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2019年7月 2日 (火)

フルタイムとハーフタイムの経時感覚 20190702

2019年の折返しを過ぎ、本日は半夏生(はんげしょう)である。

※wikipedia>>七十二候1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが[2]、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年72頃にあたる。この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。)

説明にある通り、九州では大雨で避難勧告が発令されているところもあり、無事を祈るばかりである。

さて、今年の前半は1~3月までがフルタイム勤務で、3月31日をもって定年退職し4月1日より再任用ハーフとしての勤務が始まった。4月よりの3ヶ月がハーフ勤務である。

これまでは、職場には6:30前に到着し、退校が20:30近くになることも多く、概ね14時間勤務の生活であった。通勤時間を前後に1時間ほど加えると在宅時間が8時間ほどで、長時間勤務が当たり前の生活が長かった。現在では、8:15までには出勤し、13:30には帰宅している生活状況だ。当然、自由時間が長くなったのだが、単純に自由時間が増えたというだけでなく、圧倒的に時間の経過がゆっくりとなった実感を伴っている。

 

岩見沢在住28年となり、函館生まれ函館育ちで大学卒業までの22年間と比較しても在岩見沢時間が長い。しかし、実感としては在函館時間の方が長く感じられるのだ。この体感の違いは何なのか?犬の散歩の折に考えてみた。そして、以下の結論に至った。

 

<< 目的的な生活状況では経時速度が速く、気ままな状況下では逆に遅い。 >>

 

もちろん物理的な時間に変化が生じるわけではないので、あくまでも体感時間でのことである。

考えてみると、函館以降が社会人としての時間となるわけで、常に何らかの拘束(勤務時間であったり、社会活動時間であったり様々ある)の下にあったわけで、印象としては「追われている」意識が強かったと感じている。

反して、函館では学生までの気ままな時間を過ごしていたわけだから、全てが自己管理下に時間が置かれていたわけだ。中学~大学までは定期テストや試験が節目節目に存在していたのだが、社会的な責任を追っている生活状況と比較すれば気楽なものである。(と、社会人になってから思ったことである<笑>)

 

生物固有の寿命を引き合いにして、一生を送る経時速度を示すことがある。例えば、犬の1年は人間の7年(ドッグイヤー)、ハツカネズミの由来にもなっているネズミなんぞはもっと速く進むわけだ。人間が人生100年時代となった現在でも、ゾウガメの方がもっと寿命は長い。植物に目を移せば、一年草から多年草~縄文杉のような数百年の樹木はザラである。

 

置かれた環境下によって経時速度の感覚に変化が生じることから、このことを逆にとらえると、残り人生をどのような環境下におき、かつ、目的(目標)をどのように設定するかによって、手にする時計の針速度が変わるのだということである。

 

男の場合、健康年齢が72歳だそうだから、今後の12年を見据えて人生設計をしてみるのも意義あることかもしれない。

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