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2019年5月20日 (月)

法則化流 教室経営のいろは

研究仲間の研修会で講師として呼ばれた時に持って行った資料を、自分のサークル合宿の講座で転用したときのものです。
元原稿では、枠組みしているものですが、テキスト文章をコピペしているので、うまく囲まれていませんが、ご了承下さい。
書籍の抜き書きもあり、関心のある方はご自身で原典に当たってみて下さい。
あるいは、現在私が顧問を務める「菊池道場札幌支部」月例会に起こしいただければ、このようなことを具体例を交えて、毎回ミニ講演をしたり、実践交流の際にエピソードを交えてコメントしております。
今年度の月例会メイン会場は、札幌市立ひばりが丘小学校です。時々、旭川は道内各地への出前サークルをすることもあります。
当座の日程は、
6/15(土)7/20(土)8/17(土)
です。いずれも13:00~16:00 二階会議室で行っております。休業日なので入校は12:45~13:00の間でお越し下さい。

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第1回 富良野・美瑛地区五色百人一首大会(「法則化set-up」拡大例会資料)
==========初出年月日===================
第2回 道央フリートーク'96 夏合宿(in 長沼温泉)       '96.8.2
  第4講座(大谷)法則化流 教室経営のいろは

Ⅰ.技量をみがくための30選から

1.決まりきった質問をして、決まった子だけが答えるという授業とは違って、一見あたりまえに見えることを否定し(優等生)の答えの底の浅さを見せつけるところから出発するこうした授業を、子ども達は喜んだ。
『教師修業十年』

  分析批評による国語の授業
  台形の求式の問題
逆転現象を引き起こす発問

2.「ほめる」ということはすぐにできそうだが、なかなかできることではないのである。「ほめまくる」こともひとつの芸であり、そしてまた大げさに言えば、思想の問題、人生観の問題であるのである。
 ある著名な身障児の研究者は「身障児でも美しい動きになれる」というような言葉を否定して、「身障児の存在そのまま美しいのです」と、発言されている。
 子どもでも同じなのである。体育の苦手な、身体表現のどたどたした子どもでも美しく表現できるようになれるということではなく、そのような子どもの身体表現がそのまま美しいのである。
 このように思う実践家と、そうでない実践家とは、実践に大きなへだたりが出てくる。『授業の腕をみがく』

   斉藤 喜博氏の図工指導の批評 
   向山 洋一氏の子ども観

3.どうして、全員の子どもが一斉に、即座に反応しなければいけないのか?どうして、口をもぐもぐさせてはいけないのか?
 これでは、軍隊で兵隊を教える調教ではないか。兵はあまり考えなくてもよい。命令に反応だけしていればいい。判断は将校がする。教師が将校で子どもが兵である。
 こんなことをさせればさせるだけ非知性的になる。知性は個人個人を尊重するところから育てられる。個人差があることを前提としている。
 「アブラナの花は、何枚だ」と聞かれて、すぐに反応できなくても良い。「えーと何枚だったっけ」と思い出す子がいても良い。「忘れちゃったな」という子があって自然である。「そういえば、思い出したぞ」と、口をもぐもぐさせる子があって当然である。
 そうした一つ一つの個性的な反応こそがまさに教育であり、それらの一つ一つをつなげれいくのが教師の仕事なのである。
 全員に大声で同じ答えを言わせることは、こうした一人ひとりの個性を圧殺することである。口をもぐもぐさせたことを連帯責任にするなど卑劣な行為であり、ファッショである。
 たとえ、授業開始直後の数分間のできごとだとしても、こんなことをしてはならない。
『授業の腕をみがく』

   「前へならえ」はするべきことか?

4.子どもの側に立ち、子どもの成長のみに価値観を求める実践なら、どれほど言われようとつぶれはしないし、批判されればされるほどさらにすぐれた実践を創り上げていくからである。
 こういう考えは、おそらく教師の世界の源流にあるだろうし、一つの風潮の盛衰はあっても、子どもの成長の側に立つという教師たちは必ずや全国あちこちの教育現場そのものが生み出してくるからである。
 私もそうした教師の一人であった。
『授業の腕をみがく』

   下関「ふくの会」代表 福山憲市氏のとりくみ学級通信 共育の思想 ミス0の会 

5.「つまずき」は、その授業の中心的なねらいが理解されていない場合に、学習者の誤った思い込みとの矛盾として発生するものである。だから、この場合はもう一度、一斉授業をすることが原則となる。
 「まちがい」はウッカリミスとした方が通りがいいかもしれない。学習内容が不安定にしか定着していない場合である。その基本的な要因は、ていねいさ・持続性が不足しているからである。この基本的要因をこそ克服させていくことが大切だと思う。とはいっても、その授業内容はその時々にしっかりと定着させなければならない。そこに一斉授業中における個別指導が必要とされてくる。
『授業の腕をあげる』

   定規で線を引く 
   赤ネコ漢字スキル(Toss方式) 
   計算の評価

6.私は「教師の願い」は、学級経営をすすめていく原動力であると思う。「願い」がない学級経営は、無意味に近い。
 「教師の願い」は、教室の教育に直接的に反映する。「教師の願い」を実現するためには多くの障害が存在する。それを克服していくための方略こそが、学級経営案なのである。
『授業の腕をみがく』

    新潟塾「2学期の学級経営案」
    向山 洋一氏(尋六)の学級経営案(あるいは圧巻指導案)

7.いかなる仕事にも専門的技量が必要である。専門的技量が存在することにおいて、仕事は仕事たりうるのである。
 だから、同じ現象を専門家と素人が見れば、専門家は素人の何倍も多くのことを見ることになる。
 開脚跳びを指導する場合、助走・飛びこし・着地をいくつに分析できるかで、教師の技量を判断することができる。わずか10秒たらずの開脚跳びの動きを、10にも20にも分解して説明できてこそ、専門的技量があると言えるのである。(『跳び箱は誰でも跳ばせられる』明治図書)
 技術をもって仕事にあたる人がプロなのである。
『授業の腕をみがく』

    相撲(などのプロスポーツ)の解説者としての力量


Ⅱ.子どもの動かすための30選から                   

8.「先生は選挙ですると、どうしてもなれない人が出ると思うので、じゃんけんでやってもらいます」と話した。「やだあ、そんなの」と、いつもなっているらしい賢そうな子ども達が言った。しかしぼくは、強引におしきった。「班長になりたい人たちでじゃんけんで決めます。なりたい人はいませんか?」と聞いた。7人ぐらいが手をあげた。「班長は誰でもできます。先生がついているから大丈夫です」ともう一度いうと、12、3人が手をあげた。やってみたい子は多いのだ。しかし選挙によれば、なれる可能性のある子は限定される。何度立候補しても駄目な子はいつしか”あきらめ”の心を住み着かせてしまうのである。「絶対になれない」と分かるころから、子どもは立候補しなくなる。その点”じゃんけん”は、子ども達にとって、完全に平等な選出方法なのだ。
『教師授業十年』
村田 栄一『じゃんけん党 教育論』よりも向山実践の方が先だそうだ
   「自由で平等な立場からの出発」(全国教育研究集会 東京都代表)
    第2回 自立合宿 公開ディベート(全生研 VS 知学研)
※全生研派・・・大谷 水野
知学研派・・・松本 宮崎(関口代理)
※「知的学級集団づくり研究会」は向山氏から向山学級を
つくるストラテジーを研究する会として認知されていた。

9.計画的に教育していくことについてであった。彼を軸とした教育は、一日、二日ではできない。思い付きでもできない。何本もの伏線が必要であり、いくつもの手だてが必要であった。計画的に手を打っていく、つみ重ねていくことが絶対に必要であった。
『教師修業十年』

    有田氏「教育は布石の連続である。」
    道南フリートーク『子どもを変える手だての定石』


10.指示の意味を語らなくてはいけない。
 そして、ここが大切なのだが、語り方は短い方がいい。
 十分も二十分も指示の意味を語ったら、聞いている方もだらけてしまう。
 「教室をきれいにします。ゴミを十個ひろいなさい。」
 この程度でいい。
 短く、スパッと言うのがいい。
 こういう一言こそが、子どもを育てていく。
『授業の腕をあげる法則』

    簡明の原則 
    趣意説明の原則   

これらが子どもの主体性を育てていく

11.

┌──子どもを動かす法則 ───────────────────┐
│ 最後の行動まで示してから、子供を動かせ │
└───────────────────────────────────┘

┌─教師が子供集団を動かす三原則と各3つの技能群 ───────┐
│ (1) やることを示せ。 │
│ ① 目標場面を描ける。(だから、ロマンに満ちた想像力と │
│ 創造力が両方、豊かな人がいい。) │
│ ② 目標を具体的にしぼり込める。 │
│ ③ 全員の子供のものにできる。(話し合いをさせる力、時に│
│ はガキ大将のようにアジテートする力も必要だろう) │
│ (2) やり方を決めろ。 │
│ ① 仕事の内容を明確にする。 │
│ ② 誰がやるのかを明確にする。 │
│ ③ いつやるのかを明確にする。 │
│ (3) 最後までやり通せ。 │
│ ① 時々、進行状態を確かめる。 │
│ ② 前進した仕事をとりあげほめる。 │
│ ③ 偶発の問題を即座に処理する。 │
│ 『子供を動かす法則と応用』│
└───────────────────────────────────┘

┌──5つの補則 ──────────────────────┐
│ (1) 何をするのか端的に説明せよ。(趣意説明) │
│ (2) どれだけやるのか具体的に示せ。(指示の具体化) │
│ (3) 終わったら何をするのか指示せよ。(空白禁止) │
│ (4) 質問は一通り説明してから受けよ。(混乱防止) │
│ (5) 個別の場面をとりあげほめよ。(個別の評価) │
└──────────────────────────────────┘

12. アマの教師と認定する基準の一つは、忘れ物表とシールである。
 子供をそのようなもので動かしてはいけないのである。忘れ物表はムチであり、シールはアメなのだが、どちらも同じである。
 子供の知性、教養、人格に依拠して教育していないからである。
 確かに、これらのものが使うと、手取り早く子供は動く。シールをもらうために熱心に仕事したり、勉強したりするように見える。だけど、人間の根本から教育しているわけではないので、しばらくすると化けの皮がはがれてくる。波多野誼余夫氏は知的好奇心がなくなってくると報告されている。
 私は今までに多くのすぐれた教師に出会った。そういう教師の中に、一人として「忘れ物表」「シール」などで子供を動かした教師はいなかった。たぶん、そういう教師は人格のもっとも深いところで、こうした方法を拒否していたのだと思う。
 子供の知的成長を促し、人格を豊かにする方向でこそ、子供を動かすべきなのである。
『子供を動かす法則と応用』
    『知的好奇心』 
     代償主義

13. クラス全体がとり組み、文化、スポーツ、レクリエーションの活動の中でこそ子供は生き生きと動き、きたえられていくのである。
 だから、核は固定してはならない。文化、スポーツ、レクリエーションのそれぞれの活動にふさわしい多くの子供が、核として認められ成長していけばいいのである。
 核の位置は、可動的でなければならない。特に小学校教育ではそうである。
 集団は何かをするために必要なのである。この平凡な事実を変えると、集団を自己目的化した集団づくりが行われてしまうのである。
『子供を動かす法則と応用』


14. 最後に「教育技術のチェックポイント」で、自己採点してみましょう。

『子供を変える手立ての定石』

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