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2007年10月17日 (水)

子どもが期待する学級の姿

だいぶ前に『現代教育科学』(明治図書)に掲載された雑誌論文である。
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1 学級担任を子どもが選びたいか

 「学級担任を子どもが選べるようにすべきである。」という論題でディベートが組めるか、子ども達に提示してみた。全部で12チーム中ある。
積極的肯定派・・・1チーム 
消極的肯定派・・・1チーム 
積極的反対派・・・10チーム
 事前にこの論題では、肯定・反対のどちらを取るか聞いた結果である。
 肯定指示の理由は、

・自分で選べると楽しい
・いやな先生になることを避けられる
・仲良しがあつまれるという意見に集約できた。

 これに対する反対指示の子ども達の意見はこうである。

・楽しいだけで甘えてしまう
・同じ先生ばかり何年もあたるといろいろな先生から教わることができなくなる
・ほかにいい先生がいてもわからない
・おなじ先生のところに人気が集中してたいへんになる(学級人数の問題である。過密を意識している)
・やさしいだけなら、なんでも「いいよ、いいよ」と寛容に許してもらってきびしくしつけてもらえない。
・きびしく教えてもらわないと頭が悪くなる。

 子ども達の意識は、
┌────────────────────────────────┐
│優しいだけの先生なら、自分たちのためにならない                                    │
└────────────────────────────────┘
ということのようである。

2 子ども達からの告発

 子ども達とも打ち解けてくると、好きにつけ悪しきにつけ、前担任のことが話題となって提供されてくる。
 子ども達にとってよい担任だったら全然問題がないのだが、逆であると全くその対応に苦慮してしまう。
 こんなことだ。

・男にばかりきびしく接する。(その逆もあるだろう)
・ひいきする。
・大した理由もなくすぐたたく。
・授業が分からない。
・自分たちの要求をまともに受け入れ てくれない。
・ばかにする。
・いつまでも愚痴をこぼす。
・休み時間もつぶして授業を続ける。

 こういった事を延々と聞かされると苦痛意外の何者もない。ましてや、現時点で同僚として職場を共にしていると真っ向から弁論していくこともやっかいである。子ども達と誠実につき合っていこうと思えば、取り繕って言いくるめるようなことはできない。

3 現代の子ども達のバックグラウンド

 そんな子ども達の特徴を自分の子ども時代と比較してみると次の点で大きく異なっている。
┌────────────────────────────────┐
│学校や教師に対する評価や価値観                                                        │
└────────────────────────────────┘
 子ども自身が先生というものを実に客観的にみるようになっていると私は感じている。
 私が子どもの頃といえば、担任の先生以外は、それほど目に入らなかったし、教師比較ということもなかった。(少なくとも私や私を取り巻く友人関係の中で聞いた事も話したこともなかったのだが、それは未熟だったからなのだろうか。翻っていえば、現代の子ども達は早熟だということになるのだろうか)
 子どもたちばかりでなく、親達についても同じく、学校や担任のことを日常の話題としているのを耳にしたことがない。(これをして、遅れていたといっていいものだろうか)
┌────────────────────────────────┐
│雑踏的集団が多く、固有・特有の集団があまり見当たらない                       │
└────────────────────────────────┘
 子ども集団にギャングエイジがあるというのは、どうも変質してきているような気がする。教育心理からみると徒党集団は中学年年齢層に見られることになっているが、高学年でもその傾向を強く感じられるようになってきている。しかも、結束力が固いということを余り感じられず、その場的な集団形成であることが多いようである。
 だからだろうか、いじめ・悪口・陰口は、形成されている集団内で発生していることが多いようだ。
 子ども達は対立や衝突を好まない(というか、交渉の力が不足しているのではないかと思う)ので、不満のはけ口を別なところにもってきていることが多いようだ。靴隠し・筆入れ隠しなどの持ち物隠しをして、相手を困らせたり、物品を渡して気持ちを引いておくという行動がある。
 そして、それらの行動を誰かが強烈にリードをするということもなく、だれがいうともなく、なんとなく流されるムードで行われている様子が伺われる。

4 子どもが求める教師とは

 これを一言で言えば、
┌────────────────────────────────┐
│安定した生活を保障してくれる指導力をもつ教師                                       │
└────────────────────────────────┘
である。
 安定した生活とは、
┌────────────────────────────────┐
│・秩序がある                                                                                       │
│・ルールが徹底されている                                                                     │
│・差別関係がない                                                                                │
└────────────────────────────────┘
ということである。
 法則化運動の中で、学級崩壊を防ぐ教師の姿勢としてよく「赤鉛筆」が登場する。毅然とした教師の指導姿勢、筋の通った一貫性が、子ども達に与える影響力は絶大なものがある。
 しかし、それは圧政ではない。
 指導者は担任教師なのだという秩序の提示である。
 「赤鉛筆」を使うのだとするルールの徹底指示である。
 そして、例外を認めない差別を排する指導姿勢なのである。
 子どもの個性を尊重する・・という論調の教師がいるが、子どもの個性は鍛え上げる中から、みがかれていき、可能性を引き出していく教育活動の延長上に現出するのだという信念を持たないと指導がぐらつき、やがて屋台骨が折れて、教師もつぶれ、子どもも荒れる結果を招いてしまうということを自覚するべきである。

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