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2008年6月

2008年6月30日 (月)

なんで勉強するのか

これは勤務校の学校便りの巻頭言に書いたものです。
学校長にも好評で「これ、道徳の資料に使っていいか?」と聞かれました。(^_^;)
同僚にも感動した・・なんて、誉められたものです。

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なんで勉強するのか
 総務 大谷 和明

 しばしば勉強したくない子どもがこの質問をしてきます。大抵の大人は、「勉強するのが子どもの仕事なんだから、ぐずぐず言ってないでちゃんとしないと将来困るよ。」などと脅しとも励ましとも付かないような助言をします。
 何かに熱中している子どもは、その熱中している最中に「なんでぼく(わたし)はこんなことに一生懸命やるの?」なんて質問してくることは、まずないでしょう。理由は簡単です。好きなことをしているからです。
 したがって、「なんで勉強するの?」と聞いてこない子どもにするには「勉強好きな子どもにすればよい」というのが答えになるわけです。
 でも、これじゃあ、なんだかだまされた感じがしますね。
 そこで、子どもがもつ素朴な質問を大人に当てはめてみることにしましょう。
 「なんで働くの?」
 これは大抵、こう答えるはずです。
 「食うためだよ。」
 これはもちろん間違いではありません。私も長らく、なんの疑問もなく、そう考えてきました。だから、「食うために働くんだ」と言ってはばかるところがなかったわけです。ところが、友だちや先輩の中には「働くために食うんだ」と強く主張する人がいました。
 それじゃあ、車を走らせるためにガソリンを注入するようなものじゃないか。働くのが目的だなんて、自分が機械のようなもんじゃないか。バカバカしい発想で本末転倒だと思っていたのです。
 時間が過ぎて、私は今年で50歳になります。いかに長寿の国といえども、人生の下り坂に入っていることは否めません。年齢なりに自分の過去を振り返ることも、たまにはあるものです。その時に自問することが「自分は何のために働いてきたのか?」ということです。食うため、家族を食わせるためということなら、食べる分だけ働けばいいことになります。ちょっとばかり贅沢をしようと思ったら、その分を余計に働けばいいわけです。
 しかし、それではどこかむなしさが残ります。そんなことを思っていたところ、この素朴な疑問に解決の終止符が打たれる時が来ました。それはこうです。
 日本には古くからこういう言葉があるそうです。
 「働く」とは「傍楽(はたらく)」ということで、傍(はた;つまり周りの人々)を楽にするということだ。自分が仕事をすることで、周りに貢献して幸せを創出することにつながるということです。
 決して、自分のためだけのことじゃあないということです。そうすると、働くことは、周りのためになることであり、強いては国のため世界のためになるということです。そうすると、労働の意義がとたんに崇高なことだと再認識できるようになってきたわけです。
 「仕事するために食べる」というのは、価値の高い認識だったわけです。
 再び子どもたちに正対してみることにします。
 「勉強することは、周りのためになる、社会に役立つ人間に成長するためだよ。」こういうと、勉強することの尊さが増して、子どもたちに伝わるような気がします。もちろん、好きなことをすることが勉強になっていればさらに理想的です。
 思い返してみると、子どもがとても小さい頃、いろいろなことをとてもやりたがっていた頃、その奉仕の活動は何か報酬を得ようとか誉められようとかといった打算的なことを考えて行動していたわけではないでしょう。無償の働き、ボランタリー精神が豊富で、人のためになることそのものが喜びを感じていた時代です。悲しいことに、これはだんだんと衰退していって、しまいには報酬のためだけに働くことが当たり前と思うようになってくると、労働そのものの価値が相対的に下がってしまうような気がします。

 勉強は決して、家でも教室でも机に向かってしていることばかりではありません。労働を通して学ぶこともありますし、人のためになることをする勉強もあります。一つひとつの貴重な体験を積み重ねていくことは、自分という人間の価値を高めていくことなのだということを自覚するようになった時、もう一つ人間としての成長を獲得したと言えるのではないでしょうか。単に知識を与えることよりも、もっと大事なことを与えることになると思います。修学旅行が終わりました。これから宿泊学習が始まります。座学じゃない体験学習を通して、貴重な学びが数多くあることでしょう。
 そんな場で働くことができる教師というのは、実は大変贅沢な職業なのかもしれません。

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2008年6月29日 (日)

TOSS酒井式全国大会(3日目;2008.6.29)

折角、宮澤賢治のふるさとに来たのだから、賢治記念館へ・・、ということで、前日に行き方を現地人から聞く。
東北新幹線で、ひと駅「新花巻」で降りると歩いて行ける距離だという。
すなおに切符を購入して乗り込んだのが「こまち」。対して深く考えずに乗り込み、デッキで「このまま仙台となったら大変だな・・」とバカ話をしていたら、プラットホームの電光掲示板を見ていた廣川さんが「それだ。」ということで、慌てて下車。(^_^;)
あやうく仙台へ行くところだった。アブナイアブナイ
Dscn1525

30分後の列車で一路、新花巻へ。
荷物をコインロッカーに入れて歩き始めるが、これがなかなか着かない。(^_^;)
しまいには、記念館までの上り坂に迎えられて全員が辟易してしまった。(^_^;)
Dscn1529 Dscn1532 Dscn1542

小1時間の猶予ということだから、賢治記念館だけの見学となったが、大型タクシーの貸し切りを利用すれば、3箇所くらいは廻れたものと後でわかる。(残念)

記念館を後にして、タクシーで空港へ。

なんとも慌ただしい移動だったが、年中行事を一つこなして、満足の旅だった。
来年は、熊本で全国大会がファイナルを迎えることとなっている。
第一回が我が札幌で開催したのが懐かしい。
結局、酒井式作品の市民展示会はどこも引き継いでくれることなく、最終回を迎えるのだろう。
なんとも残念である。あの企画は、私は第一回の全国大会本場よりも力をいれて開催したものだけに引き継いてくれなかったのは無念の極みである。

思えば、第一回には向山先生もわざわざ駆けつけてくださったものである。
帰京後、体調をくずされたものだから、なんとも責任を感じたものである。
幸いに健康を取り戻されているので、ホッとしているところだ。

酒井先生を迎えての授業ライブがいよいよ7月4日(金)となった。
こちらは第11回を迎える。第一回も私が勤務する札幌市立ひばりが丘小学校であり、今回また勤務校 札幌市立もみじ台南小学校である。
実に有り難い話である。
多くの方々にご来校、参観いただきたいものである。
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☆第11回TOSS酒井臣吾授業ライブ
日時 2008年7月4日 (金)12:30~
場所 札幌市立もみじ台南小
講師 酒井臣吾氏   
申し込み  下記HPより
http://www.max.hi-ho.ne.jp/logtaku/sakai_zyuku.htm

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TOSS酒井式全国大会(2日目;2008.6.28)

大会本番。
会場でSOUPLE販売のブース準備があるということで、二日酔いに無理をして朝食を摂り、そそくさと会場へ向かう。徒歩、15分といったところ。
盛岡総合福祉会館。
旧知の方々と挨拶を交わす。二日酔いながらもにこやかに歓談(したつもりながら、いつもの仏頂面だったのだろう(^_^;)

いつもの授業技量検定が行われる。
札幌サークルからも廣川さんと佐々木さんが登壇。
それぞれが昇級。立派!(^_^;)
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他には、鹿児島の原口さんや福井の高橋さん、上木さんと常連メンバーである。
なかなか新人が登壇するのは難しいのかもしれない。
D表受験者が急遽C表チャレンジとなるが、本来は審査資格条件がそろっていない中での審査となり、あとでこの件に関して、メンバーと話すことになった。

今回の酒井先生の新ネタは「獅子踊りのはじまり」である。
SUPLEの臨時号(全国大会報告号)で超速実践することになっているのだが、クレヨンを使っての指導である点、低学年でも結構いけるかもしれない。
出来映えもまずまずであった。(写真は酒井先生のサンプル)
Dscn1479

特別講師として吉永順一前校長が登壇された。ユニバーサルデザインと酒井実践との脈絡にふれる、大変いい内容だった。初めてお目にかかったのだが、やはり実力のある方はひと味も二味も違うものだと感心した。
聞けば、前夜祭で酒井先生と歓談されたようだが、意気投合で、互いに尊敬する仲となられた様子だ。
個人的にもうすこし話したいなと思った。
Dscn1521

めずらしく高校教師だという方が参加されたいたのだが、この方、吉永先生のSNS日記をプリントアウトされて、克明に分析検討されていて、そのノートの細やかさに圧倒されてしまった。たしか14冊以上にはなっているとのこと。なかなかここまではできないものである。

今回はTOSS銀河TSが主催で行われたが、代表の田村さんとは、法則化運動のごく初期の頃からの同志である。細やかさやこだわりといったら、なかなかの人である。
Dscn1517

懇親会後の二次会は、昨晩の三次会会場「Dscn1524 耕作」へ。
さすがに疲れてみんなしめやかに米焼酎でチビチビとやる。
昨晩ほどの勢いがなく、早々に帰って、放送されていたターミネーター2を見て寝る。
(^_^;)

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TOSS酒井式全国大会(1日目;2008.6.27)

午後から年休をとって、一路、新千歳空港へ。
お2万円ほど持っていたのだが、金に少し余裕をもたせようと、途中で2万円ほどおろしていったが、結局、それでも全然足りなくなった道中だった。

新千歳空港は警察官やら警備スタッフやらがゾロゾロいて、聞いてはいたが、ここまでサミット関係のものものしさには閉口してしまった。他府県の警察が応援に駆けつけているのが実によく分かる。

新千歳~花巻線は、一日2往復ある。出発は後便のため、夕刻に到着。
花巻空港からは高速バスで、盛岡駅を経由して宿泊先近くのバスターミナルまで乗る。

ホテルへ向かう途中に、旧岩手銀行前で記念撮影。由緒ある建物だ。
となりは同行した角銅さん。(酒井式専門誌「SOUPLE」の敏腕編集長)
Dscn1453

ホテルに荷物を置いて、すぐに盛岡駅へ徒歩出発。
ホテル「ブライト・イン」近くに盛岡城公園があり、たぶん近道となるだろうとショートカットしていく。予想通り、早く抜けることができた。
姉妹都市から寄贈されたトーテムポール前で写真。城壁前でも一枚。
Dscn1454 Dscn1455
「ここが呑み街だな」とおぼしき場所をバックにまた一枚。(^_^;)
Dscn1456
徒歩では30分はかかると言われたのだが、20分ほどで到着する。

この日は、大会前日だからあまり深酒をしないように・・というわけがなく(^_^;)、私と角銅さんは3次会まで痛飲してしまった。(^_^;)どもならんね。
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2008年6月22日 (日)

ぶっかけそばを喰う

Dscn1307

今日の昼食は、いつもの蕎麦「きむら」へ。
鴨せいろにしようと思っていたら、結構暑い日だったものだから
ぶっかけそばに変更。
蕎麦の上に、ゆで卵・岩のり(乾燥)・小ねぎ・エビ天ぷら・ピーマン天ぷら
かぼちゃ天ぷら・おろしダイコン・などが乗っており、そこへたれを投入して
食べるというもの。(写真参照)

いやあ、うまいうまい。ここの蕎麦はじつに腰が強くて味わいがある。
使っている水も特別なものだから、そのことが味に反映されているのだね。
蕎麦通にはたまらない逸品である。

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挨拶することをスタンダードにするには

学校で挨拶が盛んになるように取り組んでいる研究仲間から、なかなかうまくいかない旨のメールがあり、以下、返信したものです。
個人的な場面では挨拶する子が玄関先での挨拶はしないということのようです。
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こりゃ考えられるのは、周りからの外圧や視線、同一化(周りに合わせる)
などではないですかね。
児童会であいさつ運動をやっていませんか?
地域への働きかけなどしていませんか?
以前、私が努めていた中学校では、廊下・階段・玄関先と
とにかく至る所で職員や来客に対しては、徹底した挨拶を
するところでした。それこそうるさいくらいです。(^_^;)
「さっきしたべや・・」と思いつつ、互いに「おはようご
ざいます。」「こんにちは。」を繰り返しているとそれが
標準となって、抵抗感や違和感が無くなってしまいます。
この場合、大事なことは黙礼ではないということです。
全校集会の座礼・立礼なんか指導したことがありません。
1000人近くがサッとそろって礼をするところは壇上からは
荘厳のひと言です。
こういう環境では、不良もやらざるをえない。(^_^;)
要はあいさつを交わすのが、どれだけスタンダードになっており、
そして、それがきちんと維持される努力が継続されて実践して
いるかということが肝心だと考えています。
そんなのは家庭や地域がすることだ!と主張される方がいらっしゃい
ますが、自分たちでできることを放棄している人間にそんな指摘の
資格はないですね。そういう方には、逆にこちらから挨拶・親切攻撃
をしてやりますね。(^_^;)
まずは、児童会+教師集団で挨拶の常態化づくりを進めてみては
どうでしょうか。
型から入って、それがやがて自然体になっていくことを目標にして
みることをお勧めします。

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2008年6月21日 (土)

崩壊した学級は、どうやって建て直すのか?

崩壊した学級は、どうやって建て直すのか?

『いじめを許さない学級を創る 小学4~6年』(明治図書 大谷 和明著)
http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D131213%2D8

Mybook

明治図書が打ち出したポップは次の文である。
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「いじめ」と「学級崩壊」に悩む教師の武器となる一冊
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これは効くわ(^_^;)。自分でも買いたくなる。

この本は、サークルメンバーや札幌市内勤務の研究仲間たちなら、知っての通り、もうどうしようもない最終レベルまで到達した崩壊学級を建て直していったドキュメントが核となっている。
小学校6年生、卒業期を迎えて、ボロボロのまま卒業させるわけにはいかない。
新学期のリセットで迎える「黄金の3日間」とは訳が違うと自覚していた。
自称「プラチナの3日間」に、これまで修業して得てきた学級創り直しの技術と教育思想を余すところ無く盛り込んである。
当然、教育書としては、これまで見たことがない形式を取っている。
中心となる第2章は、リアルタイムの演習と展開されるドラマをライブで見ているような臨場感を味わってもらえることと思う。

【同時刊行の新刊案内は以下へ】
http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shinkan.html

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TOSSをするな?!

TOSS空知例会に顔を出す

酒井式専門誌(なんだか今でもなじめない言い方だけど(^_^;)SOUPLE41号の袋詰め作業を手伝いに出かける。19:00開始10分前に会場の日の出小に到着。1番手だった。
職員室に角銅さんを訪ねるとビックリしていた。いつもとは逆であるからね。(^_^;)
Dscn1283

開始時刻を過ぎた当たりからボツボツとメンバーが集まってくる。
冊子の袋詰めだけでなく、おまけDVD付きという。以前、酒井臣吾授業ライブで行われた「刀で描く」のライブビデオをおまけで付けるとのこと。いやはやサービス精神旺盛である。日の出小では一挙にDVD6枚をコピーできるマシンがある。
ページセッターや製本機がないのに、こういうものはある(^_^;)。
Dscn1284

今回は、TOSS空知から廣川代表が酒井式全国大会で検定授業をすることになっている。
会場が盛岡であるから、当然、宮澤賢治作品で授業をする。

詳細報告は他からも出てくるでしょう。
やはり3人寄れば文殊の知恵とでもいうべきか、「つかみの15秒」をどうするかが焦点となっていった検討会だったが、なかなか冴えた導入方法が見つかり、これは昇級が期待できそうである。(がんばれよ~)
Dscn1282

私も3分ほどの導入部の授業をさせてもらった。
今年の3年生は1~2年は酒井式をかじる先生から引き継いだ、ちっともかじっていない先生が担任となった「まるなげ指導」なものだから、実に悲惨な絵ばかりである。正直いって、堂々とよく廊下掲示できるなと思っている。恥ずかしいというセンスがないのだね。(^_^;)それより、「これが大谷@TOSS酒井式/札幌サークルさんのいる学校の絵かい?!」なんて言われそうで、いやだなあ。
私がやれば、こうなる!という絵でも掲示したいものだ。
Dscn1291

今回の廣川さんの提案する絵は、比較的短時間でできて、しかもまずまずの見栄えが保証できる授業なので、ライブの前にでもやれたらやってみようかな。
Dscn1292

終了は22:10を過ぎていた。終わったら、生ビールでも飲みに行こうかと考えていたけど、とてもそんな元気もなく、まじめに帰宅。途中、サンクスで蕎麦を買う。まるで夜食だな、こりゃ。
帰宅してビックリ。娘(高2)がまだ帰宅していないとのこと。聞けばバイトだというのだが、随分と遅くまで働かせるもんだ。女房が怒って、娘と口論。そばで蕎麦を食う。(^_^;)
このところずっと「金が無い」が夫婦そろって(娘にとっては両親そろって)の口癖なものだから、少しでも自分の小遣いを捻出しようとしてバイトしている親思いの気持ちがあるものだから、ブツブツ小言を言われるのが心外なのだろう。
まあ、分からないでもない。(そして、そばで蕎麦を食う(^_^;)

ふて腐って、そのまま2階の自室へ。
女房も気の毒に思ってか、「給料が出たから、明日は洋服でも買いに行こうか?」とご機嫌取りのメールを送る。返信なし。(^_^;)
そんなことするくらいなら、ちっとは言い方や対応を変えりゃいいのに・・と思いつつ、そばで蕎麦を食う。(^_^;)

肉体的には疲れたけど、やはり研究熱心な仲間に交わっていると精神的に元気になるというのが、サークルのよいところだ。
荒谷さんは旭川から片道2時間をかけてくるのだが、「ここでもこなけりゃやってられないよ。」と。職場には恵まれていないようだ。
何とはなしに聞いていると、学校では「TOSSをやるな!」というお達しがでているらしい。以前から「スマートボードは使うな。」とも言われている職場であり、最新医療機器をもって四川大地震現場に向かった日本医療団が、正義を果たせず帰国してきた無念さのようなものを感じているのだろうね。
全くどうにかなっているとしか思えない。
Dscn7831
私の学校ではスマボやソフトやコンテンツや情報を共有して、子どもたちのために一致団結して共同研究をしているわけだから、あまりの違いに驚くほかない。(^_^;)

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今朝の散歩

散歩 兼 配送作業

昨晩(6/20)は、日の出小でSOUPLE41号の袋詰め作業があるということでお手伝いに出かけた。朝靄の中をバカ犬の散歩ついでに、そのSOUPLEを矢田さんと安野さん宅へ届けに行った。
出発は5:10あたりだったと思うのだが、帰宅するとなんと6:40であった。
1時間半も散歩していたことになる。
西高横で満開のニセアカシアを撮る。すでに札幌圏では、アカシアはピークを過ぎて、散り始めているあたりだ。西高横の遊歩道は用水路の上に造られてあり、足下には大量の水が流れているのだが、危険防止もかね、大変便利になったものだ。
道を曲がって、矢田家とおぼしきあたりをめがけると、果たせるかなバッチリと矢田さんの家の前に出た。まあ20年近くも岩見沢に住んでいるんだから、それくらいの土地勘がないとおかしいのだけどね。Dscn1297

東山公園のテニスコートでは早朝からシニアのテニス愛好家たちが練習に励んでいる。岩見沢はテニスが盛んなところである。来年はねんりんピックの大会があるようだ。
農高横を通り、12号線を渡ると天理教がある。歩道には防犯用の緊急連絡電話が設置されてあった。学生らが通学する道だからだろうか。
Dscn1298

7条通りを安野宅へ。郵便受けにSOUPLEを投函して帰路につく。
もうこの当たりになると散歩の後半戦となり、いかにバカ犬でも疲れが出てきて、脚側歩行をせざるを得なくなる。(^_^;)
利根別川にかかる橋で、ゴミ拾いをされている方を見かける。
このあたりでは、バスの停留所に設置されてあるゴミ箱を自発的に掃除してくださったり、犬の散歩のついでにゴミを拾い集めてくださる方など、実にボランタリー精神が豊富な市民を多く見かける。Dscn1299
彼らと毎日歩道やバス停を利用する人たちとは、生活サイクルが異なるので、顔を合わせることがない。自分たちが快適に過ごしているのは、実は、こういった陰徳を積んでいらっしゃる方々のお陰なのだということを知ってもらいたいものだと思う。

実際は、車や自転車からのポイ捨てや歩きながらの飲食ポイ捨てとまるで正反対の行動をとる者が多いというのも腹立たしい思いだ。

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2008年6月20日 (金)

なんで勉強するのか

このところ田坂広志氏に学ぶところが多く、その影響を受けて書いた学校だよりの巻頭言です。ご笑読ください。

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なんで勉強するのか
 総務 大谷 和明

 しばしば勉強したくない子どもがこの質問をしてきます。大抵の大人は、「勉強するのが子どもの仕事なんだから、ぐずぐず言ってないでちゃんとしないと将来困るよ。」などと脅しとも励ましとも付かないような助言をします。
 何かに熱中している子どもは、その熱中している最中に「なんでぼく(わたし)はこんなことに一生懸命やるの?」なんて質問してくることは、まずないでしょう。理由は簡単です。好きなことをしているからです。
 したがって、「なんで勉強するの?」と聞いてこない子どもにするには「勉強好きな子どもにすればよい」というのが答えになるわけです。
 でも、これじゃあ、なんだかだまされた感じがしますね。
 そこで、子どもがもつ素朴な質問を大人に当てはめてみることにしましょう。
 「なんで働くの?」
 これは大抵、こう答えるはずです。
 「食うためだよ。」
 これはもちろん間違いではありません。私も長らく、なんの疑問もなく、そう考えてきました。だから、「食うために働くんだ」と言ってはばかるところがなかったわけです。ところが、友だちや先輩の中には「働くために食うんだ」と強く主張する人がいました。
 それじゃあ、車を走らせるためにガソリンを注入するようなものじゃないか。働くのが目的だなんて、自分が機械のようなもんじゃないか。バカバカしい発想で本末転倒だと思っていたのです。
 時間が過ぎて、私は今年で50歳になります。いかに長寿の国といえども、人生の下り坂に入っていることは否めません。年齢なりに自分の過去を振り返ることも、たまにはあるものです。その時に自問することが「自分は何のために働いてきたのか?」ということです。食うため、家族を食わせるためということなら、食べる分だけ働けばいいことになります。ちょっとばかり贅沢をしようと思ったら、その分を余計に働けばいいわけです。
 しかし、それではどこかむなしさが残ります。そんなことを思っていたところ、この素朴な疑問に解決の終止符が打たれる時が来ました。それはこうです。
 日本には古くからこういう言葉があるそうです。
 「働く」とは「傍楽(はたらく)」ということで、傍(はた;つまり周りの人々)を楽にするということだ。自分が仕事をすることで、周りに貢献して幸せを創出することにつながるということです。
 決して、自分のためだけのことじゃあないということです。そうすると、働くことは、周りのためになることであり、強いては国のため世界のためになるということです。そうすると、労働の意義がとたんに崇高なことだと再認識できるようになってきたわけです。
 「仕事するために食べる」というのは、価値の高い認識だったわけです。
 再び子どもたちに正対してみることにします。
 「勉強することは、周りのためになる、社会に役立つ人間に成長するためだよ。」こういうと、勉強することの尊さが増して、子どもたちに伝わるような気がします。もちろん、好きなことをすることが勉強になっていればさらに理想的です。
 思い返してみると、子どもがとても小さい頃、いろいろなことをとてもやりたがっていた頃、その奉仕の活動は何か報酬を得ようとか誉められようとかといった打算的なことを考えて行動していたわけではないでしょう。無償の働き、ボランタリー精神が豊富で、人のためになることそのものが喜びを感じていた時代です。悲しいことに、これはだんだんと衰退していって、しまいには報酬のためだけに働くことが当たり前と思うようになってくると、労働そのものの価値が相対的に下がってしまうような気がします。

 勉強は決して、家でも教室でも机に向かってしていることばかりではありません。労働を通して学ぶこともありますし、人のためになることをする勉強もあります。一つひとつの貴重な体験を積み重ねていくことは、自分という人間の価値を高めていくことなのだということを自覚するようになった時、もう一つ人間としての成長を獲得したと言えるのではないでしょうか。単に知識を与えることよりも、もっと大事なことを与えることになると思います。修学旅行が終わりました。これから宿泊学習が始まります。座学じゃない体験学習を通して、貴重な学びが数多くあることでしょう。
 そんな場で働くことができる教師というのは、実は大変贅沢な職業なのかもしれません。

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2008年6月19日 (木)

カラフルねんど

3年の補欠に行く

ひさしぶりに行く。
1・2校時 図工 カラフルねんど
パルプ系粘土で、蛍光塗料を混ぜているらしく、ブラックライトを当てると反射発光するとのことだ。この粘土の優れているところは、色を混ぜ合わせることで、混色の粘土を作り出すことができる点である。
白・青・ピンク・黄色の4色があるので、青+ピンクで紫を作り出せ、3色をうまく調合できれば茶色も作り出せる。
さらに、各色を紐状に伸ばし、束ねてよじるとあの「床屋マーク」のような模様紐を作ることもできるし、金太郎飴模様まで作ることができる。(^_^;)
今回はネームプレート(写真)を作ることになっていたが、余った粘土であれこれ作って楽しんでいた。(写真)Dscn1266 Dscn1268
Dscn1265

3・4校時 国語 国語辞典の引き方を学ぶ
最初にある言葉、最後にある言葉を引く。「ああ」「ん」である。(^_^;)
「あし」と「あした」では、どちらが先にあるか。
「さる」「ざる」ではどちらが先か。
こんなことから、五十音順配列順位について学ぶ。
鍛国研なので、同音異義語を教えた。(^_^;)
「さいけつ」「さいこう」なんかを引いてみた。
この活動の時に、漢字を覚えるのは面倒な感じがするが、ひとたび覚えるととてもつない威力を発揮するという「漢字文化」の授業も展開した。
例えば、「さいこう」は最高・再考・再興・採光・採鉱・・といろいろあるが、次を見れば一発でその意味が分かる。
「やま」は「山」で視覚的に分かるが、英語では「mountain」というアルファベットの並び順がイコール山なのだということを教えてもらわないと「山」の認識ができないというあたりのことである。
だから、どんどん本を読んでたくさんの漢字を読めるようにしていくのがよろしいという主張を展開したわけである。

5校時 算数 3ケタからの繰り下がりのある引き算
とにかく「10」を借りてくることを、アルゴリズムとして計算手順を繰り返す学習。借りてくる「10」をどこに表記するかというあたりで、2通りの表記法を示す。
完全に「10」と書く場合と、「1」だけを書き添えて「15-6」のように書く場合とを示す。減加法は一般的なのだが、繰り下がりのある引き算の場合、「11-2」「11-3」・・・「18-9」と定式の差さえ覚えておけば、暗記している答えを書くだけである。
それが簡単という子どももいるのである。(^_^;)

6校時 読書 ちょっとの時間を自習にさせて、教育実習生の講義をしてくる。給食経理事務についてのレクチャー。

いやはやなんとも忙しい一日だった。
この後、SOUPLE41号の製本作業で帰宅したのは、21:20分頃だった。(^_^;)

恐ろしいことに、女房も娘もまだ帰宅しておらず、バカ犬が寂しくたたずんでいた。(^_^;)
犬を入れて、えさをやり、自分のえさも作る。
ニラのたまごとじ、冷凍開きホッケ焼き、ザンギで「のどごし生」を呑む。
給料の減給に物価高騰、子どもらの学費・仕送りで「ビール」を呑めない。(^_^;)
コノヤロ!世の中どうなってんだぁ!(^_^;)

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理科教育コンサルタントを紹介

私の知り合いの埼玉の小森栄治さんが中学校をご退職され、「理科教育コンサルタント」として再出発されました。
長らく理科教育に貢献されてきた方ですが、新たなステージで更なる飛躍をされることと思います。
ご活躍を祈念して、頂いたファイルを紹介いたします。

がんばれ!小森さん!(^_^;)

http://homepage3.nifty.com/ft-otani/library/komori-gyoumu.pdf

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2008年6月17日 (火)

小学校英語は1年生からやってよい

ひさしぶりに頭に来たので、発信する。(頭にも来たし、重大事項なのでブログからSNSからMLからと、ありとあらゆるところに発信します。長文なので、読みたくない方は、このまま読み飛ばしてください。)

【結論】
小学校英語は1年生からやってよい。

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新学習指導要領が告示され、来年度からの移行措置ならびに平成23年度からの完全実施に向けて、各校とも教育課程の再編成について具体的に動き始めている事と思う。

今回の学習指導要領の中で話題なっているものに、小学校外国語活動がある。
原則として英語と書かれているので、以下、英語活動と限定して言う。

怒りの発端は、我が校でこれまで1年生からやってきた英語学習活動(地域ボランティアまで入ってもらって行ってきているので、実施内容については広く知られているところである。

今回の指導要領にようやく盛り込まれることとなった英語活動であるが、どうしたわけか教科扱いにはならず、領域扱いとなっている。特別活動でもない。
ここがややこしいことになる発端である。

これまで全国津々浦々いろいろなところで英語活動の実践が行われてきている中で、小学校5年と6年と限定されてしまうことにより、好意的・先進的に行われてきた英語活動が、5年生からしかやってはいけないのか?ということが、素朴な疑問で起きてくる。

そもそも教科でない英語活動というのは、中学校英語とは異なるもので、完全に連結させることなら、教科にしなければおかしいことになる。
実際、現場の認識としては、オーラルコミュニケーションとしての英語を使い、話す・謳う・遊ぶといったコミュニケーション手段としての言語「英語」を体験していくことに主眼を置いてきたわけだ。
根本的に中学校英語と異なるというのではなく、書くことやレター(文字)を積極的に取り入れることはしないということであって、英語という言語活動である以上、全く中学校英語と関わりない状態であるはずがない。
そういう点で、完全に連結するものではないととらえてきたし、そうとらえる小学校現場が多かったのだと思う。

ところが!である。
今日の研究会である助言者から指摘されたことなのだが、中学校英語に連結する趣旨として「小学校の英語活動を踏まえ・・」とあるぞ、という話。なぬなぬ?と思い、帰宅して中学校英語の新学習指導要領を見たら、以下の通りになっていた。

新学習指導要領 中学校 外国語より--------------------------------------

イ 生徒の学習段階を考慮して各学年の指導に当たっては,次のような点に配慮するものとする。
(ア) 第1学年における言語活動
 小学校における外国語活動を通じて音声面を中心としたコミュニケーションに対する積極的な態度などの一定の素地が育成されることを踏まえ,身近な言語の使用場面や言語の働きに配慮した言語活動を行わせること。その際,自分の気持ちや身の回りの出来事などの中から簡単な表現を用いてコミュニケーションを図れるような話題を取り上げること。
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正確に言えば、「小学校の英語活動を踏まえ」ではなく、「外国語活動・・・の態度・・・の素地が育成されることを踏まえ」である。
学習されてきた内容よりも、育成されてきた態度(まあ、広く言えば、英語を学ぶ姿勢ということになるのだろうか)を前提として、中学校英語は言語活動を行うように・・ということである。

小学校英語を踏まえて中学校教科英語があるとすると、逆に言えば、

中学校英語の内容を前提として、小学校英語の学習内容を組み立てなければならなくなる

ということである。
つまりは、小学校英語のしばりが出現してしまうということではないか、ということだ。
このことを指摘したら、助言者も「そうだな。」と言う。

まあ、このことは「踏まえ」という言葉の係り受けを吟味すれば、間違いだということに気づく。
この件に関して、若干熱い討論が展開されたのだが、私の主張があながち間違いではないということでホッとした。(討論といっても、私と助言者の間でだけだったのだけど)

ここからが核心部分となる。(^_^;)長くて済みません。しかし、ことは、日本の将来を左右しかねない重要な問題だと私は考えています。

私が問題としたのは、そういうことではない。
さらに、助言者の一人(今日は二人いらっしゃっていた)が、こう述べたのである。

<5年生からと規定された小学校外国語活動を、1年生から行うということは、違法行為だ>

これでは、これまでやってきたことの蓄積は、木っ端微塵となり、これからを目指して作っている最中の1年生~6年生までの一気通貫のカリキュラムが雲散霧消、「はい、ごくろうさん!」となってしまう。

全国でまじめに取り組んできていた学校は、ことごとく浮かばれないことになってしまう。

これまで「総合的な学習の時間」の国際理解教育の一環として英語活動を行ってきた学校が多いと思う。そういうところは3年生からの英語実施である。

何度も言うが、私の主張は1年生からでも英語活動はできる、ということだ。

3・4年生は総合でやるとして、1・2年生ではどこを使ってやるのか?ということである。私の考えはこうだ。

<<< 余裕時数を学校裁量の時間にあてはめて実施する。 >>>

学習指導要領というものは、最低規準であるから、そこを超えてはならないという性格のものでないことは、すでに周知されているところである。

同じ学校の中で、一貫して取り組まれる学習活動であるのに、外国語活動であったり、国際理解教育であったり、学校裁量の時間であったりとばらけるのはいささかおかしい、というか、面倒くさいものである。
そこで、我が校では、1~4年までを学校裁量の時間として英語活動を行い、その延長に5・6年生の英語活動を置くという教育課程編成するということだ。
学校裁量の時間なんて昔の話じゃない?という人がいるかもしれないが、クラブ活動は学校裁量の時間として行われているものである。ただ、現行ではクラブ活動は教育課程から外だし実施をしているところが多いだろう。意義ある教育活動ならちゃんと位置づけて、時数カウントしたいところだ。(それでいながら、編成届けにはクラブの実施時数を記入する欄がある。ああ、矛盾(^_^;)
個人的に不満なのは、学校裁量の時間というものが教育課程編成届けに盛り込まれない幽霊活動的に扱われる点である。(文科省はそこを省令で直してほしいなあ)

とにかく、私の案は以上で、1年生から英語をやりましょう!という意気込みのあるスタッフに囲まれた中で、「そりゃ違法だよ」なんて言われてしまっちゃ、立つ瀬がない。

ホントにそうか?!
で、文部科学省へ電話。(^_^;)
3回たらい回しで、教育課程課につながる。結果は、冒頭の通りである。

ザマミロ!(^_^;)

文科省の担当職員と直々に話したのだから、文句のいいようがないだろう。
これが正義だ。(^_^;)
聴けば、やはり同じような質問があるらしい。
夏には、指導主事への伝達が行われるので、そこで伝えるとのこと。

いやあ~、溜飲を下げるとはこのことである。
自分のやっていること(もちろん、知識経験に従って進めていたわけだし)が認められたことがうれしい。

全国で同じ疑問やわけのわからん批判や批難、あるいはトンチンカンな指摘を受けている同士には、くじけずにがんばってほしいものである。

強く主張したいので、双括型をとる。(^_^;)

【結論】
小学校英語は1年生からやってよい。

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2008年6月14日 (土)

これだけは身に付けたい授業技術ベスト3

歌志内ゼミ報告 その3「連続講座2 これだけは身に付けたい授業技術ベスト3」

前回の続きである。
前回は、鍛える国語教室の神髄とも言える技術「全員参加を保障する技術」について模擬授業をしながら、解説していった。
今回もまた、同じ要領で進める。
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使った教材は、指導するのに難解というか、面倒くさいというか、どうしたらいいのかわからな~い代表格的な詩「風景 ~純銀もざいく~ 山村暮鳥」である。

先週、同じ教材で美園ゼミでも授業をしたので、スタッフにとっては二度目ということになるが、当然ながら同じ流れや内容でやるわけがない。(^_^;)

この詩は、山村暮鳥が視覚効果を形式に反映させた実験的なものである。
だから、「どんな読み方がいいか考えましょう。」なんて学習課題で臨むととんでもないことになってしまう。

冒頭、「やめるはひるのつき」について、いつもの科学的冷徹読みで時間帯や月の形状について授業を進めた。
参加者は、このゼミ始まって以来だと思うが、おそらく最高齢をマークしたのではないだろうか。その方から「三日月」についての指摘をいただき、しっかりした読解に驚いた。聴けば、柳谷さんが参加している句会のメンバーであるとか。
道理である程度、理にかなった読みの素地があるわけだ。(^_^;)閑話休題。
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今回の授業では、使う授業技術として「空白禁止の原則+評価の原則」を1セットで行った。
もとより、鍛国研では学習者をたるませない!という指導者の姿勢が指導内容と相まって示されることが必須としているわけで、それだけでも十分に空白禁止となっている。(^_^;)
それとは別に、子どもたち同士の確認や読み合わせ、相互評価といった学習活動を展開することで、学習の主体者としての自覚を持たせるという意味あいが大きかった。
評価については、教師が評価することは当然として、子どもたち同士での相互評定や発表を聴く(傾聴する)ということをもって、評価の原則を生かす授業として示したわけである。

さらに、この詩の“ゆらぎ”である。「かすかなるむぎぶえ」「ひばりのおしゃべり」「やめるはひるのつき」そして、「いちめんのなのはな」という4つのフレーズから読み手(=学習者)が描き出す情景を「スケッチ作文」として書き上げ、相互評価することをメインとした。

私のお隣の席でドキドキしながら受講されていたという教育委員の方が相互評定オールAということで、代表して、この詩から読み取れる情景を作文に表した「スケッチ作文」を朗読してもらった。

ちなみに、スケッチ作文は取り立てて題名を付ける必要はない。
大切なことは、同じ作品(この場合は同じ詩)を通して、感じられることを理にかなって背景づけられるかと描かれた情景にどれだけ共感できるかと言う点にある。

こういう詩の指導もあるのだという一例を示したものであり、満足してもらえたことと思う。

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「作文力の形成」(低学年)

歌志内ゼミ報告 その2「作文力の形成」(低学年) 2008.6.14

今日は、作文の定型について指導した。
低学年だから、本来は原稿用紙は縦12マスとか14マスとか、少ないものが適正なのであるが、通常の400字詰め(20×20)で進める。

大まかな流れは次の通り。
三年生 リョウ君の作文を私が読み、それを目をつぶって聴く。
原稿用紙に題名、氏名を書く。(それぞれ確認)
本文の書き出し箇所を確認、指導する。
改行の基本について指導。および改行時の書き出し箇所を確認する。
強調の「 」について指導。当然、読み上げの時に、強調部は声を大きくして読む。
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さて、授業では、題名「運動会をふりかえって」を2行目から書き出す人がいて(歌志内市教育委員の方であった)、他は定型通り1行目から、上側に書いておくことを確認。
この方はどこかでそのように指導されたということで、三浦綾子が若い頃、下宿していた街が歌志内ということもあり、その関係からか、小説の題名を表記する場合、1行目を無視して、ポイントを大きく書くことを指導されたようである。
これは必ずそうせねばならないというものではないのだが、小学生の定型としては、1行目で上側に書く型を与えておくのがよろしい。

続いて、2つめの文「ぼくのテーマは、三つあります。」を、1行目に続けて書くか、改行するかの問題へと移る。ちなみに1行目は、「六月九日に、いなさとれんごう大運動会がありました。」というもの。
余談ながら、九日に「、」と読点があるのを指導。つまりは「にいなさとれんごう」となれば、読み手がどう読めばよいのかわかりにくいので、わかりやすくするための読点であるということを指導したわけだ。
さて、2つめの文は、内容が変わっているわけだから、改行が正しい。
改行時は、トップの1マスを空けることをここで指導する。

3つ目の文<一つ目は、「白組にぎゃくてんされないぞ。」でした。>という地の文に付記される強調の「 」の指導である。大人だから、豊川小の先生がズバリと「 」を付けることを指摘。それに習って原稿用紙に強調の「 」を付ける。
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この作業は、原稿用紙フォーマットのワープロを立ち上げたパソコンを、液晶プロジェクターでマグネットスクリーンへ投影しながら進めた。
作業途中、赤のホワイトボード用のマーカーで指摘部分に書き込みをする。
前回も使ったが、こういう授業機器はどんどん使うのがよい。
統計データにもはっきり表れているが、授業の中でスクリーンに映して進めることにより、かなり学習効率が有為に上がることが分かってきている。

最後は、続きの文章を提示しながら、全員を読み上げて終了。
こういう定型の指導を低学年でおろそかにすると、中学年以降、作文はもちろんノートへの書き方もグチャ書きを平気でする子どもになってしまうものだ。大事な基本ルールだけでもしっかりと教えておかないのは、子どもにとっても後々困り、恥ずかしい思いをさせるだけである。

まずまずの反応だったかと思う。

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「10よりおおきいかず」(小1算数)

歌志内ゼミ報告 その1「10よりおおきいかず」(小1)

今回で2回目。リピーダーが1名。あいにくと子どもがいないのが残念ながら、大人ばかりで大入り満員となってしまった。(^_^;)
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私の模擬授業1「10よりおおきいかず」(小1)
今回の提案は、各位における数量をきちんと認識させつつ、位取り記数法を習得させるというものである。
具体的にいうと次の通り。
従来、タイル指導では、一の位(の部屋)でもバラタイルを10個置いて、棒タイルとしたところで、隣の十の位(の部屋)へ移すという流れで教えられてきている。
ところが、実際には普通のソロバンの珠を見て分かる通り、各位における個数というのは上限で「9」なのである。
したがって、一つの位である「1マス」に書くことができる数字は、0~9までの十種類に限られているのだ。
(余談ながら、数・量・数字・数詞といった学習用語をきちんと理解して使い分けている教師はことのほか少ない。今日も、釜谷さんに指導を加えたところである)

そこで、一の位にはバラタイルの置けるスペースを9個分だけとし、十の位にもまた十の棒タイルが9本までしかおけないように作ったタイル板を設置して授業を進めた。

流れは、1~9までの順唱と指を増やしながらの朗唱。続いて0~9までの順唱と指を増やしながらの朗唱。
大抵の場合、順唱と言えば「1」から「10」までの流れにするところだが、さっきも述べた通り、位取り記数法を指導することを考慮すると「10」までしてはいけないのである。そして「0」を意識させることが「空位記数の0」を理解させるための配慮として重要になってくる。

続いて、ピックアップした人に0~9までの任意の数を言わせ、別の人にタイルを貼らせ、そのタイルの数を見て、数字に書き表す学習作業を展開した。
これもまた算数的活動として重要になってくる。
一つ一つの個別の学習を作業という流れを通して、一貫した流れとして進めることで、定着習得を図ろうという配慮である。

「なな」 → バラタイルを7枚貼る →量を見てノートに「7」と書く。
ここでもチェック。「7」は書くときに何画か?を問うのである。学力の低い子どもや性格が粗雑な子どもは一筆書きをしてしまう。きちんと二画であることを確認し、変な記数を覚えさせないことが重要だ。

二人目は丁度「6」と言ったので、タイル操作はすでに貼られてあった7枚のうち1枚をはずすだけで済む。しかし、子どもの中にはわざわざ全部をはがしてしまってから、あらためて6枚を貼る者もいる。(^_^;)それはそれで大事なことであり、1年生が一冊の教科書でゆとりを持って授業~学習作業させられるようになっているのは、そういう配慮もあってのことかと思う。所詮、大人の思考スピードに合わせるわけにはいかないので、一見無駄っぽく見えることだが、子どもにとっては、きちんとリセットしてからあらためて作業に取りかかる方が、理解を促すということが多いのである。(^_^;)

さて、いよいよ「10」の指導である。ここで初めて二桁表記となってくるわけである。それにも関わらず、一把一絡げで教えてしまう教師がいる。もったいないというより、危険である。
冒頭述べた通り、低学年の算数では位取り記数法をしっかり習得させることが、必達の学習目標である。これができていないと、後に出てくる足し算や引き算、はたまた掛け算割り算といった位をそろえて書いていないとグチャグチャになってしまう子どもを生み出してしまうのである。
そこで提案した通りのタイル操作となってくる。
順調に「9」まで来ると一の位の部屋は満員になる。
次なる「10」をタイルで表すと、隣の部屋、つまり十の位の部屋へと棒タイルで移動せざるを得ないように教材が作られてある。

にもかかわらず、わがスタッフの一人でもある釜谷さんは、こともあろうにバラタイルを1枚だけ、十の位の部屋に置いた。(^_^;)こりゃ、演出を図って、そのようにしてくれたのかと思いきや、大まじめにやっているのである。(^_^;)
(ここらあたりが、空知では麦書房御用達の(^_^;)水道方式で指導したことがないのだなと、実態が分かってしまった。(^_^;)まあ、やらないでもいいのだけど。(^_^;)

そこで、「これは変だという人はいませんか?」と全体に問うたら、これが意外や意外、誰もいないのである。

まあ、こういうことは、決まり事として「このようにするのですよ。」と教えて言い訳だから、「10」の棒タイルを一の位の部屋に貼るとバラ1個がはみ出すので、隣(十の位の部屋)に移します、と話した。
これだけだと詰めが甘い。
そこで、十の位の部屋の下に「1」だけを記数し、一の位をそのまま空欄にしておく。
「これでいいですね?十です。」と念押しを入れる。
当然子どもたちなら、「ダメダメ~」と狂喜するところである。今回の大人達も狂喜はしないけど(^_^;)、違うと指摘できた。
「どうしますか?」と問う。
「一の位の部屋に0を書きます。」となる。
「そうですね。「10」このように書くのですね。」と締める。

以下、定着確認の問題として、20を記数させる。
10~20と来たら、まあ普通30となるところだが、50と言う。(^_^;)
まあ、なんでも対して問題なく進むわけだから、こういう遊びを入れながら、授業を進めるのが低学年、とりわけ1年生では必要なことである。これもまた「変化のある繰り返し」というものである。

こういうきっちりした数だけでなく、「49」とか「28」とかと指示しながら、記数を確認、評価していく、というのが私の授業展開であった。

大事な提案だと自負している。

今回は田中洋一さん率いる苫小牧市立豊川小学校の若手精鋭の先生達が大挙して、学びに来られていた。まず、歌志内までせっかくの休みにもかかわらず、研修にいらっしゃるという姿勢に敬意を表したい。普通来ないね。(^_^;)
こういった熱心な実践家のみなさんをお相手にさせてもらえるので、つくづくありがたいことだと思う。
田中さんの話によれば、学級経営はみなさん上手なのだそうだ。しかし、授業についてはまだまだ満足できないという実に向学心に燃えている方々である。私に言わせれば、学級経営がそこそこうまくいっている人ってのは、それだけでもある程度授業の腕前はあるということだから、さらなる向上的変容を求めようとするのは、相当の傑物ぞろいなのだと思う。
加えて、そういう方々を誘ってこれるという田中さんもまた、大した人に違いないのである。
少しは役立ててもらえただろうか。

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ファイターズで盛り上がる

日本ハム・ファイターズ選手が学校との交流活動をする事業を展開している。
有り難いことに、私の学校が抽選であたり、鶴岡慎也捕手と宮西尚生投手が来校してくださった。
Dscn1200 事前打ち合わせで、約1時間の交流ということで以下の内容で進めた。
(1)交歓プレー プロのピッチング披露・代表児童とのキャッチボール・トスバッティング
(2)Q&A 
(3)選手からのメッセージ
(4)サインボール&色紙の贈呈式
(5)記念撮影
やはりプロのキャッチボールや投手の投げ込みを見るとTVで見るのと訳が違う。smile
一球一球に歓声が上がる。これだもの、やっぱりドームへ行って生で見たくなるはずだね。
児童キャッチボールには女の子が一人登場したのだけど、周りの心配をよそに、まともな弾を投げていたので、両選手からも驚きの声が出ていた。

Dscn1201 鶴岡選手にトスバッティングも披露してもらった。当然、硬式用バットでやってもらったのだが、実際に子どもたちにも振らせてみればよかったと後悔。子どもたちは、軟式少年野球用の金属バットだったから、その違いがハッキリと感得できたのではないだろうか。

メッセージは両名とも犯罪社会への安全確保や学びの姿勢といったことに触れて話してもらうことができた。ついせんだって、防犯教室を開いたばかりだから、子どもたちの反応も真剣であった。
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お二人からは記念のサインボール&色紙をいただいたのだが、受け取る時、児童会長が握手してもらえたのに、「いいなぁ~!!」の大合唱。delicious私がすかさず、「みんなも児童会長めざしてがんばりましょう!」といったら、ギャラリーで来ていた保護者のみなさんから大爆笑。happy01

P1020277 司会進行を急遽頼んだ児童会書記局のメンバーたちは、最初、選手達の真横で司会することに、すごい緊張をしていた様子だったが、ほどなくしていつもの調子を取り戻してきていた。こういう特権というのも、時として必要かつ活動への効果的なはずみとなっていくものである。自分たちの大事な行事や楽しい活動を主体的に進める姿を目にしていくことは、よき校風を継承していくうえでも、価値の高い教育活動であるなと実感した。全校活動部のスタッフにも感謝している。

P1020283 記念撮影は学年ごとに撮ったのだが、予想通りなかなか子どもたちが興奮していて、選手を囲んでなかなか離してくれない。体に触るわ、握手ぜめにするわでテンテコマイだった。
それでも予定の1時間弱を興奮と華やいだ中で終了できて何よりだった。
で、今朝の朝刊をみたら、ダルビッシュ選手が訪問した市内某小学校では、1時間半を過ごしたと書いてあった。(^_^;)完全にイレギュラーだな。(^_^;)掲載されていた写真をみると学級か学年事にもミニゲームをしたようで、そうなりゃ1時間を超えるのは当たり前だね。
ずるいな。(^_^;)
入退場は、ここまでの間、毎日校内放送でかけていた「Go!Go!Fighters!」に合わせて、子どもたちも元気よく歌っていた。退場のときには”F・I・G・H・T・E・R・S Let's Go!!”で大合唱となっていた。
この日は、早朝から学校の鍵開けとこのイベントの準備で走り回っていたものだから、腰を痛めてしまった。coldsweats01
歳だね。(^_^;)でも、縁の下の働きが報われて、子どもたちが大喜びしていたので、よかったな。

交流戦まっただ中で、連日の出場だった鶴岡選手、ルーキーで活躍が期待されている宮西選手には、本当に感謝している。また、会社のマーチャンダイジング部でマネージメントしてくださった新井さんにもお礼申し上げたい。
ありがとうございました。

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クラゲの動画

サンピアザ水族館へ行ったら、クラゲを展示してました。
教材に使えそうなので動画撮影してきました。

【動画の部屋】 
http://homepage3.nifty.com/ft-otani/library/movie-index.html

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教員養成大学の使命

もう9年前のことになるが、まだ野口先生が函館校にいらした時に、大学改革に向けての提言を頼まれたことがある。
大学法人化に向けてのはずみとしたいところと、教育大学の存在価値そのものを再興しようという、当時としては画期的なシンポジウム形式で行われたものだった。

原稿を用意して、さあ本番!というとき、蓄膿症の手術であえなく入院することとなり、原稿はすでに送られていたものだから、私の代理として柳谷さん(現歌志内小教頭)が発表してくれた。(^_^;)

簡単に内容をいうと、大学にも一般大学にあるようなゼミをおくようにしたらよいというものだった。そこには卒業生や現場との架け橋となるような場であり、職業意識をしっかりもち、スキル・センス・ノウハウといった即戦力を磨く場とするべきである・・ということである。
好例として、故森田茂之氏の国語科教育研究室をあげた。
みなさんご存じ、堀さん(現札幌市立上篠路中教諭)を輩出したところである。

実際、それまでの教育大学は一部の教官を除いて、(教育)現場経験の無い人が指導していたわけだから、空を飛んだ経験の無い人がパイロットを育てるようなものだった。
したがって、我々(今も多くがそうだが)は、大したスキルを持たない状態で教壇に立っていたわけだから、いうなれば、いきなり空中に放り出されて、「飛びながら操縦法を覚えよ」と言われているようなものだった。(^_^;)

これじゃあ、このご時世、教師が権威として君臨していた古き良き時代のように、思いのままに指導力を発揮していけるわけがない。
教師の権威というものは、年々ドッグイヤーのスピードで低下している中にあって、その解決の糸口としては、やはり大学改革を行い、しかるべき力量を形成した状態で就職させていくのが、教育大学としての当然の責務であろう!という趣旨である。

その後、国立大学法人となって収支採算は自前でやれ!ということで進んできているが、未だにその歩みについてどのような評価をされているのか、私には見えてこない。
私の出身校 函館校はとうとうゼロ免コース(教員免許を取得するコースがない)だけとなり、教育大学というのは完全に看板倒れの状態だし、地元岩見沢校もまた、札幌校との合併がささやかれてきたなかで、芸術系専門と現職大学院への道を模索しているようである。

今の時代、教員養成課程を持つ大学にとって、最も必要なことはなんなのか?と言えば、時代や社会の要請に適合した即戦力のスキルを持ち、職業人としてのプロ意識を持っている教員を生み出すことである。

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2008年6月11日 (水)

AIMをセットする

AOLのインスタントメッセンジャーであるAIMをセットした。
スクリーンネームは kaz3yang で、Yahoo!!のIDと同じである。
プロフィールをちょいとカッコよく次のようにセッティングした。

教育フォーラム“FreeTalk”主宰者の大谷 和明です。
FreeTalkは教育界(現場やサークル)のリーダーとしての腕と智慧を磨き合う研鑽の場です。未来から預かる「子どもたち」のよき成長を願い、よりよい日本を築くためのよき後輩育成を使命としています。

ちょっと気恥ずかしいところだが、これくらいにしておかないと自らの志気が維持できない。happy01
少々大げさで大風呂敷くらいでないとダメだと思っている。
まあ、もともと大風呂敷のところはあるけどね。大ほら吹きに終わらないように自戒しなきゃな。

いずれにしても多くの方々に参加してもらって、暗雲垂れ込める日本の教育を再興していきたいと考えているところです。

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2008年6月10日 (火)

本城さんからのハガキ

鍛国研空知ゼミ歌志内例会('080517)の終了後、会場近くの「大正館」というアンティーク博物館へ出かけた。
ここの館長さんは本城義雄さんといって、道展の会員でもある芸術家である。
館内見学の折りに記念写真を撮り、ハガキで送ったらご丁寧にハガキを送ってくださった。本城さんの版画刷りのものである。
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2008年6月 8日 (日)

ついにオークションに登場?!

これまで何冊か出版させてもらってきた。ありがたいことです。
Googleでの「大谷 和明」ヒットカウントが72500件にもなっていました。delicious
そして、ついに上梓した書籍たちがオークションの舞台に登場していました。

http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b86078510

まあ、ひろく多くの方々の目に触れて実践に生かしていただけるなら価値が倍増するというものです。BookOffに行ってないだけありがたいです。(^_^;)

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血液不足

昨日は、内田洋行が主催するNEW EDUCATION EXPO2008 札幌サテライトに参加してきた。昼食休憩時間が長かったので、ひさしぶりにあてどなく街をウロウロしてみた。(大抵の場合、目的や目的地がハッキリしての行動が多いので、知っての通りいつもの早歩きになりがちである(^_^;)
地下街を歩いていたら大通駅に献血センターがあるのにぶつかって、そこで初めて献血した。いつもなら、新札幌デュオにあるセンターで行っている。
入り口には、血液不足をアピールする貼りだしがあり、どの型も不足しているようである。
知らなかったことだが、基本的に医療用血液は自国内で確保することになっている。血液もまた自給自足ということである。
そしてそれは国際的に勧告されていることであり、金があるから他国から調達するというわけにはいかないそうである。
自分が輸血を必要とする場合、献血者には若干のメリットがあるということと、いささかの社会貢献という意識で献血してきたが、さらに続けていこうと思った次第である。

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2008年6月 7日 (土)

NEW EDUCATION EXPO2008

表題の研修会に参加する。
本会場は東京なのだが、サテライト会場として札幌の内田洋行北海道支社設備 U-calaが使われた。
昨年、D-proでも行ったことがある。なかなかすばらしい研修設備を兼ね備えているところだ。
今回のイベントは6/5~7までの3日間開催されていた。あいにくと最終日の今日(7日)しか参加できなかったのだが、昨日の梶田叡一さんの後援も聴きたかったところである。
聴くところによると指導主事や教育センター職員などがゾロゾロで来ていたそうである。
そりゃそうだね。(^_^;)中教審の副会長だし、今回の指導要領改訂にも関わっているし、全国学力状況調査の問題作成にも関わっている方だから、行政のみなさんに関心がないわけがない。(^_^;)

前半は次の2つの講座。
(1)教育行政と教育改革
(2)学力とICT  新学習指導要領におけるICT活用(こちらはおなじみの堀田龍也氏)
まずまずの内容。で、本日の目玉は、札幌の割石隆浩さんと石狩の加藤悦雄さんの講座。
割石さんは「ICTを活用した授業を校内で広めるには」と題した、校内奮闘記。いろいろ実態を紹介されながら、着実に職場にICTを普及させていくストラテジーがよい。(^_^;)
加藤さんはいつもの語り口で核心を突く、いい筋立てになっていた。うまくなってきたねえ。(^_^;)
題して「ICTを活用しなければ伸びない学力 ~ICT活用は教員の切り札だ ~」というやや過激なもの。
そうはいいながら、時代の要請事項であり、われわれはもちろん、子どもたちにも必須のスキルということができる。いい内容だった。

札幌はちょうとよさこいが真っ盛りで、会場近くのファクトリー広場でも踊りが披露されていた。近くのバリ屋で特製野菜ラーメン(塩)を食べる。(^_^;)時間があったので、街をふらつき、地下街の献血コーナーで400mlを抜く。(^_^;)過日の成人病検診の血液検査の結果、「要精密検査」の指摘をうけたのだが、まあ50歳にもなると大体はもらうものらしい。どうせまた健診センターに行っても同じく血を抜かれるだけだろうからという思いで、社会貢献がてら献血センターの結果をもらうことにしたということである。(^_^;)

研修会が終わって、会場ではおなじみのワンコインパーティーにちゃっかりと参加。
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2008年6月 3日 (火)

学校リーダーとしての心がまえ

濱田校長の講話「子どもが夢をもつ 学校づくり」(1)
== 学校リーダーとしての心がまえ ==

今日は「中堅教員研修コース(札幌市教育センター主催)」の研修会に参加してきた。
あまり気乗りがしなかった。
だいたい厳ついコース名に表題のタイトルだから、こりゃ管理職お定まりの「べき論」講話で退屈するだろうと思っていたのだ。

ところが、予想に反してとてもよい講話であった。
ちょうどサークルMLで仲間の管理職に対して、説教をたれていたところであったので、我が意を得たり!というタイムリーな内容であったのだ。(濱田氏は中島中の校長です)

序盤は若干退屈であったが、中盤からがなかなか引き付ける内容であった。

(1)学校リーダーとしての心がまえ
「率先垂範」という言葉がある。これに加えて「率先躬行」を示された。

しばしばリーダーシップとマネジメントを混同している管理職がいるものだが、私のとらえはこうだ。
校長=リーダーシップ
教頭=マネジメント

マネジメントはコントロールが伴うことを基本とするので、率先垂範が適用される行いである。
これに対して、リーダーシップは方針を示し、適所での判断決定をする行いが伴う。

授業を例にすれば分かる。
授業に範を示して、具体的にアドバイスできるのは教頭の立場である。最近、ようやく多くなってきたが、民間あがりの校長は必ずしも教員免許を持っているとは限らない。そもそも校長自ら授業するくらいなら、教員1名増の状態である。(^_^;)
そうではなくて、校長がするアドバイスや行動指針に啓発されることで、教師の授業の質を高めることにつながること、これこそがリーダーシップが発揮されたという状態であろう。それは授業ばかりではなく、分掌業務についても同様である。

驚いたのは、この言葉が校長自らの口から出てたというのではなく、生徒会役員選挙で立候補者から出てきたということである。大げさに言うなら、「出藍の誉れ」とでもいうべきことだろう。
そもそも我々教員は、出藍の誉れとなるような人間を育てることを使命として、日々実践に研鑽するべきものと考える。
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