日記・コラム・つぶやき

2011年10月 8日 (土)

ありがとう、スティーブ

タイトルは奇しくも今月号のMacFan表紙に記されたものと同じである。AppleのCEOを退任したことへのメッセージということなのだが、ここでは私自身のパソコンライフへの感謝の言葉として記しておきたい。

私はまもなく53歳になる。
大学在籍の頃に日立のベーシックマスターが発売され、スイッチポンでベーシックの時代が幕開けした。
当時、大学のコンピュータはFORTRUNとCOBOLが導入されていて、引き出しごとにプログラムカードが入っていたものである。物理の研究室にはまだ4ビットのワンボードマイコンがあり、ベーシックマスターを購入した友人が持ち込んだモニター画面を見ながら、パーソナル時代の幕開けを実感したものである。

幸いに大学卒業と共に就職でき、最初の赴任先でファミコンブームが始まった。ファミリーコンピュータというわりには、コントローラとROM入りのカセットだけという作りで「どこがコンピュータか・・」という感じがしたものだが、実際にTVに映し出されるスーパーマリオを眺めながら、ゲームセンターが自宅にやってきたようなもんだと思ったものである。この頃のファミコンのCPUはモトローラ製を使っており、それがアップルのマッキントッシュに搭載されているものと知り、少々驚いたものである。
ちょうど8ビットPCとしてNECの88、16ビットPCとして98が売れ始めた頃で、すでにMac vs PCの構図が始まっていたということになる。しかしながら、アップルのコンピュータは憧れではあるもののそのあまりの高額で(だからこそ憧れなのだけど)、貧しかった教師(私のことですね)には高嶺の華ということでMSX程度で我慢するしかなかった。

その後、10年経過した頃ですら、また98クラスはフルセットでそろえるとなると50万円を超える高額パソコンでEPSON製で我慢する時代がしばらく続いていたものである。
その間、APPLEⅡ〜SE30〜ⅡCi(思えば、ここですでに「i」を使うようになっていたのだね)というラインナップを見ながら、「いつかはアップル」という思いで生活していたように思う。貧しい時代の日本庶民が「いつかはクラウン」という目標を持ちながら、健気に働いていた時代と同じようなメンタリティだと感じている。

札幌に転勤したあたりにジョン・スカリーに追い出されたジョブズはNeXTを立ち上げたわけで、当時は日本の販売代理がcanonであった。軀体がキューブという威容であったけど、その存在感がなかなかすてきに感じられたものだ。一方、能なしのかかしになってしまったアップルではパフォーマのようなおデブPCを売り出し、osすらもばらまき出したあたりから、屋台骨が左前になり始めた。当時、家庭訪問でおじゃました保護者宅にこいつが鎮座しており、「ジョブズが戻ったら、このままじゃおかないぞ。」てな話を子どもの話題そっちのけでしゃべりまくった記憶がある。(^_^;)

復帰してからの成長路線はすでにご存じの通りで、我ら庶民にとってはiMacこそがお値頃のパーソナルコンピュータとして迎えられたわけである。
iBook〜G4〜MacBookProまで購入するに至り、ますますその魅力に取り憑かれているといったところだ。

むか〜しのMacにはHyperCardというアプリケーションがバンドルされており、デジタル書斎派としてはつとに著名な山根一眞もまた、アップルファンの一人だろう。
os-Xの時代では、iLifeがその代わりを務めている。
要するにクリエイティブをサポートすることがパーソナルコンピュータに求められていることを考えると、常にパソコンライフで人生を豊かにするというジョブズの使命感がそのまま体現されて、製品化されたのがアップルのコンピュータというわけなのである。

私とはわずかに3歳の違いなのに、人としての功績があまりにも違い過ぎて、人生の一つの目標としておくにはあまりにもおこがましいのだけど、これからも彼の生き方というものを手本として行きたいと思っている。

ありがとう、スティーブ・・・。

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2011年10月 4日 (火)

沈黙の一年?!

なんとまあ、ほっぽっといて一年が経過してしまった。このブログにリンクしてくれている人もいるってのに、フォーラムとしての機能も果たせないまま時間だけが通り過ぎてしまった。
個人的には2010〜2011年は激動の年であった。
1)勤務校(札幌市立もみじ台南小学校)がもみじ台地区の他の3校と同時に閉校した。
2)2011年2月19日に父親が他界。ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病ながら5年がんばった。
なんと、その前日が閉校式当日で、準備に追われる中を入院先の北大病院と自宅(岩見沢)と職場とを行ったり来たりという慌ただしい毎日だった。
3)閉校に伴う異動で新任校(札幌市立小野幌小学校)へ着任。教頭2校目。ここもまた実力派揃いでやる気満々の職員が集う働きやすい職場である。前任者が前任校でも一緒だった方なので、引き継ぎもスムーズだった。

てなことで、教頭ながら相変わらず呼ばれりゃ時間の許す限り講師でも指定討論者でも出かけるし、研修会にもたくさん参加させてもらっている。朝もはよから夜遅くまで・・という勤務時間の長さに加えて、通勤時間が加わるきつさはあるものの、精神的には健全な職場なので幸せなものである。校長もいいしね。(^_^;)

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2009年8月15日 (土)

有田先生からの残暑見舞い

社会科授業名人として著名な有田先生は、気さくなことでも有名だ。かつ、筆まめな方としてもよく知られている。
今年もまた残暑見舞いをちょうだいした。
「教頭としても休みは忙しいのでは?」
との添え書きに、『あ〜、そうだったなあ。』と振り返る。(笑)

それにしても教頭になったことを記憶してもらっているのがありがたい。
このところ、snsばかりに書き込みしているものだから、このブログは、昇任前に上げたままになっていた。(笑)一応、フォーラムの宣伝塔として機能させようと考えているので、もうちょっとアップロードの頻度を上げていかないとならない。

この夏休みの研修ロードに関しての情報でも上げることにしよう。(教頭とはいえ、おそらく勤務校で一番校外研修をとっているのは、私ではないかと思う。)

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2008年11月14日 (金)

羊頭狗肉を売ってはいけない

研究集団「ことのは」例会スペシャル版として、私の独演会(一応、名目は講演会)を開いてくれた。ありがたいものだ。
3時間弱の時間をフルに使って、あれこれと語ってきたのだが、代表の堀さん(国語教育をかじっている人ならご存知だろう)が、このブログを見てくれているとのこと。
ううむ。
このところ羊頭狗肉を売るようなブログに成り下がっているので、きちんと看板通りのものにしなきゃなと個人的に反省してしまった。(^_^;)
とはいいつつ、毒にも薬にもならないネタの垂れ流しになってしまうのが、自分でも分かっているので、半ば諦め。(^_^;)
一応、FreeTalkは教育フォーラムという設定で再スタートしているので、少しは格調高くいかねばと・・・と思うだけか。(^_^;)
何しろ、「スポンジの頭で考えるブログ」だからね。(^_^;)

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2008年6月29日 (日)

TOSS酒井式全国大会(3日目;2008.6.29)

折角、宮澤賢治のふるさとに来たのだから、賢治記念館へ・・、ということで、前日に行き方を現地人から聞く。
東北新幹線で、ひと駅「新花巻」で降りると歩いて行ける距離だという。
すなおに切符を購入して乗り込んだのが「こまち」。対して深く考えずに乗り込み、デッキで「このまま仙台となったら大変だな・・」とバカ話をしていたら、プラットホームの電光掲示板を見ていた廣川さんが「それだ。」ということで、慌てて下車。(^_^;)
あやうく仙台へ行くところだった。アブナイアブナイ
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30分後の列車で一路、新花巻へ。
荷物をコインロッカーに入れて歩き始めるが、これがなかなか着かない。(^_^;)
しまいには、記念館までの上り坂に迎えられて全員が辟易してしまった。(^_^;)
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小1時間の猶予ということだから、賢治記念館だけの見学となったが、大型タクシーの貸し切りを利用すれば、3箇所くらいは廻れたものと後でわかる。(残念)

記念館を後にして、タクシーで空港へ。

なんとも慌ただしい移動だったが、年中行事を一つこなして、満足の旅だった。
来年は、熊本で全国大会がファイナルを迎えることとなっている。
第一回が我が札幌で開催したのが懐かしい。
結局、酒井式作品の市民展示会はどこも引き継いでくれることなく、最終回を迎えるのだろう。
なんとも残念である。あの企画は、私は第一回の全国大会本場よりも力をいれて開催したものだけに引き継いてくれなかったのは無念の極みである。

思えば、第一回には向山先生もわざわざ駆けつけてくださったものである。
帰京後、体調をくずされたものだから、なんとも責任を感じたものである。
幸いに健康を取り戻されているので、ホッとしているところだ。

酒井先生を迎えての授業ライブがいよいよ7月4日(金)となった。
こちらは第11回を迎える。第一回も私が勤務する札幌市立ひばりが丘小学校であり、今回また勤務校 札幌市立もみじ台南小学校である。
実に有り難い話である。
多くの方々にご来校、参観いただきたいものである。
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☆第11回TOSS酒井臣吾授業ライブ
日時 2008年7月4日 (金)12:30~
場所 札幌市立もみじ台南小
講師 酒井臣吾氏   
申し込み  下記HPより
http://www.max.hi-ho.ne.jp/logtaku/sakai_zyuku.htm

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TOSS酒井式全国大会(2日目;2008.6.28)

大会本番。
会場でSOUPLE販売のブース準備があるということで、二日酔いに無理をして朝食を摂り、そそくさと会場へ向かう。徒歩、15分といったところ。
盛岡総合福祉会館。
旧知の方々と挨拶を交わす。二日酔いながらもにこやかに歓談(したつもりながら、いつもの仏頂面だったのだろう(^_^;)

いつもの授業技量検定が行われる。
札幌サークルからも廣川さんと佐々木さんが登壇。
それぞれが昇級。立派!(^_^;)
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他には、鹿児島の原口さんや福井の高橋さん、上木さんと常連メンバーである。
なかなか新人が登壇するのは難しいのかもしれない。
D表受験者が急遽C表チャレンジとなるが、本来は審査資格条件がそろっていない中での審査となり、あとでこの件に関して、メンバーと話すことになった。

今回の酒井先生の新ネタは「獅子踊りのはじまり」である。
SUPLEの臨時号(全国大会報告号)で超速実践することになっているのだが、クレヨンを使っての指導である点、低学年でも結構いけるかもしれない。
出来映えもまずまずであった。(写真は酒井先生のサンプル)
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特別講師として吉永順一前校長が登壇された。ユニバーサルデザインと酒井実践との脈絡にふれる、大変いい内容だった。初めてお目にかかったのだが、やはり実力のある方はひと味も二味も違うものだと感心した。
聞けば、前夜祭で酒井先生と歓談されたようだが、意気投合で、互いに尊敬する仲となられた様子だ。
個人的にもうすこし話したいなと思った。
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めずらしく高校教師だという方が参加されたいたのだが、この方、吉永先生のSNS日記をプリントアウトされて、克明に分析検討されていて、そのノートの細やかさに圧倒されてしまった。たしか14冊以上にはなっているとのこと。なかなかここまではできないものである。

今回はTOSS銀河TSが主催で行われたが、代表の田村さんとは、法則化運動のごく初期の頃からの同志である。細やかさやこだわりといったら、なかなかの人である。
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懇親会後の二次会は、昨晩の三次会会場「Dscn1524 耕作」へ。
さすがに疲れてみんなしめやかに米焼酎でチビチビとやる。
昨晩ほどの勢いがなく、早々に帰って、放送されていたターミネーター2を見て寝る。
(^_^;)

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TOSS酒井式全国大会(1日目;2008.6.27)

午後から年休をとって、一路、新千歳空港へ。
お2万円ほど持っていたのだが、金に少し余裕をもたせようと、途中で2万円ほどおろしていったが、結局、それでも全然足りなくなった道中だった。

新千歳空港は警察官やら警備スタッフやらがゾロゾロいて、聞いてはいたが、ここまでサミット関係のものものしさには閉口してしまった。他府県の警察が応援に駆けつけているのが実によく分かる。

新千歳~花巻線は、一日2往復ある。出発は後便のため、夕刻に到着。
花巻空港からは高速バスで、盛岡駅を経由して宿泊先近くのバスターミナルまで乗る。

ホテルへ向かう途中に、旧岩手銀行前で記念撮影。由緒ある建物だ。
となりは同行した角銅さん。(酒井式専門誌「SOUPLE」の敏腕編集長)
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ホテルに荷物を置いて、すぐに盛岡駅へ徒歩出発。
ホテル「ブライト・イン」近くに盛岡城公園があり、たぶん近道となるだろうとショートカットしていく。予想通り、早く抜けることができた。
姉妹都市から寄贈されたトーテムポール前で写真。城壁前でも一枚。
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「ここが呑み街だな」とおぼしき場所をバックにまた一枚。(^_^;)
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徒歩では30分はかかると言われたのだが、20分ほどで到着する。

この日は、大会前日だからあまり深酒をしないように・・というわけがなく(^_^;)、私と角銅さんは3次会まで痛飲してしまった。(^_^;)どもならんね。
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2008年6月22日 (日)

ぶっかけそばを喰う

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今日の昼食は、いつもの蕎麦「きむら」へ。
鴨せいろにしようと思っていたら、結構暑い日だったものだから
ぶっかけそばに変更。
蕎麦の上に、ゆで卵・岩のり(乾燥)・小ねぎ・エビ天ぷら・ピーマン天ぷら
かぼちゃ天ぷら・おろしダイコン・などが乗っており、そこへたれを投入して
食べるというもの。(写真参照)

いやあ、うまいうまい。ここの蕎麦はじつに腰が強くて味わいがある。
使っている水も特別なものだから、そのことが味に反映されているのだね。
蕎麦通にはたまらない逸品である。

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2008年6月 8日 (日)

ついにオークションに登場?!

これまで何冊か出版させてもらってきた。ありがたいことです。
Googleでの「大谷 和明」ヒットカウントが72500件にもなっていました。delicious
そして、ついに上梓した書籍たちがオークションの舞台に登場していました。

http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b86078510

まあ、ひろく多くの方々の目に触れて実践に生かしていただけるなら価値が倍増するというものです。BookOffに行ってないだけありがたいです。(^_^;)

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2008年5月25日 (日)

ボサノバ誕生50周年

私は1958年生まれで今年50歳となる。昭和でいうと33年。名画「ALWAYS 3丁目の夕日」(一作目)の舞台がちょうどその時である。
この昭和33年という年は結構いろいろな出来事があった年だと自分なりに思っている。
極めてローカルなところでは、いつも勉強させていただいている野口芳宏先生が教壇に立たれた年で、学習指導要領に特設「道徳の時間」が設置された年でもある。
私自身がその年の生まれで教師をやっているものだから、やはり教育にはなにがしかのつながりがあるのだろう。

もう一つは表題の通り。
ジョアン・ジルベルトの「想いあふれて」「ディサフィナード」が録音されて世に出たのも1958年ということだ。(ディサフィナードの歌詞に“ボサ・ノバ”という言葉が出てくる)「想いあふれて」の作曲家はご存じアントニオ・カルロス・ジョビンで作詞がビニシウス・ヂ・モライスと3人そろってボサ・ノバの3大巨人ということらしい。

ということで、小野リサが好きだけど、今日はイリアーヌ・イリアスでも聴くことにすっかね。japanesetea

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