教育

2009年9月 5日 (土)

英語ノートCDの効果

スマボ(スマートボードを略してこう呼ぶ)のセッティングを頼まれたついでに、使用する「英語ノート」CDのコンテンツをいくつか試してみた。
感想は「悪くはないが配慮が不足」というもの。
その1
ボタン位置が悪い
スマボを操作しつつ、授業にリズムとテンポを創り出すためには欠かせないのが操作ボタンの位置である。
コンテンツ(多いのはFLASHだろうけど)を作る人は、画面の中央下に配置はしない。右下か左下(できれば、選択できるようにする)である。
なぜか。
投影画面に授業者がかぶる
子供たちへの視線がはずれる
基本的なことだが、子供たちを観察しながらコンテンツ操作できるのが理想だ。
そのためには、できるだけ教師の動きを小さくする必要があるわけだ。
よくみられるのは「隠しボタン」と呼ばれるもので、ボタン用に透明のレイヤーを用意して、下半分を前進・上半分を逆進ボタンにしてしまう手法だ。
これだとリズムとテンポをくずさないで済む。
学習している子供にとって画面上にボタンが見えている必要はない。ただし、子供が直接使うことを考えたら必要ではある。
したがって、この解決法は「授業者用の透明ボタンレイヤー」を付けておくことである。

その2
正解・誤答の反応がない。
回答欄に正答や誤答を入力(番号を選択するタイプ)しても、正答誤答を示すブザーやベル音などの効果音がない。
強いて言えば、教師が自ら発声するくらいなものだ(^_^;)。
効果音というのも授業の進行には結構、必要な要素である。

ざっと数分のチェックをした上でのことだが、出来映えとしてはまずまず。
欲を言えば、上記の問題改善を図っていくために、ソースプログラムを公開してもらいたいということだ。
無理だな、たぶん。
文科省がそれくらいのことをしてくれるようになれば、英語活動の授業コンテンツは数段普及していくだろうと思う。
民主党政権となって教育行政がどうなっていくか、別な視点ながら興味のあるところだ。
( ^ω^ )

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2009年3月15日 (日)

we can do it! の教育思想

1 
Yes,we can!は、オバマ米大統領の決めゼリフとして有名になったフレーズだ。
I can!といわなったところがいい。ともすれば、大統領となった自分がしっかり舵取りしていくぞ・・という意気込みから、「I」と一人称で言ってしまいそうなのだが、「we」とすることで、国民へのアピールが増したのだと言えそうだ。

2 
『青春と読書』に連載中の移植外科医 加藤友朗(ともあき)氏が「とても危険な手術になると思います。でもきっとできると思いますよ。」の英訳を次のように示している。

Very dangerous. But I think we can do it.

3 
やはり、we としている。医療のことであるから、医者の治療と患者の意志や回復力とが一体とならなければいけないことから、連帯感を訴えるところから、この人称を使うのだろう。

4 
しばしば向山洋一氏は、教師と医者の共通点を引用して、教育技術の重要性について述べることが多い。愛情だけで技術がなければ指導の効果が期待できないということだ。
さらに、技術を使いこなす能力を磨くことで「技能」を高める必要があることも合わせて主張することがある。
盲腸すら治せない外科医に治療を任せるわけにはいかないだろう、ということだ。

5 
授業を展開する主体は教師にある。つまり、「I」私が行う。
学習を展開する主体は子どもにある。つまり、「you」あなたが行う。
教育を展開するのは、両者にある。つまり、「we」私たちが行う。

6 
ともすれば、教師の権威や主導による教育活動が目立つのだが、「わたしたちで創りあげていきましょう。」という視点に立つことが、教育の原点回帰として必要なのではないだろうか。
そんなことをふと考えたのである。

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2008年8月 6日 (水)

080804 第13回国語修業講(参加記;当日模擬授業編)

夜中に隣室の長いシャワー音に悩まされつつ、なかなか眠れずに、イライラしていたら、自室バスルームの 換気音が原因と判明。(^_^;)3時過ぎにようやく眠る。と、6時半頃にモーニングコールが。頼んだわけでもないのになんじゃ?!と思っていたら、柳谷さんからのメッセージで朝食を食べに行きませんか?というものだった。そんなの前日の懇親会で言っておけばいいものを・・と、寝不足気味の中を身支度する。
強烈に天気がよく、早朝より朝市は大賑わいであった。朝市の中にある釣り堀でイカを釣り、そのイカの刺身をおかずに、カニ丼500円を食べる。
満足。(^_^;)現金なものだね。Dscn2261
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ホテルに戻ってコーヒーを飲みながら新聞を見ていたら、矢田さんが降りてくる。東横インの簡便朝食セット(サービス提供)を食べる。彼は、朝市には行かなかったのである。

ホテルを出て、会場の一路大中山コモンへ向かう。
もう何回、ここで研修講座を受講したものであろうか。相当になじみがあるのだが、いつきても、ボロボロで小さな黒板消しのままで、辟易してしまう。当然ながら、黒板は粉だらけという有様である。ちゃんとやってほしいものだなあ。
模擬授業6本を一気に行う。
私は教育出版教材「わすれられない おくりもの」(スーザン・バーレイ)を焦点精査で行う鑑賞指導というものである。
教材文を読んだことがない人もいる中で、15分で焦点精査をせよというのが無謀なことであるが、しょうがなく行う。
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この教材は、起承転結のメリハリが弱い構成で、おまけに主人公のアナグマが早々に死んでしまい、回顧録といして話が展開するという、教科書教材としてはイレギュラーに近いものなのであるが、そういう教材で焦点精査を行うには、このような手法で行うと効果的ですよ・・という提案であった。
実は、この教材で授業するというのは、4日前にわかったことで、それまでは光村図書「海の命」をするものとばかり思っており、教材文もすっかり用意できていたのである。(^_^;)
なんともはや・・。それにしても、授業をしたことがある教材だったから、まだよかったものの、知らないで当日を迎えていたら、さすがの私も焦っていたことと思う。
しどろもどろの未消化の授業ながら、野口先生からのご講評はお褒めのことはあっても、咎められるところがなく、少々驚きであった。

ちなみに「海の命」は来年1月に旭川で行われる第14回国語修業講ですることになっていたのだが、あいにくと市教委の指定研修を受けなければならず、私の授業も講座も一切がなくなってしまった。(^_^;)なんとも申し訳ない気持ちである。

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2008年8月 5日 (火)

080804 第13回国語修業講(参加記;当日講座編)

午後の講座では、「社会科の新学習指導要領下で国語科の言語活動との連動をどう図っていくべきか」という趣旨の話をさせてもらった。
端的に言えば、社会科の学習用語を使って、学習後に批評作文を書いて、理解の定着と評価を図るというものである。
これまでの市販テストでの穴埋め(=知識偏重の社会科指導)を脱却する指導方法を提案するというものである。

ただ、PISA型の学力形成を促進させていく手法としては価値はあるだろうと考えている。
「読解表現力」「クリティカル・リーディング」といった有元氏の主張を取り込みながら、論理的思考を働かせ、社会事象を価値評価させていくという流れは、これまでにあまり無かった指導方法ではないかと思う。

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受講者の方々の表情からは、うなづきや納得が感じられたので、準備していった甲斐があったかと思う。

私の次は、旭川の小林智さんの講座であったが、さすがに中学校教師としての国語指導が随所に見られて、なかなかうちにはないキャラクターで面白いものだった。

サ~っと後片付けをして、17:00前には会場を後にすることができた。今回も野口先生とは一杯やることができなかったのが残念だ。酒井塾もそうなのだが、終わってからの懇親会で主任講師とともに酌み交わす時の話題から学ぶことが実に多いし、精神的に得ることが実に多い。
聞けば、8月31日(日)に帯広で野口塾があるが、そちらも日帰りということだから、当面、野口先生との呑み会がなく、残念に感じている。

長万部のかなやはドライブインも本店もすでに18:30を過ぎて閉店しており、カニめし弁当を購入することが出来なかった。一気に走って、22:00には岩見沢に到着することができた。そんなにとばしたわけではないが、車の流れがよかったのだろう。
洞爺湖サミット時期だったら、こんなわけにはいかなかっただろうから、ことさら早く感じたものである。(^_^;)

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080803 第13回国語修業講(参加記;前日編)

前日(8/3)
朝、9時過ぎに岩見沢を出る。
矢田さんを拾って、柳谷さん宅により一路、函館へ。
久しぶりに大野新道を経由して函館駅方面へ向かう。
大体、片道310㎞くらいもあるだろうか。
宿泊先 東横イン函館朝市で柳谷さんたちを降ろして親戚巡りと墓参りに向かう。
17:00より懇親会となっているので、実に慌ただしく動く。
懇親会場は、ホテル近くの「海光房」という居酒屋。
朝市の中にある居酒屋という雰囲気である。

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すでに松本さんや小林さん、渥美さんらスタッフが来ており、埼玉から参加いただいた越川(えつかわ)さんが一緒に加わってくれていた。塾講師をされている方で、国語修業講の参加者としては異色の方である。いずれにしても熱心な方であった。聞けば奥さんといっしょに来道されたとのこと。青森からのピンチヒッター参加の岩澤らんも加わっての楽しい会であった。
コースメニューながら、満足のいく内容であった。
やはり、函館の夏はイカである。夏イカの定番はスルメイカであろう。透き通った身に、コリコリした食感と甘みのある味わいがなんともたまらない。
私の子どもの頃は、イカ売りのおばさんがリヤカーを引きながら早朝より「いが~いが~」という独特のよびかけをしながら売って歩いており、粋の良いイカを毎朝のように食べていたものである。
ちなみに私の一番好きな食べ方は、大根おろしとともに熱々のご飯で食べることである。(これを打っている段階であの味を思い出してしまう(^_^;)

翌日が本番なので、深酒をせずにスゴスゴとホテルへ引き下がる。当日の懇親会ならば、当然のごとく二次会三次会と飲んだくれるところだが、さすがに講師で講座を2本もっている状態ならそうはいかないものである。(^_^;)

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2008年7月26日 (土)

子どもTOSSデーに参加する

第1回 夏休み子どもTOSSデーin岩見沢(岩見沢小学校会場)に講師参加してきた。
第1回ということなのだが、岩見沢市内で開催されるのはこれで2回目である。初回は美園小学校を会場として行ったものであった。それはともかくとして・・・。
今回の流れは以下の通り。

(1)自由研究にぴったりの工作を作ろう
① 絞り染め・クレヨンスクラッチ 大久保・上原・角銅
 帯広の佐々木智穂さんが授業技量検定で行ったものである。クレヨン地の上にアクリル絵の具でコートをかけるのだが、「ナイトブルー」なる色は知らなかったので、後で大久保さんに見せてもらう。Dscn2149

Dscn2146 Dscn2148 ② ビッグヨーヨー 吉岡・大谷
 ポリバケツの蓋を使って作るヨーヨーである。大きいながらゆっくりとした動きで、なかなか面白いものである。工作も小学生には適度な抵抗感があっていいものだと思う。

③ まぼうどんぶり 大沼・荒谷
 要するに巨大コンデンサーを使って、電気ショックを受けるという伝次郎さんで有名になったものだが、ネタもとは佐藤式工作第一集に集録されているもの。大本は科教協あたりで開発されたものだろう。佐藤式工作だから、基本形にどのような装飾を施すかというセンスが大事になってくる。見本は電気ショックを与えるものにちなんで、ナマズのかざりを付けたものであった。
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④ 紙けんびきょう 伊藤・廣川
 これの出展を聞くのをわすれたけど、たぶん仮説あたりだろう。この講座にはなかなか細かい作業ができないお子さんが参加していて、指を切ったりしてなかなか大変だった。

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(2)たのしい理科室での実験3連発
 理科室内で3グループが順々に①岩石標本と化石のセットを作る作業 大沼② 私が行ったドライアイスシャーベット(これも仮説が初出である)大谷 ③ 紫キャベツの滲出液で液性反応を楽しむというもの 荒谷
 私が担当した②では、カルピスウォーターとパインカルピスの2種類を使い、ドライアイスで一気に冷やしてシャーベットを作るというものだが、パインは結構うまくいったのに対し、カルピスウォーターがなかなかうまくいかず、あぶくばかりという人がいた。当初はネクターを用意するつもりであったが、店になく、しかたなく買ってきたもので、事前に試すことなくやってのが、失敗のもと。概ね好評だったのだが、うまく固まらなかった子どもたちには申し訳なかった。(^_^;)
シャーベット作りの合間を縫って、ドライアイス実験演示をいくつか行う。
その1 浮かぶシャボン玉・・丸形水槽にドライアイスを入れておき、そこへシャボン玉を吹き込むと気体の比重の差で、シャボン玉が浮かんでいるというもの。フワフワ浮かぶ姿はなかなか幻想的なところがある。
その2 ドライアイス(=CO2)は、水にとけると酸性を示すというもの。事前にアルカリ調整しておいた水溶液にBTBを加えて青色にしておき、ドライアイスを投入すると黄色に変色するというもの。
その3 びっくりポン! 富士フィルムのパトローネケースに粉砕したドライアイスを入れて素早く蓋をする。数秒で、気化した二酸化炭素の圧力で、キャップがポン!!と飛び上がるというもの。簡単だけど、インパクトがある。
意外というべきか、ドライアイスが机上をス~っと動き回るのが面白そうに試している子どもが多かった。

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(3)スマートボードによる楽しい学習 すべて大沼
①グーグルアースによる 日本の4島の授業(日本の一番東西南北にある島を見てみるというもの)
②ナリガイガー TOSSランドより「掛け算ファイターさが」の足し算版といったもの。
③ 掛け算ファイターさが いわずとしれたベストセラー
④ 日本地図都道府県探し

(4)五色百人一首をしよう! 荒谷
 いつものもの。総勢33名の子どもたちでの百人一首で、結構白熱していたけど、負けてむしゃくしゃしている子どももいた。こういった感情をうまくコントロールできないまま大人になってしまうととんでもない事件を起こしてしまう人になったりするわけだから、小さいうちからガマンさせるとか気持ちを紛らす自制の手立てなどを学ばせておく必要を強く感じた。

以上で終了。
かなり盛りだくさんの内容ながら、かなりの好評のうちに終えることができた。
みなさん、お疲れ様でした。
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2008年7月21日 (月)

「国家・愛国心」は道徳教育の要か

明治図書『現代教育科学』誌 10月号は、この特集題となっている。
ちょうど10年前、同誌9月号の特集題は「国家・国民」をどう教えるべきか・・であった。
どちらも学習指導要領改訂の年に「国家」問題が扱われるのは偶然ではないだろう。

私に与えられた論題は「小学校現場からの提言・「国家と愛国心」をこう考える」というものである。「こう考える」というわけだから、日ごろよりの思いを書かせてもらった。他の項目ではどれも3ページ割当ながら、私のところは5ページも提供してもらえたので、ありがたいことである。

さて、特集題に正対しての私の解は「是」である。国家・愛国心を考えると、とどのつまりは自分のアイデンティティを扱うことになるし、家族や公共心ということも必然的に思いを馳せることになる。しかしながら、今の国情を考えるととてもじゃないが、国家・愛国心を心に抱いている若者にあふれているとは到底言い難いところがある。

国民を大事にしない政治をしていて国家の存立を保障できるわけがないだろう・・と言いたい。教育以前の問題があるんだ・・ということを書かせてもらった。現場からの提言というとどこか授業プランを提案してほしいところがあるのかもしれないが、現状は夢・そら言を述べている余裕はないのである。

誠実に勤労し、納税し、社会保険料も支払ってきたのに、無駄な箱物に流用され、挙げ句の果てに記録が無いだのという。国のエネルギー政策に乗って、国家の一翼を担ってきたのに、石油需要や原子力へと方針転換されて、観光で喰いつなごうとしながら破綻にあってしまい、それでも愛着があるといって厳しい行財政改革に協力している夕張市民たちは、立派な愛国者ではないか。

そんな思いを背景として今回は執筆した。下書きは、FreeTalk SNS内のコミュニティ「論文・原稿閲覧室」に掲載してあるので、関心のある方はSNSへの参加承認を得てから、ご覧いただきたい。

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2008年7月19日 (土)

080719CIEC北海道 第2回研究会参加記

加藤悦雄さんの紹介で参加してきた。
CIEC(シークと読む)は、今年の3月に第1回の設立記念研究会を開催している。本部の活動としてはすでに11年と聞く。10年を経て、ようやく北海道にも支部ができたということだ。
教育・研究へのコンピュータ利用の在り方と可能性を考える学術団体である。
今年の夏8月には慶応でPCカンファレンスが開催されるのだが、名誉実行委員長は安西祐一郞さんである。古くからFreeTalkに参加しているメンバーなら、以前に私から聞いたことがあることだろう。
以前に北大にも勤務されていた事があり、その当時執筆された『知識と表象』を勧めたことがある。認知心理学としては草分け的存在の方で、今や慶応の塾長である。(いずれ戻るのだろうなあと思っていたら、あっという間に塾長=学長=にまでなってしまった)
他にCIECの顔ぶれを見てみると、当然のように佐伯胖先生がいる。
北海道の世話人で知っている人は、なぜか(^_^;だって、科教協がらみなもんでね)大野栄三さん(北大)、小賀聡さん(ラプト)がいる。空知で有名人の佐藤祈さん。今回の講師の1人。
あいにくと会長の森夏節さん(酪農学園大)は存じ上げなかったなあ。

さて、今日は夜に学校では4年生~6年生を対象としたPTA主催のお泊まり会があるものだから、車を学校において会場へと向かう。
会場は、かでる2・7のむかいの緑苑ビル4Fにある情報大学札幌サテライトである。
受付時刻ちょっきりに会場に入り、iMacをいじりつつ、webメールのチェックやSNSへのアップロードやレスポンス作業をちゃっかりと進める。(^_^;)

支部長は森夏節さんで女性である。流れは以下の通り。
1)Learn Anytime! Anywhere!」坂本憲志さん(Appleジャパン東日本営業部長)
 なかなか慣れている方で、大変よい内容だった。IBMから始まったというキャリアーで、いわゆるヘッドハンティングでどんどんスキルアップをしていったという雰囲気がある。統率力があるから営業部長をまかせられるのだろうという風体である。(^_^;)実際、熊のようだった。(失礼(^_^;)
しかし、話は大変に知的であった。

2)「日本語コースにおけるiPod活用の実践報告」遠藤仁美さん(DUKE大学)
なんでDUKE大の先生がいるのかと思ったら、実家が札幌で帰省中とのこと。持ち時間30分なのに、大幅に延長(^_^;)。以下、ズルズルと伸びていく。TOSSでは考えられないなあ。(^_^;)

3)「開かれた学校を目指して~iPodの活用を探りながら~」佐藤祈さん(三笠市立新幌内小学校教頭)空知では著名人だろう。若いのに教頭やっているのだから、えらいもんだね。

午後の部。
4)「学校環境でPodcastコンテンツを速やかに配信する」曽我聰起さん(北海道文教大学)
今回のコーディネータで、Mac貸与の心遣いをしてもらった。

5)「Macで作るPodcast」アップル・ジャパンのワークショップ
2名のスタッフと坂本さんらのよほどきとiLifeを使って実際にPodcastを作ってみた。
やっぱりええのう!(^_^;)
やっぱりちゃんとiLifeが快適に動く環境導入をしないとダメだね。
壊れているiBookG3は900MHzクロックだから、動作ギリギリで、スペックとしてはかなりきつかったわけで、こりゃやっぱりCore2Duoで4Gメモリを積んだノートProでやってみたいもんだね。(^_^;)

あっという間に終わってしまい、そそくさと学校へ引き返す。
途中、大通公園では夏恒例のビアガーデンが設営されていて、早い時間帯からやっているところがあった。呑みたいのをがまんしつつ、学校へと戻る。(^_^;)

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2008年7月11日 (金)

TOSS酒井式授業ライブ(5)

Dscn1740 盛り上がる懇親会
Dscn1714

懇親会の定番は、参加者が持ち寄る作品合評会である。
古くから酒井式実践をされてきた同志 佐藤真史さんが指導された1年生の運動会の絵は、酒井式のセオリーをしっかりと盛り込んで指導された逸品ぞろいで参加者がみんなうなっていた。大体にして、1年生の運動会終了時期なんていうのは、幼稚園・保育所時代とそんなに力量変化があるわけがない段階なのだが、それぞれがきちんとモチーフをもち、主張を感じることができるというだけで、大したものなのだ。
Dscn1715 Dscn1723
今回もオホーツクの青木さんがたくさん持ってきてくれた。
特別支援学級の子どもたちの作品なのだが、それを感じさせないところに
彼のすごさの本質がある。
とかく特別支援学級であるというだけで、それほどの期待も手のこんだ指導
もしない、いわば諦めの指導観とでもいったらいいのだろうか、そういう
ネガティブな思いを持っている特別支援学級教員が多い中で、子どもの可能性
を信じて、自信を回復させていくところがスゴイのひと言である。
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毎回毎回、遠くから必ず駆けつけてくれるそのポテンシャルたるや、だれにも
負けない人である。

さらにSOUPLE編集長 角銅さんの登場。今回の酒井式全国大会での優秀賞を獲得
した「銀河鉄道の夜」である。

この作品の惜しいところを考えさせられたのだが、こういうちょっとした指導を
得られるところが懇親会のよさである。(だから、ここでは公表しません。(^_^;)

二次会には厚別区校長・教頭の合同懇親会を終わって駆けつけてくださったお二人
を交えて、さらに話が盛り上がっていった。
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新さっぽろの楽しい夜は更けゆく。(^_^;)

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2008年7月10日 (木)

TOSS酒井式授業ライブ(4)

もうひとつの参観スタイル

酒井式は描画指導法だから、実際にどのような題材をどうやって授業提案して
いくかというのが勝負所となる。したがって、授業参観者は授業者の酒井先生
の言動をつぶさに観察することが多いのだが、写真にあるとおり、実際に自分
たちも子どもと同じに絵を描きながら、その実際を確かめるという方法もある。
Dscn1680

これはなかなか有効かつ無駄が少ない参観方法である。(ただし、教室が広く
無ければ無理である(^_^;)

自分で実際に描いてみることで、自宅に戻ってから追体験する手間が一つ省略
することができることと、発問や指示の妥当性や有効性をその場で自己検証でき
るという利点があり、まさにリアルタイムのメリットというものがそこにある。

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2008年7月 6日 (日)

TOSS酒井式授業ライブ(3)

子どもの目線と個別指導がこそ大事

授業協議会では、酒井先生の子どもたちへの対応について細かに指摘・分析されて
いった。特筆すべきことは次のことだろう。
(1)作業に空白が生まれないという事実
(2)子どもの目線に立つという微細な教態
(3)個別指導の必要性と有効性について
Dscn1670

(1)は実際に図工授業をしている現場教師ならだれしも生ずるであろう作業進度
のズレというものが、酒井先生の場合にはほとんど発生してこないということである。
図工のような芸術作業系のものなら、子どもたちがもっている技術や能力の違いに
よる作業時間の違いは、如実に作品進度や出来上がりに反映されてくる。
酒井先生の場合、ゆったりとした作業学習の中で、子どもたちの進み具合をうまく
調整しながら、ピタッと次の作業に入る場合には、「ゼロベース」にそろっている
ということだ。
Dscn1650_2

(2)授業冒頭、子どもたちと挨拶を交わされる酒井先生は、かがんだ姿勢をとられ
ている。一般的には起立したままだろう。今回は、体育館での授業でなおかつ、床に
座っている子どもたちの状態である。目線が低くなっている分、対応する側にもその
配慮が求められるわけで、そのことがきちっと行われているという、おそらく無意識
の所作なのだろうが、その深い教育哲学というものに感心がよせられた。
授業検討会では会場校挨拶として教頭先生にお話いただいたが、そのことを指摘されて
いた。
Dscn1684
我が校の教頭先生はキミ子方式の実践もされていたこともあり、実践家としての目も
確かなものがあり、今回の協議会でも自ら質問や指摘をされていて、参加者にとっても
勉強になったことと思う。
その中で酒井式とキミ子方式との共通点についても言及されていた。
酒井式の研修会の中では、まず発表されることがないわけだが、昔、酒井先生とキミコ
さんとがジョイント研修会をされたことがあり、そのことにもふれて話してくださった
ので、これまでに例がない興味深い検討会となった。
Dscn1666

(3)ここぞ!という技術を指導する場合、酒井先生は子どもたちを身近に集めて
目の前で実技実演してみせ、どういうことかをしっかりと確認させる。
これがないと、好き勝手に描かせる「まるなげ指導」に陥ってしまうわけで、この
勘所をきっちりと指導するからこそ、あとのことは子ども自身にまかせる「委譲」へと
展開されることになる。
そして、任せたことなのだから、それについてクレームをつけたり、ダメだししたり
することがない。その結果としてのびやかな絵が描かれていくという流れとなる。
Dscn1674

今回は「たらしこみ」であるから、子どもたちはどういうことなのかはわからない。
実際に目の前でやってみせられることで、自分の学習行動や目的が確実に意識されると
いうわけである。

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TOSS酒井式授業ライブ(2)

前座の授業ながら・・
Dscn1626 Dscn1638 Dscn1642

酒井先生の授業の前に30分の時間を使って、1年生への授業が行われた。
授業者は酒井式札幌サークル 大久保奈生子教諭(千歳市立日の出小学校)。
チューリップの絵を使って、クレヨンの配色と塗り方、塗り込みによる
マチエールの技術を指導したものである。
思わず、酒井先生は「奈生子さんはこの学校の人なの?」との質問。
つまり、自分の学級を使っての授業だと勘違いされたというわけだ。
それほど溶け込んで、自然に行われた授業だということである。
ここまでくると前座とはいえ、大したものである。
作品は次々と完成し、台紙に貼られていく。
Dscn1646 Dscn1648 Dscn1649

感心された酒井先生は授業を批評される中で、授業技量22級を認定された。
思わず拍手が起きる。
こういうサプライズはどしどしあってもいいのだが、どちらかというと酒井先生
の授業批評は辛口の方が多い。ソフトな語り口と表情の柔らかさとは裏腹に、
授業批評も論文もかなりの硬派の筆致が多い。(^_^;)
その中での22級認定だから、全国に誇っていいものだろう。なにしろ、ホンモノの子どもたち(業界用語で「生もの」という(^_^;)を相手にしているのだから、技量検定規定の時間を度外視すれば、30分という長さは妥当なものと私は考えている。Dscn1689

ちなみに授業の批評を受ける当事者は起立して拝聴するというのがわれわれの基本姿勢である。
和気藹々の楽しい授業であった。

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TOSS酒井式授業ライブ(1)

Dscn1653 市民権を得る

7月4日(金) TOSS酒井式授業ライブ(授業研修会)が開催された。
今回で第11回目を迎えた。そして、これが最後となる予定である。
第1回は札幌市立ひばりが丘小学校で、私の学級を使って色相環の授業を行った。後にも先にも描画じゃない授業はこれだけだ。
そして、最終回の今回もまた私の勤務校である。
Dscn1658
Dscn1650 校長先生の懐の深さとご理解、教頭先生の研究熱心さのコンビが後押しを
してくださり、開催できたものと思う。
もちろん、学級提供してくれた同僚たちにも感謝。
今回の学級は、4年生と5年生からの変則学級に加え、特別支援学級から
交流学習参加している児童を加えて、超ミックスの状態の44名。
日常的な数ではあり得ないところを、酒井先生には無理をいって授業して
もらった。いつもながら、二つ返事でご快諾いただく。(とはいえ、この
数に準備が大変だったとの後日談がある。しかも、盛岡での酒井式全国大会
が終わって一週間でのことである。)
Dscn1657 Dscn1664

今回の題材は、「ジャックと豆の木」である。
写真はクレヨン+水彩絵の具を使って、たらし込んでぼかしをいれたもの
であり、完成形は背景にコバルトブルーやウルトラマリンブルーといった
青のポスターカラーを配色する。

Dscn1622 職員室行事黒板には、はっきりとTOSSの文字が記される。
場所によっては、こういうことが嫌われたり、不当とも思える待遇を受けて
いる教師たちがいると聞く。
TOSSの真価が肯定された現場の証といっていいだろう。

今月末には北広島市で全道造形の研究大会がある。そちらの会員の方々にもご参加いただきたかったものだ。

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2008年6月30日 (月)

なんで勉強するのか

これは勤務校の学校便りの巻頭言に書いたものです。
学校長にも好評で「これ、道徳の資料に使っていいか?」と聞かれました。(^_^;)
同僚にも感動した・・なんて、誉められたものです。

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なんで勉強するのか
 総務 大谷 和明

 しばしば勉強したくない子どもがこの質問をしてきます。大抵の大人は、「勉強するのが子どもの仕事なんだから、ぐずぐず言ってないでちゃんとしないと将来困るよ。」などと脅しとも励ましとも付かないような助言をします。
 何かに熱中している子どもは、その熱中している最中に「なんでぼく(わたし)はこんなことに一生懸命やるの?」なんて質問してくることは、まずないでしょう。理由は簡単です。好きなことをしているからです。
 したがって、「なんで勉強するの?」と聞いてこない子どもにするには「勉強好きな子どもにすればよい」というのが答えになるわけです。
 でも、これじゃあ、なんだかだまされた感じがしますね。
 そこで、子どもがもつ素朴な質問を大人に当てはめてみることにしましょう。
 「なんで働くの?」
 これは大抵、こう答えるはずです。
 「食うためだよ。」
 これはもちろん間違いではありません。私も長らく、なんの疑問もなく、そう考えてきました。だから、「食うために働くんだ」と言ってはばかるところがなかったわけです。ところが、友だちや先輩の中には「働くために食うんだ」と強く主張する人がいました。
 それじゃあ、車を走らせるためにガソリンを注入するようなものじゃないか。働くのが目的だなんて、自分が機械のようなもんじゃないか。バカバカしい発想で本末転倒だと思っていたのです。
 時間が過ぎて、私は今年で50歳になります。いかに長寿の国といえども、人生の下り坂に入っていることは否めません。年齢なりに自分の過去を振り返ることも、たまにはあるものです。その時に自問することが「自分は何のために働いてきたのか?」ということです。食うため、家族を食わせるためということなら、食べる分だけ働けばいいことになります。ちょっとばかり贅沢をしようと思ったら、その分を余計に働けばいいわけです。
 しかし、それではどこかむなしさが残ります。そんなことを思っていたところ、この素朴な疑問に解決の終止符が打たれる時が来ました。それはこうです。
 日本には古くからこういう言葉があるそうです。
 「働く」とは「傍楽(はたらく)」ということで、傍(はた;つまり周りの人々)を楽にするということだ。自分が仕事をすることで、周りに貢献して幸せを創出することにつながるということです。
 決して、自分のためだけのことじゃあないということです。そうすると、働くことは、周りのためになることであり、強いては国のため世界のためになるということです。そうすると、労働の意義がとたんに崇高なことだと再認識できるようになってきたわけです。
 「仕事するために食べる」というのは、価値の高い認識だったわけです。
 再び子どもたちに正対してみることにします。
 「勉強することは、周りのためになる、社会に役立つ人間に成長するためだよ。」こういうと、勉強することの尊さが増して、子どもたちに伝わるような気がします。もちろん、好きなことをすることが勉強になっていればさらに理想的です。
 思い返してみると、子どもがとても小さい頃、いろいろなことをとてもやりたがっていた頃、その奉仕の活動は何か報酬を得ようとか誉められようとかといった打算的なことを考えて行動していたわけではないでしょう。無償の働き、ボランタリー精神が豊富で、人のためになることそのものが喜びを感じていた時代です。悲しいことに、これはだんだんと衰退していって、しまいには報酬のためだけに働くことが当たり前と思うようになってくると、労働そのものの価値が相対的に下がってしまうような気がします。

 勉強は決して、家でも教室でも机に向かってしていることばかりではありません。労働を通して学ぶこともありますし、人のためになることをする勉強もあります。一つひとつの貴重な体験を積み重ねていくことは、自分という人間の価値を高めていくことなのだということを自覚するようになった時、もう一つ人間としての成長を獲得したと言えるのではないでしょうか。単に知識を与えることよりも、もっと大事なことを与えることになると思います。修学旅行が終わりました。これから宿泊学習が始まります。座学じゃない体験学習を通して、貴重な学びが数多くあることでしょう。
 そんな場で働くことができる教師というのは、実は大変贅沢な職業なのかもしれません。

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2008年6月22日 (日)

挨拶することをスタンダードにするには

学校で挨拶が盛んになるように取り組んでいる研究仲間から、なかなかうまくいかない旨のメールがあり、以下、返信したものです。
個人的な場面では挨拶する子が玄関先での挨拶はしないということのようです。
=============================
こりゃ考えられるのは、周りからの外圧や視線、同一化(周りに合わせる)
などではないですかね。
児童会であいさつ運動をやっていませんか?
地域への働きかけなどしていませんか?
以前、私が努めていた中学校では、廊下・階段・玄関先と
とにかく至る所で職員や来客に対しては、徹底した挨拶を
するところでした。それこそうるさいくらいです。(^_^;)
「さっきしたべや・・」と思いつつ、互いに「おはようご
ざいます。」「こんにちは。」を繰り返しているとそれが
標準となって、抵抗感や違和感が無くなってしまいます。
この場合、大事なことは黙礼ではないということです。
全校集会の座礼・立礼なんか指導したことがありません。
1000人近くがサッとそろって礼をするところは壇上からは
荘厳のひと言です。
こういう環境では、不良もやらざるをえない。(^_^;)
要はあいさつを交わすのが、どれだけスタンダードになっており、
そして、それがきちんと維持される努力が継続されて実践して
いるかということが肝心だと考えています。
そんなのは家庭や地域がすることだ!と主張される方がいらっしゃい
ますが、自分たちでできることを放棄している人間にそんな指摘の
資格はないですね。そういう方には、逆にこちらから挨拶・親切攻撃
をしてやりますね。(^_^;)
まずは、児童会+教師集団で挨拶の常態化づくりを進めてみては
どうでしょうか。
型から入って、それがやがて自然体になっていくことを目標にして
みることをお勧めします。

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2008年6月21日 (土)

崩壊した学級は、どうやって建て直すのか?

崩壊した学級は、どうやって建て直すのか?

『いじめを許さない学級を創る 小学4~6年』(明治図書 大谷 和明著)
http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D131213%2D8

Mybook

明治図書が打ち出したポップは次の文である。
-----------------------------------------------------
「いじめ」と「学級崩壊」に悩む教師の武器となる一冊
-----------------------------------------------------

これは効くわ(^_^;)。自分でも買いたくなる。

この本は、サークルメンバーや札幌市内勤務の研究仲間たちなら、知っての通り、もうどうしようもない最終レベルまで到達した崩壊学級を建て直していったドキュメントが核となっている。
小学校6年生、卒業期を迎えて、ボロボロのまま卒業させるわけにはいかない。
新学期のリセットで迎える「黄金の3日間」とは訳が違うと自覚していた。
自称「プラチナの3日間」に、これまで修業して得てきた学級創り直しの技術と教育思想を余すところ無く盛り込んである。
当然、教育書としては、これまで見たことがない形式を取っている。
中心となる第2章は、リアルタイムの演習と展開されるドラマをライブで見ているような臨場感を味わってもらえることと思う。

【同時刊行の新刊案内は以下へ】
http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shinkan.html

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TOSSをするな?!

TOSS空知例会に顔を出す

酒井式専門誌(なんだか今でもなじめない言い方だけど(^_^;)SOUPLE41号の袋詰め作業を手伝いに出かける。19:00開始10分前に会場の日の出小に到着。1番手だった。
職員室に角銅さんを訪ねるとビックリしていた。いつもとは逆であるからね。(^_^;)
Dscn1283

開始時刻を過ぎた当たりからボツボツとメンバーが集まってくる。
冊子の袋詰めだけでなく、おまけDVD付きという。以前、酒井臣吾授業ライブで行われた「刀で描く」のライブビデオをおまけで付けるとのこと。いやはやサービス精神旺盛である。日の出小では一挙にDVD6枚をコピーできるマシンがある。
ページセッターや製本機がないのに、こういうものはある(^_^;)。
Dscn1284

今回は、TOSS空知から廣川代表が酒井式全国大会で検定授業をすることになっている。
会場が盛岡であるから、当然、宮澤賢治作品で授業をする。

詳細報告は他からも出てくるでしょう。
やはり3人寄れば文殊の知恵とでもいうべきか、「つかみの15秒」をどうするかが焦点となっていった検討会だったが、なかなか冴えた導入方法が見つかり、これは昇級が期待できそうである。(がんばれよ~)
Dscn1282

私も3分ほどの導入部の授業をさせてもらった。
今年の3年生は1~2年は酒井式をかじる先生から引き継いだ、ちっともかじっていない先生が担任となった「まるなげ指導」なものだから、実に悲惨な絵ばかりである。正直いって、堂々とよく廊下掲示できるなと思っている。恥ずかしいというセンスがないのだね。(^_^;)それより、「これが大谷@TOSS酒井式/札幌サークルさんのいる学校の絵かい?!」なんて言われそうで、いやだなあ。
私がやれば、こうなる!という絵でも掲示したいものだ。
Dscn1291

今回の廣川さんの提案する絵は、比較的短時間でできて、しかもまずまずの見栄えが保証できる授業なので、ライブの前にでもやれたらやってみようかな。
Dscn1292

終了は22:10を過ぎていた。終わったら、生ビールでも飲みに行こうかと考えていたけど、とてもそんな元気もなく、まじめに帰宅。途中、サンクスで蕎麦を買う。まるで夜食だな、こりゃ。
帰宅してビックリ。娘(高2)がまだ帰宅していないとのこと。聞けばバイトだというのだが、随分と遅くまで働かせるもんだ。女房が怒って、娘と口論。そばで蕎麦を食う。(^_^;)
このところずっと「金が無い」が夫婦そろって(娘にとっては両親そろって)の口癖なものだから、少しでも自分の小遣いを捻出しようとしてバイトしている親思いの気持ちがあるものだから、ブツブツ小言を言われるのが心外なのだろう。
まあ、分からないでもない。(そして、そばで蕎麦を食う(^_^;)

ふて腐って、そのまま2階の自室へ。
女房も気の毒に思ってか、「給料が出たから、明日は洋服でも買いに行こうか?」とご機嫌取りのメールを送る。返信なし。(^_^;)
そんなことするくらいなら、ちっとは言い方や対応を変えりゃいいのに・・と思いつつ、そばで蕎麦を食う。(^_^;)

肉体的には疲れたけど、やはり研究熱心な仲間に交わっていると精神的に元気になるというのが、サークルのよいところだ。
荒谷さんは旭川から片道2時間をかけてくるのだが、「ここでもこなけりゃやってられないよ。」と。職場には恵まれていないようだ。
何とはなしに聞いていると、学校では「TOSSをやるな!」というお達しがでているらしい。以前から「スマートボードは使うな。」とも言われている職場であり、最新医療機器をもって四川大地震現場に向かった日本医療団が、正義を果たせず帰国してきた無念さのようなものを感じているのだろうね。
全くどうにかなっているとしか思えない。
Dscn7831
私の学校ではスマボやソフトやコンテンツや情報を共有して、子どもたちのために一致団結して共同研究をしているわけだから、あまりの違いに驚くほかない。(^_^;)

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2008年6月20日 (金)

なんで勉強するのか

このところ田坂広志氏に学ぶところが多く、その影響を受けて書いた学校だよりの巻頭言です。ご笑読ください。

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なんで勉強するのか
 総務 大谷 和明

 しばしば勉強したくない子どもがこの質問をしてきます。大抵の大人は、「勉強するのが子どもの仕事なんだから、ぐずぐず言ってないでちゃんとしないと将来困るよ。」などと脅しとも励ましとも付かないような助言をします。
 何かに熱中している子どもは、その熱中している最中に「なんでぼく(わたし)はこんなことに一生懸命やるの?」なんて質問してくることは、まずないでしょう。理由は簡単です。好きなことをしているからです。
 したがって、「なんで勉強するの?」と聞いてこない子どもにするには「勉強好きな子どもにすればよい」というのが答えになるわけです。
 でも、これじゃあ、なんだかだまされた感じがしますね。
 そこで、子どもがもつ素朴な質問を大人に当てはめてみることにしましょう。
 「なんで働くの?」
 これは大抵、こう答えるはずです。
 「食うためだよ。」
 これはもちろん間違いではありません。私も長らく、なんの疑問もなく、そう考えてきました。だから、「食うために働くんだ」と言ってはばかるところがなかったわけです。ところが、友だちや先輩の中には「働くために食うんだ」と強く主張する人がいました。
 それじゃあ、車を走らせるためにガソリンを注入するようなものじゃないか。働くのが目的だなんて、自分が機械のようなもんじゃないか。バカバカしい発想で本末転倒だと思っていたのです。
 時間が過ぎて、私は今年で50歳になります。いかに長寿の国といえども、人生の下り坂に入っていることは否めません。年齢なりに自分の過去を振り返ることも、たまにはあるものです。その時に自問することが「自分は何のために働いてきたのか?」ということです。食うため、家族を食わせるためということなら、食べる分だけ働けばいいことになります。ちょっとばかり贅沢をしようと思ったら、その分を余計に働けばいいわけです。
 しかし、それではどこかむなしさが残ります。そんなことを思っていたところ、この素朴な疑問に解決の終止符が打たれる時が来ました。それはこうです。
 日本には古くからこういう言葉があるそうです。
 「働く」とは「傍楽(はたらく)」ということで、傍(はた;つまり周りの人々)を楽にするということだ。自分が仕事をすることで、周りに貢献して幸せを創出することにつながるということです。
 決して、自分のためだけのことじゃあないということです。そうすると、働くことは、周りのためになることであり、強いては国のため世界のためになるということです。そうすると、労働の意義がとたんに崇高なことだと再認識できるようになってきたわけです。
 「仕事するために食べる」というのは、価値の高い認識だったわけです。
 再び子どもたちに正対してみることにします。
 「勉強することは、周りのためになる、社会に役立つ人間に成長するためだよ。」こういうと、勉強することの尊さが増して、子どもたちに伝わるような気がします。もちろん、好きなことをすることが勉強になっていればさらに理想的です。
 思い返してみると、子どもがとても小さい頃、いろいろなことをとてもやりたがっていた頃、その奉仕の活動は何か報酬を得ようとか誉められようとかといった打算的なことを考えて行動していたわけではないでしょう。無償の働き、ボランタリー精神が豊富で、人のためになることそのものが喜びを感じていた時代です。悲しいことに、これはだんだんと衰退していって、しまいには報酬のためだけに働くことが当たり前と思うようになってくると、労働そのものの価値が相対的に下がってしまうような気がします。

 勉強は決して、家でも教室でも机に向かってしていることばかりではありません。労働を通して学ぶこともありますし、人のためになることをする勉強もあります。一つひとつの貴重な体験を積み重ねていくことは、自分という人間の価値を高めていくことなのだということを自覚するようになった時、もう一つ人間としての成長を獲得したと言えるのではないでしょうか。単に知識を与えることよりも、もっと大事なことを与えることになると思います。修学旅行が終わりました。これから宿泊学習が始まります。座学じゃない体験学習を通して、貴重な学びが数多くあることでしょう。
 そんな場で働くことができる教師というのは、実は大変贅沢な職業なのかもしれません。

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2008年6月19日 (木)

カラフルねんど

3年の補欠に行く

ひさしぶりに行く。
1・2校時 図工 カラフルねんど
パルプ系粘土で、蛍光塗料を混ぜているらしく、ブラックライトを当てると反射発光するとのことだ。この粘土の優れているところは、色を混ぜ合わせることで、混色の粘土を作り出すことができる点である。
白・青・ピンク・黄色の4色があるので、青+ピンクで紫を作り出せ、3色をうまく調合できれば茶色も作り出せる。
さらに、各色を紐状に伸ばし、束ねてよじるとあの「床屋マーク」のような模様紐を作ることもできるし、金太郎飴模様まで作ることができる。(^_^;)
今回はネームプレート(写真)を作ることになっていたが、余った粘土であれこれ作って楽しんでいた。(写真)Dscn1266 Dscn1268
Dscn1265

3・4校時 国語 国語辞典の引き方を学ぶ
最初にある言葉、最後にある言葉を引く。「ああ」「ん」である。(^_^;)
「あし」と「あした」では、どちらが先にあるか。
「さる」「ざる」ではどちらが先か。
こんなことから、五十音順配列順位について学ぶ。
鍛国研なので、同音異義語を教えた。(^_^;)
「さいけつ」「さいこう」なんかを引いてみた。
この活動の時に、漢字を覚えるのは面倒な感じがするが、ひとたび覚えるととてもつない威力を発揮するという「漢字文化」の授業も展開した。
例えば、「さいこう」は最高・再考・再興・採光・採鉱・・といろいろあるが、次を見れば一発でその意味が分かる。
「やま」は「山」で視覚的に分かるが、英語では「mountain」というアルファベットの並び順がイコール山なのだということを教えてもらわないと「山」の認識ができないというあたりのことである。
だから、どんどん本を読んでたくさんの漢字を読めるようにしていくのがよろしいという主張を展開したわけである。

5校時 算数 3ケタからの繰り下がりのある引き算
とにかく「10」を借りてくることを、アルゴリズムとして計算手順を繰り返す学習。借りてくる「10」をどこに表記するかというあたりで、2通りの表記法を示す。
完全に「10」と書く場合と、「1」だけを書き添えて「15-6」のように書く場合とを示す。減加法は一般的なのだが、繰り下がりのある引き算の場合、「11-2」「11-3」・・・「18-9」と定式の差さえ覚えておけば、暗記している答えを書くだけである。
それが簡単という子どももいるのである。(^_^;)

6校時 読書 ちょっとの時間を自習にさせて、教育実習生の講義をしてくる。給食経理事務についてのレクチャー。

いやはやなんとも忙しい一日だった。
この後、SOUPLE41号の製本作業で帰宅したのは、21:20分頃だった。(^_^;)

恐ろしいことに、女房も娘もまだ帰宅しておらず、バカ犬が寂しくたたずんでいた。(^_^;)
犬を入れて、えさをやり、自分のえさも作る。
ニラのたまごとじ、冷凍開きホッケ焼き、ザンギで「のどごし生」を呑む。
給料の減給に物価高騰、子どもらの学費・仕送りで「ビール」を呑めない。(^_^;)
コノヤロ!世の中どうなってんだぁ!(^_^;)

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理科教育コンサルタントを紹介

私の知り合いの埼玉の小森栄治さんが中学校をご退職され、「理科教育コンサルタント」として再出発されました。
長らく理科教育に貢献されてきた方ですが、新たなステージで更なる飛躍をされることと思います。
ご活躍を祈念して、頂いたファイルを紹介いたします。

がんばれ!小森さん!(^_^;)

http://homepage3.nifty.com/ft-otani/library/komori-gyoumu.pdf

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2008年6月17日 (火)

小学校英語は1年生からやってよい

ひさしぶりに頭に来たので、発信する。(頭にも来たし、重大事項なのでブログからSNSからMLからと、ありとあらゆるところに発信します。長文なので、読みたくない方は、このまま読み飛ばしてください。)

【結論】
小学校英語は1年生からやってよい。

====================================

新学習指導要領が告示され、来年度からの移行措置ならびに平成23年度からの完全実施に向けて、各校とも教育課程の再編成について具体的に動き始めている事と思う。

今回の学習指導要領の中で話題なっているものに、小学校外国語活動がある。
原則として英語と書かれているので、以下、英語活動と限定して言う。

怒りの発端は、我が校でこれまで1年生からやってきた英語学習活動(地域ボランティアまで入ってもらって行ってきているので、実施内容については広く知られているところである。

今回の指導要領にようやく盛り込まれることとなった英語活動であるが、どうしたわけか教科扱いにはならず、領域扱いとなっている。特別活動でもない。
ここがややこしいことになる発端である。

これまで全国津々浦々いろいろなところで英語活動の実践が行われてきている中で、小学校5年と6年と限定されてしまうことにより、好意的・先進的に行われてきた英語活動が、5年生からしかやってはいけないのか?ということが、素朴な疑問で起きてくる。

そもそも教科でない英語活動というのは、中学校英語とは異なるもので、完全に連結させることなら、教科にしなければおかしいことになる。
実際、現場の認識としては、オーラルコミュニケーションとしての英語を使い、話す・謳う・遊ぶといったコミュニケーション手段としての言語「英語」を体験していくことに主眼を置いてきたわけだ。
根本的に中学校英語と異なるというのではなく、書くことやレター(文字)を積極的に取り入れることはしないということであって、英語という言語活動である以上、全く中学校英語と関わりない状態であるはずがない。
そういう点で、完全に連結するものではないととらえてきたし、そうとらえる小学校現場が多かったのだと思う。

ところが!である。
今日の研究会である助言者から指摘されたことなのだが、中学校英語に連結する趣旨として「小学校の英語活動を踏まえ・・」とあるぞ、という話。なぬなぬ?と思い、帰宅して中学校英語の新学習指導要領を見たら、以下の通りになっていた。

新学習指導要領 中学校 外国語より--------------------------------------

イ 生徒の学習段階を考慮して各学年の指導に当たっては,次のような点に配慮するものとする。
(ア) 第1学年における言語活動
 小学校における外国語活動を通じて音声面を中心としたコミュニケーションに対する積極的な態度などの一定の素地が育成されることを踏まえ,身近な言語の使用場面や言語の働きに配慮した言語活動を行わせること。その際,自分の気持ちや身の回りの出来事などの中から簡単な表現を用いてコミュニケーションを図れるような話題を取り上げること。
------------------------------------------------------------------------

正確に言えば、「小学校の英語活動を踏まえ」ではなく、「外国語活動・・・の態度・・・の素地が育成されることを踏まえ」である。
学習されてきた内容よりも、育成されてきた態度(まあ、広く言えば、英語を学ぶ姿勢ということになるのだろうか)を前提として、中学校英語は言語活動を行うように・・ということである。

小学校英語を踏まえて中学校教科英語があるとすると、逆に言えば、

中学校英語の内容を前提として、小学校英語の学習内容を組み立てなければならなくなる

ということである。
つまりは、小学校英語のしばりが出現してしまうということではないか、ということだ。
このことを指摘したら、助言者も「そうだな。」と言う。

まあ、このことは「踏まえ」という言葉の係り受けを吟味すれば、間違いだということに気づく。
この件に関して、若干熱い討論が展開されたのだが、私の主張があながち間違いではないということでホッとした。(討論といっても、私と助言者の間でだけだったのだけど)

ここからが核心部分となる。(^_^;)長くて済みません。しかし、ことは、日本の将来を左右しかねない重要な問題だと私は考えています。

私が問題としたのは、そういうことではない。
さらに、助言者の一人(今日は二人いらっしゃっていた)が、こう述べたのである。

<5年生からと規定された小学校外国語活動を、1年生から行うということは、違法行為だ>

これでは、これまでやってきたことの蓄積は、木っ端微塵となり、これからを目指して作っている最中の1年生~6年生までの一気通貫のカリキュラムが雲散霧消、「はい、ごくろうさん!」となってしまう。

全国でまじめに取り組んできていた学校は、ことごとく浮かばれないことになってしまう。

これまで「総合的な学習の時間」の国際理解教育の一環として英語活動を行ってきた学校が多いと思う。そういうところは3年生からの英語実施である。

何度も言うが、私の主張は1年生からでも英語活動はできる、ということだ。

3・4年生は総合でやるとして、1・2年生ではどこを使ってやるのか?ということである。私の考えはこうだ。

<<< 余裕時数を学校裁量の時間にあてはめて実施する。 >>>

学習指導要領というものは、最低規準であるから、そこを超えてはならないという性格のものでないことは、すでに周知されているところである。

同じ学校の中で、一貫して取り組まれる学習活動であるのに、外国語活動であったり、国際理解教育であったり、学校裁量の時間であったりとばらけるのはいささかおかしい、というか、面倒くさいものである。
そこで、我が校では、1~4年までを学校裁量の時間として英語活動を行い、その延長に5・6年生の英語活動を置くという教育課程編成するということだ。
学校裁量の時間なんて昔の話じゃない?という人がいるかもしれないが、クラブ活動は学校裁量の時間として行われているものである。ただ、現行ではクラブ活動は教育課程から外だし実施をしているところが多いだろう。意義ある教育活動ならちゃんと位置づけて、時数カウントしたいところだ。(それでいながら、編成届けにはクラブの実施時数を記入する欄がある。ああ、矛盾(^_^;)
個人的に不満なのは、学校裁量の時間というものが教育課程編成届けに盛り込まれない幽霊活動的に扱われる点である。(文科省はそこを省令で直してほしいなあ)

とにかく、私の案は以上で、1年生から英語をやりましょう!という意気込みのあるスタッフに囲まれた中で、「そりゃ違法だよ」なんて言われてしまっちゃ、立つ瀬がない。

ホントにそうか?!
で、文部科学省へ電話。(^_^;)
3回たらい回しで、教育課程課につながる。結果は、冒頭の通りである。

ザマミロ!(^_^;)

文科省の担当職員と直々に話したのだから、文句のいいようがないだろう。
これが正義だ。(^_^;)
聴けば、やはり同じような質問があるらしい。
夏には、指導主事への伝達が行われるので、そこで伝えるとのこと。

いやあ~、溜飲を下げるとはこのことである。
自分のやっていること(もちろん、知識経験に従って進めていたわけだし)が認められたことがうれしい。

全国で同じ疑問やわけのわからん批判や批難、あるいはトンチンカンな指摘を受けている同士には、くじけずにがんばってほしいものである。

強く主張したいので、双括型をとる。(^_^;)

【結論】
小学校英語は1年生からやってよい。

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2008年6月14日 (土)

これだけは身に付けたい授業技術ベスト3

歌志内ゼミ報告 その3「連続講座2 これだけは身に付けたい授業技術ベスト3」

前回の続きである。
前回は、鍛える国語教室の神髄とも言える技術「全員参加を保障する技術」について模擬授業をしながら、解説していった。
今回もまた、同じ要領で進める。
Dscn1238

使った教材は、指導するのに難解というか、面倒くさいというか、どうしたらいいのかわからな~い代表格的な詩「風景 ~純銀もざいく~ 山村暮鳥」である。

先週、同じ教材で美園ゼミでも授業をしたので、スタッフにとっては二度目ということになるが、当然ながら同じ流れや内容でやるわけがない。(^_^;)

この詩は、山村暮鳥が視覚効果を形式に反映させた実験的なものである。
だから、「どんな読み方がいいか考えましょう。」なんて学習課題で臨むととんでもないことになってしまう。

冒頭、「やめるはひるのつき」について、いつもの科学的冷徹読みで時間帯や月の形状について授業を進めた。
参加者は、このゼミ始まって以来だと思うが、おそらく最高齢をマークしたのではないだろうか。その方から「三日月」についての指摘をいただき、しっかりした読解に驚いた。聴けば、柳谷さんが参加している句会のメンバーであるとか。
道理である程度、理にかなった読みの素地があるわけだ。(^_^;)閑話休題。
Dscn1242

今回の授業では、使う授業技術として「空白禁止の原則+評価の原則」を1セットで行った。
もとより、鍛国研では学習者をたるませない!という指導者の姿勢が指導内容と相まって示されることが必須としているわけで、それだけでも十分に空白禁止となっている。(^_^;)
それとは別に、子どもたち同士の確認や読み合わせ、相互評価といった学習活動を展開することで、学習の主体者としての自覚を持たせるという意味あいが大きかった。
評価については、教師が評価することは当然として、子どもたち同士での相互評定や発表を聴く(傾聴する)ということをもって、評価の原則を生かす授業として示したわけである。

さらに、この詩の“ゆらぎ”である。「かすかなるむぎぶえ」「ひばりのおしゃべり」「やめるはひるのつき」そして、「いちめんのなのはな」という4つのフレーズから読み手(=学習者)が描き出す情景を「スケッチ作文」として書き上げ、相互評価することをメインとした。

私のお隣の席でドキドキしながら受講されていたという教育委員の方が相互評定オールAということで、代表して、この詩から読み取れる情景を作文に表した「スケッチ作文」を朗読してもらった。

ちなみに、スケッチ作文は取り立てて題名を付ける必要はない。
大切なことは、同じ作品(この場合は同じ詩)を通して、感じられることを理にかなって背景づけられるかと描かれた情景にどれだけ共感できるかと言う点にある。

こういう詩の指導もあるのだという一例を示したものであり、満足してもらえたことと思う。

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「作文力の形成」(低学年)

歌志内ゼミ報告 その2「作文力の形成」(低学年) 2008.6.14

今日は、作文の定型について指導した。
低学年だから、本来は原稿用紙は縦12マスとか14マスとか、少ないものが適正なのであるが、通常の400字詰め(20×20)で進める。

大まかな流れは次の通り。
三年生 リョウ君の作文を私が読み、それを目をつぶって聴く。
原稿用紙に題名、氏名を書く。(それぞれ確認)
本文の書き出し箇所を確認、指導する。
改行の基本について指導。および改行時の書き出し箇所を確認する。
強調の「 」について指導。当然、読み上げの時に、強調部は声を大きくして読む。
Dscn1234

さて、授業では、題名「運動会をふりかえって」を2行目から書き出す人がいて(歌志内市教育委員の方であった)、他は定型通り1行目から、上側に書いておくことを確認。
この方はどこかでそのように指導されたということで、三浦綾子が若い頃、下宿していた街が歌志内ということもあり、その関係からか、小説の題名を表記する場合、1行目を無視して、ポイントを大きく書くことを指導されたようである。
これは必ずそうせねばならないというものではないのだが、小学生の定型としては、1行目で上側に書く型を与えておくのがよろしい。

続いて、2つめの文「ぼくのテーマは、三つあります。」を、1行目に続けて書くか、改行するかの問題へと移る。ちなみに1行目は、「六月九日に、いなさとれんごう大運動会がありました。」というもの。
余談ながら、九日に「、」と読点があるのを指導。つまりは「にいなさとれんごう」となれば、読み手がどう読めばよいのかわかりにくいので、わかりやすくするための読点であるということを指導したわけだ。
さて、2つめの文は、内容が変わっているわけだから、改行が正しい。
改行時は、トップの1マスを空けることをここで指導する。

3つ目の文<一つ目は、「白組にぎゃくてんされないぞ。」でした。>という地の文に付記される強調の「 」の指導である。大人だから、豊川小の先生がズバリと「 」を付けることを指摘。それに習って原稿用紙に強調の「 」を付ける。
Dscn1236

この作業は、原稿用紙フォーマットのワープロを立ち上げたパソコンを、液晶プロジェクターでマグネットスクリーンへ投影しながら進めた。
作業途中、赤のホワイトボード用のマーカーで指摘部分に書き込みをする。
前回も使ったが、こういう授業機器はどんどん使うのがよい。
統計データにもはっきり表れているが、授業の中でスクリーンに映して進めることにより、かなり学習効率が有為に上がることが分かってきている。

最後は、続きの文章を提示しながら、全員を読み上げて終了。
こういう定型の指導を低学年でおろそかにすると、中学年以降、作文はもちろんノートへの書き方もグチャ書きを平気でする子どもになってしまうものだ。大事な基本ルールだけでもしっかりと教えておかないのは、子どもにとっても後々困り、恥ずかしい思いをさせるだけである。

まずまずの反応だったかと思う。

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「10よりおおきいかず」(小1算数)

歌志内ゼミ報告 その1「10よりおおきいかず」(小1)

今回で2回目。リピーダーが1名。あいにくと子どもがいないのが残念ながら、大人ばかりで大入り満員となってしまった。(^_^;)
Dscn1232

Dscn1230

私の模擬授業1「10よりおおきいかず」(小1)
今回の提案は、各位における数量をきちんと認識させつつ、位取り記数法を習得させるというものである。
具体的にいうと次の通り。
従来、タイル指導では、一の位(の部屋)でもバラタイルを10個置いて、棒タイルとしたところで、隣の十の位(の部屋)へ移すという流れで教えられてきている。
ところが、実際には普通のソロバンの珠を見て分かる通り、各位における個数というのは上限で「9」なのである。
したがって、一つの位である「1マス」に書くことができる数字は、0~9までの十種類に限られているのだ。
(余談ながら、数・量・数字・数詞といった学習用語をきちんと理解して使い分けている教師はことのほか少ない。今日も、釜谷さんに指導を加えたところである)

そこで、一の位にはバラタイルの置けるスペースを9個分だけとし、十の位にもまた十の棒タイルが9本までしかおけないように作ったタイル板を設置して授業を進めた。

流れは、1~9までの順唱と指を増やしながらの朗唱。続いて0~9までの順唱と指を増やしながらの朗唱。
大抵の場合、順唱と言えば「1」から「10」までの流れにするところだが、さっきも述べた通り、位取り記数法を指導することを考慮すると「10」までしてはいけないのである。そして「0」を意識させることが「空位記数の0」を理解させるための配慮として重要になってくる。

続いて、ピックアップした人に0~9までの任意の数を言わせ、別の人にタイルを貼らせ、そのタイルの数を見て、数字に書き表す学習作業を展開した。
これもまた算数的活動として重要になってくる。
一つ一つの個別の学習を作業という流れを通して、一貫した流れとして進めることで、定着習得を図ろうという配慮である。

「なな」 → バラタイルを7枚貼る →量を見てノートに「7」と書く。
ここでもチェック。「7」は書くときに何画か?を問うのである。学力の低い子どもや性格が粗雑な子どもは一筆書きをしてしまう。きちんと二画であることを確認し、変な記数を覚えさせないことが重要だ。

二人目は丁度「6」と言ったので、タイル操作はすでに貼られてあった7枚のうち1枚をはずすだけで済む。しかし、子どもの中にはわざわざ全部をはがしてしまってから、あらためて6枚を貼る者もいる。(^_^;)それはそれで大事なことであり、1年生が一冊の教科書でゆとりを持って授業~学習作業させられるようになっているのは、そういう配慮もあってのことかと思う。所詮、大人の思考スピードに合わせるわけにはいかないので、一見無駄っぽく見えることだが、子どもにとっては、きちんとリセットしてからあらためて作業に取りかかる方が、理解を促すということが多いのである。(^_^;)

さて、いよいよ「10」の指導である。ここで初めて二桁表記となってくるわけである。それにも関わらず、一把一絡げで教えてしまう教師がいる。もったいないというより、危険である。
冒頭述べた通り、低学年の算数では位取り記数法をしっかり習得させることが、必達の学習目標である。これができていないと、後に出てくる足し算や引き算、はたまた掛け算割り算といった位をそろえて書いていないとグチャグチャになってしまう子どもを生み出してしまうのである。
そこで提案した通りのタイル操作となってくる。
順調に「9」まで来ると一の位の部屋は満員になる。
次なる「10」をタイルで表すと、隣の部屋、つまり十の位の部屋へと棒タイルで移動せざるを得ないように教材が作られてある。

にもかかわらず、わがスタッフの一人でもある釜谷さんは、こともあろうにバラタイルを1枚だけ、十の位の部屋に置いた。(^_^;)こりゃ、演出を図って、そのようにしてくれたのかと思いきや、大まじめにやっているのである。(^_^;)
(ここらあたりが、空知では麦書房御用達の(^_^;)水道方式で指導したことがないのだなと、実態が分かってしまった。(^_^;)まあ、やらないでもいいのだけど。(^_^;)

そこで、「これは変だという人はいませんか?」と全体に問うたら、これが意外や意外、誰もいないのである。

まあ、こういうことは、決まり事として「このようにするのですよ。」と教えて言い訳だから、「10」の棒タイルを一の位の部屋に貼るとバラ1個がはみ出すので、隣(十の位の部屋)に移します、と話した。
これだけだと詰めが甘い。
そこで、十の位の部屋の下に「1」だけを記数し、一の位をそのまま空欄にしておく。
「これでいいですね?十です。」と念押しを入れる。
当然子どもたちなら、「ダメダメ~」と狂喜するところである。今回の大人達も狂喜はしないけど(^_^;)、違うと指摘できた。
「どうしますか?」と問う。
「一の位の部屋に0を書きます。」となる。
「そうですね。「10」このように書くのですね。」と締める。

以下、定着確認の問題として、20を記数させる。
10~20と来たら、まあ普通30となるところだが、50と言う。(^_^;)
まあ、なんでも対して問題なく進むわけだから、こういう遊びを入れながら、授業を進めるのが低学年、とりわけ1年生では必要なことである。これもまた「変化のある繰り返し」というものである。

こういうきっちりした数だけでなく、「49」とか「28」とかと指示しながら、記数を確認、評価していく、というのが私の授業展開であった。

大事な提案だと自負している。

今回は田中洋一さん率いる苫小牧市立豊川小学校の若手精鋭の先生達が大挙して、学びに来られていた。まず、歌志内までせっかくの休みにもかかわらず、研修にいらっしゃるという姿勢に敬意を表したい。普通来ないね。(^_^;)
こういった熱心な実践家のみなさんをお相手にさせてもらえるので、つくづくありがたいことだと思う。
田中さんの話によれば、学級経営はみなさん上手なのだそうだ。しかし、授業についてはまだまだ満足できないという実に向学心に燃えている方々である。私に言わせれば、学級経営がそこそこうまくいっている人ってのは、それだけでもある程度授業の腕前はあるということだから、さらなる向上的変容を求めようとするのは、相当の傑物ぞろいなのだと思う。
加えて、そういう方々を誘ってこれるという田中さんもまた、大した人に違いないのである。
少しは役立ててもらえただろうか。

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ファイターズで盛り上がる

日本ハム・ファイターズ選手が学校との交流活動をする事業を展開している。
有り難いことに、私の学校が抽選であたり、鶴岡慎也捕手と宮西尚生投手が来校してくださった。
Dscn1200 事前打ち合わせで、約1時間の交流ということで以下の内容で進めた。
(1)交歓プレー プロのピッチング披露・代表児童とのキャッチボール・トスバッティング
(2)Q&A 
(3)選手からのメッセージ
(4)サインボール&色紙の贈呈式
(5)記念撮影
やはりプロのキャッチボールや投手の投げ込みを見るとTVで見るのと訳が違う。smile
一球一球に歓声が上がる。これだもの、やっぱりドームへ行って生で見たくなるはずだね。
児童キャッチボールには女の子が一人登場したのだけど、周りの心配をよそに、まともな弾を投げていたので、両選手からも驚きの声が出ていた。

Dscn1201 鶴岡選手にトスバッティングも披露してもらった。当然、硬式用バットでやってもらったのだが、実際に子どもたちにも振らせてみればよかったと後悔。子どもたちは、軟式少年野球用の金属バットだったから、その違いがハッキリと感得できたのではないだろうか。

メッセージは両名とも犯罪社会への安全確保や学びの姿勢といったことに触れて話してもらうことができた。ついせんだって、防犯教室を開いたばかりだから、子どもたちの反応も真剣であった。
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お二人からは記念のサインボール&色紙をいただいたのだが、受け取る時、児童会長が握手してもらえたのに、「いいなぁ~!!」の大合唱。delicious私がすかさず、「みんなも児童会長めざしてがんばりましょう!」といったら、ギャラリーで来ていた保護者のみなさんから大爆笑。happy01

P1020277 司会進行を急遽頼んだ児童会書記局のメンバーたちは、最初、選手達の真横で司会することに、すごい緊張をしていた様子だったが、ほどなくしていつもの調子を取り戻してきていた。こういう特権というのも、時として必要かつ活動への効果的なはずみとなっていくものである。自分たちの大事な行事や楽しい活動を主体的に進める姿を目にしていくことは、よき校風を継承していくうえでも、価値の高い教育活動であるなと実感した。全校活動部のスタッフにも感謝している。

P1020283 記念撮影は学年ごとに撮ったのだが、予想通りなかなか子どもたちが興奮していて、選手を囲んでなかなか離してくれない。体に触るわ、握手ぜめにするわでテンテコマイだった。
それでも予定の1時間弱を興奮と華やいだ中で終了できて何よりだった。
で、今朝の朝刊をみたら、ダルビッシュ選手が訪問した市内某小学校では、1時間半を過ごしたと書いてあった。(^_^;)完全にイレギュラーだな。(^_^;)掲載されていた写真をみると学級か学年事にもミニゲームをしたようで、そうなりゃ1時間を超えるのは当たり前だね。
ずるいな。(^_^;)
入退場は、ここまでの間、毎日校内放送でかけていた「Go!Go!Fighters!」に合わせて、子どもたちも元気よく歌っていた。退場のときには”F・I・G・H・T・E・R・S Let's Go!!”で大合唱となっていた。
この日は、早朝から学校の鍵開けとこのイベントの準備で走り回っていたものだから、腰を痛めてしまった。coldsweats01
歳だね。(^_^;)でも、縁の下の働きが報われて、子どもたちが大喜びしていたので、よかったな。

交流戦まっただ中で、連日の出場だった鶴岡選手、ルーキーで活躍が期待されている宮西選手には、本当に感謝している。また、会社のマーチャンダイジング部でマネージメントしてくださった新井さんにもお礼申し上げたい。
ありがとうございました。

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教員養成大学の使命

もう9年前のことになるが、まだ野口先生が函館校にいらした時に、大学改革に向けての提言を頼まれたことがある。
大学法人化に向けてのはずみとしたいところと、教育大学の存在価値そのものを再興しようという、当時としては画期的なシンポジウム形式で行われたものだった。

原稿を用意して、さあ本番!というとき、蓄膿症の手術であえなく入院することとなり、原稿はすでに送られていたものだから、私の代理として柳谷さん(現歌志内小教頭)が発表してくれた。(^_^;)

簡単に内容をいうと、大学にも一般大学にあるようなゼミをおくようにしたらよいというものだった。そこには卒業生や現場との架け橋となるような場であり、職業意識をしっかりもち、スキル・センス・ノウハウといった即戦力を磨く場とするべきである・・ということである。
好例として、故森田茂之氏の国語科教育研究室をあげた。
みなさんご存じ、堀さん(現札幌市立上篠路中教諭)を輩出したところである。

実際、それまでの教育大学は一部の教官を除いて、(教育)現場経験の無い人が指導していたわけだから、空を飛んだ経験の無い人がパイロットを育てるようなものだった。
したがって、我々(今も多くがそうだが)は、大したスキルを持たない状態で教壇に立っていたわけだから、いうなれば、いきなり空中に放り出されて、「飛びながら操縦法を覚えよ」と言われているようなものだった。(^_^;)

これじゃあ、このご時世、教師が権威として君臨していた古き良き時代のように、思いのままに指導力を発揮していけるわけがない。
教師の権威というものは、年々ドッグイヤーのスピードで低下している中にあって、その解決の糸口としては、やはり大学改革を行い、しかるべき力量を形成した状態で就職させていくのが、教育大学としての当然の責務であろう!という趣旨である。

その後、国立大学法人となって収支採算は自前でやれ!ということで進んできているが、未だにその歩みについてどのような評価をされているのか、私には見えてこない。
私の出身校 函館校はとうとうゼロ免コース(教員免許を取得するコースがない)だけとなり、教育大学というのは完全に看板倒れの状態だし、地元岩見沢校もまた、札幌校との合併がささやかれてきたなかで、芸術系専門と現職大学院への道を模索しているようである。

今の時代、教員養成課程を持つ大学にとって、最も必要なことはなんなのか?と言えば、時代や社会の要請に適合した即戦力のスキルを持ち、職業人としてのプロ意識を持っている教員を生み出すことである。

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2008年6月 7日 (土)

NEW EDUCATION EXPO2008

表題の研修会に参加する。
本会場は東京なのだが、サテライト会場として札幌の内田洋行北海道支社設備 U-calaが使われた。
昨年、D-proでも行ったことがある。なかなかすばらしい研修設備を兼ね備えているところだ。
今回のイベントは6/5~7までの3日間開催されていた。あいにくと最終日の今日(7日)しか参加できなかったのだが、昨日の梶田叡一さんの後援も聴きたかったところである。
聴くところによると指導主事や教育センター職員などがゾロゾロで来ていたそうである。
そりゃそうだね。(^_^;)中教審の副会長だし、今回の指導要領改訂にも関わっているし、全国学力状況調査の問題作成にも関わっている方だから、行政のみなさんに関心がないわけがない。(^_^;)

前半は次の2つの講座。
(1)教育行政と教育改革
(2)学力とICT  新学習指導要領におけるICT活用(こちらはおなじみの堀田龍也氏)
まずまずの内容。で、本日の目玉は、札幌の割石隆浩さんと石狩の加藤悦雄さんの講座。
割石さんは「ICTを活用した授業を校内で広めるには」と題した、校内奮闘記。いろいろ実態を紹介されながら、着実に職場にICTを普及させていくストラテジーがよい。(^_^;)
加藤さんはいつもの語り口で核心を突く、いい筋立てになっていた。うまくなってきたねえ。(^_^;)
題して「ICTを活用しなければ伸びない学力 ~ICT活用は教員の切り札だ ~」というやや過激なもの。
そうはいいながら、時代の要請事項であり、われわれはもちろん、子どもたちにも必須のスキルということができる。いい内容だった。

札幌はちょうとよさこいが真っ盛りで、会場近くのファクトリー広場でも踊りが披露されていた。近くのバリ屋で特製野菜ラーメン(塩)を食べる。(^_^;)時間があったので、街をふらつき、地下街の献血コーナーで400mlを抜く。(^_^;)過日の成人病検診の血液検査の結果、「要精密検査」の指摘をうけたのだが、まあ50歳にもなると大体はもらうものらしい。どうせまた健診センターに行っても同じく血を抜かれるだけだろうからという思いで、社会貢献がてら献血センターの結果をもらうことにしたということである。(^_^;)

研修会が終わって、会場ではおなじみのワンコインパーティーにちゃっかりと参加。
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2008年6月 3日 (火)

学校リーダーとしての心がまえ

濱田校長の講話「子どもが夢をもつ 学校づくり」(1)
== 学校リーダーとしての心がまえ ==

今日は「中堅教員研修コース(札幌市教育センター主催)」の研修会に参加してきた。
あまり気乗りがしなかった。
だいたい厳ついコース名に表題のタイトルだから、こりゃ管理職お定まりの「べき論」講話で退屈するだろうと思っていたのだ。

ところが、予想に反してとてもよい講話であった。
ちょうどサークルMLで仲間の管理職に対して、説教をたれていたところであったので、我が意を得たり!というタイムリーな内容であったのだ。(濱田氏は中島中の校長です)

序盤は若干退屈であったが、中盤からがなかなか引き付ける内容であった。

(1)学校リーダーとしての心がまえ
「率先垂範」という言葉がある。これに加えて「率先躬行」を示された。

しばしばリーダーシップとマネジメントを混同している管理職がいるものだが、私のとらえはこうだ。
校長=リーダーシップ
教頭=マネジメント

マネジメントはコントロールが伴うことを基本とするので、率先垂範が適用される行いである。
これに対して、リーダーシップは方針を示し、適所での判断決定をする行いが伴う。

授業を例にすれば分かる。
授業に範を示して、具体的にアドバイスできるのは教頭の立場である。最近、ようやく多くなってきたが、民間あがりの校長は必ずしも教員免許を持っているとは限らない。そもそも校長自ら授業するくらいなら、教員1名増の状態である。(^_^;)
そうではなくて、校長がするアドバイスや行動指針に啓発されることで、教師の授業の質を高めることにつながること、これこそがリーダーシップが発揮されたという状態であろう。それは授業ばかりではなく、分掌業務についても同様である。

驚いたのは、この言葉が校長自らの口から出てたというのではなく、生徒会役員選挙で立候補者から出てきたということである。大げさに言うなら、「出藍の誉れ」とでもいうべきことだろう。
そもそも我々教員は、出藍の誉れとなるような人間を育てることを使命として、日々実践に研鑽するべきものと考える。
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2008年4月13日 (日)

ダメだこりゃ?!英語ノート

文科省から英語ノートの試作版が発表された。とはいえ、公開されているのは本体ではなく、構成表なる内容の一覧表だけである。
ともかく拝見したけど、これまで各地で先進的に取り組んできている実践に照らしてみると、内容後退は否めないような出来映えである。全国各地で、国際理解教育の学習活動の一環として、英語活動はこれまでも進められてきたし、それに伴うALTの加配措置もかなり進んでいる実態がある。したがって、これまでの活動実態を踏まえて、それらを生かしての学習活動を支援するようなプログラムにする必要があるというのに、どう見ても返って、振り出しに戻してしまいかねない構成がみてとれるのだ。
例えば・・

第5学年「Lesson1」が世界の「こんにちは」を知ろう
これなんぞは、大方の実践校では、もっと早い段階で行われているだろう。一応、名目上では「総合的な学習の時間」は第3学年から実施されるのだが、余裕時数や生活科の時間を使って、1年生から英語活動を行ってきている学校も多いはずだ。
さらに第6学年「Lesson5 道案内をしよう」の内容だって、○○はどこですか?まっすぐ行きます。右に曲がります・・ということになるのだが、これとて中学年レベルで行ってきている学校が多いことだろう。

結局、小学校英語活動の時間設定を第5学年から始めるという施策のために、そこに全てのスタート基準を設定することになったため、現場実態と全く合わないちぐはぐなプランを提示するはめになっているのである。
よくいわれる「指導要領のしばり」のために逆に縛られてしまって、動けない・動いてはいけない状態を生み出しているという姿だ。(^_^;)笑えんな、全く。
伸びよう・伸ばそうとする現場の動きを押さえつけてしまうようなことは、結局、平均的学力を保証することを名目として示されてきた指導要領の悪弊がまたぞろ適用されることとなるわけだ。

ちなみに、私が勤務していた札幌市立ひばりが丘小学校には、平成14年度からの現行指導要領下で「総合的な学習の時間」に行われる国際理解教育活動で、英語活動をすることを明示した「ひばりが丘プラン」というものを平成12年度に作成した経緯があるが、これと照らしてみても内容後退が顕著である。そういった学校では、今回の「英語ノート」が提供されても、使わず・使えずということが明らかである。

これが21世紀の国際社会に生きていく人材を育成するためのプログラミングの一つとして、押しつけられていくことを考えると暗澹たる気持ちになってしまう。
全く、教育行政に限らず、この国の政治施策はどれもこれも無能というひと言に尽きる気がする。

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2008年3月22日 (土)

酒井式専門誌SOUPLE

Souple40 酒井式札幌支部(現札幌サークル)の会報SOUPLE(ソープルと読んでください)が40号を迎えた。
季刊なので年間4号で10年間発行し続けたことになる。
前号からカラー印刷を始めて、本号ではオールカラーとなった。大変贅沢な装幀である。
私は初代の支部長兼編集長だったので、感慨ひとしおである。
本号から「酒井式描画 佐藤式工作専門誌」という扱いとなったのだが、いずれにせよ酒井式の教育思想が広まる一助となる使命はますます高まっているなと実感している今日この頃だ。

ちなみに年間4,000円(送料込み)で購読申し込みは下記大沼さんへ。

ohnuma01@lapis.plala.or.jp

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2007年10月27日 (土)

学テ一考

全国学力調査の結果が配送されてくる前から、あれこれと報道されていたが、最も驚いたのが世帯状況と結果との相関についてのことである。
世帯所得と学力との相関関係については、かねてからいろいろ取りざたされてきたことだが、こうも露骨にされると人権問題にも及びかねない異常事態である。
学校と塾(家庭教師を含む「学校外教育機関」)が併存するダブル・スタンダートが当たり前の世の中になって随分と経つ。最近では、学校側が塾へ講師要請したり、教材提供を受けたりと、私に言わせれば完全なる「敗北宣言」をしているようなものである。
公立校でも教育の質を低下させないように、あれこれと努力している誠実な教師が多くいる中で、免許外?教師に免許教師が頼るというのはねじれ現象以外なにものもない。
まあ、それくらい教員免許というものの価値が下がっているということなのだろう。
こういうことが免許更新制度への追い風となってくるわけだ。

話を戻す。

学力テスト対象が小6年、中3年(内容は、当然小5年まで・中2年まで)となっているわけだから、受験学齢というわけだ。首都圏のように私立中学、進学(高)校への志願者のかなりの数が学校教育だけでは不足感があり、補習のための塾通いをするようになる。
金があれば行けるけど、金がなければ行けないという単純な図式で見れば、世帯所得に応じて、学力形成の土壌の厚さ・肥沃さというものが違ってきて当然である。

ちょっと横にそれるが、今回のB型テストと呼ばれるテストはPISA型を想定してのものということになっているのだが、そもそもPISAを意識した学力形成を現場に奨励していきているわけでもないし、そういう政策が取られてきたという話もない。いつのまにやら文科省の学習指導要領の文言とは別物に、PISAにも当然対応できる学力形成をしているべきだという「後付麻雀」のような対応を迫られているような形である。
フェアな感じがしないのは私だけなのだろうか。

さらに、世帯状況との相関問題は地域コミュニティの分断を一層加速させる要因にもなりかねない。なぜなら、低所得世帯というものは、広く地域に均等分散しているものではなく、低家賃の居住区に密度が高くなるのが当然だからである。
勢い、学校間格差ということでこれまでうやむやにされてきたことが、決定的に顕在化されてくることになる。

さらにさらに、これに人事考課・人事評価というフィルターを加えることにより、学力水準の低いところへの異動を拒む動きが出てくることだろう。教員の評価はなんといっても授業であり、結果として出てくる学力数値をよりどころにするわけだからだ。
一生懸命にやってもなかなか結果を出せない学校と、楽して結果がついてくる学校とどちらがよいか考えるまでもないことだ。

来年度以降も4月に定期的に学力調査が行われることになっているが、国や地域としての学力調査を毎年毎年行う根拠はなんだというのだろうか。

これに対する世論の盛り上がりに期待したいところだが、どうにも期待薄な感じがしている。

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2007年10月21日 (日)

五色百人一首大会に行く

今年で第3回となる富良野地区「五色百人一首大会」にスタッフ参加してきた。
記録係が中心だったので、余裕をもって見ることができた。
Dscn8279 Dscn8269 主催代表の荒谷さん(旭川市立永山小学校)が協賛店をたくさん見つけてきてくれたので、結構な商品・参加賞なんかが用意されていて、子どもたちが喜んでいた。
全体的にこぶりな規模であったが、アットホームなムードがあり、とてもよい雰囲気であった。
事後反省では、次のことを指摘してきた。
(1)次札を読み始める前は、前札の下の句から読まないとならないのだが、いきなり上の句を読んでしまうことがあった。
(2)「待った」の間中は、審判は挙手を続けるようにした方がよい。
(3)札並べの間は、審判は起立し、並べ終わって準備が整った段階で着座すれば、競技開始OKの合図となる。
(4)「待った!」の声かけは遠慮せずに、ハッキリ言わないと進行に支障を来すことがある。
(5)読み手は、全体の状況を確認しつつ、札読みをするくらいの余裕がないと競技進行に問題発生時に通り過ぎてしまうことがあるので、注意した方がいい。
(6)閉会式後のくじ引き会場を別の場所ですれば、会場整理を同時進行で行うことができて、効率的になったことだろう。

ざっとこんなものだ。
試合開始前、早々に参加者がそろってしまったので、前座で大沼さん(岩見沢小学校)がお得意のFLASHサイト(もちろん自作)を使って、時間調整をしていた。(さすが)
Dscn8191 こうやって、いつでも即座に対処できるようにしてあるのがいい。

夜はスタッフの懇親会があり、前座で私の特別講演を行った。
これもまた、開始時刻の連絡がうまくできていなく、1時間待ちとなるインターバルで行うこととなり、ちょうどよかった感じである。(^_^;)
Dscn8309 夏のFreeTalk恒例「バーベキューパーティー」の前に行ったものなのだが、ちょっとはお役にたてたかなと思う。
富良野の夜は大いに盛り上がり、楽しい呑み会であった。
仲間と過ごすひとときはいいものですね。

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2007年10月18日 (木)

私の考える「基礎・基本」

これまた以前、『現代教育科学』に掲載されたものである。(内容からみて、5年以上昔だなあ。(^_^;)
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1 現場人としての哲学をもつこと

 小稿の機会を与えていただき、あらためて昭和51年来触れられてきた「基礎・基本」について、手持ちの文献を当たってみた。
 しかしながら、依然として曖昧模糊としている「基礎・基本」を簡明に定義し、説明しているものはなかった。
 そこで得た結論は、
┌──────────────────────────────────────┐
│  現場人として自分流に「基礎・基本」を規定し、実践を通して定義していくことが必要    │
│                                                                                              │
└──────────────────────────────────────┘
というありきたりのことであった。
 さまざまな識者の意見を見たのであるが、そもそもが時々の中教審・教課審、あるいは臨教審、そして学習指導要領で統一された定義があるわけでもなく、他律的にその中味を示してもらおうという姿勢自体が、現場人としての主体性を放棄しているともいえることである。そんなことを再認識したのである。結局は自分でちゃんと考えるということが最も重要な学究姿勢であると感じたところである。

2 12年ぶりの邂逅

 この夏、12年ぶりに教え子たちと顔を合わせる機会があった。
 23才を迎える青年たちである。
 「パチンコ店で働いています。」と元気に答えるO。
「福祉関係の資格を取りたいと思っています。」と旺盛な向上心を持つK。
「老人ホームの仕事をがんばっています。」と明るく語るI。
 どの子も充実した青春を謳歌している様子であった。
 12年前の面影が残るその表情の端々にどの子も「生きる力」を覗かせているのを感じることができた。
 私の隣に座ったやんちゃ坊主だったOの口から出た質問は意外にも、
「先生、今でもギターを弾いていますか?」
というものだった。
 思えば、3・4年生の2年間を担任する前から、子ども達は前担任とギターで楽しく歌っていたものである。
 いいことは受け継ごうと思っていた私は、授業の中や朝帰りの会、お楽しみ会などいろいろなところでギターを共に学級づくりをしていたように思うのである。
 小学校の4年間をギターといっしょに過ごしてきた子ども達にとって、それは何にもましてなつかしいことなのであったのだろう。
 当時は複式学級を担任していたので渡りずらしのための学習ワークやプリント作成、2倍の教材研究などのことの方が、印象深いことではあったが、少人数ながらも楽しく活気のあった2年間だと記憶している。自分の子どものころを思い出してみると、やっぱりつらいこと困難だったことよりも楽しかったことや嬉しかったことの方が記憶に多いものである。
 結局のところ、年間1000時間前後の授業を通して、生き残っていく記憶は、私や子ども達には《快》の部分が圧倒的であったようだ。
 そんな《快》的な学校生活が、いまこのときを元気に生きている子供たちの生きる力となって根づいているのだと感じたのであった。

3 「基礎・基本」私のとらえ

 人格形成の面から教科・領域指導を見た場合、読み・書き・算は生活していく上で必要な技能であることには間違いないが、生きていく上では最重要な能力ではないと、私は考えている。 九九の暗唱、水溶液の性質調べ、説明文の構造学習がどんな人格形成を促すのかなどのナンセンスな論文はまずないだろう。
 論点となることは、
┌──────────────────────────────────────┐
│各教科・領域の学習体験がどのように人格形成に影響を与えていくのか                  │
└──────────────────────────────────────┘
ということだろう。
 いろいろな教科・領域での指導・学習を通して、知識を取り除いて残る部分こそが、その人を支える「基礎・基本」となっていくことではないかと考えるのである。
 これは、以前からあがっている知育偏重主義への批判と合い通じることと思う。
 12年ぶりに再会した子ども達の姿をみて、現場人としてあらためて自分なりに「基礎・基本」を再考した。
┌──────────────────────────────────────┐
│「基本」とは、自分らしさを持ち続ける力。                                                  │
│「基礎」とは、生きていく上での底力・したたかさ。                                        │
└──────────────────────────────────────┘
 もう少し、言葉を足してみる。
「自分らしさ」の他に、「自分を失わないこと」「いつでも自分に戻れる」「自己確立」「自信」などの文言を想起することができる。
 さらに「基礎」の部分。
 「生きていく上での底力・したたかさ」に言葉を足す。
 「自己信頼」「可能性の追求」「挑戦心」「意欲」「革新性」
 以上の文言を〈鍛え、高めていく〉ような定着方法を、学習指導場面で追究していくことが、『現場人として基礎・基本を定着させていく』ことになるものと私は考える。
 こんなことを思いながら、立派に成人した子ども達を目の前にし、自分を再評価してみた。少なくとも子ども達に暗い影を残すことなく、再会の場に呼ばれた身の上を、つくづくありがたく思ったところである。
 子ども達は、私の指導の後にもいろいろな人々との出会いがあり、それぞれ学びの場があったはずだ。そして、そこを生きていく中で、今の自分を確立してきたのである。
 私もその一人としてかかわりをもていくばくかのプラスになれたことを、大変うれしく思ったのである。

4 マクマスターに学ぶ

 生きるということは、ポジティブなことである。
 主体的・能動的な学習者を育てる上では、
┌──────────────────────────────────────┐
│いかにして学習の必然性・必要性を持たせていくか?                                      │
└──────────────────────────────────────┘
という点に指導者として意識が集中しなければならない。
 動機付(モティベーション)や課題意識の喚起が重要視されるゆえんである。
 短い教師生活を通して、私が意識的に持ち続けてきた「基礎・基本」について、目から鱗が落ちる思いのする話があった。
 「マクマスター方式」の指導だ。
 『読むクスリ 26』(文藝春秋)によると、
┌──────────────────────────────────────┐
│  カナダのマクマスター大学医学部では、教官は学生に知識を伝授できないという。     │
│医学生が自ら学ぶように「指導」するだけ。                                                 │
└──────────────────────────────────────┘
なのだそうだ。
 学長の思想は、『必要なのは、自分で発見する能力であり、自分で問題解決をする能力』だというものである。 ここ数年、生活科を研究し、総合的な学習が設置されることになった現況をみると、このマクマスター式は最も私の理想とする学習スタイルかと感じているところである。
 〈知識が必要なら百科事典を背負って歩けばいい〉ということが、技術革新で〈百科事典はポケットに入る〉時代へと変わってきた。
┌──────────────────────────────────────┐
│知識でなく、知恵を獲得する時代                                                            │
└──────────────────────────────────────┘
になった。
 生きていく力である「基本」となる『自信』の確立には、成功体験の蓄積が必要である。
 すでに述べた「基礎・基本」に関連する文言の妨げやそれらをつぶすようなことをしないということを意識するだけでも、子ども達の基礎・基本形成に大きな働きをしていくことになると私は考えている。これはネガティブな考え方である。
 もっとポジティブに考える。
 『自信』の確立は、プラスの自己評価の積み重ねが必要である。
 精選された内容で繰り返し学習するなかで子供たち自身が「理解する」こと、教えられたことではなくて、学び取ったことを子供自身が自覚できるような指導方法をこそ、現場人として追究していくことが必要なのである。
 「飽きるまで体験させる理科授業」「変化のある繰り返しで臨む算数の授業」「自ら内容分析を行う分析批評の授業」「自らの生き方を問い直すライフスキルの授業」「自らの働きかけで自分の有用感を感得するボランティア授業」等々、法則化運動が進めてきた授業のどれもが『子供自らが自分を高く評価していける授業のモデル』となっていると私は思うのである。
 自分に自信がもてる人間は、どんどんアクティブに行動できる。
 創造的な活動を創出することができる。
 そして、
┌──────────────────────────────────────┐
│生きることを楽しむことができる                                                             │
└──────────────────────────────────────┘
ようになる。
┌──────────────────────────────────────┐
│  精練された学習活動の中から、基礎・基本が形成される                                 │
└──────────────────────────────────────┘
 「知的」という言葉に象徴される精練された学習をどう保障していくか。 これがとりもなおさず、「基礎・基本の定着を図る」指導方法の研究となっていくものと考える。
 いずれやってくる教科改編の流れにむけて、現場人としてこのことを危機的に考えていける者が、教室崩壊を回避でき、楽しい学級経営を展開できるのだと思うのである。

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2007年10月17日 (水)

子どもが期待する学級の姿

だいぶ前に『現代教育科学』(明治図書)に掲載された雑誌論文である。
=======================================
1 学級担任を子どもが選びたいか

 「学級担任を子どもが選べるようにすべきである。」という論題でディベートが組めるか、子ども達に提示してみた。全部で12チーム中ある。
積極的肯定派・・・1チーム 
消極的肯定派・・・1チーム 
積極的反対派・・・10チーム
 事前にこの論題では、肯定・反対のどちらを取るか聞いた結果である。
 肯定指示の理由は、

・自分で選べると楽しい
・いやな先生になることを避けられる
・仲良しがあつまれるという意見に集約できた。

 これに対する反対指示の子ども達の意見はこうである。

・楽しいだけで甘えてしまう
・同じ先生ばかり何年もあたるといろいろな先生から教わることができなくなる
・ほかにいい先生がいてもわからない
・おなじ先生のところに人気が集中してたいへんになる(学級人数の問題である。過密を意識している)
・やさしいだけなら、なんでも「いいよ、いいよ」と寛容に許してもらってきびしくしつけてもらえない。
・きびしく教えてもらわないと頭が悪くなる。

 子ども達の意識は、
┌────────────────────────────────┐
│優しいだけの先生なら、自分たちのためにならない                                    │
└────────────────────────────────┘
ということのようである。

2 子ども達からの告発

 子ども達とも打ち解けてくると、好きにつけ悪しきにつけ、前担任のことが話題となって提供されてくる。
 子ども達にとってよい担任だったら全然問題がないのだが、逆であると全くその対応に苦慮してしまう。
 こんなことだ。

・男にばかりきびしく接する。(その逆もあるだろう)
・ひいきする。
・大した理由もなくすぐたたく。
・授業が分からない。
・自分たちの要求をまともに受け入れ てくれない。
・ばかにする。
・いつまでも愚痴をこぼす。
・休み時間もつぶして授業を続ける。

 こういった事を延々と聞かされると苦痛意外の何者もない。ましてや、現時点で同僚として職場を共にしていると真っ向から弁論していくこともやっかいである。子ども達と誠実につき合っていこうと思えば、取り繕って言いくるめるようなことはできない。

3 現代の子ども達のバックグラウンド

 そんな子ども達の特徴を自分の子ども時代と比較してみると次の点で大きく異なっている。
┌────────────────────────────────┐
│学校や教師に対する評価や価値観                                                        │
└────────────────────────────────┘
 子ども自身が先生というものを実に客観的にみるようになっていると私は感じている。
 私が子どもの頃といえば、担任の先生以外は、それほど目に入らなかったし、教師比較ということもなかった。(少なくとも私や私を取り巻く友人関係の中で聞いた事も話したこともなかったのだが、それは未熟だったからなのだろうか。翻っていえば、現代の子ども達は早熟だということになるのだろうか)
 子どもたちばかりでなく、親達についても同じく、学校や担任のことを日常の話題としているのを耳にしたことがない。(これをして、遅れていたといっていいものだろうか)
┌────────────────────────────────┐
│雑踏的集団が多く、固有・特有の集団があまり見当たらない                       │
└────────────────────────────────┘
 子ども集団にギャングエイジがあるというのは、どうも変質してきているような気がする。教育心理からみると徒党集団は中学年年齢層に見られることになっているが、高学年でもその傾向を強く感じられるようになってきている。しかも、結束力が固いということを余り感じられず、その場的な集団形成であることが多いようである。
 だからだろうか、いじめ・悪口・陰口は、形成されている集団内で発生していることが多いようだ。
 子ども達は対立や衝突を好まない(というか、交渉の力が不足しているのではないかと思う)ので、不満のはけ口を別なところにもってきていることが多いようだ。靴隠し・筆入れ隠しなどの持ち物隠しをして、相手を困らせたり、物品を渡して気持ちを引いておくという行動がある。
 そして、それらの行動を誰かが強烈にリードをするということもなく、だれがいうともなく、なんとなく流されるムードで行われている様子が伺われる。

4 子どもが求める教師とは

 これを一言で言えば、
┌────────────────────────────────┐
│安定した生活を保障してくれる指導力をもつ教師                                       │
└────────────────────────────────┘
である。
 安定した生活とは、
┌────────────────────────────────┐
│・秩序がある                                                                                       │
│・ルールが徹底されている                                                                     │
│・差別関係がない                                                                                │
└────────────────────────────────┘
ということである。
 法則化運動の中で、学級崩壊を防ぐ教師の姿勢としてよく「赤鉛筆」が登場する。毅然とした教師の指導姿勢、筋の通った一貫性が、子ども達に与える影響力は絶大なものがある。
 しかし、それは圧政ではない。
 指導者は担任教師なのだという秩序の提示である。
 「赤鉛筆」を使うのだとするルールの徹底指示である。
 そして、例外を認めない差別を排する指導姿勢なのである。
 子どもの個性を尊重する・・という論調の教師がいるが、子どもの個性は鍛え上げる中から、みがかれていき、可能性を引き出していく教育活動の延長上に現出するのだという信念を持たないと指導がぐらつき、やがて屋台骨が折れて、教師もつぶれ、子どもも荒れる結果を招いてしまうということを自覚するべきである。

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2007年10月 9日 (火)

教材・授業開発研究所 全国大会

Arita  いつもははがきでいただく有田先生の手紙が、今日は封書であった。
左が同封されていたもの。
 教材・授業開発研究所 第1回全国大会の呼びかけ文であった。
 開催日は、12月23日(日) 9:40~17:10
 会場は、岡山大学
翌日 24日(月)は振り替え休日である。
ううむ。是非とも行きたい!!ところだが、先立つものが・・(^_^;)。
女房が「子どもたちばかりにお金かけていないで、たまには行ったら?」と促してくれるものの・・・。
ちなみに、次のように綴られている。
================================
 そろそろ紅葉の美しい季節となりました。当研究所では、古川さんや中嶋さんのグループのお骨折りで、第一回の全国大会を同封のような内容で行うことになりました。
 つきましては、先生のグループや仲間、知人などに参加して下さるようおすすめ下さい。このお願いのために手紙を書きました。
 明治図書の雑誌にも広告が出ますが、わたしからもお願いしたいと思い書きました。どうぞ、一人でも沢山おいで下さり、会を盛り上げて下さるとありがたいです。
 この日に、研究所でまとめた新刊も販売されますし、新しい学習指導要領の情報などもお話できると思います。
 どうぞよろしくお願いします。右、お願いまで。
 平成十九年十月七日 代表 有田 和正
各位
========================================
 ううむ。我がサークルの共著がここでお披露目となるわけだ。
 かなりの力作である。(自分で言うのもなんだけど(^_^;)
 21世紀の社会科(生活科・総合はもちろん、他の教科に関しても)で必要な学力はどんなもので、どうすることで身につけさせることができるかということを具体的に論述しているものである。
 ううむ。無理してでも参加し、本の販売をしてきたいものと考えているのだが・・・。
Dscn1937

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2007年6月19日 (火)

第6回 教材開発セミナーハウス

今年も開催する恒例のセミナーハウスの案内です。
ふるってご参加いただきたいと思います。
くわしくは下記タイトルをクリックしてください。
Arita

第6回 教材開発セミナーハウス
                        〈開催のご案内〉
    ~開催テーマ 「追究の鬼」を育てるネタと手立て ~
 初夏の候、皆様におかれましては益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
 毎年恒例となりました、社会科授業名人 有田和正氏(現東北福祉大学教授)をお迎えしての「第6回 教材開発セミナーハウス」をご案内いたします。
 今回は、有田和正氏の実践キーワードとなっている「追究の鬼」を、どのような教材を使い、いかなる授業技術を使っていくのかを模擬授業を通して実践的に掘り下げていきます。合わせて授業者も募集しております。有田和正氏による授業への講評をいただきます。ふるってご参加いただき、貴重な夏休み研修のひとときを有意義に過ごしていただきたいと思います。
札幌市教育委員会の後援をいただいております。多くの方々のご参加をお待ちしております。

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2007年5月20日 (日)

070519累積国語研参加

ひさしぶりに累積国語科学研究会に参加。
Dscn6004 後ろが会場の教育文化会館。
4階の同フロアで国境無き医師団のイベントがあり、そちらにも行きたかったのだが、自ら授業をする立場なので断念。(^_^;)
結構参加者がいたので、関心が高いのだなとある意味ホッとした。
国語研究会の方は20人程度のアットホームな感じであった。
今回は、授業者がひたすら持ち時間45分の授業をするというもの。
領域は「読むこと」のみということで、面白い企画であった。相談したわけでもないのに、詩歌やら説明文やら物語文やらと多ジャンルに渡って、それなりに満足のいくものだった。

Dscn6007 Dscn6011
授業者が2名出席できなくなったが、事務局の森さん(札幌市立向陵中学校)が2本、堀さん(上篠路中学校)が1本と即興で対応していた。即座に持ちネタを出せる力量は見習うべきところだろう。
TOSSで言えば、授業技量検定D表授業の持ちネタ(もちろんオリジナル)を10本程度は持っているべきなのと同じことだと思う。
ちなみに、私は栄えある?(^_^;)25級だといったら、驚きの笑いが起きていた。もっと高いと思っていたようだ。
TOSSはそんなに甘くないね。(^_^;)25級は学級担任としては、一つの水準値であると考えている。
だれもが25級の力量をつければ、日本の教育は国際的にも相当な評価を受けることであろう。
ちなみに私の授業は「わすれられない おくりもの」(スーザン・バーレイ著;教育出版3年)である。昨年、岩見沢市立南小学校で野口芳宏先生が扱われた教材である。すでに、私の勤務校でも2年生で授業したものを、大人向けにちょっとアレンジしたものであった。この教材で深層義に迫るというねらいと主人公をしぼれない作品の場合についての解説も加えてみた。
主人公のとらえ方を探るだけでも、国柄や歴史的は背景、文学形式によってさまざまであることが分かる。
豊かな読みの力を付けるための”読者論”に立つ、一つの授業として問題提起したつもりである。

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2006年10月27日 (金)

ありがとう!ファイターズ!!

ついにやってくれました!日本一。
3年前に大リーグ帰りの新庄とともに北海道にやってきて初年、いきなりプレーオフで沸かせてくれた。
細木数子には「1年で退団(やめ)るわよ!」といわれながら、「日ハムを日本一にしてみせます。」と公言していた新庄はエライ(^_^;)。最終打席は空振り三振だったが、つねに真っ向勝負でがんばってきた球界の「キザ男」の眼には涙が光っていた。(あれじゃ、打てなくてもしかたなかったかも・・・)

優勝会見では、背番号「1」は森本稀哲にあげたいと言っていたが、ウイニングボールをキャッチした森本と新庄がグラウンドで抱き合っていたのも印象に残る場面だった。

来季は新庄がいないが、駒大苫小牧が成し遂げた2年連続日本一にあやかって、2年続けて優勝してもらいたいと思う。暗い北海道、このところ球児たちの元気で盛り上げてもらっているような感じだ。一道民としても奮闘努力していきたいと、闘っている姿をみて思ったものである。

ありがとう!ファイターズ!!

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2006年10月 8日 (日)

目を引くタイトルの付け方

ひさしぶりに鍛える国語教室研究会(略称「鍛国研」)空知ゼミ例会に行ってきた。

今回の私の授業は、TOSS D表検定用の授業(案)として開発したものである。流れは以下の通り。

1)(黒板下方に)服(具体物)・・と、板書する。その上に「~な」「~い」で終わる言葉を入れさせる。「かわいい」「大きな」のような形容詞を入れてみる。※授業づくりの詰めがあまかったので、「~~のような」という表現がたくさんでてきた。ここは、例示して「スバリと短い言葉をいれなさい。」と指示するのがよいだろう。

2)服を「雨」(のような半具体物)に置き換える。すると、順接しないものが浮き彫りにされる。「大きな雨」「かわいい雨」のようにである。修飾に妥当性を欠く「半接続」「非接続」となるものが出てくる。そこで、雨につながる形容詞を考えさせる。「激しい雨」「静かな雨」のようなものが出てくる。

3)雨を「夢」のような抽象物(事象)に置き換える。すると、先に列挙されているものとの意外な組み合わせが生じて、意外性が表れてくる。「静かな夢」「白い夢」「やさしい夢」などのようなものである。その中で「このタイトルの本なら読んでみたい!という組み合わせを選んでみる。」意外性のある組み合わせがハッとする意外性を持っているもので、売れる本のタイトルはそのような意外性や読者の想像力をかき立てるようなものが多いのである。作文のタイトルを付ける時に応用してみてください。

という流れである。実際に授業場面で使ってみたらよいだろう。

Dscn2596 Dscn2597

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2006年10月 5日 (木)

根本先生講座Ⅱ(その11)

  最後に授業作りの話をしたいと思います。授業をどういう観点で作っ
ていくかという内容。内容論だけでは、いい授業はできません。授業を
作っていくための指導技術、私は4つ押えています。授業技術の4つの
視点                                                            
┌─────────────────┐                        
│1  基礎技術。(片々)                  │                      
│2  出来るようにさせる技術。           │                        
│3  組立の技術。                         │                        
│4  対応の技術。                         │                        
└─────────────────┘                        
  一つ目は、基礎技術。これは、片々の技術。今日やったように道具の
出しいれ、試範の仕方、集め方、話し方、そういう諸々の片々の技術で
す。これがなかったら授業が成立しません。                        
  二つ目は、出来るようにさせる技術。閉脚とびでしたら、うさぎ跳び
の指導ですね。あるいは、横ができて縦ができない子を補助しましたけ
ど、ああいうふうにできない子をできるようにさせる技術。大体、学校
の校内研究でやっているのは、ここ(2の「できるようにさせる技術」
)ですね。読解指導。作文指導。全部このレベルの指導法を研究してい
る。                                                            
  それから、組立の技術。今日は全部でたらめにやっていったんではな
いんです。準備運動から。あの準備運動というのは閉脚とびができるよ
うにさせるための基礎技能作りを易しいものから難しいものへとやって
いったんです。かえる倒立→足打ちとび→手押し車、それからジャンケ
ンゲームいれましたよね、なぜいれたかというと、ゲームをいれるとい
うことによって子供達の緊張が解けるんですね。ですから、和やかな雰
囲気ができる。そういう意図であれは組んでいったんです。そして、閉
脚とびをする前にうさぎ跳び、それから跳び箱に行く。そういう組立に
なっていたわけです。                                           
  4つ目は、対応の技術。これは、即座にできない子がいたときにどこ
ができないか診断して治療していくんですね。ですから、マットでうさ
ぎとびさせて、君向うに行っていいよ、とすぐ診断して行かせましたね
。できない子が16人いたんですから。こっち来てごらんといったら1
6人来たんですね。16人もできませんから、すぐ飛ばせて、できると
思ったらそっち行きなさいと診断したんです。飛べない子がいたときに
は、無理して跳ばなくていいよ、そういう、対応の技術です。       
  こういう4つの指導技術が組み合わさって、初めて、授業はできるん
だという考え方です。これは体育だけではなく、国語、算数、社会、理
科、全部に同じです。授業を成立させる基礎技術、発表のさせ方、教室
だったら発表のさせ方ですね。書いたら、鉛筆を置きなさい。煙が出る
くらい速く書きなさい。みんなそうです。                         
  できるようにさせる技術、分かる技術ですね。                   
  それから、組み立て。                                          
  このなかで、一番出来ないのはこれですね。これができたら、名人で
す。これ(1)は、初級です、アマです。これは教えればすぐできます
。鍛え、訓練すれば。用具の出し入れは鍛えればすぐできるわけです。
このへん(2)になるとセミです。このへん(3)に並ぶと初段。   
これ(4)は、名人です。たくさん見て、どこが悪いか見抜いてぱっと
手当できるんですから。ですから、出来たらこのへんまで先生方にも付
けて頂きたいなというのが願いなんですけど。  そういうわけで、こう
いう4つの指導技術を法則化体育はこれから作って行きたい。それから
、先程申しましたように教材ごとにテクニカルポイント、発問指示、場
作りを考えて行く。教材ごとにできたらすごいですね。日本の体育が変
わります。大体、器械運動については出来ました。閉脚とびもできまし
た。側転もできました。開脚前転は作っていまして、とりあえず、1月
のスキー合宿にできる。機械運動についてはできましたので、来年から
は、陸上運動のほうをこれと同じように作って行きたいと思っています
。陸上が終ったら球技です。水泳、表現と全領域をこういう考え方でま
とめて行きたいなと思っています。                               
  私は「楽しい体育の授業」という本の編集長をしていますが、先生方
から実践を頂いてそれをまとめて出しています。雑誌に書いてみたいと
いう方は、私のところに来て下さい。こういう企画を出してほしいとい
う希望がありましたら、申し出下さい。そういう企画だしますから。な
かなか書く機会というのが少なくて、私は投稿しました。投稿して初め
て載ったときのうれしさというのを今でも覚えていますけども、先生方
も体育のを書いて下さい。(このあと雑誌のPRと「法則化体育通信」
のPRを経て、講座を終了した)   

=============================

   以上、11回に渡る連載でした。根本先生、改めて勉強になることが
たくさんありました。公開を快くご了承くださり、ありがとうございました。 
                      

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2006年10月 3日 (火)

根本先生講座Ⅱ(その10)

  CとDはゴムとびコーナーですね。                              
  ここにゴムを置いておきまして、人がいなければ、椅子か椅子にしば
りつけて持っているわけです。椅子なんかいいと思います。手をこっち
についてやってみてください。                                    
                                                               
      コンテ6  ゴムの手前側に手をついて、ゴムを越える。 (紛失中)      
                                                               
  この高さを段々上げていくんですね。上げるとどうなるかというと、
足が上がってくる、腰が伸びてくる。子供の能力に合わせて高さ変えて
いくんですね。最初は膝のところ、その次、Dのゴム跳びコーナー。で
きたらここ(ゴム)に鈴をつけてやると良い。何て指示を出すかという
と『鈴を鳴らそう』というんです。『ゴムに足をかけよう』でなくて、
『鈴を鳴らそう』。そうすると、AさせたいならBさせようということ
が起きてくる。教師のねらいは腰が伸びたら大きな側転ですけども、子
どものねらいは鈴を鳴らすという具体的な方向になりますからすごく動
きが変わってくる。それで、子どもは喜びます。その子に合わせて調整
してあげるといいですね。                                       
  そういうふうにしていくと、腰の伸びた大きな側転が出来るようにな
りますので今度は連続して出来るようにしますね。側転2回3回。   
  そして、Fは何もないところでまっすぐ前を見る。それが、側転がで
きる場作りです。                                                
  マット運動というのは、連続技です。最後は、場作りCで連続技をし
ます。側転をいれた連続技づくりをしよう。連続技というとでたらめに
何でもいいからやってごらんというでしょう。何でもいいからやってご
らんというのが一番難しいですね。。必ず中に核となる技を決めてやる
。側転をいれた連続技作り。あるいは、開脚前転をいれた連続技づくり
をしよう。そして、その開脚前転の前と後ろにどんな技を持ってきたら
調子よく回れるか。それを、発見させていくんです。               
  ですから、側転をいれた連続技の時に側転の前、前回りからいったら
いいのか、飛び込み前転からいったらいいのか、終った後に次どんな技
を持ってきたらいいのか、スムーズに連続技づくりができるのか。その
へんのところを学習していくと面白いと思います。                  
  初め、中、終りというポイントを押えて、発問して、場づくりをして
いく。それは、教師が頭で分かっても身体で理解していないとすぐ指導
できませんね。      

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2006年10月 2日 (月)

根本先生講座Ⅱ(その9)

  これ(回転加速~着手~立ち上がりの各技術)がテクニカルポイント
です。技術ですね。これは(足の向き・着手の形の一連の発問)発問指
示です。                                                       
  もう一つ場作りというのがあります。                           
  今日も場作りをしましたけれど、場作りというのは40人いれば40
通りの場を作ってやらなければいけないわけです。力に応じた、その子
の持っている能力に応じた場を作っておいてやる。しかし、それは不可
能ですから、いくつかの場を作ってやることになります。            
  側転の場合の場作りはどうなるかといいますと、資料の(12)。 
  今日やった閉脚とびの授業、私は1時間やりましたけれども普通なら
4~5時間の内容なんですね。随分慌てていましたけど、今日いっぺん
にやりましたけど、急ぎましたけど。この閉脚とびというのは、側転も
ですが、これ1時間、これ1時間、これ1時間、大体3時間くらいでや
りますね。最初の10分から15分に場作りAで原理を発見させます。
  その後、場作りBにいきます。                                 
  側転といっても子供によって大きな側転ができる子、全然できない子
もいますから、全部を吸収できる場を用意しておきます。できる子もで
きない子も自分の力を力一杯出せる場です。これだけ用意するのが大変
だと思うかもしれませんけど、やはり場作りというのは学習訓練ですね
。学習技能作りなんです。                                       
  技を作る基礎技能もありますけれども、学習の場を作る学習技能の訓
練もしていかないと授業が成立していかないんですね。片々の技術がな
いといけないんですね。だから、その場づくり私のところでは、5年生
ですが、5分間でできる。そこまで高めていきます。               
  Aっていうのは、川跳びコーナーですからマットを飛び越える側転、
これは腰が上がらなくていいです。                               
  その次は、台飛びコーナー。台飛びコーナーっていうのはどういうの
かといいますと跳び箱の頭を利用してここで側転をします。床だと高さ
があります、高いところから低いところに手を付くというのは、ものす
ごく恐怖心がある。途中で台を置けば恐怖心が半減する。            
  ここに跳び箱の台を置いてここで飛びなさいというんですけども、そ
のときは足、手、手、足、この順番で回るんだと教えてあげます。側転
の順番ですね。側転の順番決まっているんです。立ち足があって、その
立ち足と同じ手を先ず付きます。その次に反対の手をついて最後に残っ
た足を付いて終ります。できない子は、手をぐっといっぺんに付いちゃ
うんですね。ですから、足、手、手、足とはっきり教えてあげる。   
                                                               
                コンテ5(台跳びコーナーの図示)・・すみません。紛失中      

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2006年10月 1日 (日)

根本先生講座Ⅱ(その8)

  しかし、これだけでは未だできませんから、次の発問です。      

発問
┌───────────────────────────┐
│Bのように立ち上がるには、目はどこを見たらいいですか  │
└───────────────────────────┘
  着手、正面、進行方向。これも分かりますよね。後ろ向きで立つんで
すから着手です。できない子ほど視点というのは正面向いています。な
ぜかというと、怖いからです。怖いから逆さになれないからあごが上が
ってしまうでしょう。視点が上がれば腰が上がりません。視点を下ろせ
は簡単に上がってくるんですね。下を見れば、もっともっと足を上げれ
ば視点が上がってくるわけです。ただ、それには倒立ができなければい
けないわけです。手と手の間を見て倒立すればきれいな側転ができる。
  そのときにどうするかというと、着手を見なさいといっても着手には
跡がつい付いてませんから、これを置いておくんですね。これを置いて
おいて、手と手ではさむようにして、回って、最後まで赤玉を見ていな
さい。そうするときれいな側転ができます。これを置いたときと置かな
いときとどう感じが違うか。なしでやってみましょう。             
(松本先生実演。)                                             
  今度はこれを置きますから、手と手の間ではさむようにして、最後ま
で、立ち上がるまで見ていて下さい。視点を固定していてください。 
(松本先生実演。)                                             
  「立つときに安定します。」見たでしょう。さっきはふらついたでし
ょう。ところが今はぴたっと止まったでしょう。視点を固定することに
よって動きが安定する。視点というのは大事なんですよ。            
  目はどこを見るかによって、筋肉は視点によって動きが自然にできて
くるんです。                                                   
  スキーも全く同じですね。スキーも滑っていくとき視点を固定して滑
っていくそうです。水泳でも同じです。上手な子のクロール、下手な子
のクロールの呼吸の仕方を見て下さい。下手な子は真上を見ています。
                                                               
                                                               
                          (コンテ4)  紛失中                        
                                                               
                                                               
  ひっくりかえるんです。視点、肩を見てやりなさいというといいです
よ。というわけで、立ち上がり技術は後ろ向き側転の技術です。後ろ向
き側転だけで終ったんでは連続技に入るときに困りますから、終ったら
すぐ、ジャンプするところがありますね。すぐつなぎ技を教えてあげな
ければなりません。(資料提示13の図;おなじく紛失中)          

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2006年9月30日 (土)

根本先生講座Ⅱ(その7)

  次に、終わりですね。                                          
┌──────────────────┐                     
│終わりは、立ち上がり技術といいます     │                     
└──────────────────┘                     
  今まで、側転の指導というとここはよくやるんですね。ところがここ
までは一致しなかったんですね。立ち上がるときにどういう指導をした
らいいのか、これが明らかにされていませんでした。私自身わからなか
ったんです。兵庫で立ち会い授業をしたときに私とやった久野先生とい
う方がこの立ち上がりのところを指導されたんです。それがこのなかに
入っています。それを私も勉強して、みなさんの指導に役立つようなも
のを考えているわけです。じゃあ、立ち上がるときにどういう発問指示
があるかというと、                                             

発問
┌──────────────────────────┐
│AとBでどちらの足型のほうが立ち上がりやすいですか      │
└──────────────────────────┘
  これは足平行(A)これは進行方向を向いています(B)。       
  Aだと思われる方。Bだと思われる方。先生方に聞くと大体分かりま
すね。ところが子供に聞くと、半々になるんですね。4年生で。側転の
形というのは、イメージしていますから、横で始まって横で終る。これ
も同じです、どちらが立ち上がりやすいか確かめなさい。            
(松本先生実演。最初は、自然にやってもらう)                   
  自然にやるとどうなるか見て下さい。                           
  横向きでやって下さい。(試技。ドタンと着地する)難しいでしょう
?                                                             
  というわけで、先生方のイメージもこれなんです。子供のイメージも
これなんです。ところが実際やらせると、こうやっているんです。後ろ
向きで立ってはいけないといわれたもんですから、こうやろうとするん
でバランス崩したりこっちへこう来たりするんですね。そこで、立ち上
がるときはこのほうが立ち上がりやすいんだよ、といってやるときれい
に立ち上がれます。                                             
┌───────────────┐                            
│ これを後ろ向き側転といいます    │                           
└───────────────┘                            
  後ろ向き側転(B)、横向き側転(A)、前向き側転とあります。が
子供は前向き側転は出来ません。立ち上がりはA、Bどちらの足型がい
いですか、という発問ではこう出てきます。         

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2006年9月29日 (金)

根本先生講座Ⅱ(その6)

  もう一つは、視点です。                                       

発問3
┌──────────────────────┐      
│倒立するときに、目はどこを見たらいいですか  │      
└──────────────────────┘      
  そうしますと、大体考えられるのは、A,B,C、手の間を見る、先
を見る、へそのほうを見る。(ここに板書図示)                   
                                                               
                                                               
                                                               
  倒立をするときどこを見たらいいでしょうか。A~多数、B~5人、
C~0人。じゃあ、AかBか。Cを見たらひっくり返るわけですね。 
  運動会を千葉県では9月から10月にかけてやるわけです。私のとこ
ろも来週の日曜日にやります。今、組体操の練習をしているんですけど
もその中に倒立があるんですね。できない子に共通しているのは、どこ
ができないかというと、このへんを見ていますね。補助倒立ですから、
一人の子が持っているわけです。できない子はこうやっています。でき
ない子は頭を中に入れちゃいます。私は何て言うかというと、       

指示
┌───────────────────┐             
│      補助している人の足を見なさい。  │             
└───────────────────┘             
そうするとできます。支持する人の足を見なさいというと上がるんです
。これは、どちらがいいかというと、上手な子、倒立の理想形はどっち
だと思います。AかBか。Bなんです。                           
  倒立の理想というのは、体操の選手がやる倒立というのは、手と手の
間を見ます。ですから、一直線になります。首上げるとどうなるか。首
上げれば体が反るからきれいな倒立になりませんね。一番いいのは手と
手の間を見なさいです。でも、いっぺんにできませんね。ですから、段
階的に最初この辺(A付近)を見なさい。                         
  それでよくやるのは、赤玉を見て倒立しなさい。壁逆立ちするときも
、赤玉を見て倒立しなさいとやります。                           
┌────────────┐                   
│視点の固定化といいます   │                   
└────────────┘                   
  筑波大学の林先生は模型を作ってその模型の目玉を見なさいといいま
す。視点が固定されると動きというのは、正しい動きというのが出てく
るんですね。倒立のときには視点を固定させる。できない子を見たら、
手の向きがおかしいよと、視点がこちらを見てるよと、ぱっと見て診断
して下さい。もっと首を上げてごらんと、もっと先を見てごらんとそう
いう指導が即座にできるようになるといい指導が生れてきます。    

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2006年9月28日 (木)

根本先生講座Ⅱ(その5)

  次は、中、着地の技術ですね。                                 

発問
┌─────────────────────────┐ 
│  手をつくときに、手の形はどういう形がいいですか  │ 
└─────────────────────────┘ 
  先ず、バレーボール形。肘が出ている、ポイントは肘です。質問は手
ですけども、本質はここなんです。ここが外を向いているか。       
  平行。出前持ち形、これが中に入っている。肘が外か胸の前かくっつ
いているか。着手した時にこういう手の向きがいいのか、平行、外を向
いて回るのがいいのか。                                          
                                                               
                                                               
                                                               
                          (コンテ3)   すみません。紛失中です。(^_^;)                      
                                                               
                                                               
                                                               
  バレーボール形がいい人?挙手10名                           
  平行がいい人?挙手6名                                       
  出前形がいい人?挙手10名                                    
  先生方でこんなに分かれているでしょう?この発問は素晴らしい発問
です。(爆笑)                                                 
  今日、授業をしたらみんなマットの先になりましたね、あれはこちら
としては困ったわけです。あれができたらしょうがないというのが半分
。マットが半分になったときに、いい授業なんですね。みんなマットの
先になりましたから、逆転できなかったわけです。授業というのは、逆
転がどっかで起こらないとドラマにならないんです。ドラマもそうでし
ょう。足長おじさんでも、いじめられていたのが最後逆転して幸せにな
る。授業も同じなんです。最初、分かれてどれがいいかなと分からなく
なったときに初めて学習が成立するんです。じゃあ、どうしてこれがい
いのか理由を聞きます。簡単にね、こればかりやっているとこれで30
分なってしまいます。さあやろうかというときには授業は終ってしまい
ます。簡単に聞いて下さい。なぜこれがいいのか。じゃあどれがいいか
。自分で動いて確かめてみようとやります。                        
  あるいは、その後集めまして、じゃあどれがいいか試範してやっても
らうよ、とやります。今日は松本先生に代表してやってもらいます。 
(松本先生、実演。3種類の方法・バレー・平行・出前を実演する。)
  どれが一番回りやすいですか。                                 
  「バレーボール形。」                                          
  これ(出前形)やったらどうなりましたか。「肘が外を向いてしまっ
た。」痛かったでしょう。うまいから、これができたんです。下手な子
にやらせたらできませんよ。なぜ、できないかというと、こう動いてい
るんだから、体はどうなるかというと外を向こうとするから、動こうと
するとストップがかかる。だから体がこっちへ来ちゃうんです。ところ
がこれだと、こう付きますから体が自然に出てくるんです。         
┌──────────────┐               
│これを先取り動作といいます    │               
└──────────────┘               
  これは、先取り動作ができる動きなんです。自然に次の動きを引き出
していく。だから、着手する時にでたらめに付かせるんじゃなくて、逆
に動きを止めるような動きをしている子を見付けたら、手をもう少しハ
の字にしてごらん、そうすると回りやすいよ、と教えてやります。ここ
がポイントです。先取り動作のできる着手をしていく。             

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2006年9月27日 (水)

根本先生講座Ⅱ(その4)

《板書》                                                       
┌─────────┬────────┬─────────┐ 
│     はじめ           │      なか         │      おわり          │ 
├─────────┼────────┼─────────┤ 
│  回転加速の技術   │  着手の技術      │  立ち上がり技術    │ 
├─────────┼────────┼─────────┤ 
│  ここに発問1の     │                    │                       │ 
│  図を挿入           │                     │                       │ 
│                       │                     │                       │ 
│                       │                     │                       │ 
└─────────┴────────┴─────────┘ 
どうやって、スピードを付けるか。そのときに発問があります。いきな
り教えないでね。                                                

発問
┌──────────────────────────┐ 
│    側方倒立回転に入るとき、立ち足はA,Bどちらが       │ 
│    やりやすいですか。                                          │ 
└──────────────────────────┘ 
              Aは、手足が平行、Bは、脚が進行方向             
                    図を挿入(資料から転載)                   
                                                               
                                                               
                                                               
  Aというのは平行です。並べる。Bというのは進行方向に対してこう
いう足のときですね。どちらのほうがスピードが付くと思いますか。挙
手して下さい。A(人数不明)はい、B(人数不明)できるだけこっち
でやって下さい。側転というとこういうイメージを持っているんですね
。これでできるかどうかやって確かめなさいというんです。(松本先生
実演。)子供の意識の中には、これだと思っているんだけども、こうな
ってしまうんですね。そこをはっきりさせるんですね。グループで。先
生これもやって下さい。(松本先生A実演。)やりずらいでしょう? 
このまま回ると90度回転して回るわけで難しいんです。ところがこう
振り出せば、回転の軸が方向と同じですから回りやすいんですね。スピ
ードが付くわけです。最初のところここのところ、ここにポイントがあ
るんです。これがテクニカルポイントです。できない子がいたときにど
こでつまずいているかを診断できるわけです。      

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2006年9月26日 (火)

根本先生講座Ⅱ(その3)

  右手10秒、左手10秒、その次は、壁逆立ちで10歩移動する。そ
こまで基礎技能を作っておいて下さいとお願いします。そして、逆さ感
覚で支持する。倒立も同じですから、逆さ感覚で支持。逆さ感覚で、腕
支持感覚、その作り方は同じです。かえる立ち足打ちとび、手押し車、
それから、壁逆立ち。このステップを1年生から踏んでくればいいです
ね。基本の運動で、基礎技能作りに。ところが今は、全然やっていない
。基本の運動というと遊ばせておく。そうじゃなくて意図的に基本の運
動を低学年から積み重ねてくれば、4年生、5年生でできるんですね。
できるようになるんです。ところが、それが明らかにされていないもの
ですから、先生方は何を指導していいか分からない。               
  そういうわけで、                                             
┌───────────────────────┐      
│          側転の基礎技能は倒立です。          │      
└───────────────────────┘      
  今度は授業にするとき、側転の授業をどういうふうにしていったらい
いのか、詳しくは資料を見れば書いてありますので、このとおりやって
いけば側転の授業はできます。今日は側転の法則化体育の基本といわれ
ている、「場づくり」「発問・指示」「テクニカルポイント」を中心に
お話していきたいと思います。                                    
  運動にはすべて、初め・中・終りという動きになっています。この話
も聞いたことある人いますか。私から聞いたことある人いますか。いま
せんね。                                                       
  授業には、初め・中・終りがあるんですね。今日の授業最初のところ
ありました、中、閉脚とび、終り整理運動。                        
  側転でも初め・中・終りがあります。松本先生にやってもらいます。
1度だけやってもらいますから。子供たちに言うとき1度だけというん
ですね、3回やってもらうからとは言わずに、                     
┌────────────────────────────┐ 
│1度だけやってもらうからよく見ているんだよというんです  │ 
└────────────────────────────┘ 
  どこが初め、中、終りかを見ていて下さい。(松本先生実演。拍手)
  こっち側からやってみてください。(反対方向からも試技をしてもら
う)  初めは入るところですね。できる子は自然に原理に添ってはいっ
ているんですね。ところができない子は、難しいやり方ではいってくる
んです。できないやり方で、原理に則らないで。                   
  ですから、そこを見てあげる。                                 
  初めは、どういう技術があるかという話ですが、回転加速の技術です
。静の状態から動の状態へいくのが運動なんですね。運・動ですから動
きを作っていくのが運動なんです。ですからどんな運動でも最初は静止
していますね。静止の状態から動いていくわけですからそこにスピード
を付けていかないと回れないわけです。                           
                                             

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2006年9月25日 (月)

根本先生講座Ⅱ(その2)

これを連続10回。こういう基礎体力、感覚を付けておいて、うさぎ跳
びができれば、1時間の授業でできない人の90パーセントの人ができ
るだろう、という仮説でやっているわけです。あと、今日の授業の場合
、うさぎ跳びがだいたいできていましたが、もう少しこの辺がつくと(
基礎体力がつくとということ)もっとできるようになるだろうと思いま
す。今日の授業の意図、流れは、こういうものをふまえて授業をしてい
けばいいのではないかと思います。側転のお話をしますけれども、では
、側転の基礎技能は何だろうか。実は、新しい指導要領しでは側転とい
わないんですね。側方倒立回転というんですね。(「側転」だと、横の
ころがり起きの場合も言う。)側方倒立回転ができるための基礎技能。
(何人かの先生に聞く。みんな、資料を見て分かっている)何かという
と、「倒立」が入っています。基礎技能は倒立です。               
┌────────────────────────┐   
│      逆立ちできない子は、側転できません。           │   
└────────────────────────┘   
  倒立できなくても側転できるといってはいけません。側転に入る前に
倒立が完全にできるようにさせておいてから側転に入るわけです。   
  来年の飛び入り授業は側転をやっていきたいと思います。お願いする
ときに、今やった壁逆立ちを10回できるようにして下さい。それがで
きたら片手で10秒できる。

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2006年9月24日 (日)

「希望降格」5年で3倍?!

「希望降格」5年で3倍 '06.9.24 読売新聞

校長・教頭から一般教員への「希望降格」が増えているそうだ。
北九州市教委は、「確かに教頭は仕事が多く、残業で遅くまで学校に残ることが多い」としている。札幌市では皮肉を込めて、「セブンーイレブン」と言われている。つまり、7:00から23:00まで学校にいるという意味だ。実際、学校日誌には教頭出勤時刻が7:00と最初から印刷されている。
給食子学校ではまだいいのだが、親学校となると食材業者の資材搬入に合わせて、どうしても7:00には出勤していないと対応できない状態である。
研究校ともなると、職員の居残りに合わせて実質的な学校管理者として、最終退勤となるために深夜に及ぶ。
渉外の窓口としての地域・保護者への対応、職員の指導・監督、ときには、学校長のマネージメントまで秘書ばりにやっている教頭もいる。体調を崩すのは必然とみる人は多いだろう。夢のある仕事とは言いきれないところがある。希望降格も増えようというものだ。

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根本先生講座Ⅱ(その1)

これは16年前に根本正雄氏(当時、法則化体育研究会代表)をお招き
して開催したイベントの講座です。
根本氏のご了承により掲載したものです。
当時、写真とイラストを合わせて収録した冊子を作ったのですが、長年
の間に紛失してしまいました。
ここに掲載しているイラストは、別な講座集録で使用したものを転用し
たものです。あらかじめ、ご了承ください。
================================

法則化体育上達講座根本先生講座Ⅱ(側方倒立回転)        
                                         '90.9.9

  今日の授業をごらんいただきまして、私がやろうと考えておりますの
は、「授業の法則化」ということであります。                     
  今までやってきたのは、個々の教材に則した法則化、例えば逆上りが
できないときはどうしたらいいか、閉脚とびができない時どうしたらい
いか。  私がこれからやりたいのは、同じ授業が場所を変えても同じよ
うな授業が出来ないだろうか、という仮説を立てて、やっています。 
  今日やった閉脚とびの授業も昨年度兵庫でやりました。その様子をま
とめたものがこの『立ち会い授業で腕を上げる』です。             
  この時も今日と同じように閉脚跳び越しをやりました。流れについて
は今日やったのと全く同じです。5年生でしたので43名中42名が出
来るようになりました。                                          
  飛び入りの授業が、成立するための条件は、何か条件が必要なようで
す。どういう条件があれば普段の飛び入りが成立するのか。それを今、
明らかにしようとしています。(板書)   
                        
┌──────────────────────────────┐
│一つは、基礎技能。それから、基礎体力。それから、基礎感覚。      │
└──────────────────────────────┘

  こういうものが育っていれば出来るだろう。こういう仮説を持ってい
るわけです。今日の場合ですと、閉脚とびの基礎技能は「うさぎ跳び」
としました。担任の白幡先生にお願いして、うさぎ跳びを練習しておい
て下さいとお願いしておきました。しかも、10メートルですね、マッ
ト10メートル並べまして、この10メートルを6,7回うさぎ跳びで
できると、閉脚とびが出来るというデータを集めています。         
  閉脚とびができるためには、うさぎ跳びが6,7回出来れば飛び入り
の授業でもできるだろう、ということです。                        
  それから、もう一つ基礎体力なんですね。基礎体力がないと出来ませ
ん。どういう体力が必要かといいますと、体力と感覚は似ているんです
が、感覚のほうからお話すると、先ほど大石先生もお話ししていました
が、『逆さ感覚』。逆さ感覚というのは、定義は、腰よりも低いところ
で頭がきて運動する時の間隔ですね。頭持ち感覚といいます。腰よりも
下に頭がきた時に動ける感覚。これは私たちの生活にはありませんから
難しいです。逆立ちになっても自由に動ける、運動できる感覚、これ 
をしておかないといけません。                                    
  それから、もう一つはですね「腕支持感覚」。両手で体を支える、こ
れができないと出来ません。側転の場合は、この二つの感覚ですね。 
  逆さ感覚と腕支持感覚。これが体力として付いていなければいけませ
ん。どのくらいついていなければいけないかというと、例えば、かえる
倒立やりましたけれども、これで逆さと腕支持両方できるんですね。こ
れは、10秒できる。それから、足打ちとび。足打ちとびは3回以上で
きる。手押し車で10歩動くことができる。それから、今日やりません
でしたけれども、壁逆立ち。(演技・松本先生。)                  

片足振り上げ、片足振り降り。                                 
                                                               
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指導力不足教員の増加

指導力不足教員 2005年度 506名「40歳以上」8割 '06.9/23 読売新聞

前年度に引き続き500名を突破したとある。昨年度から若干数が減ったとはいえ、依願退職者は103名と微増である。おそらくこの先もこの傾向が続くのだろう。明るさの兆しを感じられないからである。

全体的な風潮がこのようになってくると、教師志望者が減ってきて、ひいては人材不足がもたらされ、その延長上に教育の質の低下が訪れることを懸念している。そして、国力の低下へとつながっていく。
これまで築き上げてきた財力(=国力)をドンドン食い潰していく期間が、早晩訪れることだろう。

さて、記事には次のように書いてある。
《引用始め》20年以上のキャリアを持つ教員が6割を占めており、ベテランの指導力不足が目立つ。《引用終了》
これは暗に、キャリアがあればそれに応じて指導力が高まってくるという想定があるから書かれているのである。ところが、ベテラン=指導力がついている・・とは言いかねるところが現状見られる。むしろ、20年勤めてあげていながら、しかるべきスキルアップを図って来なかった結果が、現状に対応しきれていないと見るのが、妥当ではないかと私は考えている。
子供の成長に期待するのと同様に、教師の成長も期待したいという思惑が、免許更新制につながっているのだろうと思う。
(免許を)取ってしまえばこっちのもの・・という考えてでいると、進歩・成長がとどまってしまい、変化している情勢に対応するだけの力量形成が図られない。その結果として、指導力不足教員が増えているのだと見ることができる。

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2006年9月21日 (木)

根本正雄氏の論文審査講評

これは、かなり昔、法則化体育研究会代表(現 TOSS体育研究会代表)の根本正雄氏に論文審査をしていただいたときの講評を書き取ったものである。

かなりの時間を経ているものだが、勉強になることがあるので掲載してみた。

=============================================================================

  根本正雄氏による法則化体育論文審査

根本講座・3(論文審査)
  論文審査、初めてその場に立ち会う人もいると思うんですが、今日は
人数が少ないということで、読み上げを自分の座っている席で起立なさ
ってして頂きたいと思います。

一番目・馬場先生
  <根本先生講評>
  王様ドッヂボールは、さきにあるゲームなんですね。それを法則化論
文にする場合には、先生が工夫したところを強調していくか、あるいは
、追試をしてその報告をするかですね。どれかにしないと、論文の形に
ならないですね。
  この場合ですと、先生の留意点にある、得意でない子をわざと指名し
たり、くじで決めたり変化を持たせる、このへんを強調して「運動ので
きない子が生きる楽しい王様ドッヂボール」というタイトルにするとい
いです。
  それから、お話をしながら説明をしてくれましたけれども、その説明
を書くんです。そうすると、授業の流れが分かるでしょう。状況を論文
に書いてみて下さい。こういう、ゲームの紹介の場合には、方法示して
頂き、それでやったらどういう結果になったか、という書き方をしてく
ださい。これだと、Bですね。

二番目・前田先生
<根本先生講評>
とてもいい論文です。長沢氏のはプールサイドをやるとあったでしょう
。やってみましたか。「やってみましたが、うまくいきませんでした。
」やってみたけどうまくいかなかったので、牧氏のをやったんでしょう
。そこを書いてほしかったです。そうしないと、なぜ途中から牧氏が入
ってきたのか分からない。長沢氏のプールサイドの壁を足で蹴らせてや
る方法をやってみたらうまくいかなかった。そこで、牧氏の方法を取り
入れてみたらうまくいった。そうすると、論理的に一貫性が出てきます
ね。Aです。来年の水泳の時期に載せますから、それまで取っておいて
下さい。
  写真で示したほうが分かり易いのと、イラストで示したほうが分かり
易いのとあります。だから、両方入れるといいです。
  体育通信のは写真とイラスト両方で示してあります。全体を示すとき
は写真のほうがいいですが、部分を示す時、変化している様子などはイ
ラストのほうがよく伝わるんです。そのへんも考えて書いて下さい。
三番目・阿部先生
<根本先生講評>
参考として、平均台を使った楽しい授業作りという平均台のゲーム集な
んですが、これは先生が考えたんですか。「そうです。」すごいですね
。これを、いくつか論文にできますね。これは何年生の実践ですか。
「3、4年生です。」3、4年生の平均台ジャンケンでこういう指導を
したと頭につけて下さい。グー・チョキ・パーというのは先生がやるん
ですね。先生と同じものをやると。ジャンケンゲームを平均台に応用し
たわけですね。大変面白いので楽しい体育の場作りというのがあるんで
すが、そこに載せます。今日のは、Aです。
  阿部さんここがちょっと荒いので、展開の仕方が。もう少し子供の動
きとか状況をもう少し膨らませてくれますか。結果として、ここでねら
っているどういう感覚、動きが平均台遊びで出来るようになったとか書
いて下さい。

四番目・二宮先生
  <根本先生>
  どういう鬼遊びか読んだだけでは、イメージがわいてこないんだけど
も、その原因は、最初のところで、バスケットボールコートがあるでし
ょう。この線上を歩くでしょう。そして、走らない。歩くんですね。鬼
がだれなのか一目で分かるように帽子をかぶる。これは、この図を入れ
るんですね。(根本先生が板書)ルール①~③のしたにこの図を入れる
。ああ、バスケットゴールのコートで線上を歩くんだな、このへんに印
をつけて。これがあるのとないとではがらっと変わるんですね。言葉だ
けでは伝わらないのでこういうイラスト、図を体育の場合は必ず入れて
下さい。(図を挿入)

  このルールちょっと付け加えると子供達が喜ぶということですね。下
記のルールを一つだけ加える。下記のルールって五つありますよね、こ
ういうときはどうするかというと、ベタッと書かないで、付け加えるル
ールと書いて囲むんです。囲んでア、イ、ウ、エ、オ。こういう表現し
ます。

                  板書を掲載する。

そうすると、読者はどこを見ていくかというと、こういうところを見て
いるんですね。読ませたいところは、強調してやる。先生のろんんぶん
の主張はセーフティーコーンを使うというのが目玉なんですね。目玉を
タイトルに持ってくるんです。「セーフティーコーンを使った鬼遊び」
とするんです。それを持ってきて、いきなり頭から、セーフティーコー
ンを使ったルールを出すんですね。これ入りません。普通の鬼遊びにセ
ーフティーコーンを入れる。そして、こっちに展開を書くんですね。今
日のルールはちょっと違います。線のところにこれを置きます。どこへ
置くか分からないですね。どこでもいい。「今日のルールはちょっと違
います。線のところにこれを置きます」と言ってセーフティーコーンを
見せる。「鬼でない人はこのとんがりくんのところを通るとしたら、こ
の様にくるっと戻らなければならない。」このようにといっても見てい
ないと分からないわけだね。このようにと表現しないで具体的に書く。
「通るとしたら・・・・関係なく飛び越す。」ここのところ分からない
んだけど、説明してくれる。二宮先生実演。なるほど、これがあると会
わなくても戻るのか。回ってもとに返るのか。なるほど、これは面白い
ね。説明してもらうと分かるんだけど、文章を読んだだけでは伝わって
こないね。素材はとても面白いので、このままではCなんです。内容が
よくても表現力がないと伝わりませんので、もう少し書き方を工夫して
下さい。これも場づくりに入れますから、書き直しをして送って下さい
。送った段階で原稿を依頼します。

五番目・大谷先生
<根本先生講評>
  ビート板の持ち方笹川先生に聞くということで、具体的によく分かる
ように書かれています。先ほど申しました様に、イラスト・図で示して
ありますね。ポイントが明確に示してあります。論文として非常に分か
り易く内容もいいと思います。Aです。
  教材教具の開発というところがあるんですね、楽しい体育に。そこに
紹介したいと思いますので、来年の6,7月号あたりに使わせて頂きま
す。(注;楽しい体育とは、『楽しい体育の授業』のこと)
  六番目・馬場先生
<根本先生講評>
  これは先生が考えたんですか。面白いですね。ネタはAです。これも
場づくりに使ってみたいと思います。書き直すところは、留意点でふく
らませるのは、たいへんでしょう?2年生には。「ぼくのクラスは少な
いので、開いてる先生に膨らませてもらいました。」コンプレッサーが
あればすぐにできますけどね。どういうふうにふくらませるかとか、い
つ膨らませるかとか。それから、その風船、高さを変えるとありますね
。これ非常にいいですね。そこをもうすこし整理して、結果として、投
げる力が付く、正確に遠くまで投げる力が付く。というねらいをはっき
りさせて下さい。風船わりをしてどういう力をつけるか。

七番目・河野先生
<根本先生講評>
  大変面白いです。ピンポン玉、ゴルフボールを使うということ。実は
これは面かぶりでのばた足泳ぎまでの段階指導ということですね。でき
たら、イラスト、ふいているところとか、特に輪のところが見えないか
ら、経験者は分かるけれど、やり方が分からないから、絵を入れる。節
々に絵を入れるといいですね。これはAです。水泳の特集したいと思い
ますので、またお願いします。

八番目・大谷先生
<根本先生講評>
  大変面白い論文ですね。Aです。道南フリートークの方々ですか。も
っと面白いネタありますか。あればですね、体育の全発問全指示シリー
ズというのを出すんですね。サークル単位に依頼していくんですけども
、水遊びというところで、サークルに依頼するので宜しくお願いします

(注;これは「カメさんゲーム」といって、顔を水につけることができ
ない子供に、知らず知らずのうちに慣れさせていくゲームを紹介したも
のである。)

九番目・岩館先生
<根本先生講評>
  ドリブルをうまくするゲームということで、足ジャンケンを取り入れ
た方法ですね。とても面白いですね。Aです。小川先生どうですか、こ
ういう方法。『使えるなと思ったのは3番目のです。素早い腕のドリブ
ルってのは、ゲームをしたときに途中止まってドリブルつくっていうの
を練習するよりも、鬼ごっこみたいな形で早いドリブルを早くやらせる
ほうが、時間を取るならぼくとしては、効果があると思います。
  とにかく、シュートの練習を一番多くしないとゲームにならないので
ドリブルになかなか時間が取れないので、僕自身授業で使うんなら3の
ほうが、スピードを付けたドリブルのほうがゲームにつながるんじゃな
いかなと思いました。』
  これはこれでいいです。シュートをうまくするゲームだとか、そうい
うのを作ってくれますか。考えてみて下さい。今、学習ゲームというの
を特集するんですね。体育ゲームも考えてくれと向山先生に言われてい
まして、こういうものをたくさん開発してみて下さい。ドリブル、シュ
ート、パス。
以上で論文審査の方を終了します。
  最後に、小さいネタでいいです。たくさん集めて、人からきいただけ
でもいいですから、いいなと持ったら原稿をおくってください。原稿依
頼を致します。よろしくお願いいたします。

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2006年9月11日 (月)

第18回酒井塾(参加記)

酒井式描画指導法研究会実技研修会(通称「酒井塾」)に参加してきた。今回は旭川開催。久しぶりに酒井先生とお会いする。お元気そうでなにより。今回は、「マッチ売りの少女」でにじみの技術を学ぶのがメインだったのだが、初日は、学校行事のために参加できずに残念。

2日目。「にらめっこ・ないしょばなし」をクレヨンで描く。目玉を白く塗ることでインパクトのでる絵にすることと、クレヨンでしっかり塗り込んで彩色することを学んだ。

Dscn2487 Dscn2479 Dscn2480 佐藤式工作「竜の舞」は、トイレットペーパーで作るものだったが、実に楽しい。紙の切り絵のムードも楽しめる一石二鳥の題材であった。

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2006年9月 7日 (木)

クジラの特別授業

「総合的な学習の時間(本校では「キラキラタイム」という)」の外部講師に、日本鯨類研究所の藤瀬良弘先生をお迎えして特別授業をしていただいた。2時間のレクチャーと1時間の調理実習、その後、各グループ毎にクジラについてテーマを決めて調べ学習をするという単元構成である。(もちろん、本年限りの児童の興味関心に基づく活動ということになる。)

1学期から職員室内でも話題になっていたのだが、学校給食でクジラ肉を食べたことがあるかどうかという点で明確な境界線ができるのである。経験ありはまあ、ベテランクラスで、未経験者はシニアクラス(10~15年経験者クラス)という線引きである。そこで、wikiなどを見てみたら、次のようになっていた。

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乱獲による資源枯渇が明らかになり、次々と禁漁種の指定が行われる(1937年セミクジラが禁漁に、1947年コククジラが禁漁に、1966年ザトウクジラとシロナガスクジラが禁漁に、など)。それでも捕獲鯨種の転換をしての乱獲がとまらなかったため、1970年代には、もうこれは基本的にクジラは全部禁漁にした方が良いのではないかとする捕鯨反対論が台頭した。IWCにおいても捕鯨禁止が議論されるようになり、1988年、日本はついに商業捕鯨から撤退、生態系調査名目の調査捕鯨に切り替えたものの、これも「擬似商業捕鯨」として非難を浴びている。

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1963 南氷洋ザトウ鯨の捕獲禁止
イギリスが捕鯨中止 
1964 南氷洋シロナガス鯨の捕獲禁止
1972 国連人間環境会議で「商業捕鯨10年間モラトリアム勧告案」が採択される
シロナガス換算(BWU)方式の廃止、鯨種別捕獲頭数枠の設定
ノルウェーが南氷洋捕鯨から撤退
日本がミンク捕鯨を開始 
1975 新管理方式(NMP)の採用 
1976 南氷洋ナガス鯨の捕獲禁止
1978 南氷洋イワシ鯨の捕獲禁止
1979 IWC会議でインド洋鯨サンクチュアリーが採択される(附表) 
1982 IWC会議で商業捕鯨モラトリアムが採択される(附表) 
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私は、小学校5年生までクジラの竜田揚げを給食で食べていたと記憶している。6年生となって転校した先での記憶がない。中学校1年ではなぜか弁当の1年。再開した2年生からは全くなかった。1972年というと私は中学2年というあたりである。だからタイムラグとして現40歳未満は給食ではお目にかかっていないわけである。函館出身の私でさえ、こうだから、30代のみなさんが未経験なのは当然のことである。だから、鯨を食ったことがある=年寄り、ない=若者という区分けができたということである。(^_^;)(閑話休題)

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音の骨伝導実験・ヒゲクジラのひげと歯クジラの歯・クジラのほとんど退化状態の骨盤・ミンククジラの実物大幕の前で記念撮影・調理はやはり「竜田揚げ」(^_^;)。結構評判がよかったです。

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2006年8月26日 (土)

酒井式批判者に。"かけない"原因

作文指導の本(『”書く力”で子どもを伸ばす』樋口 裕一著 Gakken出版)をみていて、はたと気がついたことがある。次のくだりである。

>小学校の高学年になるころには、完璧な”作文アレルギー”になっています。しかも学校では、しっかりとした文章指導が行われていないのが現実なのです。

これは作文指導の場面についてなのだが、これ以上に図工で絵の指導となると「好きに描きなさい。」というさも良心的に見える助言が横行しているが、描くのが苦手になっていたり、描けない状態の子どもに対しては、突き放されたも同然のことである。樋口氏が・・ぜいぜい「好きなように書いてごらん」というのが関の山・・と指摘するのと同じレベルである。

酒井式は「描画指導法」なのであって、子どもの個性をつぶそうという指導法ではない。描けない子どもに描き方を教える方法を提案しているわけだ。作文指導で書き方を教えることと同レベルである。酒井式批判者は、一体教室での描画指導をどのようにしているのが見てみたいものである。没個性批判のため、「好きに描きなさい。」と言っているわけではないだろう。子どもへの指導法について、「どうすれば描けるようになるのか」「どうすれば描くことが好きになるのか」という土俵上で論議を交わしたいものである。Matti1 Matti2 Matti3

9月9日~10日、旭川市民文化会館にて第18回酒井塾(酒井式描画指導法実技研修会)がある。

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2006年8月16日 (水)

ピンチ 私はこうして切り抜けた

これはだいぶ前に雑誌投稿した原稿である。
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ピンチ 私はこうして切り抜けた

札幌市立ひばりが丘小学校大谷 和明  ─────────────── 

いろいろな場面でピンチは訪れるものだが、本稿では授業場面に絞って、私のピンチ脱出法を述べることにする。

1 教師は持ちネタを持つべし

 屋外体育の予定が雨天で、できないことがある。雨天用に屋内での裏番組は考えていない。
 そんな状況は、よくあるのではないだろうか。
 そんな時、私は決まってなわとびをすることにしている。
 なわとびは、私の持ちネタである。子ども逹と比較すれば、まだまだ私の方が上手に飛べる技が多い。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 「持ちネタ」だから子ども逹よりも上手をいかなければ、 指導の効果が弱いのである。│
└──────────────────────────────────────┘
 子どもたちは現金なもので、「口先体育」では、まじめに動かないものである。教師が手本を示すことができる場合、子どもたちは技に憧れ、挑戦心をくすぐられ、同時に教師に対して権威を感じるようになる。
 とりあえず、これをすれば全体が整然と動くことができる。しかも、学習感を持たせられるという持ちネタを持つことを勧める。

2 縄跳びの効用
 縄跳びの場合、活動スペースが少なくても、十分な運動量が確保できる。グランド活動は合同体育でたくさんの子ども達が出ていることが多いが、省スペースという点では屋体での縄跳びはそれに十分対応できるものである。
 ちなみに、縄跳びをする場合、きちんと整列させ、交代で跳ばせる人がいるが、その必要はない。 私の学校の体育館は、全校児童約八百名弱が集合すると満杯になるくらいの狭いところだが、縄跳びをする場合には整列させない。 私の学校では、一学年百二三十人はいる。それでも大丈夫だ。
 それは、
┌──────────────────────────────────────┐
│ 勝手に自分の跳ぶ場所を確保してから跳ぶ                                      │
└──────────────────────────────────────┘
ことにしているからである。
 一見乱暴な感じがするが、これで混乱したことは未だにない。整列すると省スペースどころか、無駄な空間ができてしまうからである。無駄な分演技待ちを余儀なくされる子どもが出てしまうのである。

3 プログラム化された動き

 突然の縄跳びでも、混乱なく動かせることができるには、訳がある。それは、
┌──────────────────────────────────────┐
│ 共通理解された合図がある                                                    │
└──────────────────────────────────────┘
ということによる。
 例えば、笛を短くピッと吹いたら教師の方を向いて、その場に安座(体育座り)をし、リズム太鼓(チューナブルタンバリン)のテンポに合わせて跳び、ピーッと長く笛を吹いたら、教師の回りに集合する・・などの決まりがある。 ちなみに、私は体育館の中央サークルに常駐し、そこで演示したり指導言を述べたりする。
 子ども達の練習中には、体育館中を歩いて個別指導をする。(リズム太鼓を打っているので、口は自由に動かせるわけだ)
 この決まった合図というのは、低学年ほど集団学習の場面では、必要かつ重要なことである。
 子ども達が動きに迷いを持ってしまうと混乱が生じるばかりで、教師は大声を出したりどなったりする状態に陥る。授業パニックである。
「これをすれば、こうする」「あの合図がでたから、あれをやればいいんだ」という決まりごとが子ども達に理解されていることは、とても重要なことである。
 これは、持ちネタと同じで体育に限らず、色々な教科での指導場面で生かせることである。
 結局、私の場合、ピンチを切り抜けるための布石を、日頃から打っておく・・というのが、切り抜け法ということになる。

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2006年6月 3日 (土)

オッペケペー節の授業

ひさしぶりに鍛国研空知ゼミ例会に出席した。国語の授業研修会である。とはいえ、参加者・・というよりも塾のムードがある・・は、小学校1年生~6年生(その保護者も授業を受ける)と幅が広い。

どの世代にもウケがよくて、しかも国語の学力を高める授業を提供しなければならないという厳しくも楽しい例会である。

今回は「オッペケペー節」の授業を行った。「読む」授業である。七五調のリズムで読むことの力を高める他に、「工夫読み」というものを提案した。表現読みといえば、読み方にいろいろなバリエーションを付けて変化読みすることなのだが、私の場合は、寸劇的要素を入れたいわば「立ち稽古」的な朗読の指導である。読みの変化はもちろん、内容アピールのための立ち居振る舞いや動作・表情などをいろいろと駆使する読みである。

授業最後は、私が示範読みをしたのだが、保護者たちからは「オ~」という声が上がっていた。

私の授業を楽しみにしてくれている子供たちがいるので、やりがいがある。

Dscn1369 Dscn1380

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2006年5月24日 (水)

『文学教材で何を読み取るか』

これは、もう何年も前に野口芳宏先生の授業を参観させてもらった後で、書いたものである。

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『文学教材で何を読み取るか』~野口芳宏氏の授業参観記~

 私の地元、空知管内で野口先生の授業、それも立ちあい授業がある~この一点で、また私の野口講座受講数が一つ増えた。
 空知の南、由仁小学校を会場として『空知作文教育研究会 事業3 研究授業及び講演』であった。
 授業は『野の馬』(教育出版六年下)、ファンタジー教材である。相手は、会の事務局長の柳谷直明氏。学級の子どもたちはどの子もよく鍛えられていて反応が実によかった。主宰の使われた隣の学級の子どもたちもやる気に満ち満ちた、主体性の高い子どもたちばかりだった。 例によって、素材研究→教材研究→発問研究の手順を踏まえられての授業は、なかなかに緊迫感があり、主宰の巧妙な話術と鋭い切り込みで飽きることなく授業が展開されていった。
 講演『文学教材で何を読み取るか』という題目が、立ちあい授業と関連して魅力あるものだった。
 主宰の主張はいつも明快である。
┌──────────────────────────────────────┐
│  文学とは「人間存在とは何か」という問題を追求する(言語)芸術である。     │
└──────────────────────────────────────┘
 What is a human being? 
 私が、野口主宰の講義や授業を拝見拝聴する理由は、自分が教師であるからであり、それはつまりは、自分の有り様・存在理由をそこに求めるからであると思っている。
 主宰のお話は教育思想・教育哲学があり、そこにいろいろと教えを受けたいという気持ちがあるので足を運ぶ。この日もやはり得るところ大であった。
 文学の授業内容を芸術としての視点から解説されたことも「夕づる」以来の再認識を得るところとなった。
 国語の授業に限らず広く教育実践者としての姿勢を説かれる姿は、さながら「伝導者」のようであり、それを受ける私はいわば「求道者」ということになろうか。
 この日も大変貴重な教えを受けることが出来、幸せだった。Dsc01531

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2006年5月 7日 (日)

TOSS/FreeTalkのTOSSディ

今回のTOSSディもまた、いろいろと学ばせてもらうことができた。

1)4/22 奈井江会場 学級崩壊を起こさない力量形成について、わがサークルの新刊をもとに講座構成をしてみた。テーマは、「崩壊しない学級づくりの手だて、できた・わかった授業づくり」というものである。

私が担当したのは、序論「学級崩壊を防ぐ学級経営の基本」結論「学級崩壊を出さない教師の力量・教師力向上の手だて」という双括部分であった。各20分ながら、結論は熱弁が高じて大幅にオーバー。ながら、好評を博すことができて、一安心。

2)4/29 岩見沢会場 「学習のシステム化をはかり、基礎学力を保証する授業づくり」

こちらは、ひさしぶりの体育「器械運動~鉄棒~逆上がり」指導の講座を20分。準備運動から場作り、細かな指導技術とテクニカルポイントを織り交ぜての実技講座となった。(写真)屋内体育館で、移動式鉄棒を使ったのだが、サイズが子供向けということもあり、参加者(=大人)には、ちょっと厳しい体勢で参加してもらった。

締めくくりのQ&Aで特別講演を飛び入りで行った。というのも、教員採用試験対策講座への参加者がかなりいたので、その熱意に応えたというものである。今年のキーワードと備えを具体的に語ってみた。

終了後は、かねてから希望していた「ひ田まり」(居酒屋)で打ち上げ。いつもの楽しい呑み会とは一変して、厳しい総轄反省と行動指示が飛び交うめずらしい状態になってしまった。(でも、個人的にはおいしく呑めた)

早くも来年度に向けての意思確認をしながら、二次会へとなだれ込んでいったのである。Dscn1128 Dscn1144

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2006年3月19日 (日)

たぬきの糸車

1年生に読解と音読指導に行きました。トータル5時間。

それだけで終わりならもったいないと、「たぬきの糸車」の絵の指導もしました。

場面は、おかみさんが「いたずらもんだが、かわいいな。」というところです。

結構、子供たちはのりのりで描いていました。

DSCN0564_thumb DSCN0565_thumb

http://homepage3.nifty.com/ft-otani/bijutukan/tanuki/tanukinoitoguruma.html

こちらに作品一覧を掲載しております。

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2006年2月 8日 (水)

第6回国語修業講(終了報告)

DSC01524 酒井塾に引き続き、翌日に行われたのが「第6回 国語修業講」である。メイン講師は、国語教育をちょっとでも真剣にやった人なら知っている 野口 芳宏先生である。こちらは、無事に飛行機が飛んだ。(^_^;)

硬派の教育を語る 野口先生ならではの、歯切れの良い講座や模擬授業があり、心身ともにリフレッシュすることができた。

私も「引用」を使った作文についてのミニ講座を持たせてもらった。前回、宇佐美 寛先生と大森 修先生の前で行ったものよりもグレードを上げてみた。(つもり・・・(^_^;)研究仲間の森 寛さんも駆けつけてくれて「大谷さん、これ、90分でやってよお。」とうれしいことを行ってもらった。

DSC01508

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2006年1月31日 (火)

第17回酒井塾(模擬授業)に向け

いよいよ、今週 2月4日(土)に毎年恒例の酒井塾(酒井式描画指導法札幌支部実技研修会)が開催される。今回で17回を迎える。

私は昨年に引き続き「佐藤式工作」での発表がある。題して「簡単走馬燈」である。

紙コップを使った、佐藤式工作にこれまであまり見られなかったインテリアムードを引き出す工作ネタである。

懸案の光源および光源台も完成した。CDやDVDのブランクディスク入れを加工したものである。

これでも結構よく回ることが確認できた。消防法の問題もあり、会場のホテルでキャンドルを使わずに済むので、一安心。あとは、メンバーが作ってくれたオリジナル作品を製作参考例として展示しつつ、模擬授業を行えばよい。

DSCN1764 DSCN1765

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2006年1月 5日 (木)

恒例!忘年会合宿(長沼温泉)開催

毎年恒例のサークル忘年会合宿が開催された。

今回は、9月の酒井塾でいつも使っていたながぬま温泉を会場としての本格的な合宿形式で行った。(ちなみに例年では、まじめな例会の後、呑み会~ボーリング大会~ブレストという流れである)

9月の酒井塾は苫小牧を会場としたことから、長年使ってきたながぬま温泉で過ごそうという単純な発想からであった。しかしながら、泊まり込みでしっかりと行われるだけあって、かなり充実した内容であった。

長期休業中ならではのちょっとしたイベントだった。(写真は本番のものと異なります。正式版は別途アップすることにします)DSCN1557

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子供TOSSディ(岩見沢)開催

’06年 新年第一弾。

年末 12月27日に岩見沢市立美園小学校を会場に「子供TOSSディ」が開催された。このイベントは、子供やその保護者を対象としてTOSSの魅力や効果について、実践形式(授業や実験)で披露するものだ。

午後の3時間程度を使って、3つの講座(1と3は全体、2は選択講座形式)で組み立ててある。

日程・内容 
 10:00~12:30 準備・練習・昼食
 12:30~13:00  受付
 13:00~13:40 第1部 上の句かるたに挑戦!! 五色百人一首大会
 13:40~13:50        休憩・移動
 13:50~14:50 第2部 冬休み自由研究お助け講座
          A 簡単にできる!! 楽しく遊べる佐藤式工作   (視聴覚室)
           ・かくれているのはだ~れ
          B 驚きと発見!! 楽しい科学実験        (理科室)
          C 目指せ名編集長!! 楽しい新聞作り      (3年1組)
          D 貼り絵で飾ろう!! オリジナルカレンダー作り (図工室)
 14:50~15:00         休憩・移動
 15:00~15:30  第3部 インターネットランドで楽しい授業(D表受験者4連発)
         ・角銅              ※各コマ7分にて実施
         ・荒谷
         ・中島主
         ・大谷
私が担当した理科講座は、駆け込み受講者が多くて、最終的には34名(たしか)ということだったが、会場の理科室が保護者も入っていたので満杯になってしまった。

ともあれ、なかなか楽しいイベントだった。次回はいつになるかわからないが、おそらく夏開催になることだろう。今回を上回る人数が集まることは間違いなさそうだ。DSCN1543 DSCN1555

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2005年12月21日 (水)

「個性重視」の教育言説を疑う

これは以前に雑誌に投稿した論文の一部である。
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 特集
  「個性重視」の教育言説を疑う
基礎教養の習得と「個性重視」は矛盾しないか

1 総論では矛盾なし・・だが・・

┌────────────────────────┐                          
│  基礎教養の習得と「個性重視] は矛盾しない     │                         
└────────────────────────┘                          
 これが私の結論である。
 ただし、それは総論としてである。どの領域・教科を基礎教養とするかという各論では、矛盾を感ずることがある。
 昔から言われる「読み」「書き」「ソロバン(計算)」部分を基礎教養とみなすならば、生活上での必修の教養事項として必要であろうし、基本的な能力としてなら、個性を配慮する必要がないだろう。したがって、矛盾することはない。昔の寺子屋方式がそうだった。
 しかし、それら以外の教育内容・活動については疑問を呈したり、矛盾を感じることがある。
 図工や音楽は技能面を鍛えるということを除けば、一人ひとりの感性の影響下にあることだから、それを基礎教養としてよいことなのかどうか。
 一応私が基礎教養とする範疇は、基本的には読み書きソロバン部分ということである。
 ましてや、「心の教育」で再び道徳教育の強化がさけばれているが、その道徳教育、とりわけ「道徳の時間」指導を基礎教養とすることの是非は、ずいぶん昔から論議されてきていることであり、未だに解決がつかないことである。
 そんな中で、日経連セミナーの席上で梶山官房長官が「戦後日本の教育は産業界の下請け機関だったのではないかという気がする。」(八月七日付け毎日新聞)と述べ、戦後教育が経済的価値を優先してきたことを批判している。
 没個性・画一教育として推進されてきた戦後教育を見直し、行政側からも積極的に、個性重視の教育を推進しようとする大きく胎動を始めたの感がする。

2 現場では個性を念頭に置いてきた

 子ども達一人ひとりの違い、それを個性の違いととらえ、それに基づきながら学習指導方法について種々実践研究を進めて来ているのが、現場の研究であるはずだ。
 これまでに発表されてきた実数は正確にはカウントできないほど、たくさんの研究成果が発表されてきているのである。
 「個性を重視することが基礎教養の習得の妨げになるか」と訊かれると正直、私たち現場人が取り組んで来たこと取り組んでいることに疑問を投げかけられる格好で、いささか居心地が悪い気がする。
 教育とはそもそもが、自己意識の変革を伴う行為である。
 自己否定・自己の既存意識の破壊、そしてそれに伴う再生・改善・向上・創造への繰り返しが「成長」であり、この中で個性が強固に形成されていくものだと私はとらえている。
 そのことがよく言われる「個性の伸長」ということだと解釈している。
 本稿に与えられたテーマを考えるに当たっては「個性重視」「個性尊重」の違いについて、まず触れる必要がある。

3 「個性重視」「個性尊重」の違い

 この二つは、私の意識の中では、次のように分けてとらえられている。
┌──────────────────────────┐                      
│ 「個性重視」→積極的に個性を生かそうとする指導姿勢│                      
│ 「個性尊重」→個性をつぶさないようにする指導姿勢  │                      
│ (指導の配慮姿勢)                                │                      
└──────────────────────────┘                      
 しばしば、両者を同義でとらえられる向きがあるが、私の中でこの二つは「ノット・イコール」の関係である。 本項テーマを次のように命題変更してみる。
┌──────────────────────────┐                      
│ 基礎教養の習得には「個性重視」をするべきではない  │                      
└──────────────────────────┘                      
 この命題なら非難・批判にさらされることは必至である。
 なぜなら、個人としての人格や学習権を否定するようなニュアンスがあるからだ。
 私たち現場教師は、個性を尊重するからこそ、教材研究では子ども達の違いを考慮しながら、指導方法も工夫しているし、評価についても検討している。
 また、個性を重視するからこそ、どの子も学習の主体者として満足いくように授業運営についても検討しているのだ。
 学習の主体者をやがては、生活の主体者へと導くために必要な基礎教養を習得させるべく、私たち教師は努力を払っているのである。
 「個性重視」が基礎教養取得に矛盾をもたらすのであれば、一体私たちの行為にはどのような価値があるというのだろうか。

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教師の教育課程編成能力

 これは以前に雑誌へ投稿した原稿である。結果的に教科書の2年間分先渡し措置というのが後に実現したので、やや先見があった内容なのかもしれない。
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特集 問われる教師の教育課程編成能力
                             複式教育的教育眼の効果

1 複式教育に当たれ

 二学年を見通した教育課程編成と聞いて、私が真っ先に思い浮かんだことは、
┌───────────────────────┐                            
│  複式教育にあるじゃないか                    │                           
└───────────────────────┘                            
ということだった。
 私は、新卒五年間を複式校で過ごしたので、そのことをすぐに思いついたのだと思う。
 また、現在、複式校に勤務されている方々には、別段色めき立つようなできごとではないだろう。
 特に、完全複式校(複式三学級。つまり1-2・3-4・5-6年のセット)では、すでにAB年度式の教育課程をもって実施していることだろうから、これまでの編成の実績を使っていけばよいのである。
 逆に、都市部の方々にとっては、何をどうすればよいのか、処々の悩みがあることと思う。
 だから、「複式校の教育課程編成を参照せよ」といいたい。
      
2 行政にお願いが・・・

 複式に準じて教育課程編成をするとなると当然必要となってくることがある。それは、
┌───────────────────────┐                            
│  2年間分の教科書の一括配布                  │                           
└───────────────────────┘                            
ということである。
 これがないと「複式式教育課程編成」がうまくいかない。なぜなら、1年生に2年生教材をもってきたり、2年生に1年生の教材をもってくる組み替え編成ができないからである。
 教科書を使わない方針であればよいのだが、教育現場には、なかなかその余裕がない。というか、教科書を積極的に使ってほしい文部省サイドとしてはそれくらいの配慮が当然必要になってくるだろう。(この原稿執筆段階では、そのような情報が私には得られていないのだが、すでにそういう施策が取られていたとしたら、不明をここでおわびしておく。)

3 生活科と社会科との連関に配慮せよ

 社会科では三・四年セットが提示されている。
 これまでもそうだったように、社会科・生活科とも子どもの社会認識を育てていくために、体験学習を重点的に行ってきている。
 どこの学校でも「見学学習(現地学習)」を実施していることと思う。
 これまでは、学習内容にあるから見学施設に行かせていた~というような教師サイドよりの実施意識だったと思う。
 これからは、
┌───────────────────────┐                            
│  アグレッシブな学習の必要性                  │                           
└───────────────────────┘                            
が求められてくる。つまり、教師がお膳立した見学コースに子どもを乗せていくというのではなく、子どもの学習の中から発展として見学要求が出てくることが考えられる。
 従来だったら、年間計画にないからということで、事前に用意されていた見学学習しか実施しなかった実情が、これからは掘り起こしたニーズに応える見学学習を用意する必要性が高まることと思う。
 これを称して「アグレッシブな学習」と私はいっている。4 アグレッシブを支えるマネージメ  ント 生活科で行動的に学習することを身につけた子どもたちに、社会科でも同じような学習の場を提供しようとするなら、それなりに時間の捻出が必要になってくる。どうするか?
┌───────────────────────┐                            
│時間と内容を圧縮するのである。                │                           
└───────────────────────┘                            
 「廃棄物処理」に関してなら、ゴミか下水処理かのどちらかを選択するという、選択幅が広がることによる圧縮ではなく、
┌───────────────────────┐                            
│   行事化による時間の圧縮                     │                           
└───────────────────────┘                            
である。
 これまでも、運動会や学習発表会、遠足などの学校行事では、その中に教科時数を組み込みして教育課程編成をしていたところが多いと思うが、それは時間の帳じり合わせであることが多かった(はずである)。そこに、
┌───────────────────────┐                            
│        実質を伴わせる                        │                           
└───────────────────────┘                            
ことで、時間と内容の両面を圧縮できるのである。
 これまでの「遠足は遠足」「教科学習は教科学習」という時間の取り方をせずに、『遠足の中で有効に学習活動を進める』ようにする。
 社会科内容(3)に関しては、次のようなローテーションが考えられる。
 〈1年目〉   〈2年目〉
  遠足A  ⇔  遠足B  
 上水道     ゴミ処理場  
 電 気     下水処理場   ガ ス
 これを更に、学習学年を単一学年だけでなく、隣接学年同士で同時に行おうとすると、
┌───────────────────────┐                            
│    運営スタッフが倍増する                    │                           
└───────────────────────┘                            
というメリットも生まれる。そうなれば、当然、
┌───────────────────────┐                            
│子どもの選択希望にも叶えられる                │                           
└───────────────────────┘                            
ということである。

5 「五分間スキル」の構想
 国語科では、能力目標(話すこと・聞くことができる~書くことができる~読むことができる〉を明確に示されている。
 およそどのような能力も日々の鍛錬なくして身につけることはできない。 そうなれば、この教材・この単元で集中的に指導して目標達成を図るということが難しくなってくる。だから、
┌───────────────────────┐                            
│  継続学習のスキル化が必要                    │                           
└───────────────────────┘                            
となるだろうと私は考えている。
 一2年合わせて五百五十時間あまり各五分として、二千七百分ほどの時間が提供されている。2年間で六十時間ほどである。新しい時代では、この細かい時間をどう有効に使えば、学習効果をさらに高めることができるかという手腕が求められてくることだろう。
 中学年社会科では、「地域社会」を学習フィールドにすることが明記されているのだから、これからは、これまで以上に地域そのものを学習の場とするよう教育課程を編成する必要があろう。

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1単位時間の「常例」規定は必要か?

これはだいぶ以前に学習指導要領の改訂期を迎えるに当たって、雑誌へ投稿した論文である。
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 平成八年度教育課程改定の動きを追う

6 現場からの提言・学習指導要領のここが不要だ
                                       

3)一単位時間の常例規定は不要だ

                                                              札幌市立信濃中学校
                                                            大谷 和明
1 常例時間以外は「異例」なのか

 ぜひとも言わせてもらいたいことは
┌───────────────┐   
│一単位時間の「常例」規定の撤廃│   
└───────────────┘   
である。
 かつて、教育課程研修集会に参加した時にも参加者(現場教員)と行政側とで常例時間に関わる論争があった。
 そもそも「常例」と規定されると、それ以外の時間設定は「異例」ということになる。
 知識・理解を重点とする旧来の学力観のもとでは、学力と時間(量)と結びつける傾向があった。時間をかければ学力も上がってくるだろうというわけである。
 しかし、かける時間にどこまでも比例していくものではないことは誰しもが分かっていることである。ましてや小学校では小学校一年生(六才)から小学校六年生(十二才)までの幅がある。
 小学校一年生を担任した時、とても四十五分を一つの教科にセットすることが難しいと感じた。子どもはもたないし、飽きるのである。
 「国語の時間に物語の絵を描くとか物語に出てくるお花を観察するために校庭に出かけるとか、合科的な活動をするといいですよ。」という助言をいただいたことがあった。
 授業の乗りが悪くなってきたら、体を動かしてみたり、歌を歌ってみたりする。どこの現場でもそのような学習活動をしているのではないだろうか。
 そうした中で、「常例」にこだわりをもつことはもはやナンセンスであると思うのだが、どんなもんだろう。
 昨今、「新学力観」が言われるようになり、ようやく知育偏重の教育からの脱皮が始まっている。これは、
┌───────────────┐ 
│  「量」から「質」への転換    │ 
└───────────────┘ 
が求められているのだと思う。
 現行の指導要領では、常例以外の設定条件を二つ掲げている。
┌───────────────┐ 
│ ・ 年間授業時数の確保        │ 
│ ・ 適切な計画の立案          │ 
└───────────────┘ 
 さらに前提条件がある。
┌───────────────┐ 
│  教育効果を高める指導方法を工│ 
│ 夫する                        │ 
└───────────────┘ 
 これだけの条件をクリアできるなら一単位時間はこだわりませんよというわけだ。学ばねばならない学習内容が決まっているので、常例時間で行かないと消化できないだろう・・とでも言わんばかりである。ここに、ゆとりを標榜していながら、実際にはゆとりがない原因がある。
 だから、ゆとりを生み出すためには単位時間プラス学習内容の削減のセットが必要となってくる。

2 わずか五分で大きな違いが・・

 「常例」と規定されると教育課程編成も「常例」に従うようになる。ここに、常例規定を撤廃し、四十五分(かつてはこれが常例だったのだが・・)で一単位時間を取ると、次の時間が捻出できる。

 一週三十単位時間があるとして、毎時間五分の時間が浮くので、一週間で
                        5×30=150 分(二時間三十分)
つまり、一週間で三単位時間分の時間が浮くことになる。
 六時間授業の日では下校までの放課後活動に三十分のゆとりが生まれる。 一日三十分・一週三単位時間の余裕は大きい。
 「やらねばならない」ことに追われしかも、放課後にゆとりがないというのが、学校現場の現状である。
 教師も生徒にもゆとりがない状況の打破の糸口のひとつがここにある。

3 「常例」撤廃を支えることは

 学校五日制の完全実施に向けて四週五休から四週六休へと移行しようとしている。
 行事の精選の名前のもとに随分と有意義で子どもたちが望んでいた行事が消えていった。これは、
┌───────────────┐ 
│ 授業日数が減っても、学習内容が│ 
│ 減らずに年間授業時数を確保せね│ 
│ ばならない矛盾の結果生じた現象│ 
└───────────────┘ 
である。しかも、学習状況は過密にならざるをえない。そんな状況では、
「常例」の撤廃はさらに難しくなるだろう。
 したがって、従来にもまして学習内容の見直しや削減が必要となってくるだろう。
 教育行政には現場の声をもっと反映して欲しいと感じる。

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ピンチ 私はこうして切り抜けた

これは以前に雑誌へ投稿したものである。
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ピンチ 私はこうして切り抜けた
札幌市立ひばりが丘小学校 大谷 和明 

 いろいろな場面でピンチは訪れるものだが、本稿では授業場面に絞って、私のピンチ脱出法を述べることにする。

1 教師は持ちネタを持つべし

 屋外体育の予定が雨天で、できないことがある。雨天用に屋内での裏番組は考えていない。
 そんな状況は、よくあるのではないだろうか。
 そんな時、私は決まってなわとびをすることにしている。
 なわとびは、私の持ちネタである。子ども逹と比較すれば、まだまだ私の方が上手に飛べる技が多い。
┌──────────────────────┐                               
│「持ちネタ」だから子ども逹よりも上手をいかな│                              
│ければ、指導の効果が弱いのである。          │                              
└──────────────────────┘                               
 子どもたちは現金なもので、「口先体育」では、まじめに動かないものである。教師が手本を示すことができる場合、子どもたちは技に憧れ、挑戦心をくすぐられ、同時に教師に対して権威を感じるようになる。
 とりあえず、これをすれば全体が整然と動くことができる。しかも、学習感を持たせられるという持ちネタを持つことを勧める。
2 縄跳びの効用 縄跳びの場合、活動スペースが少なくても、十分な運動量が確保できる。グランド活動は合同体育でたくさんの子ども達が出ていることが多いが、省スペースという点では屋体での縄跳びはそれに十分対応できるものである。
 ちなみに、縄跳びをする場合、きちんと整列させ、交代で跳ばせる人がいるが、その必要はない。 私の学校の体育館は、全校児童約八百名弱が集合すると満杯になるくらいの狭いところだが、縄跳びをする場合には整列させない。 私の学校では、一学年百二三十人はいる。それでも大丈夫だ。
 それは、
┌──────────────────────┐                               
│勝手に自分の跳ぶ場所を確保してから跳ぶ      │                              
└──────────────────────┘                               
ことにしているからである。
 一見乱暴な感じがするが、これで混乱したことは未だにない。整列すると省スペースどころか、無駄な空間ができてしまうからである。無駄な分演技待ちを余儀なくされる子どもが出てしまうのである。3 プログラム化された動き

 突然の縄跳びでも、混乱なく動かせることができるには、訳がある。それは、
┌──────────────────────┐                               
│共通理解された合図がある                    │                              
└──────────────────────┘                               
ということによる。
 例えば、笛を短くピッと吹いたら教師の方を向いて、その場に安座(体育座り)をし、リズム太鼓(チューナブルタンバリン)のテンポに合わせて跳び、ピーッと長く笛を吹いたら、教師の回りに集合する・・などの決まりがある。 ちなみに、私は体育館の中央サークルに常駐し、そこで演示したり指導言を述べたりする。
 子ども達の練習中には、体育館中を歩いて個別指導をする。(リズム太鼓を打っているので、口は自由に動かせるわけだ)
 この決まった合図というのは、低学年ほど集団学習の場面では、必要かつ重要なことである。
 子ども達が動きに迷いを持ってしまうと混乱が生じるばかりで、教師は大声を出したりどなったりする状態に陥る。授業パニックである。
「これをすれば、こうする」「あの合図がでたから、あれをやればいいんだ」という決まりごとが子ども達に理解されていることは、とても重要なことである。
 これは、持ちネタと同じで体育に限らず、色々な教科での指導場面で生かせることである。
 結局、私の場合、ピンチを切り抜けるための布石を、日頃から打っておく・・というのが、切り抜け法ということになる。

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2005年12月15日 (木)

総合的学習と二十一世紀型の授業像を探る

※これは以前に研究冊子に投稿した論文である。
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「教育技術研究」第8集 特集 総合的学習と二十一世紀型の授業像を探る

1 総合へのアクセスは理科が最多?!

 総合的学習のプラン作りをしてみたり、紹介される実践提案の数々をみていて思うことは、
┌─────────────────┐                                        
│理科には総合へのアクセスポイントが│                                        
│無数と思えるほどある             │                                        
└─────────────────┘                                        
ということである。
 ただし、条件がある。それは、
┌─────────────────┐                                        
│    プランニングのアイデア次第   │                                        
└─────────────────┘                                        
ということである。
 アイデアの数もさることながら、アイデアの質に左右されることが多いと感じている。
 現在、地球上では未曾有のスピードで種の絶滅が進行しているのだが、これは過去五回の大きな絶滅を凌駕するものである。
 しかもその原因は人類がもたらしたことであることがはっきりしている。
 世界はカオスの時代を迎え、あらゆる方面・分野でボーダーレスがしかれるところとなった。教育界もまた「総合的な学習の時間」を創設するにいたったのは、時流というべきであろう。
 これがつまり「横断的・総合的な学習」ということになる。
 理科は指導内容の関連が算数同様に、系統化されて来たことで、学年間での指導のつながりを他の教科よりも意識的にもつことができた。
 しかし、これはアプローチに過ぎなかったと言える。いわば、
┌─────────────────┐                                        
│  系統とは枝わかれを持つ単線軌道 │                                        
└─────────────────┘                                        
だった。
 アクセスという概念は双方向性を持つ。
┌─────────────────┐                                        
│アクセスポイントとは出入り口である│                                        
└─────────────────┘                                        
 これまでの「単線型軌道的」系統発展とは明らかに異なる。それは、
┌─────────────────┐                                        
│  「アリの巣型複線」的系統発展   │                                        
└─────────────────┘                                        
と言える。
 これまでの理科の教科内だけの系統発展を平面的に捕らえるなら、これからの理科と総合的学習とのつながりは、立体的に捕らえていかなければならないだろう。
 インターネットのホームページ上がそれぞれ複雑にリンクしているのに似てくるものと私は考えている。

2 「児童の興味・関心」の引き出しが鍵

 これまでの教育課程編成が固定的なものだったのは、教科テリトリー・領域テリトリーのように枠組みがはっきりしていたからである。
 「アリの巣複線型」を意識した教育課程編成や総合的学習の単元づくりは、
┌─────────────────┐                                        
│他学年を通した一括編成も考えられる│                                        
└─────────────────┘                                        
のである。
 今回の学習指導要領では、二学年通しによる教育課程編成を可能としているが、おかしなことに理科ははずされている。あくまで学年内処理というイメージである。
 読者諸氏には今一度、A~C領域と各学年内の学習内容を一覧にし、内容関連を洗い出しする作業をしていただきたい。
 学年を横、学年間を縦と見ると、それぞれに内容的に関連づけられることが多いことが分かると思う。
 4年の光電池をみる。三年の光・日なたと日かげ・乾電池と豆電球とが教科内関連である。総合へのアクセスポイントと見ると、エネルギー・環境問題教育との関連が見えてくる。
 代替エネルギーとくくると、風力・波力水力・原子力・地熱等々へと広がることが考えられる。
 風力発電を見ると、おのずと天気の影響(つまり理科)へと戻ってくるだろう。ただし「天気の変化」は五年の内容である。
 天気の変化は気象衛星を使うことで、かなり正確にトレースすることができるようになったし、予報精度も伸びた。
 大気のダイナミズムを空気の対流として見ると再び4年の内容へとつながっていくだろう。
 地熱発電にしても、当然ながら火山に関する学習が伴ってくる。これは土地のつくりとでき方(6年)につながり、余熱利用を引いてくると植物の季節の変化(4年)や温室栽培(発芽から結実~5年)、環境との関係(5年)・・・と、字句に起こすことがまどろっこしいほど、さまざまなアクセスポイントをもつことが分かる。
 ただ、どんなアクセスの可能性が示されていても
┌─────────────────┐                                        
│子どもが興味・関心を抱かなかったら│                                        
│断線状態と同じである             │                                        
└─────────────────┘                                        
ということだろう。
 今回の学習指導要領では理科の2学年通し指導は見送られたが、学校の独自性や創造的な人間の育成を本当に考えるのなら、理科に関してもダイナミックな教育課程編成が可能となるようにするべきである。

3 プランナーの知的好奇心

 冒頭に述べたことに戻るが、総合的学習へアクセスしていくには、
┌─────────────────┐                                        
│      プランナーのアイデア       │                                        
└─────────────────┘                                        
が必要条件である。そして、子どもたちの知的好奇心を高めていく指導もまた必要条件である。それは理科だけではないこともまた自明のことである。

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2005年12月 7日 (水)

中学生ともなると・・・

※これは以前に雑誌へ投稿したものである。

1 中学生ともなると・・・

 小学校と中学校両方の教師経験から感じていることは、
┌──────────────────────┐                               
│中学生ともなるとかなり大人びた(良く言えば客        │                              
│観的な)ものの見方ができるようになるものだ          │                              
└──────────────────────┘                               
ということである。
 小学校の低学年では、教師対児童個人という一対一の関係の糸がたくさんある状態である。したがって、教師評価には「自分にとってどうであるか?」という視点が中心となっている。
 これが高学年になるにしたがって、教師対児童集団(この場合、よくあるのは仲良しグループの小集団である)の関係が多くなってくる。
 つながりの糸は、数が少なくなるとはいえ、教師にとっては集団内での子どもの意識や子ども同志の関係など見えにくくなってくる。
 そして、中学生となると教師対学級生徒集団の関係が強くなってくる。
 集団づくりを通して、学級経営を展開することが多くなってくるので、このような関係が当然多くなってくる。
 生徒の方も一人ひとりが学級集団の意識を代表できるような状態となってくる。
 だから、一人の意見の後ろには学級全体(あるいは、圧倒的多数)の意見があるものだと教師側はとらえる必要があろう。
 加えて、一人ひとりのものの見方考え方にもかなり客観性がでてくることであるから、一口に教師評価といっても、かなり辛辣で厳しくみることができるのだと、私たちは意識していなければならない。

2 教師からのお願いとして提案する

 生徒たちは通信簿という形で明文化されたものを生徒たちは作りはしないが、日常会話・交友関係の中で、互いの担任を評価しあっているものである。それをあえて、文面に表し、教えてもらうわけだから、
┌─────────────────────────┐                        
│先生にも、ぜひ「担任の通信簿」をつけてみてください          │                        
└─────────────────────────┘                        
と学級全体に依頼する形で提案することを私は薦める。

 3 どのような組織で行うか 二つある。
┌─────────────────────────┐                        
│ア  班長会などの既存の学級組織集団をそのままつかう     │                        
│イ  臨時に「学級担任通信簿」作成プロジェクトチーム          │                        
│  をつくる                                                                 │                        
│ウ  プロジェクトチームにオブザーバー(学級代議員)          │                        
│  が加わる                                                               │                        
└─────────────────────────┘                        
アの利点は、各班の意見集約を取りやすく作業が平常時のように手早く行えるという点である。
 欠点は形式的で無難に終わってしまうことが心配されるということだろう。
 したがって、この組織を活用する場合は評価の観点項目を決定する時にいかに多くの意見を引き出せるかが成否の鍵になる。
 イの利点は、なんといってもノリをうまくつかって、楽しいものができあがるという点である。(原版ではここに写真が挿入されている)
「やってみたい」という意欲が優先された集団だからノリはいい。
 しかし、でき上がりに厳粛さを求めることはむずかしくなる。
 ウは、アとイの折衷案である。ノリの集団に学級代議員として学級全体の代弁者として加わることで「通信簿」の適正が高まっていくことが期待できる。
 いずれの場合でも、集団の質と一人ひとりの判断力の程度といった学級の状態により学級会議で決議されることが望ましいだろう。

4 編集方針を決定する

 どの組織で通信簿を作成する場合でも、
┌─────────────────────────┐                        
│  編集方針がもっとも大切である                                     │                        
└─────────────────────────┘                        
ことを担任も生徒たちも共通認識を持たなくてはならない。
 その際、やはり生徒たちが手にしている通信簿の役割や意義などを再確認することが効果的であろう。
 つまり「通信簿」とは、
┌─────────────────────────┐                        
│①  生活や学習の状態を評価し、                                    │                        
│②  今後の励みとなる                                                   │                        
└─────────────────────────┘                        
指導資料であるということである。
 通信簿を発行する法的根拠はないが、どこの現場でも、このような意義を認めながら、評価・発行していると考えられる。
 二つのうち②の方が特に大事である。
┌─────────────────────────┐                        
│「励みになるように」という意識が欠落してしまうと、             │                        
│欠点をあげつらったり、単なる批判で終わってしまいか        │                        
│ねない                                                                       │                        
└─────────────────────────┘                        
 担任~生徒の間が気まずくなるようであれば、いっそのこと担任の通信簿は作成しないほうが、まだましである。
 また、「相手を温かく見る」という思想は評価の基底となることだから、欠くことができないと私は考えている。
 通信簿作成会が編集方針を打ち出せるならベターであるが、学級活動の中で担任と生徒の話し合いの上で、編集方針が決定されてもよいであろう。

5 記入の際の配慮事項

 学級担任の通信簿には、大きく三つの評価領域が出てくる。
┌─────────────────────────┐                        
│  ①  教科担任としての指導技量                                    │                        
│  ②  学級担任としての経営技量                                    │                        
│  ③  教師としての行動評価・その他                               │                        
└─────────────────────────┘                        
 ①については、一般的な教育技術が出てくる。
 例えば、板書の字の善し悪し・スピード全体のまとまり、話し方のわかりやすさや話す速さ、机間指導での援助の仕方、実験観察での指導・援助の程度などなど・・である。
 これらの項目について、異論をはさむところはまずないだろう。
 また、③についても生徒たちの理想とするところの教師像に照らしみて、どのように自分をみてくれているか興味がわくところだが、大抵のことには意義を申し立てることは起きないだろう。
 問題は、②である。
 「自分はそれほど悪くもないだろう」と思っている教師でも、実に多くの批判評価がでてくることを覚悟しておいた方がよいと思っている。
 好意的評価をしてくれるものについてはうれしい気持ちで読み終われるが、批判評価については、教師と言えども人間であるから、おもしろいはずがない。例えそれが当たらずとも遠からずであれば、愉快な気分で終わるとは考えにくい。
 そのことで、教師と生徒の間に溝を作ってしまっては、せっかくの通信簿が水の泡になってしまう。
 そのため、批判についてはワンポイントアドバイスを書き添えるようなひな形を事前に提示しておけばよいだろう。
┌─────────────────────────┐                        
│○○については、◇◇◇という状況です。△△を☆☆☆      │                        
│のようにしていくときっとよくなっていくことでしょ                   │                        
│う。がんばってください。                                                │                        
└─────────────────────────┘                        
 教師が記入する家庭への通信欄と同じような配慮を生徒たちにも、前もってお願いしておけばよいのである。
 こういうことは、遠慮することはないだろう。
 そして、
┌─────────────────────────┐                        
│    記入用紙は、無記名とする                                        │                        
└─────────────────────────┘                        
ことが肝腎である。
 無記名であるからこそ、忌憚のない意見が欠けるのである。
 生徒たちの本音を訊こうと考えたらやはり「無記名」にしなければならない。

6 教師自身が真摯な気持ちで

 最初に述べたような発達段階を迎えている中学生に対して担任の通信簿を行うなら次の基本的な心構えが必要である。
┌─────────────────────────┐                        
│①  かなり厳しい批判も甘んじて受け入れる心の準備を      │                        
│  しておくこと。                                                           │                        
│②  比較的よい評価でも割り引いた上で受け入れるこ       │                        
│  と。                                                                       │                        
└─────────────────────────┘                        
である。
┌─────────────────────────┐                        
│担任の通信簿は、教師修業の一環として受け取るという     │                        
│姿勢が大事である。                                                     │                        
└─────────────────────────┘                        
『学び続ける教師にこそ、人を教える資格がある』 私自身、この名言を肝に銘じて、通信簿をいただこうと思う。
(原版ではここに写真が挿入されている)

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定期テストに備えて やまカンテスト

※ これは以前、雑誌に投稿した実践原稿である。
  
 定期テストに備えて やまカンテスト  
         札幌市立信濃中学校 大谷 和明

【イントロ】
  定期テストに向けて学級の生徒たちに取り組みの発破をいろいろかけても、のれんに腕押し、ぬかに釘という調子で、さっぱり乗ってこないものである。
 そこで、復習ばっちり・準備は楽勝・テストこいこいという(ほどのこともないか)妙案がひらめいた。名づけて「やまカンテスト」
対象は、小学生から大学生までおよそ試験のある集団に所属している人ならだれでも。

【授業の概要】
  『いよいよ期末テストまであと☆日となりました。テストの準備はバッチリでしょうか。』
「え~?!もうそれだけしかないのお ~!」「テスト、いやだなあ・・・・」
『まあ、たいていの人は直前の三日前くらいから一生懸命やるようですね。もっとすごい人は、前の日にやります。これを称して〈一夜漬け〉といいます。』笑いが起きる。「おれ、いっつもそれだあ。」
『テストの準備というと、用意周到に計画を立てて効率良くテストを攻略する人がいます。その一方、とっておきの秘策でテストを攻略する人もいます。』        
┌─────────────────┐                                        
│その秘策とは、どんなことでしょう?│                                        
└─────────────────┘                                        
「カンニング!(爆笑)」「お前だべや、それ」「おれやんないよ、たまにしか・・(笑い)」「先生にどんな問題を出すのか聞いてくる。」「教えてくれるわけないべや」「ヤマをかける!」
『ピンポ~ン』「ええ~?!」「当たらなかったら?」
『もちろん、おだぶつ。当たるも八卦、当たらぬも八卦・・なんてね。』
「なんだあ~そんなことか。」
『でもね。やまカンを立てるというのは、なんでもいいからでたらめにヤマをはるんじゃないんだね。やっぱり出そうだな・・という雰囲気が分かるからヤマをかけるんです。ということは、出題傾向や頻度がある程度わからなくちゃできません。つまりある程度実力がなくっちゃやまカンは立てられないということです。そこで、8組でもやまカンに挑戦してみようと思います。自分の好きな教科で、これは出そうだなという問題をあさって、テストを作ってみてください。問題のレベルや量は一切作成者に任せます。幸いにして、当たってみんなに貢献したら、豪華景品を先生からあげましょう。はずれでも、問題を作ることで勉強の復習ができるわけですからいいじゃないですか?』
「おれ、やってみるかな。」「先生、僕は理科で作ってみます。」
という調子で取り組んでみた。結構問題は集まり、生徒数分を印刷して問題集として配布した。
中にはばっちり的中というものもあった。学級づくりに一役買う実践ではないだろうか。

【インフォメーション】
  93年、教科研大会の折、授業づくり部会で発表したものだが、参加者の中にも類似の経験をした人が結構いた。それぞれ効果があったということである。やまカンでなくとも問題作成は効果的な学習方法であると考えられる。(元原稿では、ここにサンプルが挿入されてある)
 問題は、記述式をできるだけ少なくしたほうがよい。採点が面倒であるし、解答時間が結構かかるので、学習効果が下がってしまう恐れがある。
 この他に企画したテスト対策の例を挙げておく。おもしろそうなのがあったら、実践してみてほしい。

その1 『対戦型・禅問答』
 「そもさん!」『せっぱ!』
「鎌倉幕府を開いた人は?」『源 頼朝』
「(A+B)2 を展開すると?」『A2 +2AB+B2 !』
班対抗で短時間でできる。テスト前の短学活での実践にどうか。

その2 スリーヒント・クイズ
 「色・・元素・・反応」『炎色反応!』こんな調子で連想クイズのように答えていく。1チーム2人で組んで一人がヒントを出して、もう一人が答えるという具合に進行する。一分間で何問解答できるかを競うとおもしろいだろう。
(元原稿では、ここにサンプルが挿入されてある)

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口の形を正しく(口形指導)

※これは以前、ある雑誌に投稿した原稿である。

2年生1学期
「お口の体そうしてみよう」   口の形を正しく(口形指導) 
札幌市立ひばりが丘小学校         大谷 和明

1 「話すこと・聞くこと」指導  が始まる

 国語科では、新学習指導要領による授業を進めることができることになっている。低学年段階では話すことの初歩段階として、口形指導をしっかりしておくことが大切である。同じく、正しい発音をしっかり聞き分ける力も要求されてくるのである。
 ともすると無味乾燥な指導となりそうな口形指導であるが、楽しみながら授業を展開するようにすると子供たちものってくる。

2 ドレミファかえうたをうたう
 模造紙に大書きした阪田 寛夫の「ドレミファかえうた」を掲示する。
『今日は、この詩を使って口形練習してみるよ。』すでに読み始めている子供がいる。
『まず、ゆっくり先生の後に続いて読んでみましょう。』
 タイトルからメロディーはつけずに模範読み(口形が分かるように)しながら連れ読みを進める。『ドレミファかえうた』「ドレミファかえうた」『はじめは ふつうに うたってみよう』「はじめは ふつうに うたってみよう」(中略)『たいへん上手に読めましたね。では、ドレミのところはそのまま歌ってみます。』
『はじめは ふつうに うたってみよう』「はじめは ふつうに うたってみよう」『♪ドレミファソラシド ドシラソファミレド』「♪ドレミファ・・・・」
 階名視唱の部分は、音の伸び縮みを取り入れたりしながら、変化をつけてみると楽しさが増す。
3 バリエーションを変えて

『上手にできましたね。では、最初は男の子が、歌のところは女の子が歌ってみることにします。』「(男)はじめは ふつうに うたってみよう」「(女)♪ドレミファソラシド ドシラソファミレド♪」(笑い声が起きる)
 男女・班ごと・指名などフルーツバスケット方式でいろいろな人どうしで読みと歌のかけ合いをしてみると楽しい学習活動として行うことができる。他にも詩を創作してみることもできる。

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下の句カルタ 速習法(2)

前のサイトアップの続き・・・

 小 特活     北海道版 下の句カルタ 速習法(2)
自重札を取り入れる
                    札幌市立ひばりが丘小学校   大谷 和明 

1 自重札を取り入れる

 下の句かるたを習得する上での難点の一つが
┌──────────────────────────────┐              
│自重札・半自重札のよりわけ技術の難しさ                      │             
└──────────────────────────────┘              
にある。
 読める・取れる札が増えてきたところで、
┌──────────────────────────────┐              
│ 速習の原則2                                               │             
│ 一人10丁の中に一丁ずつ自重札・半自重札を取り入れて試合する│             
└──────────────────────────────┘              
のが、次のステップである。
 例えば、『今一度のあふこともがな』と『今一度の御幸またなむ』を一丁ずつもつのである。
 全日本の下の句かるた協会の読み方ガイドによると、こうなる。

今一度のあふこともがな・・・い-ま-ひと-た-び~の~伸びが多い。
今一度の御幸またなむ・・・・いま~ひとたびの~つめて読み進める。

 同じように、次のようになっている。

けふを限りの・・・・きょ~お~かぎ~り~の~(伸ばす)
けふ九重に・・・・・きょう、ここのえに~(縮める)

 これらは、ガイドにしたがってあらかじめ試合前に読み違いを教えておいてから、試合を始めるようにする。
 お手つきが増えるがそれが逆に、ゲーム性を高めるもととなって、真剣に札取りをするようになる。

2 五色百人一首にならう

 (1)でも述べたように、東京教育技術研究所発行の五色百人一首のように
┌──────────────────────────┐                      
│     自重札・半自重札を混ぜ合わせながら、          │                      
│    20丁一組として1対1で源平戦をする           │                      
└──────────────────────────┘                      
  ことにより、
┌──────────────────────────┐                      
│    ゲームに緊張感を持たせ                         │                      
│    無理なく札を覚えさせ                           │                      
│    白熱戦が期待できる                             │                      
└──────────────────────────┘                      
  原理を生かして下の句かるたを指導するのが効率がよいのである。

なお、「北海道版下の句かるた」を五色百人一首様に組み直ししたものはTOSS/FreeTalk で開発されている。

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下の句カルタ 速習法(1)

これは、法則化合宿提出用に作成した論文であるが、審査は受けていない。

 小 特活                       
   北海道版 下の句カルタ 速習法(1)
              取り札の裏に読みをつける。
札幌市立ひばりが丘小学校  大谷 和明

0 下の句かるたの難点

 北海道版百人一首(下の句読み・下の句取り)を習得させるには、崩し字と旧かなづかいに対して(ここに札を掲載する)いかに抵抗感を速く取り除くかにポイントがある。
 以下、習得の道を細分化して説明する。

      「ゆくえも知らぬ恋の道かな・・」

1 取り札の裏に「読みカード」を貼りつけるが適当だろう。
┌────────────────────┐                                  
│ 取り札の裏に、その札の読みを書いたカード│                                 
│ を貼りつけておく。                     │                                 
└────────────────────┘                                  
 単純なことである。 カードには、上の句と下の句の両方を記入しておく。ただし、下の句は枠囲みをする。 

 ここに札裏を掲載する(あるいは、字のポイントを大きくして上の句のとの違いを際立たせておく。)

 最初は、裏の方を見て取ることにする。

2 裏表の混在でゲームをする

 下の句かるたの中には、だれもが読める字で始まるものが何枚かある。
 漢字の一番人気は『乙女の姿』である。
 『衣かたしき・衣ほすてふ』『雲井にまがふ・雲がくれにし・雲のいづこに』『我身よにふる・我身一つの・我立そまに』『末の松山』『三笠の山』『松もむかしの』『山の奥にも』『花より・花ぞ』などがある。
 ひらがななら『うしと』『おきまどはせる』『あしのまろやに』『むべ山風』『あまりて・あまの』『いでそよ』『みそぎぞ』『もれいずる月』『いくよ』『ぬれ』『よしの』などである。
 これらは表面を出し、崩し字で読めない札を裏面の読みカードを出して、源平戦で一人5枚~10枚と程度で試合する。
 五色百人一首(東京教育技術研究所発売)でも一人10枚で1対1で対戦するが、この効果は、
┌──────────────────────────┐                      
│いきなり山場から試合が始まるので、最初から盛り上がる│                      
└──────────────────────────┘                      
ところにある。
 3人1組で対戦する百丁勝負での終盤が、いきなりゲームの最初にくるから盛り上がらざるを得ない状況設定となっている。
┌──────────────────────────┐                      
│ 速習の原則1                                      │                      
│   取れる札で少ない持ち札から試合を始める          │                      
└──────────────────────────┘                      

 3 備考

 源平戦は、相手札をとったら自分の持ち札を相手に送り、早く持ち札がなくなった方が勝ちという方式である。
 試合を通して、お手つきや同着(流し札;その札を残しておき、後で再度読み上げて取るということ)のルールを教えていくようにする。

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鍛国研空知ゼミ例会報告

いよいよ師走。今年ものこり2回となった。

今回は、楷書~草書~行書の書体についての授業を行った。

授業展開は、あ・い・う・え・おの草書~行書を読み、漢字に挑戦してみるというもの。

イントロとして、草書読み・行書読みを練習してみた。ここに後の展開での複線がある。

(あい、いえ、うえ、あおい・・・)

何しろ、相手は小学1年生から6年生、その保護者や時として中学生が参加している特殊な例会である。国語の授業修業という舞台である。

さて、漢字は、顔~頭~愛の三文字。

顔・・体の一部です。この説明で初参加の1年生が顔を読み当てた。

頭・・これはどうかな?「つくり」は「頁」と同じです。これまた、子供たちからは頭が出てきた。

問題は、愛。(^_^;)さすがにこれは出てこない。ヒント「みんなもきっとあるよ。」「漢字がわからなくても、読みを書くだけでいいです。さっき、読んだ中(あい)で、出てきたんだけどなあ。」などと言っているうちに、6年生から「愛」が出された。

漢字文化圏では、文字がそのまま芸術になっています。書道は大事な文化です。という主旨の発言をして終えた。

一応、D表用の授業として行い、5分で終えたのである。DSCN1409 DSCN1411

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2005年11月30日 (水)

代案を示す

以下は、以前に校内研究授業に対して、私が授業代案を示したものである。
これくらい厳しくやりあうようでないと、「もたれあい」「なれあい」の軟弱な研究ごっこになってしまうと考えている。
                    '96.10.8 Tさん研究授業と大谷代案
授業構想メモより
 
☆様々な能力の子どもがいるので、順をていねいにおっていくことにする。
 
★ここで言う「様々な能力」というのは、低次・高次の国語能力の違いを念頭にもっていることと考える。であれば、次の仮説を想定しているものと想像される。
 国語の能力が低次の子どもたちに対しては、話を筋(展開)を順を追ってみ進めることが必要である。
 
  はたしてそうか?
 「順をていねいに追っていくこと」とは、話の展開をなぞらえるということで、筋読みをすることであり、低次の子どもたちに内容の深い読みまで導く余裕がなくなるのではないか?と私は考える。
・・うちの中を見ると、土間にくりがかためて置いてあるのが、目につました。「おや。」
と、兵十は、びっくりして、ごんに目を落としました。
 
 この最終章の場面で、浅い読みでは次のように読み取るであろう。
① 土間にくりが置いてあるのを兵十が見つけたのだな・・
② それを見て、兵十は驚いた(びっくりした)のだな・・
 
 ここを深く読むと次のことを検討することになるだろう。
③ くりをかためて置いたということは、ただ投げこんだわけではないのだな。どうしてごんは、くりをかためて置いたのだろう・・考えられることは、放りこむと、その物音を兵十に気づかれてしまうからだろう。あるいは、ごんのやさしさの現れとしても考えられる。例えば、霊前に花を捧げる場合、花を投げるようなことはしないで、たむけたり花瓶にさしたりするものである。
④ 兵十がごんに駆け寄ってきたときに、まずうちの中を見たというのは、どんないたずらを今度はしでかしたのか?という不安からで、それがはずれたことだけでなく、さらにはくりがかためておいてあったという意外な情景を見たことによるものだろう。この時点では、兵十は自分がおかしてしまった過ちには、気づいていないのではないだろうか・・だから、ごんがうなづいたときに、火なわじゅうをとり落としたのであろう。
 
 読み取るという学習活動で、話の筋をなぞらえるだけなら、Tさんがいうとおり、『国語はつまんない。国語というと”えー”という反応が出る。たしかに国語はできる子にとってはあたり前のことしかやらないし、わからない子にとっては、ちんぷんかんぷんのままである。』という指導者としての力量に疑問を投ぜざるを得ないコメントが出てくるのであろう。
 『本当に様々な子どもがいるので、うまく生かしていくとおもしろい授業ができそうだ。』と推測するのなら、この場はぜひ、最終場面の筋のなぞりに終わらせずポイントを絞ってじっくりと考えてみる授業を展開してほしい。
 
 さらに、『できない子もできる授業』『(話し合いで)認め合える授業』をしたいということであれば、やはり、《どのような手だてでするのか?》を示す必要がある。それがなければ、スローガンや教師の願いだけで、空虚な研究授業になる。 その提案部分があってこそ、授業後の検討会が意義あるものになるし、研究成果として確実に残っていくものなのである。
 
 
 
 
【大谷の学習指導試案】
目標
 ごんの償いの行動を、兵十は理解することができたかを検討することができる。
 児童の活動     教師の活動  留意点
関連語句の指摘





「火なわじゅうをとって」
「足音をしのばせて近よって」




「かける+よる」の複合語の指摘検討





くりがあること・かためておいてあること



「ごん、おまえだったのか・」「・・うなずきました。」「ごんに目を落としました」かの比較検討




青いけむり・細く出て・出ていました・・などの検討


 
  つまらない・ひきあわないとの関連検討

分かるように置けばよいではないか・

こんどこそとっちめてやるこのまえの仕返しをしてやるぞ。



しめしめ、今度はどんないたずらをしでかしたのだ


土間にくりがかためておいてあるのを発見したので。



ごんがうなずいたとき




ここはここの捕らえ方を尊重することができる。まさに読者の批評を聞ける部分
 




 
発問1 ごんの行いを兵十に知らせる一番よい方法は、なんですか?
 
 
発問2 「ようし。」にこめられている兵十の気持ちを検討しなさい。
 
 
発問3 兵十は歩かずに、「かけよってきた」わけを検討しなさい。

 
 
発問4 兵十は何に「びっくり」したのですか?

 
 
発問5 兵十のごんに対する気持ちが一変したのは、いつですか?
 
 
発問6 「青いけむりが、まだ、つつ口から細く出ていました。」は何を象徴していますか?
 
 


 
 

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2005年11月22日 (火)

文学教材だからできる指導をする

※これは昔、国語教育研究会の同人誌に投稿した原稿である。

《実践提案9》                  大谷 和明(道央フリートーク) 
文学教材だからできる指導をする     

Ⅰ.味読につなげる音読指導

 私の教師振り出しの地は、日高管内えりも町である。
 日高管内は大西忠治氏の教員振り出しの地でもあるためか、全生研実践も華やかな土地である。その管内での国語の実践スタイルは、もっぱら三読法である。(とは言え、今現在もそれが続いているのかは定かではない)
 三読法とは、読み取りの段階を三段階に分け、最終段階の読みを「味読」として学習の仕上げとする指導過程を踏む。
 一応、味読(「みどく」ですよ。ちなみに私の愛機キャノンα40の辞書にもちゃんと載っていますから広く知られている言葉なのでしょうが)を石山脩平の『教育的解釈学』から引用する。
┌──────────────────────────────────────┐
│「味読(鑑賞)段階の任務」として「第一に挙ぐべきは朗読である。」「味読段階の│
│於ける『朗読』は、文の構造をば、最も精確に如実に而も端的に『読み』の中に躍動│
│させるものであって、これはまさに解釈の仕上げであり、総決算である。         │
└──────────────────────────────────────┘
 物語教材で指導の成果があがり、子供に深い理解をさせることができれば、おのずと朗読にも味わいが出てくる・・これすなわち「味読」・・はずである。朗読は「聴き手を意識した(聴かせるための)音読」であるから、読み手の理解・解釈の深まりとともに、より味わいのある朗読~すなわち味読が実現可能となろう。
 ただ、そのためにはやはり読みの技術が必要である。それは、アクセント・イントネーション・緩急(スピード)・強弱・強調・高低・抑揚・発音・発声・ポーズ(間)などの読み方のテクニックである。これは、説明文よりは文学教材を使うのがふさわしく、効果的であろうと思うのである。
 法則化運動に参加するようになって、私は分析批評にも多くのことを学ぶことが多くなったのだが、段階を踏んで読みが深まっていくという三読法にも引かれるものがある。向山氏に言わせると時間をかければ感動が深まるというのはおかしいという。確かにそうも思うが、時間をかければ理解が深まる点では、感動が深まるということもあながち間違いであるとは言い切れないと思っている。
 さて、味読は、私の意識では朗読の域に達しなければならないものと認識しているのだが、言語技術としての音読~朗読指導というのが、今いちはっきりしていない。野口主宰による『教室音読のすすめ』は、その点、技術指導を意識した実践提案として大変問題提起性の高い提案である。

Ⅱ.「花いっぱいになあれ」(松谷 みよ子)の実践

 場面3である。
┌──────────────────────────────────────┐
│  まっかな  ふうせんは、しずかに、ふわふわ  ふわふわ おりました。山の中の、│
│小さな  のはらに  おりました。おりた ところに、小さな  きつねの子が、ひるね│
│を  して  いました。子ぎつねの コンでした。  子ぎつねの  コンは、とっても  │
│いい  ゆめを  見て  いました。なんだかよく  おぼえていないけれど、おいしい  │
│ものを  たくさん  たべた  あとのような、うれしい  きもちで  目を  あけました。│
│  そうしたら、目の  まえに、ぽっかり、まっかな  花がさいて  いたのです。   │
│  まるくって、ふくらんで、ふわふわ  ゆれる  花でした。白い、ほそい、糸のよう│
│な  くきが  ついて  いて、なんだか  かみづつみのような  ねっこがついて  いま│
│した。                                                                     │
└──────────────────────────────────────┘
 分かち書きしていながら、なおかつ読点が多い。「山の中の」の後にはなくてもよさそうだが、「山の中の小さなのはらにおりました。」と、一気にたたみかけると、「小さなのはら」の強調が弱くなってしまう。後々に野原一面にひまわりの花が咲き誇っている情景と結びつける上でも、ここはやはり間を入れるのがふさわしいところであろう。それを意識させるためにも、この読点の意味は大きい。同様な箇所「そうしたら」「目のまえに」「ぽっかり」「まるくって」「ふくらんで」「白い」「ほそい」についても、ゆっくりと読ませるように指導することで、情景のイメージ化が図られやすくなる。
 倍角文字の部分は、読み違いをしやすい部分である。とかく、子どもは思いこみ読み(先取り読み)をしがちである。「ふわふわ」を「ふううわふううわ」「ふうわふわ」「ふわあふわあ」と読んだり、「おりました」を「おちました」、「とっても」を「とても」、「ぽっかり」を「ぽかり」、「まるくって」を「まるくて」と読んでしまいがちである。それはしかたないとしても、間違ったら、間違いを指摘して正しく指導する必要がある。それを、『これくらいなら、まあいいか』というあいまいな教師の指導姿勢があったり、誤読に気づかなかったりしていると、テクストそのものをおろそかにしてしまうような状況になる恐れがある。
 それでいて文章に即してなどとは、恥ずかしくて言えたものではないだろう。
 どう読めば中味が伝わるか?どう読むのが効果的か?ということを意識しつつ、音読指導をし、読解指導をすることが大切だということには異論はなかろう。

Ⅲ.文学教育の現状

 「新しい学力観」の登場とその影響化による文学教育の現状は、はなはだお寒い状況ではないだろうか。向山氏のいうところの「思い付き勝手、バラバラ発言」に象徴されるような授業がやはり多いようである。
 もちろん登場人物の気持ちを問うことが多いが、テクスト分析に基づく読み取りの授業は多くないのが現状のようである。したがって、国語の学力形成を意識して文学教材を取り扱う教師もあまり多くないようなのである。
 過日、私の学校で教育実践発表会があり、私は「大造じいさんとがん」を授業したのであるが、参観者の中からも「教えるべき内容があり、この時間のだれに着目した指導であるかが分かる授業だった。」という感想をもらった。中には、札教研の国語の授業へのアンチテーゼとしての授業か?などという意見まであり、どうも札幌市内での国語の公開授業では、子供達の連続発言が続いて教師の出番が少ないという授業が多いのであろう。残念ながら、私は生活科部会の所属だから、国語の公開授業を見る機会がないが、聞くところによると春・秋の定例の研究集会で修業をする人が少なくなり、かつ参加者が減ってきて、部会運営が厳しい状態なのだそうだ。なんだか、お寒い話ではある。国語教室の現況を反映しているような感じがして、残念に思う。

Ⅳ.言葉と言葉を結ぶまでの初期指導~経験の蓄積を図る~

 低学年、低年齢児には言葉(語句)だけのテキストを使って授業することは、至難の技である。本文の理解を補助するために挿絵は欠かせない補助資料となる。
 今年の道南(七飯町)で行われた「有田先生と勉強する会」で、野口先生がされた授業は、ちょうど昨年私がした授業に大変似ていた。
 題材は「土のふえ」である。
 「言葉 ~ 言葉」の前段階(特に語彙や経験の不足が目立つ発達段階)では、「言葉 ~ 挿絵 ~ 言葉」というように、視覚資料を使って読みをすすめることの効果は大変大きい。

 教材文の中の挿絵と文章(語句) 検討とをつなげる実践 
〔場面三〕土のふえ・・  

指示 1      59ページの挿絵を見て気がついたことを書きなさい。

1.にげている人がいる。
→ これに異論が出た。逃げているとしたら、北のへいたいが南の国へ逃げるということがおかしい。これは、しのびこんで、あいての国をほろぼそうとしている(多田)川村も同様の意見を述べていた。

2.あるいているへいたいがいる。
→ 歩兵の話をする。

3.カラスがいくさを見ている。
→ 守永は、これをへいたいが木に隠れて足を出しているのだと主張。      
 しかし、それはふに落ちないことなので、取り下げられた。
ここで、私の解釈を披露。『これは、ウグイスやセキセイインコでなくて、カラスだということが大事なんです。なぜでしょう?』守永が「ウグイスやインコなら平和な戦争だという感じがするのでおかしくなるから、カラスの方がいい。」象徴的なことをよく指摘できたと思う。私の解説は、『カラスという鳥は、死に関係したぶきみでふきつな鳥で、人が死にそうだったり、どこかでだいじな人が死んだりしたことを告げたりすると言われています。それに、死体の肉だって食べることがあるからね。』子どもたちは、「ええ~ 気持ちわる~い!」といっていた。

4.血を出しているへいたいがいる。
→ これもよく見ている。

5.どんどんころしている。
→ 兵隊がバタバタと倒れいる情景を見てとったことと思う。倒れている兵隊を「寝ている」といった子どもがいたが、これははげしいいくさの中で、のんきに寝ているということがおかしいということではずされた。そりゃそうだ。

6.てっぽうのかたちがちがう。
→ これは実によく絵をみていると感じた。銃身の先や持ち手の部分のちがいを良くみているのである。

発問 2 この挿絵は、場面2のどの段落を表したものでしょう?     

 段落⑦ということは、容易に指摘された。
 そこで、

発問 3段落⑦のどの言葉から、そのことがよくわかりますか?     

 ア・・・はげしいいくさ    8人
 イ・・・きずつき       7人
 ウ・・・しんでいきました。 14人
 エ・・・くりかえされました。 2人(多田の意見では、くりかえされたから、                   たくさんのへいたいがしんだんだからこれが一番大事だということだった。)「しんでいきました。」の中の特に、『しんで』という部分に学級が注目できたので、一番顕著な言葉(挿絵には、死んでいたり、倒れているへいたいが描かれている)だということで、納得したのである。

場面三
 まずは、状況把握からの発問。
┌──────────────────────────────────────┐
│                発問1  へいたいたちは、どこにいますか?                   │
└──────────────────────────────────────┘
 ざんごう→冬のざんごう→ながいざんごう→ふかいざんごう(ふかいゆきの中をふかいざんごうととらえたようである)
「ざんごう」はとらえられているが、肝心の『山』が出てこない。これは、北の国と南の国との境で対峙しているわけだから、山が出てきてほしいのだが、子どもたちの目はそこまでいかない。結局私がつけたして、まとめる。
┌──────────────────────────────────────┐
│                      冬の山のながいざんごうの中                           │
└──────────────────────────────────────┘
 この後、塹壕の説明を行う。
 北の国側と南の国側の塹壕の中のようすを確認させる。61ページは北の国のものであることを確認。
┌──────────────────────────────────────┐
│  板書            ひつじかい                    うしかい                   │
│  発問2  北の国の人はどちらですか?                                       │
└──────────────────────────────────────┘
 場面三の最初⑩は次の文である。
┌──────────────────────────────────────┐
│    ある日、たいくつした北の国の一人のへいたいが、ざんごうの ねんどをかため│
│て、土のふえを作りました。それは、へいたいになってまもない、わかいひつじかい│
│でした。                                                                   │
└──────────────────────────────────────┘
 ところが、この部分を読んでも、木村・藤田・伊藤の3人がひつじかいが北の国であることをとらえられなかった。この程度の文章の捕らえもれというのは、結構あるものとかんがえられる。普通なら、確認しないでササッと過ぎてしまいそうな部分である。
┌──────────────────────────────────────┐
│  発問  3    二人の同じところは、どこですか?全員起立して、場面三を読んで、│
│見つけたら、ノートに箇条書きしなさい。                                     │
└──────────────────────────────────────┘
 似たようなものを統合すると次のようになる。
〈H〉二人はまだへいたいになってまもない。
〈T〉二人ともふえをつくった。
〈U〉二人とも土のふえをふいている。
〈Y〉どちらのふえの音もいい。
〈M〉ふえをつくったへいたいがどっちもわかいへいたい。
補足として。
〈O〉どちらも男。
書き出しを「二人とも」とすると書きやすいようである。
★    ★    ★    ★    ★
 ざっとこのように、生活経験の少ない子供たちに、戦争(いくさ)のことを認識させていくことは、言葉のうわっつらを撫でるだけでは、到底無理なことである。 だから視覚教材としての挿し絵を活用したり、写真や本、時にはビデオなどの補助資料を活用しながら、内容理解の一助としているのである。
 言葉調べを学習計画の中に組み込むことは、日常的によく行なわれることだが、言葉を言葉で表わすだけで理解されたと思ってはいけないのである。
 子供達がものごとを知らないという実態を把握しつつ、必要な情報を提供していかなければ、理解を深める学習をすることは難しいだろう。
 子供達の理解程度がバラバラの状態から、同一教材を読み深めていけば、それぞれの思いが語られて、「思い付き勝ってバラバラ発言」がまかりとおってしまいかねない。そのような状態で文学教材の読解指導をとることは、困難なことである。 読解を進めるための道具としてのアイテム、例えば「視点」「対比」「アイロニー」「話者」などを持たせる分析批評や文芸研の授業は、技術を駆使して教材を分析する『ゼロベース』の思想がある。状況理解度を揃えるという発想も、『ゼロベース思考』につながる。
┌──────────────────────────────────────┐
│                       積極的に挿絵を活用していく                          │
└──────────────────────────────────────┘
 これも提案の一つである。

Ⅴ.文学とは「人間存在とは何か」という問題を追及する(言語)芸術である

 これは主宰の文学定義である。そして、芸術であるため「内容美」「形式美」の2つを兼ね備えていると言われる。
 芸術であるため、文学を見る(この場合は読む)目をいかに鍛錬していくかということが、教師修業として必要となってくるだろう。
 この点を実践の上で意識することで、さらに言語技術を意識した文学教材の指導の検討が進むものと考える。
 大変、示唆に富んでいる提起だと私は感じている。

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(昔話)鍛国研定例会報告

※これは「鍛国研札幌支部」の第1回定例会の参加記である。(なつかしいなあ)

                                 '97.5.15
鍛える国語教室 札幌支部 第1回 定例会(立ち上げ集会)報告
                                                                      フリートーク大谷

 5月12日(月曜日)リフレ札幌において鍛国研の立ち上げ会があった。
 主宰の野口先生が翌13日に道研の国語講座の講師(模擬授業「おはじきの木」)にいらっしゃるということで、前日泊にぶつけて行われた。
 
 冒頭、野口先生からいただいたごあいさつでは、「会員の一人として臨んでいきたい」というお話をいただいた。札幌支部としては、顧問という肩書きとなる。

 「野口流 ○×式の真義」と題しての講座の報告をする。

 行水の捨てどころなし 蟲のこゑ
┌──────────────────────────────────────┐
│発問  季節はいつでしょう?                                                 │
└──────────────────────────────────────┘
『どこらへん(季節)が多くなると思いますか。』

 夏・・・10人
 秋・・・14人

 挙手を数える時の約束として、「数えたと思ったら(手を)下ろしなさい。」と指示するそうである。
┌──────────────────────────────────────┐
│          立場を仮定して、問題意識をもたせてから解決を図る。               │
└──────────────────────────────────────┘
『秋が正しいと思う人は、○ ・・』これが○×式である。
 ここで、野口氏の授業の特色を自己分析されて、発表された。
 野口授業の特色
(1)小刻みなノート作業
(2)○×方式
(3)巡視による指名
(4)変容の奨励
(5)教師による鍛え

 ここで千葉大付属小学校時代にアナライザーが初めて導入された話をされた。挙手をすれば一発で分かるものを一気一千万円もする(昭和41年当時)機械を購入するとは、なんとばかげたことか・・と思われたそうである。

  1.(○×を)決める意義
    課題に対して正対できる。自分の判定が気になる。課題やなりゆきに対する密度が高まる。

  2.書く意義
     ① 形を残す
      1)明示行為
      2)責任が伴う  自己決定(自己決断)を迫る。
      3)他者に惑わされなくなる。(不惑)
      4)迎合しなくなる。
      5)自己凝視が生まれる。
          例えば、夏が正しい理由を捜さなければならなくなる。

  3.教師の側から
    ① 個々の立場・レベルが読み取れる。
    ② 全員参加が保障される。「まだ書けてない人?」と聞く。確認してから次へいく。「ドブさらい方式」と呼んでる
    ③ テンポ・リズムをつくることができる。
    ④ 進度をそろえることができる。
    ⑤ 分布をとらえる。(ひとつの実態)
    ⑥ 向上的変容が鮮明になる。

  4.条件
    ① 「仮」でよい。「後で変えていいよ。」と変容を奨励する。
    ② 必ず決める。
    ③ 自己凝視(なぜそれを選んだか?をギリギリまで考えさせる)
    ④ 論理に従う

  5.発展・深化の筋道
    ① 自問・自己追求
    ② 論拠、根拠を捜すこと。
    ③ 論理を構築する。

  6.批判
① 無理に○×を決めさせるのは、個性・実態を無視する・・という批判があるが → 個性を尊重するからこそ、全員に書かせているのだ。    
② ○×だけノートに書くことへの批判があるが・・
          勉強の筋道がわからないという批判である。
          国語の読解、鑑賞の指導では、話し合いが重視される。
したがって、整然と書かれているのとは離れるものである。    
③ 苦痛を伴うのではないか?という批判もある・・・
そうさせるから初めて思考が伴うようになるのではないか?
 以上、私は《硬派の教育論》と呼んでいる。
┌──────────────────────────────────────┐
│                進歩と向上とは、現状の否定と破壊にある。                   │
└──────────────────────────────────────┘
 ここで「行水の・・」について、『変わってみたい人?』と聞くと、西田さんが挙手。
 ちなみにこの発問に対する正解は出されなかった。

★    ★    ★    ★    ★    ★ 
 この後、森 寛氏(札幌市立栄町中学校)の模擬授業があって、ずうずうしくも私(大谷)が授業後に飛び込みで数分間「速読」の代案模擬授業をしてみた。
 ちょっと過激だったが、これが1回目の例会ということなら、これからの例会のあり方を決定づける意義もあるので、厳しく参加してみた。
 夕食後に、私のミニ講座「発音指導の効果」というような話の中身だったのだが鼻濁音の方に主に話が展開していった。
 効率主義ということで、鼻濁音はやがてなくなり、それはしかたないことである・・ということには、野口先生も同じ考えだということで、誠に私としては残念に思った。そんなものなのか・・
 「長い髪の乙女」を濁音でいうようになれば、ちょっと聞き苦しくなるような気がする。
 以上、方向を終わる。(文責 大谷 和明;道央フリートーク)

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日記実践化の試み

※これは、どこかの同人誌に送った原稿である。

        ~日記実践化の試み~「作文で鍛える」  
                                            札幌市立ひばりが丘小学校 大谷 和明

1.実践紹介にあたって

 今回の特集テーマにある『「鍛える」作文』は、主宰 野口先生の名著『作文で鍛える』(上・下)から設定されたものであり、「見たこと作文」のような理論があるわけではない。あくまでも、作文で国語の力を鍛えることを眼目に置かれて、著されたものである。「見たこと作文」に対置する上で、「鍛える作文」となっているということを了解の上で、以下、私の実践紹介をする。

2.作文力を伸ばす極意~私なりのくくり方

 『作文で鍛える(上)』に出会ってから9年が経過した。法則化運動に参加し、野口先生を知るようになってから、随分いろいろと実践上で勉強させてもらっている。もちろん、『作文で鍛える』もそのひとつ。
 上巻目次は、どれも心引かれる項目ばかりであるのだが、取り分け私の目を引いたのが、〈Ⅱ 作文力を伸ばす!これが極意だ〉である。
 ここまで断定、断言する項目の書かれ方はおよそ目にしたことがなかった。(今でもそんなにないだろう)実践をくぐらせてから理論化するという野口主宰の言葉の通りであるから、骨が太く、実践に使いやすいことばかりである。
 極意は6つある。そのうち、私が関心をもったのは、次のものである。
┌──────────────────────────────────────┐
│      1  いつでも書かせる-多作化                                         │
│      2  どこでも書かせる-生活化                                         │
│      4  おもしろがらせる-血肉化                                         │
└──────────────────────────────────────┘
 これらを私が実践化しやすいように解釈を加えて、次のような言葉に置き換えてみた。すなわち・・・
┌──────────────────────────────────────┐
│                           日常化・習慣化                                  │
└──────────────────────────────────────┘
である。
 『作文で鍛える』は、作文コンプレックスを取り除くことをねらって執筆されているが、低学年段階では、
┌──────────────────────────────────────┐
│              作文コンプレックスを形成させない指導が必要                   │
└──────────────────────────────────────┘
と考えて、作文学習の「日常化・習慣化」を私自身ねらってみた。
 中高学年へと移行していくにしたがって、作文コンプレックスが高まっていくことが多いが、コンプレックスを抱かせてしまった子どもには、治療的な学習指導が必要となってくる。
 本稿では、そのことは除いて、日記を通して低学年段階で書くことを面倒臭がらないようにしていく指導について述べることにする。

3.いつでも~多作化~の日記

┌──────────────────────────────────────┐
│  作文を書くということはひとつの行動である。一般に行動の習熟には数をこなすこ│
│とが最も効果的である。(中略-大谷)                                       │
│  「いつでも書かせる」-多作化-というのが、作文力を伸ばす極意の第一である。│
│(『作文で鍛える  上』  P.55~56)                                          │
└──────────────────────────────────────┘
 私が多作化をねらっておこなったことは、
┌──────────────────────────────────────┐
│                           日記を書かせる                                  │
└──────────────────────────────────────┘
ということである。
 日記である以上、当然、日常化・習慣化が必要とされる。
 多作化で作文の力を鍛える最たるものが日記であると私は考えている。
4.絵や実物を取り入れる

 低学年はとにかく先生と話すのが好きである。だから、「せんせい、あのね」の作文指導がある。

 9月24日 =============================
 ☆このあいだ、ぼくとおかあさんといもうととセイコーマートにいってきたかえりあきちによってあそびました。
 草を引っぱって、おおきなかぶごっこをしました。
 ぼくがおじいさんになって、いもうとがおばあさんになって、おかあさんがまごになって、とてもおもしろかったです。
 ちかくのサブちゃんを犬のやくにしました。
 そのあとタンポポのたねをとばしました。
 草をぬいてぼくだんにしたり、きれいなはなをみつけて、おかあさんにプレゼントしました。
 きれいなはなをみつけてるとちゅう、あたたかいはっぱをみつけました。
 もうふのようでした。ふわふわしていました。
 なんていうなまえかしりたいです。 ※実物添付  (KY)===================================
 Yくんは、とにかく自然のものが大好きな子どもであった。道端にあるもので珍しいと感じたものは必ず家に持ち帰ったり、登校途中なら学校にもってきたりする。生活科の「おみせをたんけんしよう」の時には、自動車工場からタイヤのアルミホイールをもらってきたことすらあった。
 化石にも大変興味があって、休日には父親といっしょに三笠の博物館まで出かけて化石のクリーニング体験までしてくる・・そんな積極的な子どもである。
 しかしながら、絵で表現することが大の苦手という子どもである。
 そういう子どもの日記には、実物持参・実物添付を奨励すると書き進めるのに、大変効果がある。
 余談ながら、Kくんが実にいろいろとおもしろいものをもってきて、友達にプレゼントをしていたことから、当時、朝の会では「お楽しみ」のコーナーまでできた。これは大変評判がよかった。
 低学年の日記といえば、「絵日記」である。絵を描くことで、どうしてもメッセージを伝えたくなるようである。絵だけでは伝えられないもどかしさを文章で伝えようという気持ちが伝わってくるものである。
 図工の絵画指導ではないので、気楽に描けるし、国語の作文指導を受けるわけでもないので、気楽に書けるというものである。

5.どこでも~生活化~の日記

┌──────────────────────────────────────┐
│  古諺は「去る者は日々に疎し」と教えている。もっともなことである。         │
│  作文力もそれと同じである。生活の中に取り入れられていつも用いられ、生かされ│
│ているならば、その力は高まりこそすれ衰えていくことはない。せっかく学んだ力と│
│技術は、努めてそれらを使う場を多くすべきである。P.56                       │
└──────────────────────────────────────┘
 家庭学習のついでに作文指導もしてしまう方法がある。
 10月2日 「ことばあつめ」HA =============かん字(紙幅の都合で改行を省略した。大谷) 車が五だいとおった。大きないしを六つはこぶ。虫が二ひきとんでいる。四月が入学しました。えんぴつが六本ある。七月になるとあついよ。がようしを八まいかう。やきゅうは九人でする。十円ででんわをかける。日よう日に町へいく。三日月が見えます。水をかけて火をけした。木ようはお休みです。お金をはらいました。土いじりをしてあそぶ。みんな一年生です。先生にあいさつをした。わたしは女の子です。男の子がうまれました。目がさめる。耳がかゆい。口をゆすぐ。音がくをきく。足をあらう。上をむく。下におろす。左へいく。右へまわる。小犬がいる。お正月はたのしいね。二つずつ石をひろった。空に月が見えてきた。夕日がにしにしずむ。あすはよいお天気だよ。子犬に名をつけた。森の女王になりました。林の中はしずかです。小学校はちかくにある。村の人が立っています。花火はとてもきれいだ。川の水がながれている。山おくの田んぼへいく。じどう車が火じだ。と中で車から下りる。文をかきました。字をたくさんならった。=====================================
 私が昔からよくやる漢字練習法は、このように短文作りをしながら覚えさせるというものである。作文練習の基本は短文作りである。
 主述がそろっている基本文にいろいろな装飾語句をつけていって、やがて味わいのある表現力豊かな作文を書けるようになると考えている。
 それに何と言っても、該当語句の使用例を飲み込める便利さがある。

6.本の丸写しOK~本のしょうかいカード~

 日記がうまく書けないという子どもたちには、本の丸写しをさせてみた。      FKさんの自分の好きな本の挿絵と文「かいぞく・がいこつ かいぶつじま」章の一部を写す。                       
 本となって出版されるのだから、文章は平易で子どもたちに受け入れられやすいという点がある。                       
 守・破・離の「守」にあたるわけだ。                        しかも、本の紹介を兼ねているので、学級内で本を紹介することもできるという一石二鳥のしろものである。                        
                       
7.「欠席届」日記?!
                       
 『作文で鍛える 上』中で欠席届を自分で書かせるという紹介がある。
12月22日=======                       
 きょうは、まだねつがあります。もしも、あしたなおったら、小学校にいけます。
 わたしは早くねつをなおして学校にいきたいです。もしかして、ふゆやすみまで、や すんでいるかもしれません。                      
 もしも、あした、いけたとしても、たいいくかんとかろうかにでちゃだめです。だってろうかは、さむいんだもん。                      
 もしもあしたいけなかったらみんなによろしくと、いっておいてください。Mより

=============
 この「欠席届日記」は、同じマンションのクラスメートのGくんに頼んでもっていってもらったものである。終業式が目前という時期でもあり、本人はかなり心配していたのだと思う。かわいらしくていいのだが、熱が出ているのに日記をつづっていて、なおかつ提出を望んでいるところが「日常化・習慣化」がかなり進んでいる状態と考える。

8.おもしろがらせる~血肉化~の日記

┌──────────────────────────────────────┐
│  これまでの作文指導は、あまりにも「教育的」であり過ぎたのではなかろうか。「作│
│文」というよりは「教育作文」だったのではないか。本当に子どもたちが書いてみた│
│いと思う題材で書かされたことは、ほとんどないのではあるまいか。             │
│  書いてみたくもないもの、書きたいと思わないもの、そういう題材が一方的に与え│
│られて作文を書かされてきたのではなかったか。                               │
│  仮にもしそうであるならば、子どもが作文を好まないのはあまりにも当然のことで│
│ある。  P.61                                                               │
└──────────────────────────────────────┘
 日記の良いところは、題材から構成から文体に至るまで、全くの自由に任されているという点にある。日記の日常化習慣化を図るには、その子の好きなものごとについて、つづってお知らせしてもらうようにすればよい。

 10月22日 =============================
 きのう、おんがくかいにいってきました。ピアノ、チェロ、バイオリンのすてきなきょくでした。
 「しょうらい あんなふうになってみたいなあ。」
とおもいました。                      A  
 2月7日 ===============================
はじめてのコンサート  KY
 2月5日、玉置浩二のコンサートにいきました。
 会場は月寒グリーンドームで広い場所なのに、おきゃくはちょう~~まんいんでした。
 コギャル(女子高)がキャーキャー言って、玉置浩二をまっていました。
 この日は、わたしの家ぞくもみんなファンなのでたのしみにしていました。
 玉置のおじさん(玉ちゃん)がステージに立った時、どこかのおじさんが、
 「たまちゃん~。」
 「たまさ-ん▼」
 「お~い。」
 「こっちむいて-」
とさけんでいました。
 じつは、わたしも、むねがドキドキ。
 そんなファンのようすを見て、玉ちゃんものりのりでステージの上ではしり回りました。
(ここにかとうさんの玉置浩二のイラストを挿入)
 さいごは、みんなたちあがってだいがっしょうしました。
 玉ちゃんものって、アンコールにこたえてくれました。
 とてもすてきなコンサートでした。また、見にいきたいです。
 また、見にいこうと三人でやくそくしました。=====================================
 Kさんは、お父さん譲りで絵が大変上手な子どもである。得意な絵を日記に挿入させることで大変楽しい日記になっている。
(※大変残念なことにかとうさんのおとうさんは、病気のためにこの春に他界されてしまいました。ご冥福をお祈りいたします。合掌・・)

9.どこでも~生活化~の日記 その2 観察日記

 理科好きな子どもには、観察日記を書かせると効果的である。

 9月26日 ==============================
 うちにかめがいます。なんでもたべます。はえ(蝿)もか(蚊)もたべます。
 それにおさしみもたべます。なまえはかめおといいます。   R
 9月29日 ==============================
 きょう、Gくんががんえん(岩塩)をもってきました。
 ちょっとみるとこおりざとう(氷砂糖)のようでした。
 さとうはあまいけど、しおならきっとしょっぱいのでしょう。 R
 10月22日==============================
 きょう、インディアン水車へうちのかぞくといきました。
 はくぶつかんにいったら、サケやカラフトマスがいた。水そうがすごく大きかったです。
 ほそいのやふとってるのがいました。
 そして、えいがみたいのがあって、5年もたっているのに、うまれたところのにおいをおぼえているなんて、天才かとおもった。
 本とうはな(鼻)がいいとおもった。    R
=====================================
 観察眼の鋭い子どもは、比喩が上手である。いろいろな物事をよく見て覚えているから、ものの例えがうまくできるのである。
 その表現を学級に紹介していくだけでも表現力がずいぶんとついてくるものである。日記の手軽さは、紹介するときの手軽さにもつながって、日記指導の日常化さえ手伝ってもらえるものである。

10.日記から拾い上げて作文化したもの

 日記にはさまざまなことがつづられてくる。
 「精読主義から粗読主義へ」と奨励されているが、詳しく知りたいと思うことがたまにある。そんな中から書かれた作文が次のものである。

=====================================
 きょう、ばあちゃんのしゅじゅつがせいこうしました。あさの九じからはじまって、ゆうがたの四じにおわりました。
 おとうさんが、
「おいのりしててね。」
といっていました。
 おとうさんは、びょういんにいったりきたりしてました。ばあちゃんは、しんぞうにあながあいているびょうきです。ますいがきれるのは、あしたです。
 しゅじゅつがせいこうしたら、まどが大きくて、ベッドがふかふかしているおへやにうつります。               
 しゅじゅつは、いたいだろうなあ。しんぞうにあながあいているびょうきって、どう
やってなおせるのかなあ。
 すごいせんせいですね。いしゃってつかれるよね。きもちわるくないのかなあ。 おとうさんは、しゅじゅつがおわったら、でんわするといっていました。
 でんわがかかってきました。おかあさんが「よかったね。」
といいました。
 おとうさんはもし、目をさまさなかったらしんぱいだからといって、びょういんにとまります。
 ぼくもとまりたいなあ。まごだから、とまりたいなあ。
 ばあちゃんは、すごいね。しにたくないからって、ゆうきがあるね。
 ぼくはゆうきがないの。どうしても、こわいんだもん。
 ゆうきがある人って、つよいね。ぼくは、だけど、こわいの。こわくて、こわいの。
 ばあちゃんは、こわくないの。すごいばあちゃんです。
 さいしょのとき、いのっていたんだよ、がっこうで。
「ばあちゃん、だいじょうぶかなあ。」ってしんぱいしていました。 R=====================================
 大好きなおばあちゃんが大病で手術ということだから、並の心配ではなかったろうと思う。思いが強いほど作文にも迫力が出て来る。
 作文の題材にしてしまうのは、若干気が引けたが思いきって書かせてみた。
 結局この作文は「札幌の子ども」という作文集に掲載されることになった。
 いつもの日記の拡張版程度のボリュームであったが、ほとんど推敲の手がかからずにすんでしまった。
 これもまた継続は力なりの日常化・習慣化のたまものと考えている。

11.やたらほめまくる~暗示化~赤ペン&学級通信への掲載奨励

 子どもたちの作文や日記は掲載不可の指示がない他は、できるだけ学級通信に掲載して紹介することにしてきた。赤ペンもいれることもある。
 向山洋一「教え方教室」でよくされる講座に赤ペンの入れ方がある。
 端的に言って、とにかくほめてほめてほめちぎるということにつきるが、これは野口主宰の言われるところの暗示化ということである。

ON =============================
 きょうは、かがくかんひろばにおくれるかと思って、7時50分ぐらいに出ました。 かがくかんひろばについたら、ほかの人とかがいっぱいきていました。
 いよいよ、どうぶつえんについて、さいしょに、オサル(おさる)を見ました。
 ちっちゃくて、子どもザルもいました。
 おさるはすばしっこいと思ったのに、のんびりしていました。
 つぎにゴリラを見てたら、ゴリラがゴロゴロとしてねていました。
 ゴリラのポーズを見せてほしかったのに、がっかりしました。(きっと、胸をたたくドラミングのことでしょう)
 つぎにゾウを見ました。
 ゾウは、なにかを見ているようで、耳をパタパタうごかしていて、もう1とうのゾウはボーッと立っていました。
 そして、キリンは草を元気よく食べていました。
 オオカミは、おとなしくてかおがキツネみたいでかわいかったです。
 前の時は、ウロウロウロウロうごいていたのに、へんだなあ(「へんだなあ。」)と思いました。
 おべんとうを食べおわってから、イグアナとか5センチメートルしかなさそうなカメを見ました。
 と中で、のどがかわいたのでむぎちゃをのもうとしたらなかったので、こおりを食べてしまいました。
 家で、「すごく楽しかったなあ。」と言いました。

【赤ペン】これもまた、すごくじょうずな作文です。たんけんちゅうに見つけたどうぶつたちを、じつによくかんさつできています。 
 アンダーラインのところは、みんなのお手本になるじょうずな書き方ができているところです。
 のどがかわいた時にのんだこおりは、きっととってもつめたくて、おいしかったんでしょうね。みんなでたんけんしたどうぶつえん、また、みんなでいっしょにいきたいですね。こんどの作文にたいへん楽しみです。=====================================
 ほめられれば親も子どももうれしいに決まっている。うれしいからまた書いてみようという気持ちになる。意欲が高まり作文の多作が始まればさらに表現力も高まってくるという相乗効果が期待できるのである。

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2005年11月20日 (日)

論理的思考を鍛える授業のコツ

論理的思考を鍛える授業のコツ~理科~

                    大谷 和明

1 実験と観察指導のコツをつかもう

 論理的思考を鍛えるのに適してる教科として理科を筆頭に掲げる人は多いと思います。
 さらに、理科授業のうまみは実験と観察にあります。
 だから、実験と観察を指導する際のコツをつかめば、論理的思考を鍛えることができるものと私は考えています。

2 二つの思考のルート

┌─────────────────────┐
│   ┌──┐ →演繹的思考→    ┌──┐   │
│   │原理│                            │ 事例│          │
│   └──┘ ←帰納的思考←    └──┘   │
└─────────────────────┘
 「予想を立ててから実験をして確かめる」と
いう流れは『演繹』的な思考です。
 「観察して得たいくつかの結果をとりまとめた中から、決まりを見つけ出す」という流れが『帰納的』な思考です。
 このことを意識しておいて、実験・観察に導くだけでも授業の流れを子どもの思考の流れの中でみることができるようになります。
 これはコツというよりは大事な原則です。
 後は、指導する教材・単元がどちらの思考方法を取らせるのかを考えて教材研究していけばおおよその指導プランが立つことと思います。
3 必ず結果の予想を立てさせる

 予想を立てさせることは大切なことです。
 なぜなら、予想を立てることによって、自分の考えを明確にさせることができるし、考えがまとまっていれば、その考えをさらに明晰なものへと高めることができるからです。
 また、友達の意見にも関心を持って聞くことができるようになるからです。
 つまり、
┌───────────────────┐
│ 問題・課題に対して問題意識をもって臨む│
│ 態度が形成される                      │
└───────────────────┘
からです。
 予想することで、思考の「よりどころ」を持たせることができるというわけです。
 自分の考えをもつことで、ほかの意見を比較して聴くことができるようになります。
 比較するということは「観察の原則」でもあり、次のような効果をもたらします。
┌───────────────────┐
│ 二つのもののギャップを埋めようとする働│
│ きが思考力に影響を及ぼす。思考の往還作│
│ 用を活発にする。つまり、思考力を鍛える│
│ ことになる。『観察・実験・飼育の技術』│
└──────授業技術文庫19 明治図書 ┘
 さらに鍛えることを意識するならば、
┌───────────────────┐
│ 予想の根拠をノートにかかせる         │
└───────────────────┘
ことが効果的です。ここでいうところの「かかせる」ということは、二つあります。それは、
                          『書かせる』と『描かせる』
の二つです。
 どちらも思考表現でありますが、子どもの能力や思考スタイルとして、言葉の操作に優れている子どもの場合は、言語表現を駆使して思考内容の具体化を図ることができるわけです。
 しかし、中には言葉でうまく表現できない子どもたちもいるわけです。それは、大抵の場合学齢が低い子ども達に見られます。
 したがって、一律に言語表現を求めるとそれがために、授業嫌いにしてしまいかねないわけです。
 予想の理由づけに慣れてくると、絵と言葉を上手に組み合わせて、相互に補いあうようになってくるので、そうなるとしめたものです。
 とりわけ、理科の場合、目に見えない状態や言葉で表現することが難しい事例が多くありますから、日頃からこの点を鍛えておくことには意義があります。
 時として、「分からない・・」「予想がもてない・・」という子どもがいますが、その際は
┌───────────────────┐
│ でたらめでもいいから予想を持たせる    │
└───────────────────┘
のです。ただし、そのような子どもには、理由の根拠を執拗に求めてはいけません。『でたらめでもいいから』というところに、安心を得ているのです。
 根拠をもてた子どもたちの考えを聞いていたり、同じような授業を繰り返す中で、だんだんとできるようになってきます。その時にほめてあげればよいのです。
 最初から予想と根拠をセットでもてている子どもたちをほめるのは言うまでもありません。
4 聞き上手を育てる

 ともすると、発表する子どもが中心となって授業が進みがちになります。そうなると、圧倒的多数を占める子どもたちにも飽きがきますし関心が弱い子どもにとっては自分のことしか頭にないものですから、友達の発表を聞き取ろうとしない子どもも出てきます。
 そうなるとやがて、授業の緊張感や集中力が弱くなってきて、雑然となってしまいます。
 予想とその内容を聞き合うという中から、科学的な論理や原理を導くという思考作業が進められるのです。
 関心を高めていくには、
┌───────────────────┐
│ ノートに意見判断を記録させる         │
└───────────────────┘
のが効果的です。
 自分の予想に枠組みをして書かせ、その下に(大谷 ○)(森田 ×)というように、自分の予想と同じ意見に「○」異なるものに「×」をつけて聴くようにさせます。
 予想といっても、多くの場合、選択肢が2~3つがほとんどでしょうから、意見の判断は、○か×かで足ります。
 予想が同じでも、自分と違う考えが出てきたら、記号の他にもその内容を書き添えるようにさせていくといいでしょう。(もちろん、日頃から書くスピードを速めるような指導をしておくことが必要ではありますが・・)
 これがさらに慣れてくると、○派~×派のように分かち書きして見やすくまとめる子どもも出てきます。あらかじめ、教師の方で板書に手本を示すことで定着を図ることもできます。

5 アイテムワード

 予想を支える言葉を与えていくと論理を鍛えていくことができます。例えば、「もしも~なら・・はずだ」「・・なったので当然~なるだろう」「例えば~のように」「AとBは同じでCとDも同じ関係だから~」「前に~の勉強をしたときに・・のようなことがありました」
 論理を支える具体的な事例は論理の構築の柱です。言葉は道具ですから、使いこなすことで使い方も上達していくものです。

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学級PTA苦労話ABC

※これは以前、雑誌に投稿したものである。

 今だから書ける「学級PTA
           苦労話ABC」

                      懇談の下拵え、おまけそして苦労話 

    

                                                                      大谷 和明
1 「懇談のきっかけ」を仕掛ける

 学級PTA懇談会がある場合、私は心掛けていることがある。それは、
┌───────────────────┐
│ 話しあいのためのきっかけを準備する   │
└───────────────────┘
ことである。
 親たるもの子育てについて、日々不安や悩みを抱いているものである。
 一人一人のニーズにきっちりと応えていくことは無理であるが、子ども達の成長発達過程で想定されることに関して、事前にプリントを準備しておくのである。
 それぞれに抱えている問題を自ら切り出して話すとなるとなかなか勇気のいることである。
 一般的事項をきっかけに話し合いをしていくと、意外と自分の子どもの症例について具体的に話してくださるものである。
 具体的な話しに及ぶと先輩保護者それぞれの経験談が加味されてきて、対症方法が発表され、私はもちろん悩みを話してくださった方にも大変参考になった。
 
2  おまけの用意

 懇談の中で私はミニレクチャーを持つことがある。
 例えば、中学校三年の受験期到来の頃に身近の栄養学について話したことがある。 高校受験の直前で子ども本人も保護者とも最も留意していることは『健康維持』である。
 食事を通して健康管理に気遣うというところが受けたのかと思う。
 丸元親子による一連の栄養学文庫は格好の素材提供となった。
┌───────────────────┐
│ 出席して得をした                    │
└───────────────────┘
という気持ちをもってもらえることを願って『おまけ』を用意するのである。

3 困った相談事項

 保護者との信頼関係が高まってくると、いろいろとざっくばらんに話してもらえるようになるが、時には困った相談ということも持ち上がることがある。
 私が最も困った相談内容は、
┌───────────────────┐
│ 同僚教師に対する不信感               │
└───────────────────┘
についてであった。
 「他学年の兄弟姉妹が、不当な扱いを受けているがどういうことか?」「○○先生の学級は、子どもが勉強するような雰囲気ではない!」などのような話である。
 これらの話は決まって、学級懇談が終ってから個別にされるものである。
 もちろん話を聞かせてもらうが、その際の最も大切な観点は何かというと、
┌───────────────────┐
│ 子ども当人がどのように言っているのか?│
│どう思っているのか?                  │
└───────────────────┘
ということである。
 えてして誤解によることが多いものだがとにかく親身に相談に応じることである。 同僚教師に十分に話すことで、一応気持ちは落ち着いてくるようである。落ち着けば、これからの対応についても冷静に考えることができるようになる。
 子ども達を預かる者として、連帯責任の意識を持つこと、これが私の教訓である。

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私の環境教育の授業づくり

※これは以前雑誌に投稿した原稿である。資料が実際には添付されていたのだが、ブログでは掲載していない。一部読み苦しいところを了承のうえ、ご覧ください。

 特集 

                      環境教育の最前線 
                                       

(4)私の環境教育の授業づくり
  ② 理科の視点から
                                                      大谷 和明
1 「野生生物絶滅のメカニズム」図

 元・札幌円山市円山動物園園長の金田壽雄氏の講演を伺う機会があった。
 氏は、長年動物園管理者として、野生生物の絶滅の危機を訴えるための資料として提供されたものであるのだが、地球環境問題を総合的に把握していく学習資料としても効果的に使用できるものと私は考えた。

2 説明落ちの部分を補足する

 矢印の内容で未記入部分があるので、補足する。

化学物質の使用→地球の温暖化
    メタン(天然ガス中・石油の熱分解でも発
    生。有機物質を含む汚泥からも発生。)
    亜酸化窒素(窒素酸化物:自動車や工場からの排出ガス)

化石燃料の使用→海洋汚染
    タンカー事故は最たるもの。排気ガス・排出物質が海洋動植物(プランクトンや海藻類、魚介類など)を汚染させている。

海洋汚染→野生生物の減少
     日本近海の魚介類のダイオキシン汚染は世界一と言われている。日本の国土全体でダイオキシン汚染が進んでいるという照査でもある。生物濃縮が進み日本人一人当たり一日で百六十三ピコグラムのダイオキシンを摂取しているといわれる。
     いわゆる環境ホルモンとして生物減少に拍車をかけているのである。

熱帯雨林の減少→野生生物の減少
     野生生物の生活環境そのものを奪っているということで説明はいらないだろう。

開発途上国の公害→野生生物の減少
     途上国への工場の進出は、急激に現地の自然破壊を引き起こしている。野生生物はおろか地域住民への直接被害も深刻なものがある。

化学物質の使用→有害廃棄物の越境移動
     石油生成物質が海に流れていくことはもちろん、有毒ガス・有害物質の飛沫飛来など世界的な広がりがある。

開発途上国→人工急増
     避妊知識が乏しくバースコントロールが取れないのである。

先進国→化石燃料の使用・化学物質の使用
     産業革命以来の重化学工業の発達が如実に物語っている。
                       
3 考えられる授業プラン例

┌矢印不備部分を一斉授業で補うプラン──┐
│  今述べたような内容をニュースや新聞、│
│ 一般教養知識を引き出しながら埋めていき│
│ 図全体を完成させる。                  │
└───────────────────┘
┌─単元導入・概論把握のプランとして──┐
│ ①マスの中を抜いておき、何が入るかを  │
│  考えさせる。                        │
│ ②矢印の項目を抜いておいて、何が入るか│
│  を考えさせる。                      │
│ ③何か所かのマスと矢印をセットで抜いて│
│ おいて、何が入るかを考えさせる。     │
└───────────────────┘
┌─調べ学習のきっかけとして──────┐
│ ①相互の枠の関係について、現況を調べ  │
│  させてみる。                        │
│ ②一つの枠内の事柄について年々の数値の│
│  移り変わりを調べさせてみる。        │
│ ③一つの枠内の事柄について、具体的に  │
│ どのような物質がどのように働いている  │
│  のかを調べさせてみる。              │
└───────────────────┘

4 環境ホルモン問題を組み込みしてみる

 重大な問題なのに、このことが図版からは欠落している。どの枠とどの枠との間に入る事柄なのかを考えさせてみて、環境ホルモンの影響について、調べたり補足説明を受けたりする授業が考えられる。すでに補足説明した通り、日本にとってダイオキシンの問題は自滅状態に近づく勢いで汚染が進んでいるという危機感を持つべきである。環境問題は、グローバル・エコロジーとして学習し、意識定着を図り実践することが必要であるが自分自身の安全を考えられずして他のものたちへの配慮がもてようはずがないと私は思う。「化学物質の使用」→「野生生物の減少」に入る。金田氏は講演の最後に『「野生生物の減少」を人類の減少に置き換えてみてはどうでしょう。』という提言をされたのだが、環境問題は生物共存のシステムを根底から覆す問題をはらんでいることを再認識させられたのであった。

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中学教師にもの申す

中学教師にもの申す(小学校教師からのメッセージ)
   おまえホントに中学教師?!                                     札幌市立ひばりが丘小学校
  大谷 和明(TOSS/FreeTalk)
           ※ これは「TOSS中学トークライン」の依頼を受けて書いたものである。

1.対象となる教師

 私は中学校教師の時代もある。したがって、「中学教師にもの申す」となるとそのまま自分へも当てはまることがあるので、若干気持ちが引けるところがある。
 私が出合った中学教師は、ほとんどが教養豊かで人間的な魅力に富む人たちばかりであった。とりわけ、法則化に集う仲間たちは、誠実そのものである人たちばかりであった。
 本小稿で対象とするのは、そんな人たちに及びもつかない人たちへの苦言である。(そもそも本誌読者にそんな人がいないだろうから、書いても無駄という感じがするが、ご容赦あれ)

2.ここは中学だよ!?

 どこの学級にも係はあるのだが、私が我が目をうたがった係がある。
 「ストロー係」という、それ。
 小学校じゃ、せいぜい1年生にしか置かない係である。給食当番が割り当てで業務すればいいのである。中学生に「ストロー係」はないだろう!!馬鹿にするのもいいかげんにしろ、といいたい。そして、そんな係をはずかしくもなく設置させている生徒たちにも「しっかりしろ!」といいたい。

3.学級目標は具体的にしろよ

 下手なポスターのコピーのような学級目標を掲示している学級がある。
 下手でなくても、スローガン掲示というレベルのものがある。空虚なスローガン的学級目標を掲示物として常設できるか?はずかしくないか?と再度吟味してから掲示するべし。(そんな神経がないから、するんだよなあ^_^;)

4.無駄な労働をするんじゃない?!

 定期テストの数週間前から、試験対策用にスケジュール表を作成させ、律儀に毎日毎日、空き時間にチェックしている人(というか、学年)がいる。 小学校では、そんなことやってらんないよ。ほとんどの生徒たちは、間に合わせ的に書き込みしているし、限りなく虚偽に近い報告を限りなく真剣に精査して、ダメな赤ペン指導よろしく励ましの言葉を書き添える時間は、教材準備に回す方がよっぽどお互いの為になる建設的な状況だと思うなあ^_^;。それくらいのしっかりしたメンタリティくらいもたないから生徒の言動の振り回されるんだよ・・・^_^;

5.硬派で行こう!!

  それだけ。^_^;)失礼しました。

【研修会のご案内】
 酒井臣吾授業ライブ 酒井式版画研修会 のご案内
 私のPersonal site には、他にも各種研修会のご案内をしております。ご覧ください。

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2005年11月12日 (土)

ADHD児の動きをつくる/体育教具子どものドラマ

  ※ この文章は、『教育トークライン』(東京教育技術研究所)に以前掲載されたものである。

イエロークラブ 体育教具子どものドラマ
   ADHD児の動きをつくる
                 大谷 和明
       札幌市立ひばりが丘小学校

1 もてあまし気味のO君

 入学以来、教室にじっとしていられない・友達に暴力をふるう・突然人にかみつく・テストで分からないとすぐに答案用紙をグシャグシャにしてしまう・・など、先生達にももてあまされ気味だったO君というADHDの子がいた。
 体育の時間、思った通りに体を動かすことができずにイライラしがちであった。リズミカルに動く必要がある「縄跳び」は当然嫌いだった。

2 担任となってのなわとび指導

 そのO君を私が担任することになった。四年生の時のことである。
 知的な面では、それほどの遅れを感じることがなかったので、運動機能を鍛えることで、いろいろな動きを可能とするように方針を立てた。
 縄跳び運動では、私には必勝の教具がある。
┌───────────────────────────────────────┐
│スーパー跳び縄+リズム太鼓                                                    │
└───────────────────────────────────────┘
である。スーパー跳び縄は法則化中央事務局が開発以来、愛用させてもらっている。毎年春には、学校中で注文を取り付けて送ってもらっている。つまり、学校中でかなりの子どもたちが愛用してきている。
 これまでのO君の担任と私との違いは「リズム太鼓」の有る無しということが一番大きい点だったと思う。ジャンプはできる。縄の跳び越しはできる。しかし、その場でジャンプして回旋縄を跳ぶことがうまくできない。リズミカルに跳び続けることは彼にとっては未知の世界の話しだ。縄跳び指導にも細分化された指導が必要である。まずは、片手回し。太鼓のリズムに合わせて縄を回す。(低次の子どもには、逆回しができないこともあるのだ)次に、縄回しをしながら歩く。縄が床にきた時点で片足が上がっているのがタイミングをとるコツだ。この間、縄の回旋と太鼓のリズムをあわせ続けている。
 いよいよ回旋跳躍だ。もちろん一回旋二跳躍、それもゆっくりだ。幼稚園・保育所レベルだ。幼稚園ですでに特殊学級にいたO君には、リズム遊びが不足していたことと思う。四年生でもそこから導入するべきなのだ。「トントン」と跳躍リズムを口で取りながら試技をしてみせる。跳躍のタイミングが太鼓に変わる。
 いよいよO君の挑戦。
 何度かの失敗の後、成功することができた。短縄では、最初のたった一回の成功が黄金の一瞬である。「できる」「できない」の差は天と地ほどの開きがある。たった一回の成功をほめる。
 その後、一回旋一跳躍から技跳びへと挑戦が続くことになる。

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元気な声が出る呼びかけ指導

〈小 全〉  元気な声が出る呼びかけ指導
                                            札幌市立ひばりが丘小学校 大谷 和明
  ※これは以前に「法則化論文」として発表したものである。

=============================

 新入生歓迎会(通称「1年生を迎える会」)は、年間の児童活動ではおそらく最初に行われる行事であろう。
 そして、入学したばかりとはいえ、1年生も何らかの形で発表する場が設けられているものである。
 我が校の場合は、〔よびかけと歌「しあわせならてをたたこう」〕であった。
 学級代表の子どもたちの呼びかけに1年生全体が声を合わせて呼びかけていくスタイルをとった。
 代表の子どもがどれだけ元気な声で呼びかけるかが成否の鍵である。

 呼びかけ全文は次のようになっている。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 1  おねえさん、おにいさん、きょうはどうもありがとう。                      │
│ 全  ありがとう。                                                            │
│ 2  とってもうれしかったよ。そして・・・                                    │
│ 全  たのしかったよ。                                                        │
│ 3  1ねんせいは、がっこうがだいすき!                                      │
│ 全  だいすき!げんきいっぱい!                                              │
│ 4  わたしたちはげんきなこえで、うたをうたいます。                          │
│ 全  きいてね。                                                              │
└──────────────────────────────────────┘
   私のクラスの子どもは4番である。
 しかも、女の子である。
 場所は、体育館である。しかも、当日は当然全校児童がひしめいているのである。
 元気のない、張りのない声だと最後を締めくくることができない。

 本番前時を迎えたがまだまだ元気な声とは言い難い状態であった。
 そこで最後の指導をした。
 しゃがんでTさん(代表のこども;体育館のステージ前にいる)に話しかけた。
┌──────────────────────────────────────┐
│ Tさん。セリフを覚えましたか?(ウンとうなずいた)じゃあ、言ってみましょう。│
└──────────────────────────────────────┘
 このときの声の大きさを「1」とする。   
┌──────────────────────────────────────┐
│ よく、覚えましたね。忘れちゃっても、同じようなことを言えばいいですからね。大│
│丈夫ですよ。                                                                 │
│ では、もう一回言ってみましょう。                                            │
└──────────────────────────────────────┘
 ここで私はさっと後退して、Tさんから5mほど離れた。
 このときの声の大きさ「3」。   
┌──────────────────────────────────────┐
│ うまい!(指で丸サインを送る)                                              │
│ うまいから、もう1回!                                                      │
└──────────────────────────────────────┘
 さらにさっと後退して体育館の中央部まで移動して、合図を送る。
 この時の声、「7」。
┌──────────────────────────────────────┐
│ すごい!よく聞こえるよ。(手で丸を作る)                                    │
└──────────────────────────────────────┘
といいながら、更に下がって体育館の端まで移動する。
 だまって、合図を送る。
 声の大きさ「10」。これだけ出せると十分という声量であった。   
┌──────────────────────────────────────┐
│             (頭上で丸を作ってみせる)                                      │
└──────────────────────────────────────┘
 Tさんのところに戻ると紅潮した顔でニコニコしていた。

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ひらがな指導に目隠し書きを

〈小1 こくご〉  
ひらがな指導に目隠し書きを
                                            札幌市立ひばりが丘小学校 大谷 和明
   ※ これは「法則化論文」として以前に発表したものである。

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 ひらがな学習の時間、TOSS(向山)式漢字習得指導法の『指書き』と『なぞり書き』の間に、新しい過程を挿入してみた。
┌──────────────────────────────────────┐
│        目をつぶって書いてみる                                               │
└──────────────────────────────────────┘
という方法である。
 名づけて、            
┌──────────────────────────────────────┐
│                目隠し書き                                                   │
└──────────────────────────────────────┘

2  授業の様子

 『今日は、「す」の練習をしましょう。』
 いつも通りに練習用プリントを配布して授業を始める。
 いつも通りに空書き(で、筆順を間違っている子どもの確認をする)    
 指書き(で、自分で筆順を再確認させる)と進んできたところで、おもむろに言う。 『はい、ストップ!今日は、新しい練習をしてみます。目隠し書きです。』
 「ええ~!なんですかあ~?!」「なに、それ?」と多少ざわつく。
 『いつもなら、この後になぞり書き練習をしてから清書しますが、今日はその前に目をつぶって書いてみましょう。上手に書けるでしょうか?』 「ええ~、見ないで書くの~?」「どこに書くの~?」
 『プリントをひっくり返しましょう。裏には、何も印刷されてませんね。 そこを使って書いてみましょう。ただ~し!目隠しですからね。目をつぶって書くので、慎重に書かないと変な字になってしまいますよお。 一字書いたら、どんな字が書けたか見ていいですよ。では、始め!』                               始める前は、キャーキャーいっていた子どもたちも、いざ書き始めで目をつぶると全体がシ~ンとなって書き始めた。
 一応、書いている字の方を見る子どもや正面の黒板に顔を向けながら書いている子、中には目をつぶりながらさらに左手で目隠しをしている念入りな子どもまでさまざま見受けられた。
 確認で目を開けた子どもたちからは、
「あ~、こんなんなっちゃったあ~」「へんな字~」「先生、これ見て!」と互いに見せあって楽しんでいる歓声が上がってきた。
 中には、「じょうずに書けた!見てみて」という子どもも結構いて、それが目をつぶって書いているとは思えないほどうまいものもあった。
 『おお~、これはすごい!みんなみてごらん!』と早速全体に提示。
 「先生、もう一回書く!」「まだ、やっていいですか?」との声に、
 『どうぞ、やってください。』と励ましてあげた。
 目隠し書き全部で、1~2分程度の時間を書けてから、『なぞり書き』練習に移行した。
 子どもの中には、清書より『目隠し書き』の方がうまく書けた子がいて、子ども自身びっくりしている様子だった。

3   目隠し書きの効果
 
 『空書き』『指書き』は書いた結果が残らないが、失敗書きを気にすることなく練習できる。
 反面、『目隠し書き』は、失敗書きすることがあるが、書いた結果がはっきりと残るという利点がある。失敗書きといっても、目をつぶって書いているので、愛敬ですませて失敗で失望するということがない。
 どちらも
┌──────────────────────────────────────┐
│           文字をイメージして練習する                                        │
└──────────────────────────────────────┘
という点では、表裏関係にある練習方法と考えられる。
 ひらがな指導に、TOSS(向山)式漢字習得指導法に加えて「目隠し書き」を導入したことで、子供たちに次のような学習効果が見られた。
┌──────────────────────────────────────┐
│ ・  形に、より注意をはらうようになった                                      │
│ ・  特に線と線の交点のポジションにこだわるようになった                      │
│ ・  自発的に再挑戦を繰り返す子どもが増えた                                  │
│ ・  ひらがな学習に積極的になる子どもが増えた                                │
└──────────────────────────────────────┘
 なお、目隠し書きは二画以上で交差する線のある文字(す・お・か・き・け、など)の時が効果的であると考えられる。

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口の形を正しく(口形指導) 

これは以前に雑誌投稿した原稿である。
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2年生1学期「お口の体そうしてみよう」
   口の形を正しく(口形指導) 
                            札幌市立ひばりが丘小学校         大谷 和明

1 「話すこと・聞くこと」指導が始まる

 国語科では、新学習指導要領による授業を進めることができることになっている。低学年段階では話すことの初歩段階として、口形指導をしっかりしておくことが大切である。同じく、正しい発音をしっかり聞き分ける力も要求されてくるのである。
 ともすると無味乾燥な指導となりそうな口形指導であるが、楽しみながら授業を展開するようにすると子供たちものってくる。

2 ドレミファかえうたをうたう

 模造紙に大書きした阪田 寛夫の「ドレミファかえうた」を掲示する。
『今日は、この詩を使って口形練習してみるよ。』すでに読み始めている子供がいる。
『まず、ゆっくり先生の後に続いて読んでみましょう。』
 タイトルからメロディーはつけずに模範読み(口形が分かるように)しながら連れ読みを進める。『ドレミファかえうた』「ドレミファかえうた」『はじめは ふつうに うたってみよう』「はじめは ふつうに うたってみよう」(中略)『たいへん上手に読めましたね。では、ドレミのところはそのまま歌ってみます。』
『はじめは ふつうに うたってみよう』「はじめは ふつうに うたってみよう」『♪ドレミファソラシド ドシラソファミレド』「♪ドレミファ・・・・」
 階名視唱の部分は、音の伸び縮みを取り入れたりしながら、変化をつけてみると楽しさが増す。
3 バリエーションを変えて

『上手にできましたね。では、最初は男の子が、歌のところは女の子が歌ってみることにします。』「(男)はじめは ふつうに うたってみよう」「(女)♪ドレミファソラシド ドシラソファミレド♪」(笑い声が起きる)
 男女・班ごと・指名などフルーツバスケット方式でいろいろな人どうしで読みと歌のかけ合いをしてみると楽しい学習活動として行うことができる。他にも詩を創作してみることもできる。

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教科・教科外学習から総合的学習へのアクセスポイント

以下は、過去に発表した論文である。

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「教育技術研究」第8集
特集総合的学習と二十一世紀型の授業像を探る
3 教科・教科外学習から総合的学習へのアクセスポイント
(4)理科   理科は「アリの巣型」アクセスを

1 総合へのアクセスは理科が最多?!

 総合的学習のプラン作りをしてみたり、紹介される実践提案の数々をみていて思うことは、
┌──────────────────────────────────────┐
│ 理科には総合へのアクセスポイントが無数と思えるほどある                                 │
└──────────────────────────────────────┘
ということである。
 ただし、条件がある。それは、
┌──────────────────────────────────────┐
│     プランニングのアイデア次第                                              │
└──────────────────────────────────────┘
ということである。
 アイデアの数もさることながら、アイデアの質に左右されることが多いと感じている。
 最近私が立案したプランに、「希少種保護の環境学習」(授業づくりネットワーク誌’99年9月号の依頼)がある。
 現在、地球上では未曾有のスピードで種の絶滅が進行しているのだが、これは過去5回の大きな絶滅を凌駕するものである。
 しかもその原因は人類がもたらしたことであることがはっきりしている。
 世界はカオスの時代を迎え、あらゆる方面・分野でボーダーレスがしかれるところとなった。教育界もまた「総合的な学習の時間」を創設するにいたったのは、時流というべきであろう。
 これがつまり「横断的・総合的な学習」ということになる。
 理科は指導内容の関連が算数同様に、系統化されて来たことで、学年間での指導のつながりを他の教科よりも意識的にもつことができた。
 しかし、これはアプローチに過ぎなかったと言える。いわば、
┌──────────────────────────────────────┐
│   系統とは枝わかれを持つ単線軌道                                            │
└──────────────────────────────────────┘
だった。
 アクセスという概念は双方向性を持つ。
┌──────────────────────────────────────┐
│ アクセスポイントとは出入り口である                                          │
└──────────────────────────────────────┘
 これまでの「単線型軌道的」系統発展とは明らかに異なる。それは、
┌──────────────────────────────────────┐
│   「アリの巣型複線」的系統発展                                              │
└──────────────────────────────────────┘
と言える。
 これまでの理科の教科内だけの系統発展を平面的に捕らえるなら、これからの理科と総合的学習とのつながりは、立体的に捕らえていかなければならないだろう。
 インターネットのホームページ上がそれぞれ複雑にリンクしているのに似てくるものと私は考えている。

2 「児童の興味・関心」の引き出しが鍵

 これまでの教育課程編成が固定的なものだったのは、教科テリトリー・領域テリトリーのように枠組みがはっきりしていたからである。
 「アリの巣複線型」を意識した教育課程編成や総合的学習の単元づくりは、
┌──────────────────────────────────────┐
│ 他学年を通した一括編成も考えられる                                          │
└──────────────────────────────────────┘
のである。
 今回の学習指導要領では、二学年通しによる教育課程編成を可能としているが、おかしなことに理科ははずされている。あくまで学年内処理というイメージである。
 読者諸氏には今一度、A~C領域と各学年内の学習内容を一覧にし、内容関連を洗い出しする作業をしていただきたい。
 学年を横、学年間を縦と見ると、それぞれに内容的に関連づけられることが多いことが分かると思う。
 4年の光電池をみる。3年の光・日なたと日かげ・乾電池と豆電球とが教科内関連である。総合へのアクセスポイントと見ると、エネルギー・環境問題教育との関連が見えてくる。
 代替エネルギーとくくると、風力・波力水力・原子力・地熱等々へと広がることが考えられる。
 風力発電を見ると、おのずと天気の影響(つまり理科)へと戻ってくるだろう。ただし「天気の変化」は5年の内容である。
 天気の変化は気象衛星を使うことで、かなり正確にトレースすることができるようになったし、予報精度も伸びた。
 大気のダイナミズムを空気の対流として見ると再び4年の内容へとつながっていくだろう。
 地熱発電にしても、当然ながら火山に関する学習が伴ってくる。これは土地のつくりとでき方(6年)につながり、余熱利用を引いてくると植物の季節の変化(4年)や温室栽培(発芽から結実~5年)、環境との関係(6年)・・・と、字句に起こすことがまどろっこしいほど、さまざまなアクセスポイントをもつことが分かる。
 ただ、どんなアクセスの可能性が示されていても
┌──────────────────────────────────────┐
│ 子どもが興味・関心を抱かなかったら断線状態と同じである                      │
└──────────────────────────────────────┘
ということだろう。
 今回の学習指導要領では理科の二学年通し指導は見送られたが、学校の独自性や創造的な人間の育成を本当に考えるのなら、理科に関してもダイナミックな教育課程編成が可能となるようにするべきである。

3 プランナーの知的好奇心

 冒頭に述べたことに戻るが、総合的学習へアクセスしていくには、
┌──────────────────────────────────────┐
│       プランナーのアイデア                                                  │
└──────────────────────────────────────┘
が必要条件である。そして、子どもたちの知的好奇心を高めていく指導もまた必要条件である。それは理科だけではないこともまた自明のことである。

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飛躍を生む指導~その2

私の読書雑記のさらに続き
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【飛躍を生む指導-前まわりができる】P.35
 鈴木式の指導原理で前回りを指導した例。

(1)前まわりは三歳の子供にもできる大変やさしい簡単なことである。
(2)しかし正しく前回りができるというのは決してやさしくはない。・・あるスピードをもって、ころころ自由に回転させるまでには相当な練習がいる。
(3)正しい姿勢が崩れないように矯正する。(この部分大谷が要約記述)
(4)回転後の姿勢がすぐ次の動作に移れるようになる。
(5)連続回転に進む。
(6)基本ができているから早く要領をつかむ。
(7)一回転で立ち上がったり、二回転で立ち上がったり、三回転で立ち上がったりする。
(8)何回か連続して正しく立ち上がれるようになる。
(9)連続回転にリズムとスピードがでてくる。
(10)マットをとり直接床の上で最初の前回りから練習をやり直す。
(11)どこでも痛くない回り方を自分で発見させる。
(12)マットにかえる。マット上でのまわり方がさらに上手になる。
(13)床の上で連続回転をする。マットで連続回転をする。
(14)マットでも床でも同じ用になるまで練習姿を矯正する。
(15)マットなしでも立派に連続回転ができるようになる。
(16)とび箱の頭をとり、その上で台上前まわりをする。
と、以下、順次台上前転づくりへと発展していくことになる。

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飛躍を生む指導

私の読書雑記の続き・・・
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【飛躍を生む指導】P.34
 教材の与え方とその指導方法について鈴木先生は次のように言われる。
「・・初歩は初歩なりにできればよいなどと考えることがすでに最初の失敗である。子供たちが簡単に真似ができる最初の一歩から力の育成を目指して、真似だけで終わらせず、反復練習とその矯正を行い、その中から力をつくりださなければならない。
 箇条書きにすると次のようになる。

① 極めて少量のことから始める。
② それを自由自在になるまで訓練する。
③ 自由になったものを立派に矯正する。
④ 力が育ってくるのを注意する。
⑤ 少量新しく加える。(ただし同じ程度のもの)
⑥ でき上がる速度が違ってくる(才能が始まる)
⑦ 前のものと新しいものと二つを訓練する。
⑧ 前のものをますますよくする。新しいものを立派に矯正する。訓練をやめない⑨ 前のものがますます立派になる。(才能が育つ)新しいものが立派に自由になる。⑩ 第三のものを与える。(程度は同じ)
⑪ 能力が増しているからできあがる速度が一層短縮される。(短縮がなければ力は増していない、訓練不足の証拠)
⑫ 第一、第二、第三を訓練する。
⑬ 第二のものが第一と同じくらい立派になる。
⑭ 第三をよく矯正する。
⑮ 第一、第二がますます立派になる。(才能が育つ)
⑯ 第四を与える。(ここで少し程度をあげる) 能力を育てる訓練のあるところには必ず能力の飛躍が始まる。飛躍の始まらない教育は失敗である。この能力の飛躍を認識して、これに適した教材の飛躍を行う。 これを知らない指導者は伸びる力を伸ばすことができない。子供の能力の伸び方は、指導者の能力の高さに比例する。」

 以上が鈴木鎮一の落後者をつくらない指導理念の要点である。

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反復練習の意味

以下は、私の「読書雑記」に記されていたものである。
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【反復練習の意味】P.31
 反復練習を、程度の低い学習方法のように考えると、これは大変な間違いです。「繰り返しによって上達する」というのは、「条件反射」という、大脳の生理的な神経系の基本的な法則でもあるわけで、新しい行動を繰り返してやることによって、まったく新しい神経の結びつきが、大脳の中に生まれてくるのだと言われています。何事も反復練習なしでは身についた能力とはなりえません。
 小学校1年生でひらがなを習い始める時、これこれの字を練習するように家庭学習をだすことがあります。この時子供たちによく理解させてださないと、たくさん書いてくることがよいことだと誤解されて、乱暴な字を何ページも書いてくる子がいます。義務間での繰り返しは、文字を書くことへの嫌悪感と下手な文字を繰り返し書くことによって、下手な文字の習慣をつけてしまうことになります。
 鈴木先生はこういわれます。
「能力は・・・訓練のあるままに育つものである。よい能力を育てようとするなら、正しくてよい訓練を行わねばならない。よく子供を叱って育てる親がある。そこには、〈叱られる能力〉が生まれて、叱られることに大して、なんらの感覚も感じなくなっていく。すると親はさらに強く叱らなければならなくなる。・・・〈叱られる能力〉はさらに強く成長し、手に負えなくなってしまう。
 訓練のないままにすててあるものは退化する。能力を発揮する道具(脳)は生き物である。その発育に必要な栄養は訓練である。生き物である以上栄養を与えないでいつまでもすてておくと、衰弱していくことは当然である。」

まとめ  
① 正しい訓練をしなければ、正しい行動の仕方は身につかない。
② 訓練をしないで放っておくと、その機能は退化する。

 訓練とか練習とかをもっとも排除すべきものとして立ち上がった創造美術教育(創美)の北川民次氏は言う。
「習う聖心こそ創造的精神です。どうして訓練がいけないのですか。見方によって、教育とは元来訓練であるともいえます。」

 田中茂樹(『落伍させない教育法』の著者)は言う。
「抑圧を開放(となっているが-解放-の間違いではないか?大谷)し精神を自由にしてやれば、子供たちは立派な絵が描けるようになるというのです。しかし、抑圧の開放ということは容易なものではありません。ひとつの抑圧が開放されると、それがまた新しい抑圧となってしめつけてくるからです。しかし、一般的には先に記述したように、子供たちが喜んで絵を描くようになる最初のところで満足して抑圧の開放ができたと思いこんでしまったようです。・・・次つぎと新しい課題抵抗を与えて、それに進んで立ち向かい克服しようとする精神を育てることこそ創造性の育成です。ここに訓練がなくてはならないのです。・・・・・反復練習とは、同じものを機械的に何回も繰り返すということではなく、いろいろな場で、論理としては、ひとつのものを、具体的にはいろいろな形で、何回も行動させるということです。」

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2005年11月 6日 (日)

北見・大森アカデミー参加記

北見の赤十字看護大学の立派な演習室を会場として第4回大森アカデミーに参加してきた。講師の大森修氏は、法則化発足当初から精力的に活躍されている新潟の教員である。現在、公立小学校長である。

先月は、札幌での累積科学国語研究会の第10回記念研究会にやはりメイン講師として来札されていた。いつもいつも学ぶことが多い方である。

今回の学びを紹介すると・・・(  )内は大谷が補足したもの

・(子供の)事実が見えないから(教師の)対応ができない

・性行不良に対峙できない(教師が多い)

今回もまた参加記念に大森先生のご著作『校長の「責任」とは何か』(明治図書)を購入し、表紙裏に一筆書いていただいた。

(大谷さんに共感しています。 大森 修)と記されていた。

ここのところ『心を育てる学級経営』に学級づくりで書かせていただいている拙論に、共感していただいている様子なのである。ありがたいことだ。

同じく教育現場での厳しい状況に対峙していくことに連帯感をもってくださるということである。

今回も数多くのことを学ぶことができた。厳しい旅程で伺っただけのことがあったと感じている。

DSCN1058

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2005年11月 4日 (金)

言語教育技術学会に向けて

鍛国研空知ゼミの同志、柳谷さん(岩見沢市立美園小学校)が来年3月の言語教育技術学会で提案模擬授業をすることになった。学会会長の市毛勝雄氏(前早稲田大学教授)が、検定外教科書(もちろん国語科)を編纂され、その教材を使って模擬授業をすることになっている。

読む・書く(説明)教材で「委員会活動から」という題材名である。簡単に言うと、図書委員会の活動を紹介する説明文を書かせる教材である。

私の提案授業は「書くこと」を目指して行ったものであるが、柳谷さんは「読み」中心で教材文をリライトさせるというものである。今日は、その模擬授業対決ということであったが、「書く」VS「読む」では、土俵が異なるのでいまいち焦点を絞りきれない対決であった。

そもそも柳谷さんの模擬授業を鍛える趣旨で行ってきていることなのだが、はたして3月の学会ではどうなることやら・・・(^_^;)。DSCN1054 DSCN1048

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2005年11月 3日 (木)

引用の授業

過日、国語の研修会に参加し「引用の模擬授業」提案をしてきた。講師には、大森 修氏と宇佐美 寛氏であった。宇佐美先生がいらっしゃるなら「引用の授業」をしようとかねてから考えていた。なぜなら、宇佐美氏は、著書の中で、小中高と引用の授業をされてきていないという趣旨のことを書かれていたからである。

提案の意味合いはともかくとして、やることに意義があると考えていたのだが、授業後に受けた指摘ではまだまだ不備があるということがよくわかった。私の授業は、感想文という媒体に本文から引用しながら文章を綴らせるというものであった。

宇佐美氏から玉葉を拝受した。関係部分を紹介する。

(以下、宇佐美氏の文章)引用がまさに必要(注;強調点が打たれてある)であるようなコミュニケーション関係を設定すべきでしょう。例えば、他の人に正確に報告する・相手に証拠をつきつけて(引用は証拠です。)批判する・・・等のコミュニケーションです。必要感が有るからこそ学習するのです。(紹介終わり)

引用の必要感を持たせた上で授業を行う・・これが新たな課題となった。感謝。DSCN0724

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2005年11月 2日 (水)

「総合的な学習の評価」をどうするか

DSCN0828 特集1 「総合的な学習の評価」をどうするか     大谷 和明(TOSS/FreeTalk)  ※ これは法則化北海道 宮永正行氏(現秩父別小)が発行していた『北の大地』という学校づくり研究会冊子へ2002年(平成14年)に投稿したものである。***************************************

【タイトル】塚を立てられるかどうか、だ

1.旅になぞらえる

 とにかく、学習活動がスタートする。道程が長いか短いかは別として、出発する。 問題はその時に気づかれているか、気づいていないかである。何が?か。

============== 到着地と旅程が明確であるか==========

ということだ。 到着地とは「目標」であることは、誰もがわかる。 旅程とは何か?それは、到着地までの行程で立ち寄られる宿場や塚である。 つまり、自分が現時点で全行程のどこに位置しているかを把握できる指標である。 なんでもありの総合では、スタートはあってもゴールがさだかではないし、まして、行程のチェックということもできない。「活動あって指導なし」と同じ状態で、子どもに残せることが期待できない。 「総合的な学習の時間」の評価をどうするか?の答はここにある。

2.ショートプログラムは技能鍛錬の時間とすべし

 本校の「総合(総合的な学習の時間をそのままこう呼んでいる)」では、年間20時間程度は、朝の帯時間(15分×2日)を「Lタイム(ラーニングタイムの略)」として、国際理解教育の一環としての英語学習をすることにしている。ちなみに残りの3日間は基礎・基本の学力定着強化の時間となっている。低学年は国語と算数を指導することになっている。) 英語学習は基本4活動として、遊ぶ・歌う・交流する・応答するの4つをする。 総合的な学習の時間でなんで英語を勉強させる必要があるのか?という保護者がいる(教師ではないのですぞ?!)ので、学校教育説明会でその必要性を説明している。 本校では地域的に英語を学ぶ必然性のある土地柄ではない。(もっとも、多くの学校が同じようにそうなのだろうが・・) そこで13年度から招聘して交流しているALTとの交流学習を英語学習のメインに位置づけて、そこへ向けての英会話学習をショートピッチで進めていくということである。 毎週2回の英会話学習のうち「えいごリアン」のようなテレビ(ビデオ)学習、英語の歌や朝の健康チェック、そしてミニゲームなどをやっていればすぐに終わってしまう。不足は他の教科授業の中でも英語を取り入れて進めていき、とにかく英語に慣れ親しむ環境の元に子どもたちを招き入れることである。 ALTさんがやってきて交流するのだが、1日に1学年との交流をすることにして、1時間は学級との交流(ちなみに本校は1学年3学級)をし、3学級で3時間、1時間は学年集会としてみんなで交流活動を進める。これだけでも丸1日日程を満度に使い切ってしまう。事後として本年度はビデオレターをグループごとに作って送ってみてもらった。 学級・学年集会での交流はとにかく英語オンリーでいく。そのためには、国語で進めるところの言語活動例にあるような学習活動を英語で行うのである。

3.単元設計や評価計画は登山計画を立てるようなもんだ

  基本4活動の中の「交流する・応答する」ことのウエイトが多くなる。 今回来てもらったALTさんはインド系カナダ人の男の方で、奥さんが札幌出身ということもあってとっても親しみ深かった。(余談ながら・・) さて、子どもたちは活動グループに分かれていて、次のような活動をしてきた。

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① 歌のグループ(歌の練習や呼びかけをメインとする)

② 質問グループ(ALTさんにみんなを代表して英語で質問する)

③ ゲームグループ(フルーツバスケットを英語でやってみた)

④ 全体進行係(総合司会である)

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これらの活動を支える英語の力を自ら身に付けていくことが、今年度4年生たちの課題であった。 具体的な最終目標や具体場面の青写真をみんながもつことができたので、「本番でどんなことができていればいいのか?」ということを一人一人がイメージすることができた。そこにむけて、日々の練習や準備活動を進めていけばよかったわけだ。 総合では英語に限らず、目標・目的はなんで、そこに至るまでにどんなことができている必要があるのか、どの時点で自己評価チェックをいれるか、ということを評価に盛り込んでいけばよい。 漫然と教師の指示で動き、結果が身に残らないということであると「活動あって指導無し。よって何も成果なし」という結末になってしまう。 どんな単元設定でも、このような細かいステップを示し、チェックできるような指導計画と評価計画を持つことが活動に弾みをつけ、子どもたちへの「生きる力」を保障していくことになるものと考えている。

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2005年11月 1日 (火)

解体6年担任一週間後の児童感想

五年生からの持ち上がりで、4学級から3学級に解体編成となった学級を持ったときに、一週間後に私への感想を書いてもらったことがあります。

冷やかしに読んでいただければ、私のムードがわかるかと思います。

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DSCN0940 児童氏名は伏せてあります。

六年生を一週間送って・・ ☆
 このタイトルで短作文を書いてもらった。おもしろいものもある。まずはどうぞ
《KM》うちのクラスの担任の先生の名前は、大谷先生です。大谷先生はとても親切な先生で、勉強をとても熱心に教えてくれます。特に算数をよくわかるように教えてくれます。
 先生は物を粗末にする人がきらいです。特に食べ物を投げると本気で怒ります。こわいけど良い先生です。先生の言うことを聞く、けんかをしない。勉強をがんばる。修学旅行で失敗しないようにがんばります。
《SK》ぼくは、大谷先生はどんな先生なのかなあと思っていました。勉強をやってみたら、とてもわかりやすかった。大谷先生は怒るとこわいけど、普段の時はとてもやさしくておもしろいです。
 ぼくの卒業までの決意は、友達となかよくすることと、友達をたくさんつくることです。あと、勉強も算数がにがてだから、算数もがんばりたいと思います。
《MY》ぼくが6年生になって、教室は6年2組になって、担任の先生が大谷先生だった。とてもやさしくて、とてもいい先生だ。それに教科書の問題がわかんないこともすらすらできる。
 そして、友達もできた。とてもうれしかった。
《SM》6年2組になって、先生は大谷先生です。大谷先生は怒るとこわく、やさしいとこもあります。1年間よろしくおねがいします。
 6年になると卒業です。最後の学年なので、1年生の御世話はがんばってやります。6年生は修学旅行があります。6年には、最後の行事もあります。卒業式もがんばります。
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    ここまでお読み頂いて、どんなことを設問として作文されたものか、想像がついた
ことかと思います。
    ①  大谷への感想
    ②  卒業までの決意
  というものです。(大谷)
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《OR》ぼくは、最初あった時、こわい先生だなあと思って、ちょっと緊張したけど、初めて授業をした時、教え方もうまいしやさしい先生だったので、ちょっと安心しました。これからも先生と勉強をがんばろうと思います。
 ぼくは、最高学年になって2つのことをがんばろうと思う。まず、一つは、勉強のわからなかったことを家で必ず復習をするといことと、もう1つは、友達などにやさしくしようと思います。これからはやったことのないことを進んでチャレンジしようと思います。
《IT》大谷先生に最初会った時は、こわそうな先生だったけど、やさしい先生でよかったと思います。勉強もうまく教えてくれてとてもいい先生だと思いました。これからもどうぞよろしく御願いします。
 ぼくは卒業までしっかり勉強をして、そして、1年後には立派な卒業生になるようにがんばろうと思います。卒業まで運動会や学習発表会などいろいろありますががんばりたいと思います。勉強もむずかしくなってきますが、がんばりたいと思います。ぼくは、1年後立派な卒業生になるためにがんばりたいと思います。
《TY》ぼくは春休みやさしい先生がいいなあ~と思っていた。そして、学校にいった時、体育館で先生の発表の時、6年2組は大谷先生だった。こわそうだなあーと思った。4年生の時、1回授業をしに来たことがあるから、そのときこわいなあーと思ったから、大谷先生ときいた時、だからこわいな~と思った。(これは、星野先生の学級に授業をしにいった時のことでしょう。「ごんぎつね」の授業でちょっとおじゃましました。=大谷=)けど、最初の授業の時、全然こわくなかった。授業がおわったら、すぐ水のみや中休みをとってくれるからいい先生だなーと思った。
 ぼくは、5年生のころ、算数がむずかしかったので、6年生では、算数をがんばろうと思っている。そして、6年生で一番がんばろうと思っているのは水泳です。
《TK》おもしろいとこもあるけど、こわいとこもある。前の先生よりノートの使い方がむずかしくなった。感想を書く時、時間が何分とか決まってて、その時間が早すぎて感想が書けなかったりするけど・・
 私は卒業までに勉強を集中してがんばる。1年生の世話や委員会もがんばりたい。(もうすでに、2組の飼育委員の人たちには、かなり働いてもらっています。ありがたいことです。そのせいで、Kくんが委員長に立候補して、見事に当選しました。=大谷)
《TK》私ももう6年生です。もう、小学校生活も最後です。今、がんばろうと思っていること。5年生の時、がんばりきれなかったこと、合わせてがんばっていきたいと思っています。
 私は6年2組になりました。担任の先生は大谷先生です。いつもはやさしくて、おもしろい先生ですが、怒る時は怒る、というけじめのある先生です。
 私はとてもいい先生だと思います。
 次に、卒業へ向けての決意ですけど、最初に書いたこと。そして、やることはちゃんとやる!ということを、がんばろうと思っています。
《HY》私は6年生になって、初めて男の先生にうけもってもらうことになりました。先生はちょっとこわいけど、勉強がてきぱき進ませる先生なんだか、やる気がでてきます。これが先生のいいところ。
 そして、6年生になっての決意、何事もあせらず、みんなと仲良くするのが、私の決意。
《KS》6年生になって、もう4日たつけど、まだ6年生になったような気がしません。昨日、初めて大谷先生がおこったところをみて、びっくりしました。
 6年生では卒業までけんかをしないようにしたいと思います。
 これから1年間、よろしく御願いします。
《IT》4月6日は新しいクラスの発表だった。私は6年2組になった。前の中のよかった友達ともなれたし、あとは担任の先生だけ気になった。着任式で、担任の先生が大谷先生だった。1組も3組も5年生の時の先生で、みんなはうれしそうだったけど、私は、持ち上がりだった前の先生でもいいのにな・・」と思ってました。
 次の日、初めて1年生の御世話をすることになった。紙芝居をしてあげようと思って放送室に行ったら、かみしばいがなくて、自分立ちで考えて、遊んであげました。2時間目、6年2組の初めての授業は、算数でした。今までの先生と教え方が全然違っても、分かりやすかったです。お母さんは、これから先生達のよさがわかってくると言ってました。(こういうさりげないバックアップは感謝申し上げます。とかく、「1年間辛抱しましょうね・・」とか、「ま、交通事故だと思ってあきらめましょう・・・」とか「あの先生は、どうしようもないねえ・・」なんて調子で学級崩壊を招いた例(というかこの場合は、招かれたというべきでしょう)を随分見聞していますからねえ。やっぱり、学校と家庭の連携というのは、昔からの形にもどるべきだと私なんぞは、思いますね。やたらと人権とか平等とかが言葉じりだけ先行している様子があって、それも誤解されたままで流布していることで、子どもも教師もゆがめられていることってのは、たくさんあります。=大谷=)
 もう6年生、学年で1番上なので、この1年間を大切にしたいと思います。
《KK》最初に大谷先生と知ったのは、掲示板に大谷と書いてあって、
「ハ~」
とため息を立てました。でも、樋口先生がきて、
「あれ。」
と思いました。
 でも担当は大谷先生で、
「な~んだ。」
と思ったけど大谷先生は、楽しい先生ときき、
「イエ~イ」
と思ったけど、お母さんがわすれものに厳しいときいて、
「エ~」
と思ってしまったけど、いい先生でした。
 卒業するまで注意したいことは、先生の話をきいたり、国語の漢字もきれいに書きたいと思います。
========================================
  と、まあ、こんな調子で続いています。

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2005年10月25日 (火)

イオル(伝統的生活空間)の授業

今日は、4年生の校内研(兼社会科委託研究授業)が行われた。イオルの再生を目指す理由をねらった授業だった。アイヌの歴史・文化を6時間構成で授業してきた最終の授業なのだが、子供たちは現状認識がうまくできなくて、「獣の肉を採る」「植物で服を作る」といった時代錯誤の発言が相次いでしまった。今更、アイヌの人たちが狩猟生活に戻ることを希望しているわけはないのに、授業は単元最終末ながら、支離滅裂な展開となってしまった。

単元を貫く課題意識を学習の展開とともに深めていく社会科の授業とはほど遠いものになってしまっていて、大変残念だった。私もこのことで自分なりの授業づくりをしてみようと思った次第である。

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2005年10月19日 (水)

読売「教育ルネサンス」サイト視聴

DSCN0678
  本日(10月4日)に「教師力セミナー」のDVD視聴研修会を職場で行いました。

教育ルネッサンスURL
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/
教師力模擬授業URL
http://msdemo.mediasite.co.jp/yomiuri/result/project09/education/1/SupportingFiles/Viewer.html
質疑応答URL
http://msdemo.mediasite.co.jp/yomiuri/result/project09/education/3/SupportingFiles/Viewer.html 

 ※研究部でない私(教務主任)が、勝手に呼びかけたことにもかかわらず、以下の
方々に集まっていただき、視聴しました。
 どの方も寒い教室の中で、最後まで熱心にメモをとられながら視聴されていました。
 以下、「肯定的なことでなくても結構ですから、感想を書いていただけますか?」と
依頼して、書いていただいたものです。
 なお、本文は、スナップ写真とともに私の個人HPのTopicsに掲載しております。

http://homepage3.nifty.com/ft-otani/top-site/top/top.htm (10/20現在、別ものに更新)

=== 感想を紹介します。 ==========================

(30代女性 1年担任;最近「リラの会」に参加しはじめました)
 百人一首の遊びの中のルールを「学び」にも通じることというのが勉強になりました。
 教科書をって言っていたのですが、発展的な授業が多かったように思ったので、教科
書のはどう教えるのかの方が、今すぐ知りたいです。
 TOSSで勉強していきたいです。TOSSの話が他の方から出たり、本を読んでいるのを見る
と、誇らしく思います。
 向山先生ってすごいですね。でも、なんか神っぽく思うのは、宗教っぽくなるので、
よくないですね。(笑)
 スマートボード環境を整えてほしい。すごーく思う。
 私がもし何も知らなかったら、「はあー、すごいねえ。でも、違う世界だ。」と思った
と思うけど、ここに近づかなくちゃとドキドキしながら見ていました。

(20代女性 2年担任)
 インターネットや本などでお世話になっていましたが、向山先生のお話をきくのは今日が
初めてでした。
 軽度発達障害の話は、とくに、心が痛い話でした。厳しいことを要求していたんだと反省
しました。ちょっとできると、「じゃあ、次」と、あっという間にレベル(段階)をすっと
ばし、苦しめていたんだなあと・・・。

(40代男性 2年担任・指導部長)
 模擬授業をはじめ、数多くの実践例がとても勉強になりました。
 「導入の最初の15秒で教室中をつかまないといけない」という向山先生の言葉には、
ドキリとさせられました。
 我がクラスのN君に対する指導法にも適応するものがたくさんありそうな気がしました。
 このようなビデオ視聴も校内研修として、たいへん勉強になるので、ぜひ2回目もおね
がいします。

(40代女性 6年担任・研究部長)
 TOSSの話や向山さんの話は、何冊か本は読んだことはありましたが、講演を聴いたのは
初めてでした。
 ADHD対応は、よくわかりましたが、毎時間というのは、なかなか難しいですねー。
 今、Kくん(養護学級レベルのお子さん)をどないしよう~と悩む毎日です。
(どんな進路を紹介したらいいのかしら?おとなしく座っているだけで、何もできません。
できるのか、できないのかもわからなーい。)
 今日のに近いもの(「赤ネコ計算スキル」)を使ったことがありますが、教材も全くの
我流です。TOSSも私なりの応用をしちゃってるので、それじゃ、ダメなんでしょうネー。
 TOSSを形式的という批判をしている人もいますが、やってみて変わるならいろいろやって
みたいですねー。
 今度、校内研修で大谷先生からの講演をやって下さい!!大谷先生の授業も見せて下さい。
 うちの学校の子供の実態に合わせた授業(模擬授業とか)形態の紹介とか個別指導に
適した教材をいろいろ紹介してほしいです。
 乱筆、乱文にてすみません。
PS 次の時は、こんなのやるよ~って、声をかけて下さいねー。
  教育相談室の本を活用させていただいています。(大谷の個人蔵書を収納して、自由に
  使ってもらっているのです。)
  
(30代男性 6年担任)
 軽度発達障害の子供に限らず、授業の進め方一つで子供の成長が変わってくるということ
を改めて、考えさせられた。学習については、「しょうがない」と思ってしまうこともあった
ので、やはり対応を改めていかなければならないと思った。確かに我流では限界を感じる
ので、いろいろな技術を勉強していきたい。

(50代女性 養護教諭・特別支援教育コーディネーター)
 専門性の技術(スキル)が、いかに重要であるかが改めて実感!!
 我が子の教育に「これを知ってたら・・・」と悔やまれます。家庭学習でも使いたかった・・・。
 5~7%といわれるADHDの児童の何割かは、将来、学者といわれる人物になれるそうです。
指導者次第ですね。教師のスキル向上(技術・目配り・気配り)が、児童を生かす、見捨てない・・
大切なことです。
 校内研修に感謝します。
 
(20代男性 期限付き採用)
 具体的な方法がわかるTOSSのホームページはとても興味があります。自分以外の教員がその
例を集め研究していることを聞くと、とても心強く感じました。
 今日見た中で、すぐにやってみようということがありました。(少し多動の気がある子に
対して)授業で語れる(指導できる)教師になるために、具体的な方法を使った授業づくりに
努めます。

(60歳 男性 来春退職予定)
 教師は、大局的、懐深く、技能、技術、人間性を磨いていく必要が大事なことを改めて
わかった。
 頭の活性化に役立った。
 
==========================================
 以下、書いていただいた感想に対する私(大谷)の雑感です。
 
1)予想以上に好感を持って見ていただくことができてよかったです。
 ※Q&A最後は、乙武さんでしたが、読売新聞の記事部分では、予想外のコメントでがっかり
  していたので、視聴いただいたみなさんの感想に大変勇気づけられました。
2)私が松前町立大島小学校に在職していた頃は、「学校法則化」の状態で、大変有意義な
  研修環境でしたが、あのときのムードに近づけそうでうれしくなりました。
3)管理職にも、朝の打ち合わせの時に開催を告知して、好意的に受けてくれていました。
4)本日の3・4校時には、ちょうど1年生2クラス合同で、酒井式「ひまわりと小人たち」
  の授業をしました。ちょうど、前座のような格好でした。2年担任や養護教諭も参観に
  来ていました。
  感想にあるように、これから私のフォローが具体的に求められることになります。
  さらに気を引き締めて、精進していくつもりです。
5)せっかくの機会なので、研修の一貫として、DVDやビデオ視聴研修を続けていこうと
  思います。(私の講演というのは、リップサービスでしょう(^_^;)。
6)私は教材採択委員長なので、来春の教材採択では、これまで以上にドシドシTOSS教材を
  進めていける感触を得られました。もちろん、ユースウエアについてのメンテンナンス
  もとり、サポート体制を固めていくつもりです。
7)視聴しながら、登場する教具類の解説や現物(九九計算尺)も手にとってもらいました。
 そのまま2年生に貸し出して、「使い心地をお知らせください。」と頼みました。
 
 各地で、同様なことが行われていることと思います。昨日、全市小中学校宛に発送した
研修案内が配送されてきました。中に、「教師力セミナー」のストリーミング案内の文書を
同封しました。各学校での回覧ののち、研修案内掲示板に貼られることになっています。
 TOSSのスタンダード化を目指すとした TOSS/FreeTalk の活動に勢いがつけばうれしい
です。

 セミナーでご尽力されたメンバーのみなさん、そして、それを支えてこられた同志の
みなさまにお礼と感謝を申し上げます。
 ありがとうございました。
 
 

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子供のウソにどう対処していけばよいか?

※ これは以前「心を育てる学級経営」誌に掲載されたものである。

1 まずは話せるムードを提供すること

 ホンネにしろ、ウソにしろ、とにかく話さないことには、先に進まない。
 力づくで話を聞き出そうとすれば、子どもに限らず大人でも固くなに拒もうとするものである。
 指導の最終目標は、子どもから事実を聞き出し、適切に指導し、よりよい行動化へと導くことにある。
 そのために必要な環境として、
┌───────────────────┐
│話せるムードを印象づけること │
└───────────────────┘
が大切である。
 そのためには、次のことに留意するとよいだろう。
┌───────────────────┐
│ ① 子どもと対座しない。 │
└───────────────────┘
 真正面から向き合うことで、威圧感を感じると、それだけで口を拒もうとするものである。
 極度の緊張感を与えないことである。机の角を挟んで互いに直角に位置するように座るのがいい。(余談だが個人面談で保護者と話し合うときにも大変有効である。)
┌───────────────────┐
│②「まちがっていたら、ごめんね。 │
│~という話を○○さんから聞いた │
│んだけど、本当かなあ?」 │
│と、ワンクッションおいた言い方で │
│話しかけてみる。 │
└───────────────────┘
『おまえ、~しただろう!』という最初から決めつけた言い方は厳禁である。子どもが蠣になってしまう。
┌───────────────────┐
│ ③まったくの別件から話し始める。 │
└───────────────────┘
 最近、その子が頑張っている様子をほめてあげたり、活動の様子を評価してあげたり、帰宅後の生活の様子など、まったくの世間話のようなことでいい。差し障りのない話であるほど、話していける雰囲気を提供することができる。

2 ウソを見抜く話

 さて、いよいよ本題である。
┌───────────────────┐
│ ウソは子どもの自己防衛行動である。 │
└───────────────────┘
 この原理をあなたがしっかりと意識していることがまず大切である。
 「子どもは自分に都合の悪いことは言わないものだ」という特性を把握しておくことである。
 その上で、子どものウソを見抜く技術には、次のようなことを上げておく。
┌───────────────────┐
│ 自己弁護・自己擁護の話し方をした時 │
└───────────────────┘
 たとえば、次のような言い方である。
 「何もしていないのに・・・」「ただ・・・」「ちょっと・・・」「~のつもりで・・・」「少し・・・」「軽く・・・」
 等々と、責任逃れの言い方をしたり、程度を軽くみせようとする言い方をしたときには、注意したほうがよい。
 
┌───────────────────┐
│ やたらと詳しく話す時  │
└───────────────────┘
 こんな時にも、要注意である。
 曖昧なことには、突っ込みをいれる人は多いが、ことさらくわしい内容であれば、そのまま事実誤認をして信用してしまいそうになるものだ。
 しかし、そんな時にもウソをくずすとっかかりがあるものである。
┌───────────────────┐
│ 5W1Hを時系列で記録しておく │
└───────────────────┘
 〈だれが・いつ・どこで・なにを・なぜどうした〉ということを、時間を追って話していると、時間の経過とともに、内容に矛盾がでてくるものである。
 ウソとはもともと作り話であるから、順序、内容、因果関係、呼称の間違いなど、たいてい現出されてくる。
 したがって、話を聞く時には、メモを取りながら聞くことが必要である。
 『おや?さっきは、◇◇◇といっていたけど、◆◆◆となっているね。それは、変じゃないか?』と、詰問していくと、さらにつじつまを合わせようとするウソを重ねるか、本当のことを白状するか、どちらかである。矛盾点を追及していくことで、真相に迫ることができるものである。

┌───────────────────┐
│ 作文を書かせる。  │
└───────────────────┘
 個室でひっそりと事実関係に関する作文を書かせると、そのまま本当のことを素直に書く子どもが多い反面、ウソに慣れている子どもであると、そこでも平気で作り話を書くということがある。
 書かれてある事柄について、不足の部分を聞き取ったり、確認しながらカウンセリングを進めていくなかで、先の話の矛盾点がでてくることがある。

 以上のような指導場面から、ウソを認め本当のことを話してくれた子どもには、
┌───────────────────┐
│ ウソをつくことはいけないことだが、 │
│ 本当のことを話した勇気は感心だ。 │
└───────────────────┘
という賞賛を与えることが大切である。

3 ウソを見抜く動作

┌───────────────────┐
│ 視線をそらした時  │
└───────────────────┘
 「目は口ほどにものを言い」とはよく言ったもので、ウソをつく時には視線をはずしてしまう子ども(大人も同じか)が多いものである。
┌───────────────────┐
│ チック動作が現れた時  │
└───────────────────┘
 まばたきの回数が急増したり、唇がゆがんだり、顔や体に不自然な動作が現れたりした時というのも、後ろめたさが心理的に体に影響を与えていることが多い。
┌───────────────────┐
│ 顔色が変わる  │
└───────────────────┘
 うそ発見器の動作原理はここにある。
 核心部分に触れられるとだれでもドキッとするもので、顔色や表情が一瞬変わってしまうことは、身近にいくらでも例があることと思う。教師が話している時には、極力、相手の子どもの表情を見ながら話すことが必要となってくる。
 ここまでは、教師一人に子どもが一人という状況設定であるが、時には、当事者どうしで子どもが二人ということもあろう。 そんな時、教師は聞いている片方の子どもの反応をみているとウソを発見する効果がある。
 話が食い違っている場合、ウソの言動に子どもは敏感に反応してくる。そこを観察しておくのである。

4 手ごわい集団の「口裏合わせ」を破る

 高学年・中学校と年齢が増してくるとウソもすることも高度になってくる。
 もっとも手ごわいのが、グループ内で口裏を合わせておいて、誰に聞いても同じ内容の話しか出てこないという場合である。 最も大切なことは、
┌───────────────────┐
│ 一人ひとり個別に事情を聞いたり、記 │
│ 述させたりすること │
└───────────────────┘
である。しかも、
┌───────────────────┐
│ できるだけ早急に! │
└───────────────────┘
である。
 相手が複数なら、こちらも複数で聞き取りの教師も該当の担任・学年・指導部の教師などに当たってもらう。場合によっては教頭・校長ということも考えられる。
 こういうときは、間を置くとまず決めてがなくなってしまう。事実曖昧のまま指導が徹底できずに、第二の事件に発展してしまうことにつながりかねない。
 後は、すでに述べた手法でウソを見抜くようにする。

5 教師の力量の差

┌───────────────────┐
│  指導力のある教師は、子どものウソ │
│ にだまされてあげることができる。 │
│  しかし、指導力の弱い教師は、子ど │
│ ものウソにだまされてしまう。 │
└───────────────────┘
 結果どうなるか。
 教師としての、権威が失墜し、子どもたちからの信頼を失い、学級崩壊を引き起こしてしまう。
 ウソをつくということは、結局はウソをついた子ども自身に返ってくることで、正常な発達の妨げになってしまう。
 「嘘も方便」の例のようなコミュニケーション技術としてのウソは、人間関係を円滑にしていくものであるが、ほかの者に迷惑をかけていくウソには、断固として指導することが必要なのである。

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2005年10月 9日 (日)

「引用」の提案模擬授業

 第10回 累積科学国語研究会に模擬授業者として参加してきた。この研究会は、国語科教育研究の成果を意識的に累積していこうという主旨で行われているもので、背景を知らない人がみると「なにやら怪しげな研究会だな・・・・(^_^;)」といぶかしく思われるかもしれない。今回は、千葉大学名誉教授 宇佐美 寛氏と新潟市立中野山小学校校長 大森 修氏のお二人をメイン講師として開催された。
 宇佐美氏は、小中高と通して、引用の仕方を教える授業がなく、学習する機会もないままに批評する文章を書く者が多いということを憂いてこられた。そこで、私が「では、小学校で授業するとしたらこのような形でどうでしょう?」という提案をしたというものである。
 引用を指導する授業であるので、資料の中に盛り込む引用には、かなり留意したつもりであるにもかかわらず、これが結構、不適切なことが多く指摘された。情けないことである。お陰で、来年2月5日に開催される「第6回 国語授業講(これまたネームだけだと不審に思われる方がいるかもしれない(^_^;)」にグレードアップした内容で提案できそうである。
 今回は、(1)そっくりそのまま写す。(2)「 」引用符を付けて、明示する。(3)「・・・」のような注目箇所を示す場合には、(・・・は○○が付けた)のように、自分が原典からの引用の際に付けたものだと明らかに示す、という三点を引用のルールとして学習しようというものであった。
 おおむね評判がよかったので、助かった。
DSCN0716

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2005年10月 6日 (木)

プロの教師・教師のプロ

 金をもらっている以上、プロの教師であることには違いない。
 最近、大手小中生向け予備校が北海道に進出してきた。TV-CMで「全員、プロ教師」というコピーを謳っているのだが、間違いだろう。正しくは、「全員、プロ講師」である。教師というのは、免許資格をもち、学校で教鞭をとっている者をさすのである。予備校と学校は違うのである。とはいえ、良質な講師は多く、良質な教師は少ない。
 つまり、「教師のプロ(フェッショナル)」は少ないということである。
 教師のプロとは、教師でいることの基礎環境は同じであっても、並みいる教師群の中でも、突出した力量をもつ者を指す。そういう教師は、少ない。簡単に言えば、全国区の教師である。普通の教師だが、並の教師ではない・・というレベルだ。(これでも抽象的だな(^_^;)
 先日、ドラフト会議が行われた。来春からプロになる人が大勢でるわけだ。
 教師の世界にもようやくFA制度が導入されてきた。どうせなら、収入面や待遇面で、仕事の質・量に見合ったテイクバックがあるように、しっかりした制度にしてもらいたいものである。
 プロスポーツ選手のように、自分の能力を売り込んだり、実績をアピールし、それにふさわしい評価を具体的にしめしてもらってこそ、意味がある。教師の世界では、勤務結果に目標数値を持たせる程度のことしか始めていないが、笑止なことである。
 プロにふさわしい人物を、プロ中のプロが妥当な評価を与えられるようになってこそ、教師のプロが増えていくのだと私は考えている。この道のりは遠いだろう。
jugyou2

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2005年10月 1日 (土)

校内暴力増加その2

小学生の対教師暴力の増加について,文部科学省は「小学校では学
級担任が子どもの問題を一人で抱え込み,学校全体や関係機関と一
緒に取り組めない。結果的に問題が放置され,同じ児童が暴力を繰り返すケースもあるのではないか」とみている。
対教師暴力の発生件数は、延べ数だろう。件数の分だけ子供がいるとは到底考えられないことである。実際、学級内で問題を起こす子供というのは、固定されていることが多い。子供のラベル化がさらに拍車をかけるということもある。
担任がしかるべき指導力を発揮して、指導しないことには発生件数が減少することはないだろう。
減少どころか増加の一途をたどっているということは、つまりは担任の指導が通らないという結果を示す。はっきりいうと指導できない教師の増加が対教師暴力の発生件数の増加として現れているのであろう。
読売「教師力」セミナーの配信(以下にURL)を見て、教育技術がどれだけ大事なことなのかを再認識した。
教育ルネッサンスURL
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/

教師力模擬授業URL
http://msdemo.mediasite.co.jp/yomiuri/result/project09/education/1/SupportingFiles/Viewer.html

質疑応答URL
http://msdemo.mediasite.co.jp/yomiuri/result/project09/education/3/SupportingFiles/Viewer.html

これからの教育へのルネッサンスとして、なにが大切なのかを考えさせられる内容である。(期間限定につき、すぐにでもご覧いただきたい。10月12日あたりまでだそうだ。)

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2005年9月29日 (木)

行かない・行かせない心理

どこでも不登校問題を抱えていることとは思うが、そのケースは多岐にわたる。今週の我が校の場合、保護者の体調が思わしくないということで、知人宅に子供を預けて登校させていないという出来事があった。預かり先から電話連絡があったのだが、居宅から学校までが通える距離ではないので学校を休ませます。本人はいたって元気ですという趣旨であった。
もともと学校には足が向かない傾向があったので、ますます拍車がかかるのでは?と心配である。
それにしても、児童相談員や地域の福祉士などに依頼すれば、自宅から通学させることも困難なことではないのだろうに、簡単によそに預けてしまうという気持ちが図りかねるできごとである。
私が子供頃は、学校を進んで休むとか休ませるというこは全くなかった。とにかく休みたくなかったのである。
それは、学校が大好きというわけではなく、休むこと自体に罪悪感や後ろめたさを覚えるからだった。
やむなく休んでも連休はせずに登校していた。多少の微熱では休まなかった。休んでから登校し、教室に入るときの気分がいや~な感じであったのだ。といって、友だちが白い目で見ていたというわけでは、もちろんない。
単に自分がいやな気分になっていただけである。そんな気持ちを持たなくなったのは、大学に入ってからである。(^_^;)翻って、今の子供や保護者たちをみると、実に気軽に送迎するし、簡単に休ませる。もちろん、学校は預かり所ではないから、病気気味なら休ませるのは当然であるが、病気でもない、特別な理由でもないのであれば、登校させることが当たり前という心理状態でいてもらいたいものだ。

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2005年9月27日 (火)

桃李不言 下自成蹊

桃李不言 下自成蹊 【司馬遷『史記』】

私の当時の職場の長(嘉多山学校長)が、酒井臣吾先生の大学ご退官記念として色紙にしたためてくださった句である。
あるHPの説明には、次のように解説されていた。
===============================
 司馬遷が著した中国で最初につくられた通史「史記」の中のことば。桃李言わず、下自ずから蹊(こみち)を成す。桃や李は何も言葉は発しないが、花や実に誘われて多くの人が、その木の下を通るので、自然と道ができる。人間も同じで、人徳のある人は自然と人が慕い寄ってくる、と言う意味です。
===============================
酒井式の実技研修会に集う者たちは、自分自身が絵を描くのが苦手(はっきりいって下手(^_^;)、そして、なによりも図工の指導が苦手という者が多い。だから、少しでも子供たちにマシな指導をしてあげたい・・そんな共通した願いを持つ者が集っている。
酒井式が昔から批難中傷の中でも、子供自身に満足してもらえる絵を描く手伝いをしてきたという酒井先生の実践の後に続く者たちだから、志が同じなのである。そんなことを思い出させる言葉だなあと感じている。


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2005年9月25日 (日)

「○○力」の拡大使用

 どうにもこうにもわけのわからない語用が多くて困る。
 最近では、「国語力」「英語力」はては、「人間力」というのまで出てきてしまった。
 「○○力」というのは、企画力・指導力といった動名詞にくっつけることが多い。企画する力であり、指導する力である。国語する力・英語する力・人間する力(^_^;)なんていうのは、噴飯ものである。それをまじめに使おうとしているところに眉唾な感じがするのだ。
 国語力については、尊敬する野口芳宏先生が、「これまで通り、国語学力というべきである。」と力強くおっしゃっているが、大賛成である。あれこれと混沌としている第三の波への過渡期の昨今、いろいろな行政分野も分かったようなまやかしの造語で大衆を欺こうとする動きが感じられ、不愉快な時代だなと感じている。
 自分の生き方さえようわからん連中には、こんなあやふやな言葉でもなにか光明を見いだすことがあるのかもしれないが、肝の据わっていて自分の判断基準をしっかり持っている人には、曖昧な言葉でフラフラすることはないだろう。混沌の時代だからこそ、そういう一本気で筋の通った人にこそ、あらゆるところで指導力を発揮していってもらいたいと思う。

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学校評議員は誰がするのか

 昨年8月に河村文科大臣が 出した「義務教育の改革案」に次のことがある。
○保護者・住民が学校運営に参画する「学校評議員」「学校運営協議会」の全国化。
北海道でも徐々に広がりを見せている学校評議員制度であるが、評議員に委嘱されているのはだれなのか?ということが気になるところである。河村大臣が示す改革案では、「保護者・地域が・・参画」とあるわけだから、校下住民のだれかが就任することになろう。
 果たしてそれで「公教育」の評議員として務まるのだろうかというのが気になるところだ。
 資格問題は厳しく問われることはないであろうが(何しろ、学校長の推薦により、教育委員会が委嘱するわけだから)、適格性は問われることと思う。
 すると地域の名士かPTAの役職者かというあたりだろうか。実際にPTA会長が評議員となっているところもあるやに聞く。私は、それには反対である。教育の中立性を重んじ、公教育の果たすべき役割を認識する者であれば、客観的第三者として評議するものが適格ではないかと考えるのである。
 PTA役職者ならば、内部監査的な位置づけが感じられ自ずと腰砕けになりそうだし、第一、学校職員が窮屈な感じを受けることだろう。
 ここは、保護者でもなく、地域住民でもない別なところから、無報酬で評議する人に任せるのが適策かと思う。
 評議する学校に気兼ねなく、おのが責任感だけで職責を果たしていくなら、一切の気遣いをしないですむところから評議員に御願いしていくのがよろしかろうというのが、私の考えである。

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2005年9月24日 (土)

教科の存在意義・学校の存在意義

 NHK「わくわく授業」で酒井式描画指導法主宰 酒井臣吾氏の授業が放送された。酒井式に関しては、兼ねてより賛否両論の意見がみられる。古くは、酒井氏が新潟県下で一般教諭として実践発表されていたころに始まり、新しくは、今回の放送を視聴してからのものである。酒井氏が終始主張されてきたことは、指導論として授業主張されている点である。
 図工・美術という教科を通して付ける学力とはなにか?それは、「造形する力」であるという主張である。
 自分も含めて周りの人たちの中で、日常的に読書をしたり、計算したりする人は多いのに、絵を描いたり、飾りを作ったりする人はあまりいない。極端に言えば、絵を描くことが苦手な人たちばかりであり、絵を描くのが嫌いな人が多いということである。学校生活や日常生活を通して、様々な学力を身につけてきているにも関わらず、造形することがあまりないのである。
 技術がなければ、意欲もない。それが実態という人が多いことだろう。
 オールラウンドで教科指導をする小学校教師には、指導する技術を持たない者が多いのが実情だ。好き嫌いで指導したりしなかったりすれば大変である。一応、形だけ指導らしきことをするが、誠実な人ほど、子供の学力形成の一助にならない自らの指導を嘆いている。何よりも、自分で描いた作品に愛着が持てないような子供にしてしまうことに罪悪感すら感じている教師が多いのである。(これは私の経験からみて感じているところです)
 図工の時間が楽しく感じられ、授業を通して学級づくりも進めていける指導方法の一つとして、具体的な手立てをもって登場してきた指導方法、それが「酒井式」というわけだ。
 NHKでは個人情報問題の絡みもあり、放送できなかったのだろうが、「わくわく授業」で登場した学級の子供たちの中にAD/HDの診断を受けているお子さんがいたそうである。そのお子さんの変容がすごかったそうだが、そういう授業事実をこそ、放送で扱ってもらいたいと強く思っている。
 厳しい学級状態の中で授業することが大変だという教室が全国中にある。そんな中でも、子供たちが喜んで学習し、自信をつけていける授業を提供できる指導法は他にもあることだろう。
 酒井式を批判する方々には、好き嫌いを語ってもらうのではなく、具体的な授業論で語ってほしいものだ。
jizou

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小学生の校内暴力最悪?!


23日付けの朝刊(読売)で表題の記事が一面をにぎわせていた。キレる子供(大人もそうだが)が増えている現状をみているとうなずけるものがある。全体的にみてそうだろうと思い、詳細記事を見てみると意外なことがわかった。各都道府県別の集計結果である。2003年度・04年度増減という順番で一覧表があるのだが、どう見ても格差が大きすぎるのである。ちなみに北海道が10・7・-3に対して、ダントツの3桁自治体を並べてみると次のようになる。
神奈川 237・318・+81
大阪   243・320・+77
兵庫   177・173・-4
大都市の東京はどうかというと、
東京  39・43・+4
である。管理教育強化地域?!をみると
千葉  51・59・+8
愛知  40・21・-19
少々信じられない数値である。もっと多いと思っていた。
しかも、山形、福島は「オール0」である。宮崎、鹿児島とも04年度が0なのである。2003年度でも「2」しかないのである。このデータを信用すると一体この格差をどう説明できるのだろう。

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2005年9月12日 (月)

疑問な通達

札幌市教委から「不登校でもIT活用の自己学習で登校扱いにできる」旨の通達があった。世も末かな・・(^_^;)
在籍しているということで、学校長の判断のもと、不登校でもしかるべき学習をしているのであれば、指導要録には登校日数としてカウントしてよいというのである。つまりは、ちゃんと勉強していれば、欠席扱いしませんよ・・というわけだ。これでは、何のための学校なのかと思う。人が教え、人と学ぶところだからこそ学校の存在意義があるのに、単なる認定機関としてしまう施策には疑問を抱かざるを得ない。極端にいえば、不登校への免罪符が発行させられたわけだ。塾の反映やNPO法人でもフリースクールがどんどん増えている現状を考えると、公立校の未来はますます暗くなるばかりだ。

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模擬授業体験

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「第16回 酒井塾(酒井式描画指導法実技研修会)」が苫小牧で行われた。このところTOSSに限らずいたるところで模擬授業が花盛りである。教師の力量を高めるための試みとしては、日本独自のものではないかと思われる。(そもそも欧米には、現職教育として授業の腕をあげることをねらった授業研究はあまりないようである)
それはともかく、今回の私の授業は円山応挙の「付立」技法を、水彩画でも応用していくという提案授業であったのだが、授業の要素よりも提案性が強くなってしまって「講座だった」という評価を受けてしまった。担任をはずれて3年ともなると、さすがに授業の腕はミルミル落ちていくのが分かる。
写真は、一発一筆で「幹→大枝→中枝→小枝」と描き進めていくものである。よくよくみると分かるとおり、白を基調に少しずつ黒を混ぜて、小さく描き添えていくと奥行きも表現できる。これもまた応挙の技法である。蕪村もまたこの技法を取り入れたようだが、それほどメジャーな技法とはならなかったようである。しかし、これは明治期の近代絵画へとつながっていく端緒となった技法である。酒井式主宰の酒井臣吾氏は、「ぼくの木 わたしの木(ニューバージョン)」で一発描きを紹介しているのだが、わざわざ習字用の毛筆を使って描くように示した点が今回は新たな提案になったかと思う。とはいえ、授業の体をなしていないというところが残念であった。次回の再挑戦に向けて捲土重来を期することにしよう。

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2005年8月25日 (木)

学校荒廃度深度表

 前掲書に、「学校荒廃度深度表」というものがある。
 喫煙・服装・公共物破壊・授業・集団・対教師・触法行為・一般・保護者・学校の対応
と、10の項目について、それぞれ5段階を設けている。
 進度表ではなくて、”深度”としているあたりが、深刻さをイメージするに足る表現である。
 各項目を最深度レベルでみると次のようになっている。

 喫煙・・授業中や一般来校者の前でも喫煙
 服装・・高額盗難発生、スプレー使用、車への悪戯
 公共物破壊・・破壊の習慣化、挑発的な破壊、ゲーム感覚の破壊
 授業・・他教室への出入り、音楽やバイク等での授業妨害
 集団・・校内を無法地帯のようにふるまる
 対教師・・対教師暴力
 触法行為・・凶悪事犯発生、学校間抗争、暴走族への加入
 一般・・一部に問題への認識
 保護者・・校内整備作業、一声運動、講演会、親子レク等の実施
 学校の対応・・外部諸機関、共通実践を通して全校指導体制の確立、抜本対策試行
 
 現実場面を想像するだけで、胃がきりきりと痛む気がする。これが現実なのだ、と
痛感する思いだ。

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正義感・責任感を喪失するとき

荒れている学校で共通している現象(『「荒れる」中学校をいつ変えたか』
(糸井 清;明治図書)より

1)校舎の内外が汚い。掃除が出来ておらず、ゴミが散らかり落書きが多い。
2)(教師も含めて)服装に締まりがない。名前札もなく靴の踵は踏み潰されている。
3)そして教師は決まって「忙しい、時間がない」と高圧的で、逃げの弁護ばかりしている。
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(1)は、そうだと思う。
(2)(3)は、そういう教師が目立つ・・・とした方がよいだろう。
私の経験では、2~3割は!存在しているとみている。
何事の組織においても、力関係というものはある。
2割が推進役、2割が抵抗勢力、残り6割が浮動票(^_^;)という感じだ。
従って、職場組織では、よいものVSワルもの 間で、浮動票層のなびき方で
動いているというのが、私のイメージである。
そして、推進役が職場全体の6~8割の仕事をこなし、抵抗勢力はどうでも
いい仕事をしていることが多かった。
私が中学校教師時代にあった分掌で、「校外清掃係」というあきれた係があった。
校舎周りでたばこの吸い殻だの清涼飲料水の入れ物だのを見つけては、報告
するというものである。それでいて、年齢もそこそこのため、号俸が高い。
あくせくと生徒指導に夜も追われ、授業の準備も大変、進路指導の資料も作らねば
という生活と対極して、朝のひとときをバケツと火ばさみでウロウロし、特殊学級で
適当に子守りする程度の仕事の方が給料がはるかに上だとは、教職世界だけの
話だろう。そんなところに暮らしていると、まじめがバカを見る構図を見せつけ
られるだけで、正義感や責任感を喪失してしまいそうになるのである。

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『「荒れる」中学校をいつ変えたか』より

『「荒れる」中学校をいつ変えたか』(糸井 清;明治図書)より
私が関心をもった部分を抜粋紹介する。

====================================

P.93
学校が、寄せ集め人間による一過性の仕事で出来るわけはないし、
機能体としての教師集団づくりを進める上に、机の配置は決して
疎かな問題ではない。

P.106
仕事が人を育てるという適所適材の新たなる指導原理

P.132
人生への自信

P.132
高牟礼中生徒指導に対する基本姿勢
1)正直者がバカをみない
2)他人に迷惑や不愉快感を与えない
3)目指す生徒像に相応しい生活規律を自主的に決め実行する

P.134
創業は難し、守成は更に難し

P.136
実践に「明日から」はない

P.138
「荒れる学校」の特効薬は授業の確保しかない

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とんだ水入り

 このブログで駒大苫小牧の2年連続甲子園夏大会優勝の偉業を称えたところに、例の野球部長の暴力事件問題である。いやはや、がっかり・・。しかし、私の感想は一般的に流れている部長や駒大への批判・批難とは別にある。そもそも、6月の出来事が今更のように出てくることが妙である。殴った回数にかなりの隔たりがある云々というもの、それほど重要事項とは思えない。第一、被害者側(父親と当事者の息子の間ですら、違いがあるではないか)が指摘するように、バットでなぐったり、平手でも30~40回も殴られていながら、障害を受けたという診断書が存在するのだろうか。(私が見聞した報道ではなかった)こういう例は、軽傷であっても診断書となれば、最低全治二週間というものが相場である。そして、診断書が出た時点、つまり、地区予選の段階ですでに、ことが発覚し、明徳義塾と同様、出場辞退か程度としては、出場停止処分となっているはずである。
 部長は殴り、生徒は殴られたということを言っているので、事実はあったのだろうが、そのことが発生した時点での双方の認識がどういうものであったのか、今後の調査委員会ではそのことについても、調べられることになるだろう。
 駒大苫小牧は、優勝旗をチーム全員で返還するという使命感が当然あったろうし、その重圧から野球部の責任者も選手達も同様の心理状態で、相当に張りつめていたことは察することができる。いわば、常時とは隔絶した異常時であったわけで、そこで、チームの士気に関わる不届きな行為があったとすると、部長たる者の意識は寛容さの余裕はあまり期待できなかったことかと思う。(殴ることを肯定しているわけではない)
 異常な背景、異常な心理状態がもたらす言動は、時としてオーバーアクションをもたらすことがあるのは、私も経験上わかる。
 事件発生時点で、相互に強く高い信頼関係を維持できていたら、避けられた出来事だったのではないかと思うと、誠に残念なことである。偉業の熱気が一気に異業の冷気に成り果ててしまい、とんだ水入りとなったわけだ。
 報道関係はもちろん、イベントに関わる人・企業も大変なダメージを被ったことは想像に難くない。
 秋の大会~春の選抜がどうなるのかが気になるところだ。

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2005年8月21日 (日)

学校は組織体であるが・・・

『組織の盛衰』堺屋 太一(PHP研究所刊)
組織の五要素

1)組織する構成員
2)共通の目的と意志の存在
3)一定の規範(倫理と美意識)
4)命令と役割
5)共通の情報環境

学校組織を考える上で、この五要素は役に立つものである。
1)分掌の構造と職員(その能力も含めて)の配置をみる。
2)学校経営方針が学級単位でどう実現されているかが問題である。
3)だらしない(金・時間・接遇など)職種として教員をあげる世論は多い。
4)機能的な組織であれば、無駄にもめることはないのである。
5)知らない・聞いてないという職員が多いともはや組織体とはいえない。

9月で前期が終了するので、学校・学年・学級の経営中間反省を行う時期である。
北海道でも二期四分節による運営が広まってきたとはいえ、どれだけ中間評価を
している現場があることだろう。
形だけでダラダラと後半戦をやり過ごすことがないようにしたいものだと思う。







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