリント作成、2倍の教材研究などのことの方が、印象深いことではあったが、少人数ながらも楽しく活気のあった2年間だと記憶している。自分の子どものころを思い出してみると、やっぱりつらいこと困難だったことよりも楽しかったことや嬉しかったことの方が記憶に多いものである。
 結局のところ、年間1000時間前後の授業を通して、生き残っていく記憶は、私や子ども達には《快》の部分が圧倒的であったようだ。
 そんな《快》的な学校生活が、いまこのときを元気に生きている子供たちの生きる力となって根づいているのだと感じたのであった。

3 「基礎・基本」私のとらえ

 人格形成の面から教科・領域指導を見た場合、読み・書き・算は生活していく上で必要な技能であることには間違いないが、生きていく上では最重要な能力ではないと、私は考えている。 九九の暗唱、水溶液の性質調べ、説明文の構造学習がどんな人格形成を促すのかなどのナンセンスな論文はまずないだろう。
 論点となることは、
┌──────────────────────────────────────┐
│各教科・領域の学習体験がどのように人格形成に影響を与えていくのか                  │
└──────────────────────────────────────┘
ということだろう。
 いろいろな教科・領域での指導・学習を通して、知識を取り除いて残る部分こそが、その人を支える「基礎・基本」となっていくことではないかと考えるのである。
 これは、以前からあがっている知育偏重主義への批判と合い通じることと思う。
 12年ぶりに再会した子ども達の姿をみて、現場人としてあらためて自分なりに「基礎・基本」を再考した。
┌──────────────────────────────────────┐
│「基本」とは、自分らしさを持ち続ける力。                                                  │
│「基礎」とは、生きていく上での底力・したたかさ。                                        │
└──────────────────────────────────────┘
 もう少し、言葉を足してみる。
「自分らしさ」の他に、「自分を失わないこと」「いつでも自分に戻れる」「自己確立」「自信」などの文言を想起することができる。
 さらに「基礎」の部分。
 「生きていく上での底力・したたかさ」に言葉を足す。
 「自己信頼」「可能性の追求」「挑戦心」「意欲」「革新性」
 以上の文言を〈鍛え、高めていく〉ような定着方法を、学習指導場面で追究していくことが、『現場人として基礎・基本を定着させていく』ことになるものと私は考える。
 こんなことを思いながら、立派に成人した子ども達を目の前にし、自分を再評価してみた。少なくとも子ども達に暗い影を残すことなく、再会の場に呼ばれた身の上を、つくづくありがたく思ったところである。
 子ども達は、私の指導の後にもいろいろな人々との出会いがあり、それぞれ学びの場があったはずだ。そして、そこを生きていく中で、今の自分を確立してきたのである。
 私もその一人としてかかわりをもていくばくかのプラスになれたことを、大変うれしく思ったのである。

4 マクマスターに学ぶ

 生きるということは、ポジティブなことである。
 主体的・能動的な学習者を育てる上では、
┌──────────────────────────────────────┐
│いかにして学習の必然性・必要性を持たせていくか?                                      │
└──────────────────────────────────────┘
という点に指導者として意識が集中しなければならない。
 動機付(モティベーション)や課題意識の喚起が重要視されるゆえんである。
 短い教師生活を通して、私が意識的に持ち続けてきた「基礎・基本」について、目から鱗が落ちる思いのする話があった。
 「マクマスター方式」の指導だ。
 『読むクスリ 26』(文藝春秋)によると、
┌──────────────────────────────────────┐
│  カナダのマクマスター大学医学部では、教官は学生に知識を伝授できないという。     │
│医学生が自ら学ぶように「指導」するだけ。                                                 │
└──────────────────────────────────────┘
なのだそうだ。
 学長の思想は、『必要なのは、自分で発見する能力であり、自分で問題解決をする能力』だというものである。 ここ数年、生活科を研究し、総合的な学習が設置されることになった現況をみると、このマクマスター式は最も私の理想とする学習スタイルかと感じているところである。
 〈知識が必要なら百科事典を背負って歩けばいい〉ということが、技術革新で〈百科事典はポケットに入る〉時代へと変わってきた。
┌──────────────────────────────────────┐
│知識でなく、知恵を獲得する時代                                                            │
└──────────────────────────────────────┘
になった。
 生きていく力である「基本」となる『自信』の確立には、成功体験の蓄積が必要である。
 すでに述べた「基礎・基本」に関連する文言の妨げやそれらをつぶすようなことをしないということを意識するだけでも、子ども達の基礎・基本形成に大きな働きをしていくことになると私は考えている。これはネガティブな考え方である。
 もっとポジティブに考える。
 『自信』の確立は、プラスの自己評価の積み重ねが必要である。
 精選された内容で繰り返し学習するなかで子供たち自身が「理解する」こと、教えられたことではなくて、学び取ったことを子供自身が自覚できるような指導方法をこそ、現場人として追究していくことが必要なのである。
 「飽きるまで体験させる理科授業」「変化のある繰り返しで臨む算数の授業」「自ら内容分析を行う分析批評の授業」「自らの生き方を問い直すライフスキルの授業」「自らの働きかけで自分の有用感を感得するボランティア授業」等々、法則化運動が進めてきた授業のどれもが『子供自らが自分を高く評価していける授業のモデル』となっていると私は思うのである。
 自分に自信がもてる人間は、どんどんアクティブに行動できる。
 創造的な活動を創出することができる。
 そして、
┌──────────────────────────────────────┐
│生きることを楽しむことができる                                                             │
└──────────────────────────────────────┘
ようになる。
┌──────────────────────────────────────┐
│  精練された学習活動の中から、基礎・基本が形成される                                 │
└──────────────────────────────────────┘
 「知的」という言葉に象徴される精練された学習をどう保障していくか。 これがとりもなおさず、「基礎・基本の定着を図る」指導方法の研究となっていくものと考える。
 いずれやってくる教科改編の流れにむけて、現場人としてこのことを危機的に考えていける者が、教室崩壊を回避でき、楽しい学級経営を展開できるのだと思うのである。

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